マッカーサーが降り立った町・これも一種の盲腸線!?・鳴ることはない警報機
錆びたレールを野花がゆっくりと覆い隠そうとしておりました。
神奈川県のほぼ中央、南北に妙に細長い町があります。それが大和市、町の真ん中を東西に横断しているのが相模鉄道本線。相模大塚駅の南に500haというとんでもない敷地を有しているのがご存知厚木基地。正式には海上自衛隊厚木航空基地というそうですが、アメリカ海軍の第七艦隊も共同で使用しております。位置しているのは大和市と綾瀬市なのですが、どうして厚木なのでしょうね。元々は大日本帝国海軍が帝都防衛のため昭和17年(1942)に設置したもので、所属していたのが通称厚木航空隊と呼ばれた第三〇二海軍航空隊。此処を飛び立った零戦や雷電、そして月光(大好きな機体)などがB29の大群を迎え撃ったわけです。終戦直後、占領政策のため飛来したダグラス・マッカーサーが降り立った地としても知られております。
一応軍都ということになるのかなと思いながら戦後すぐの航空写真を見ましたら唖然、基地と駅の周辺に町らしきものが存在していないわけ。相模大塚駅など田んぼのど真ん中といった感じで、基地周辺にはまるでニキビのような突起物がポツポツと点在しているのが確認できます。おそらく掩体壕だと思いますが、もう残っていないだろうなあ。駅前に何となく建物が並び始めるのが五十年代になってから、最初は軍人さん向けの色街みたいのがあったりしなかったのかしらと考えていたのですが、どうやら無駄な詮索だったみたい。よくよく考えてみれば、この基地は戦時中に出来たもの、しかもすぐに空襲が激化するわけですから、それどころじゃありませんよね。まあ、それでもいいのです、目的は別にありますので。
駅の南口にちょっとした呑ん兵衛横丁的な一画がひろがっています。お店とお店の間には階段があり、どうやら二階はアパートになっているみたい。
新しい女性は見つかったのでしょうか。
鉄平石による本物と偽物のコラボレーションというわけ。偽物の出来、結構微妙だぞ(笑)
そろそろ明りが灯るお店があってもいい時刻なのですが・・・。現代の若い隊員はこういう処では飲まないのでしょうね。一つ横浜方面に戻った大和駅周辺にはそれなりの歓楽街があり、大人のサロンがズラリと並んだ一画なんてものもあるわけ。皆こっちに流れてしまうのかもしれません。
駅の北側に美乃垣さんなる一軒の旅館があります。しかし、どうも様子が変、大工や作業員が入って何やらやっているわけ。改修でもするのでしょうか。
こんな洒落た窓もある建物なのですが、どうなってしまうのでしょう。
おさらいのストリートビューで確認しますと、洒落た窓は無事でしたが、ちょっと凄いことになっておりました。巨大なコンテナ?がズラリ、いったい何が起きたのでしょう。
駅の西側、厚木街道の踏切の光景。左が相模鉄道本線、右に草ボウボウの錆びたレールが分岐しています。コチラが今回の目的、旧相模野海軍航空隊線といいまして、主に厚木飛行場への燃料輸送のために敷設された軍用線であります。当時、周辺にはこういった軍用線が結構あったようですが、残っているのはコレだけ。平成10年(1998)までは現役でしたが、現在はこんな有様。一応表向きは休止ということらしいのですが、まあ廃線と言ってしまっても差し支えないものかと。コレを辿って厚木基地を目指します。
歩き出してすぐに振り返ると、分岐の踏切を相模鉄道の列車が通過していきました。架線もしっかりと残っていますので、ちょっと不思議な感覚を覚えてしまいます。
踏切も綺麗に残っているわけ。普通こういったのって立入禁止の柵などで塞がれたりするものなのですがね・・・。
その先で県道40号線と斜めに交差します。
常時車のタイヤで磨かれているためかレールがピカピカ。でも、此処を列車が通ることはおそらくないのです。
踏切を過ぎるとサビサビレールが復活。脇には黄色い小さな飲み屋さん、これはいい感じ。
お宅の裏口へと続く私設の踏切といった感じでしょうか。
その先にはピンクの金平糖みたいなお花のカーペット。イヌタデと思ったのですが、調べてみましたらヒメツルソバという花でした。
東名高速を跨いでサビサビレールは続いていきます。急がないと日が暮れそう。
この警報機も鳴ることはないのでしょう。CAUTIONは米兵向けかな。
その先のフェンスでレールは唐突に終わっておりました。これも一種の盲腸線として認定しても宜しいのではないかと思っております。終着駅はありませんけどね。
フェンス沿いには監視カメラがズラリ、また鉄ちゃんが来たぞなんて感じで見られていたのでしょうね。
サビサビレールを辿りながら頭に流れていたのはStand by meだったというのは此処だけの話。ちょっとアッサリ風味でしたが、戦争の遺構が残る相模大塚の探索は以上でオシマイ。
