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Channel: 『ぬけられます』 あちこち廓(くるわ)探索日誌
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三重県 四日市市201412 その1

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歓楽街裏手の花街跡?・赤紙が貼られた横丁建築・海に突き出た遊廓跡

遥々東京からモボ(大嘘)が訪れたというのに、モガさんやっていなかった・・・。


 鈴鹿市神戸から近鉄線で名古屋方面に戻ること30分ほどで近鉄四日市駅に到着です。四日市市は県庁所在地の津市よりも人口が多いそうで、三重県最大の都市なんだとか。今回の旅、津市にベースキャンプを置いていたわけですが、駅前の光景が全く違うことに妙に納得(笑)現在は名古屋への通勤通学のためのベッドタウンと化しているようですが、嘗てはその名とおり毎月『四』のつく日に市が開かれていた町でした。東海道43番目の宿場としても栄え、ちょっと手前の日永の追分で伊勢街道が分岐していましたので、交通の要衝でもあったわけです。この東海道なのですが、私、物凄い勘違いをしておりまして・・・ちょっと恥ずかしいぐらいなのですが、それについてはレポの中でお話したいと思います。

 この四日市宿ですが、幕府直轄の天領でもありましたので代官所が設置されており、最盛期には本陣2、脇本陣1、旅籠98を数えたといいます。おそらく旅籠に置かれていた飯盛女が後の遊廓形成の一因となったのでしょう。かなりの規模の宿場だと思うのですが、現在の中心街にその名残みたいなものを見つけるのは非常に困難な状況になっています。その原因は、終戦間近に9回にもわたって行われた大規模な空襲にあります。四日市には大日本帝国海軍第二燃料廠をはじめとする大きな工場が並んでいましたので、米軍の格好の攻撃目標となったようです。この空襲で中心街は焦土と化してしまいます。

 このような状況ですので、私好みの古い町並みはおろか近代建築の類はほぼ期待薄・・・。それなのに、何故この町を訪れたのか・・・まあ、こういったものがお好きな方ならご存知かと思いますが、この町には絶品の横丁建築があるんですよね。実のことを言うと、遊里跡よりこっちのほうが楽しみだったりするわけ。駅を出ると、さきほどのまでの陰鬱な天候はなんだったんだというくらいの青空がひろがっておりました。地図を見ますと、デパートなどが建ち並ぶ駅前から南に延びるちょっと気になる通りを見つけたわけ。辛うじて嘗ての町並みが残っているような・・・。



これが結構いい感じなわけ。ちょっと寄り道になりますが、コレを辿ってみましょう。



その先の東海道と表示された案内板で???前書きに東海道の宿場ウンヌンとか偉そうに書いていますが、どういうわけかこの時点では四日市は伊勢街道の宿場と思い込んでいたというわけ。しかも、東海道は名古屋から岐阜方面に北上していたと、これまた勝手に思い込んでいたという体たらく・・・。慌ててスマホで調べて驚愕の事実を知ることに・・・嗚呼、恥ずかしい。



ハイ、これが正真正銘の『旧東海道』ですぞ(笑)この辺りは空襲の被害から逃れることができたのか、ほんの僅かですが往時の名残が残っているような気がしました。



脇道で見つけたニャンコみたいな塀・・・おっと、ノンビリしてはいられません。結果としてこの寄り道が後々響いてくるんですよね・・・。



急いで駅前に戻って参りました。何となく元旅館といった雰囲気のお宅。



中央通りを渡ってアーケードの架かった商店街に入るとコイツが・・・ご当地キャラの大入道、毎年8月初めに開催される大四日市まつりでは、コイツの巨大版が練り歩くそうです。首が伸びたり縮んだり、ちょっと動きが卑猥かも(笑)



アーケードの裏手はちょっとした呑ん兵衛横丁になっておりました。



そのまま北に向かうと次第に歓楽街の様相を呈してきます。そんな中にあるのが諏訪公園、噴水の向こうに貴重な近代建築が残っていました。旧四日市市図書館、昭和4年(1929)竣工、国の登録文化財です。



