バットレス付駅舎と三階建旅館・カーブを描くカフェー風?・遊里でお馴染のタイル
洋瓦が乗った小庇とくればアレ・・・だったらいいのですがね。
紀州和歌山シリーズ二日目です。本日は秘境大台ケ原を源とする紀州随一の大河、紀ノ川沿いの町を巡ります。当初はご存知世界遺産の高野山を訪れようかと思っていたのですが、煩悩の塊のような人間が行っては失礼かなと思い諦めました。まあ、高野山に行くとほぼ一日がつぶれそうというのが実際のところ。でも、その入口だけでもというわけではありませんが、最初に訪れたのが高野口町。平成18年(2006)に隣接する橋本市と合併し、自治体としての町は消滅しております。名前のとおり、町から直線で南に10キロほど行きますと高野山ですので、嘗ては参詣口の一つとして賑わった町でした。10キロといっても実際は険しい山道ばかりみたいですけど。町中の東西を大和街道が貫き、高野山へ向かう高野街道と交差しておりましたので交通の要衝でもありました。産業的に見ると機業地になるでしょうか、現在もパイル織物が生産されており、家並みの中に幾つかのノコギリ屋根を見ることができます。
最初に地図を眺めて思ったのは、区画整理などがほとんど行なわれていないなということ。曲がりくねる通りに、五叉路、六叉路といった変則的な辻がいっぱい、そこから細い路地が四方八方に伸びているわけ。これは町並みもかなり期待できるのではないでしょうか。あ、この二日目、遊里関係は期待しないでくださいね。情報皆無でしたし、できる限り地図上で気になった妖しげな処を探してはみましたが・・・。妙に引っかかる一画なんてものも出てきますが、それの正体が分かりませんので、妄想ばかりが炸裂しておりますので。まあ、気楽なブラブラまちあるきとしてご覧になっていただけたら幸いです。
和歌山駅からJR和歌山線で揺られること1時間ほどで高野口駅に到着。この駅の開業は明治34年(1901)のこと、当時は名倉という駅名でした。ホームの上屋は、トラスの小屋組が連続する木造です。
駅舎も下見板張りのレトロな木造、これはいい佇まいですなあ。明治45年(1912)に建てられたものが現在も使われています。軒下に連続するバージボードみたいな装飾が面白い。そして目を引くのが側面のバットレス(控え柱)。後付のようですが、耐震補強でしょうか。コレがある駅舎って結構珍しいと思います。
駅前広場の向かいにはもっと目を引く物件があります。総三階建ての旅館葛城館さん、明治後期に建てられたとされる国の登録文化財です。
天辺の唐破風の下に堂々とした扁額、何よりもオフィスビルみたいな連続する開口部が凄いですなあ。コレ、全開するんだと思います。
既に現役を退いているのですが、玄関を覗いてみるとこんなに綺麗、期間限定とかで公開されているのかもしれません。井桁の配置の竿縁天井、タタキは敷き瓦かな。金文字の看板には『高野山総本山金剛峯寺 御遠忌局指定旅館』とありました。参詣口として賑わった頃の遺構というわけです。
グルリと回り込む開口部が素晴らしい。
そのまま坂を下って脇道に入ると現れるのが旅館も里内さん、ネットでは全くヒットしませんので退役済みと思われます。
腰にはスクラッチタイル、縁取りの蛍光色っぽいマーブル模様タイルが面白い。
向かいにはおそらく青系統の外壁だったのでしょうが、退色し過ぎてグレーと化しているわけ。これが非常にいい塩梅なのです。
どうやら床屋さんだったようですな。ポーチに貼られた玉石タイルもかなり色褪せており、この枯れた風合いが堪らないわけ。
近くの廃屋、割れたガラスの奥を覗いてみると・・・なんと五右衛門風呂ではありませんか。
旧大和街道に出ました。変則の五叉路に合流する通りの光景。『かむろ』が妙に気になりました。