錆びたレールを野花がゆっくりと覆い隠そうとしておりました。
神奈川県のほぼ中央、南北に妙に細長い町があります。それが大和市、町の真ん中を東西に横断しているのが相模鉄道本線。相模大塚駅の南に500haというとんでもない敷地を有しているのがご存知厚木基地。正式には海上自衛隊厚木航空基地というそうですが、アメリカ海軍の第七艦隊も共同で使用しております。位置しているのは大和市と綾瀬市なのですが、どうして厚木なのでしょうね。元々は大日本帝国海軍が帝都防衛のため昭和17年(1942)に設置したもので、所属していたのが通称厚木航空隊と呼ばれた第三〇二海軍航空隊。此処を飛び立った零戦や雷電、そして月光(大好きな機体)などがB29の大群を迎え撃ったわけです。終戦直後、占領政策のため飛来したダグラス・マッカーサーが降り立った地としても知られております。
一応軍都ということになるのかなと思いながら戦後すぐの航空写真を見ましたら唖然、基地と駅の周辺に町らしきものが存在していないわけ。相模大塚駅など田んぼのど真ん中といった感じで、基地周辺にはまるでニキビのような突起物がポツポツと点在しているのが確認できます。おそらく掩体壕だと思いますが、もう残っていないだろうなあ。駅前に何となく建物が並び始めるのが五十年代になってから、最初は軍人さん向けの色街みたいのがあったりしなかったのかしらと考えていたのですが、どうやら無駄な詮索だったみたい。よくよく考えてみれば、この基地は戦時中に出来たもの、しかもすぐに空襲が激化するわけですから、それどころじゃありませんよね。まあ、それでもいいのです、目的は別にありますので。
駅の南口にちょっとした呑ん兵衛横丁的な一画がひろがっています。お店とお店の間には階段があり、どうやら二階はアパートになっているみたい。
新しい女性は見つかったのでしょうか。
鉄平石による本物と偽物のコラボレーションというわけ。偽物の出来、結構微妙だぞ(笑)
そろそろ明りが灯るお店があってもいい時刻なのですが・・・。現代の若い隊員はこういう処では飲まないのでしょうね。一つ横浜方面に戻った大和駅周辺にはそれなりの歓楽街があり、大人のサロンがズラリと並んだ一画なんてものもあるわけ。皆こっちに流れてしまうのかもしれません。
駅の北側に美乃垣さんなる一軒の旅館があります。しかし、どうも様子が変、大工や作業員が入って何やらやっているわけ。改修でもするのでしょうか。
こんな洒落た窓もある建物なのですが、どうなってしまうのでしょう。
おさらいのストリートビューで確認しますと、洒落た窓は無事でしたが、ちょっと凄いことになっておりました。巨大なコンテナ?がズラリ、いったい何が起きたのでしょう。
駅の西側、厚木街道の踏切の光景。左が相模鉄道本線、右に草ボウボウの錆びたレールが分岐しています。コチラが今回の目的、旧相模野海軍航空隊線といいまして、主に厚木飛行場への燃料輸送のために敷設された軍用線であります。当時、周辺にはこういった軍用線が結構あったようですが、残っているのはコレだけ。平成10年(1998)までは現役でしたが、現在はこんな有様。一応表向きは休止ということらしいのですが、まあ廃線と言ってしまっても差し支えないものかと。コレを辿って厚木基地を目指します。
歩き出してすぐに振り返ると、分岐の踏切を相模鉄道の列車が通過していきました。架線もしっかりと残っていますので、ちょっと不思議な感覚を覚えてしまいます。
踏切も綺麗に残っているわけ。普通こういったのって立入禁止の柵などで塞がれたりするものなのですがね・・・。
その先で県道40号線と斜めに交差します。
常時車のタイヤで磨かれているためかレールがピカピカ。でも、此処を列車が通ることはおそらくないのです。
踏切を過ぎるとサビサビレールが復活。脇には黄色い小さな飲み屋さん、これはいい感じ。
お宅の裏口へと続く私設の踏切といった感じでしょうか。
その先にはピンクの金平糖みたいなお花のカーペット。イヌタデと思ったのですが、調べてみましたらヒメツルソバという花でした。
東名高速を跨いでサビサビレールは続いていきます。急がないと日が暮れそう。
この警報機も鳴ることはないのでしょう。CAUTIONは米兵向けかな。
その先のフェンスでレールは唐突に終わっておりました。これも一種の盲腸線として認定しても宜しいのではないかと思っております。終着駅はありませんけどね。
フェンス沿いには監視カメラがズラリ、また鉄ちゃんが来たぞなんて感じで見られていたのでしょうね。
サビサビレールを辿りながら頭に流れていたのはStand by meだったというのは此処だけの話。ちょっとアッサリ風味でしたが、戦争の遺構が残る相模大塚の探索は以上でオシマイ。