スクラッチタイル貼りの外壁から柱型を突き出させて縦を強調させる意匠になっています。本を象ったレリーフには『2588』、なんだと思いましたら、着工した昭和3年→紀元2588年という意味とのことです。



諏訪公園裏手の通り、小さな飲み屋さんが軒を連ねています。奥の立派な塀は料亭旅館大正館さんのもの、創業100余年だそうです。入り口から中の様子は窺えませんでした。



大正館さん裏手の路地、次第に場末っぽくなって参りました。



ちょっと西に行くと今度は大門が現れた。冠しているのがビルの名前というのが面白いぞ。界隈には数軒の大人のサロンらしきお店も散見されました。



国道164号線の延長である大通りを渡ると元町です。どうもこの一画、元花街っぽいのです。あ、個人的感想ね、証拠は何もありませんから。



だって、こんな立派な入母屋造り、現在はアパートになっているようですが・・・。



そして、コチラは料亭か旅館か、間違いなくそっち系ではないかと思われるのですが・・・。



近くにはこんなお風呂屋さんまであるのです。住吉湯さんです。



奥のタワークレーンが建っている現場、手元の地図には寿美家と表示されているのです。寿美家さんは明治10年(1877)創業という老舗の料亭なのですが、お店は消え失せマンションの建設が始まっていたというわけ。しかし、なぜかお店のHPは健在なのです。更新が2年前で止まっているのが気になりますが・・・何があったのでしょう。



アーケードの商店街に戻りうなぎの松岡さんで遅い昼食。本当はひつまぶしにしたかったのですが、時間がないのでクリスピーなうな丼をかっ込んで外に出ると、焼肉屋の天辺に薄っすらと『銀座女学院』の文字。ほ~ら、エロいこと考えた方おりませんか?残念!!コチラは元和裁学校とのこと、拙ブログお馴染の文化服装学院の一種としても宜しいかと。不思議なご縁です。



次に向かうのは海側に位置するJR四日市駅。近鉄四日市駅から東に1キロほど、退屈極まる単調な町並みを抜けていきます。近鉄線は昭和30年頃までJR四日市駅を経由しその先で西へ分岐していたそうですが、その後に現在の新線が敷かれ近鉄四日市駅が開業すると周辺の区画整理と再開発が一気に進むことになります。一方のJR四日市駅周辺はというと、昭和のまま放置プレイといった感じ・・・まあ、それがいいのですがね。



そんな寂れた駅前の一画で彼は生まれたそうな。そして目的の横丁建築もそんな場所にあるわけです。



逆光の先に崩壊寸前に見える妙な架構が見えてきました。これが目的の巨大横丁建築、三和商店街でございます。



ポッカリと口を開けた暗がりがオイデオイデをしておりますが、まだまだ我慢我慢。まずは外回りから。



赤煉瓦にスタッコがいかにもな感じ、妖しさを一層引き立てておりますなあ。



回り込むと今度は変則の日の出型看板建築の一種とでも申しておきましょうか、此処にも入り口ありますね。手造り感溢れる木製バルコニーがいいね。



モルタルの劣化具合が素晴らしいなあ。



この並びのお店の幾つかは現役みたい、その間にも入り口があります。



入り口を覗いてみると、ソバ食堂?と描かれた上に50円の表示、いつ頃の物価なのでしょう。



同じ並びにあるきっちんケミアさん、ランチのハンバーグが500円!?此処にすればよかった。



更にグルリと回り込みます。四周が道路に面した横丁建築ってかなり珍しいと思いますぞ。



やっぱりこのファサードがいちばん、ちょっと残念だったのが、モガさんがやっていなかったこと。



脇にはモガさんのサイケな看板が残っておりました。



同じ並びにあるのが四日市温泉さん。茶の細いボーダータイルを少しずらしながら縦に貼っているため、一見すると竹垣にも見える面白い外壁です。そしてアールのついた窓、何だか電車の正面に見えてきちゃいました。



もうすぐ開店みたいです。

前半はここまで、内部はその2までお待ちくだされ。その2ではおっかなびっくり崩壊寸前の内部を見学した後、港に突き出した遊廓跡を訪ねます。

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