そのまま旧街道を辿っていきますと、冒頭画像の謎の物件が緩やかなカーブに沿うようにして建っているわけ。まあ、勝手に元カフェーとかだったらいいなあと思っているだけなんですけどね。柱の天辺から鉄筋が突き出しておりますが、増築でもするつもりだったのでしょうか。
ピーカンの秋空と全く同じ洋瓦の青、申し訳程度に貼られた鉄平石。そして、鉄柱一本で支えられたペラペラのキャノピー、これが堪らなく好き。
五叉路に戻って南に伸びる坂道を下っていきますと、両側に虫籠窓を設えた商家が現れ始めます。
この坂道、地元ではババタレ坂と呼ばれております。由来は荷物を引いた牛が、この坂で力んでウンチを垂れたからだとか。
鏝絵で屋号が描かれた森本理容所さんの前で足が止まりました。
ポーチに遊里でお馴染の騙し絵風のタイル、店内まで一面に貼られているわけ。此処で親爺さんのどうでもいい世間話を聞きながらカットされたい。よく見ると手前の部分、ちょっと色調とテクスチャーが違うの分かるでしょうか。おそらく四角形のタイルをカットして補修しているんだと思います。こういうのいいですよねえ。
その先の駐車場の向こうには、赤煉瓦の塀と一体化したようなノコギリ屋根。アーチの出入口の位置が絶妙。『おに車どめるな?』
近くの路地裏で見つけました。こんな形状のモザイクタイル初めてです。腰はグラデーションのつもりなのかな?
ショーケースがあることから、おそらく食堂関係だったと思われるお店。型板ガラスの柄が気に入りました。
細い細い路地を辿っていきますと、また赤煉瓦。よくよく地図を見ましたら、さきほどのノコギリ屋根の工場でした。
路地出口にあるお宅の塀です。菱形の虫籠窓風の格子が連続しておりました。
路地を抜けると再び旧大和街道、スーパー五一さんはガレージに転用です。あ、此処の場合はモータープールか。
駅前から続く旧高野街道(県道113号線)と旧大和街道が交差する辻に長大な塀を構えた豪邸があります。代々薬種商を営んできた旧前田邸さん、主屋は江戸後期竣工とされ国の登録文化財です。内部の公開は日曜のみですので今回は見学できず。
塗り替えたばかりの漆喰が眩しい主屋、越し屋根は囲炉裏の煙抜きでしょうか。この地方で結構見られるものです。
そのまま旧大和街道を辿っていきますとまた五叉路。角に建つ純喫茶プランタンさんがいい感じ。このまま辿りたいのですが、時間の関係で旧大和街道とは此処でお別れ。近くに国の登録文化財である高野口小学校があるのですが、平日ですので止めときました。
旧高野街道に戻ると、複雑な屋根が架かったお宅に遭遇。奥にステーキの看板が・・・
正体はこれまた喫茶店でした。その隣には・・・
こんな入母屋破風、額付の格子戸が独特ですな。
その先にもちょっと凝った造りの入母屋破風のお宅。この通り、右に行くとスーパーマーケットの駐車場にぶつかってしまうのです。妙に気になって、帰ってから戦後すぐに撮影された航空写真で確認しましたら、当時この一画は一面の畑でした。ちょっと損した気分です。
旧高野街道沿いでまたまた喫茶店。なんとも控え目な表示が奥ゆかしい。
あとはひたすら県道4号線を南下します。途中、いかにも眠そうな佇まいのおもちゃ屋さんに遭遇。
しばらく行きますと、外壁の廃れ具合が素晴らしい物件が現れました。妻壁だけが妙に綺麗なのが不思議。
正体は正面から見ると一目瞭然、廃業してからかなり時間が経過していると思われるお風呂屋さんでした。看板など何も残っていないので屋号は不明のまま。
はす向かいには変梃りんな看板建築。奥に工場か倉庫みたいのがありますので、嘗てはオフィスだったのかな。左官で石貼りを模しているんだと思いますが、目地の方向が普通と逆なわけ。こんなの初めて見ましたよ。
九度山橋で紀ノ川を渡ります。左手の高台に見えるのが、次に訪れる九度山の中心街です。
本当はフラフラと迷い込みたい路地がいっぱいあったんですけどね。時間の関係で此処までとさせていただきます。次回は弘法大師と真田幸村ゆかりの地である九度山です。
洋瓦が乗った小庇とくればアレ・・・だったらいいのですがね。
紀州和歌山シリーズ二日目です。本日は秘境大台ケ原を源とする紀州随一の大河、紀ノ川沿いの町を巡ります。当初はご存知世界遺産の高野山を訪れようかと思っていたのですが、煩悩の塊のような人間が行っては失礼かなと思い諦めました。まあ、高野山に行くとほぼ一日がつぶれそうというのが実際のところ。でも、その入口だけでもというわけではありませんが、最初に訪れたのが高野口町。平成18年(2006)に隣接する橋本市と合併し、自治体としての町は消滅しております。名前のとおり、町から直線で南に10キロほど行きますと高野山ですので、嘗ては参詣口の一つとして賑わった町でした。10キロといっても実際は険しい山道ばかりみたいですけど。町中の東西を大和街道が貫き、高野山へ向かう高野街道と交差しておりましたので交通の要衝でもありました。産業的に見ると機業地になるでしょうか、現在もパイル織物が生産されており、家並みの中に幾つかのノコギリ屋根を見ることができます。
最初に地図を眺めて思ったのは、区画整理などがほとんど行なわれていないなということ。曲がりくねる通りに、五叉路、六叉路といった変則的な辻がいっぱい、そこから細い路地が四方八方に伸びているわけ。これは町並みもかなり期待できるのではないでしょうか。あ、この二日目、遊里関係は期待しないでくださいね。情報皆無でしたし、できる限り地図上で気になった妖しげな処を探してはみましたが・・・。妙に引っかかる一画なんてものも出てきますが、それの正体が分かりませんので、妄想ばかりが炸裂しておりますので。まあ、気楽なブラブラまちあるきとしてご覧になっていただけたら幸いです。
和歌山駅からJR和歌山線で揺られること1時間ほどで高野口駅に到着。この駅の開業は明治34年(1901)のこと、当時は名倉という駅名でした。ホームの上屋は、トラスの小屋組が連続する木造です。
駅舎も下見板張りのレトロな木造、これはいい佇まいですなあ。明治45年(1912)に建てられたものが現在も使われています。軒下に連続するバージボードみたいな装飾が面白い。そして目を引くのが側面のバットレス(控え柱)。後付のようですが、耐震補強でしょうか。コレがある駅舎って結構珍しいと思います。
駅前広場の向かいにはもっと目を引く物件があります。総三階建ての旅館葛城館さん、明治後期に建てられたとされる国の登録文化財です。
天辺の唐破風の下に堂々とした扁額、何よりもオフィスビルみたいな連続する開口部が凄いですなあ。コレ、全開するんだと思います。
既に現役を退いているのですが、玄関を覗いてみるとこんなに綺麗、期間限定とかで公開されているのかもしれません。井桁の配置の竿縁天井、タタキは敷き瓦かな。金文字の看板には『高野山総本山金剛峯寺 御遠忌局指定旅館』とありました。参詣口として賑わった頃の遺構というわけです。
グルリと回り込む開口部が素晴らしい。
そのまま坂を下って脇道に入ると現れるのが旅館も里内さん、ネットでは全くヒットしませんので退役済みと思われます。
腰にはスクラッチタイル、縁取りの蛍光色っぽいマーブル模様タイルが面白い。
向かいにはおそらく青系統の外壁だったのでしょうが、退色し過ぎてグレーと化しているわけ。これが非常にいい塩梅なのです。
どうやら床屋さんだったようですな。ポーチに貼られた玉石タイルもかなり色褪せており、この枯れた風合いが堪らないわけ。
近くの廃屋、割れたガラスの奥を覗いてみると・・・なんと五右衛門風呂ではありませんか。
旧大和街道に出ました。変則の五叉路に合流する通りの光景。『かむろ』が妙に気になりました。
そのまま旧街道を辿っていきますと、冒頭画像の謎の物件が緩やかなカーブに沿うようにして建っているわけ。まあ、勝手に元カフェーとかだったらいいなあと思っているだけなんですけどね。柱の天辺から鉄筋が突き出しておりますが、増築でもするつもりだったのでしょうか。
ピーカンの秋空と全く同じ洋瓦の青、申し訳程度に貼られた鉄平石。そして、鉄柱一本で支えられたペラペラのキャノピー、これが堪らなく好き。
五叉路に戻って南に伸びる坂道を下っていきますと、両側に虫籠窓を設えた商家が現れ始めます。
この坂道、地元ではババタレ坂と呼ばれております。由来は荷物を引いた牛が、この坂で力んでウンチを垂れたからだとか。
鏝絵で屋号が描かれた森本理容所さんの前で足が止まりました。
ポーチに遊里でお馴染の騙し絵風のタイル、店内まで一面に貼られているわけ。此処で親爺さんのどうでもいい世間話を聞きながらカットされたい。よく見ると手前の部分、ちょっと色調とテクスチャーが違うの分かるでしょうか。おそらく四角形のタイルをカットして補修しているんだと思います。こういうのいいですよねえ。
その先の駐車場の向こうには、赤煉瓦の塀と一体化したようなノコギリ屋根。アーチの出入口の位置が絶妙。『おに車どめるな?』
近くの路地裏で見つけました。こんな形状のモザイクタイル初めてです。腰はグラデーションのつもりなのかな?
ショーケースがあることから、おそらく食堂関係だったと思われるお店。型板ガラスの柄が気に入りました。
細い細い路地を辿っていきますと、また赤煉瓦。よくよく地図を見ましたら、さきほどのノコギリ屋根の工場でした。
路地出口にあるお宅の塀です。菱形の虫籠窓風の格子が連続しておりました。
路地を抜けると再び旧大和街道、スーパー五一さんはガレージに転用です。あ、此処の場合はモータープールか。
駅前から続く旧高野街道(県道113号線)と旧大和街道が交差する辻に長大な塀を構えた豪邸があります。代々薬種商を営んできた旧前田邸さん、主屋は江戸後期竣工とされ国の登録文化財です。内部の公開は日曜のみですので今回は見学できず。
塗り替えたばかりの漆喰が眩しい主屋、越し屋根は囲炉裏の煙抜きでしょうか。この地方で結構見られるものです。
そのまま旧大和街道を辿っていきますとまた五叉路。角に建つ純喫茶プランタンさんがいい感じ。このまま辿りたいのですが、時間の関係で旧大和街道とは此処でお別れ。近くに国の登録文化財である高野口小学校があるのですが、平日ですので止めときました。
旧高野街道に戻ると、複雑な屋根が架かったお宅に遭遇。奥にステーキの看板が・・・
正体はこれまた喫茶店でした。その隣には・・・
こんな入母屋破風、額付の格子戸が独特ですな。
その先にもちょっと凝った造りの入母屋破風のお宅。この通り、右に行くとスーパーマーケットの駐車場にぶつかってしまうのです。妙に気になって、帰ってから戦後すぐに撮影された航空写真で確認しましたら、当時この一画は一面の畑でした。ちょっと損した気分です。
旧高野街道沿いでまたまた喫茶店。なんとも控え目な表示が奥ゆかしい。
あとはひたすら県道4号線を南下します。途中、いかにも眠そうな佇まいのおもちゃ屋さんに遭遇。
しばらく行きますと、外壁の廃れ具合が素晴らしい物件が現れました。妻壁だけが妙に綺麗なのが不思議。
正体は正面から見ると一目瞭然、廃業してからかなり時間が経過していると思われるお風呂屋さんでした。看板など何も残っていないので屋号は不明のまま。
はす向かいには変梃りんな看板建築。奥に工場か倉庫みたいのがありますので、嘗てはオフィスだったのかな。左官で石貼りを模しているんだと思いますが、目地の方向が普通と逆なわけ。こんなの初めて見ましたよ。
九度山橋で紀ノ川を渡ります。左手の高台に見えるのが、次に訪れる九度山の中心街です。
本当はフラフラと迷い込みたい路地がいっぱいあったんですけどね。時間の関係で此処までとさせていただきます。次回は弘法大師と真田幸村ゆかりの地である九度山です。