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Channel: 『ぬけられます』 あちこち廓(くるわ)探索日誌
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静岡県 富士宮市201301その1

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残り二つは何なの?・此処にもあった落水荘!?・まさにフジヤマ!ゲイシャ!の町

この辺り、かなり雰囲気が残っていると思うのですが・・・。


 2013年初っ端のレポは静岡県富士宮市。正月から慌しい探索はしたくなかったので、ゆっくり一泊して4つの町を巡って参りました。のんびり旅でしたが、旅に出るまでが慌しかったあ・・・昨年の暮れ、恒例の冬の青春18きっぷを購入したのですが、何を勘違いしたのか有効期限が1月20日までと勝手に思いこんでいたのです。年明けからいろいろと忙しくなりそうなので、このままだと間違いなく使い切れない・・・急遽予定変更!!なんとかやりくりして2日間を確保。問題は場所、いくら乗り放題だからといっても7時間も8時間も鈍行に揺られるのは勘弁、3、4時間で行ける範囲で遊里が存在し、かつまだ訪れたことのない町・・・自然と導き出された答えは静岡県だったというわけ。急な計画でしたので、相変わらず下調べは杜撰ですぞ、という決まり文句も置いときますね。

 『大宮町遊廓 静岡県富士郡大宮町字茨木に在つて、東海道本線富士駅から富士身延鉄道に乗換へ、大宮駅で下車する。大宮は、昔から富士登山の大宮口宿場で、飯盛女も相当に居たものだが、今は貸座敷が三軒しか無い。娼妓も約十人程居るのみだ。附近は養蚕地なので製糸工場が多い。店は陰店で、遊興は時間制と、廻し制とある。費用は一時間遊びが一円七十銭位で、廻しの一泊は二円見当である。台の物は付かない』

 以上は『全国遊廓案内』による富士宮市の昭和初期の様子です。大宮町とありますが、昭和17年(1942)に大宮町と富岡村が合併して誕生したのが富士宮市になります。大宮という名の由来ですが、古くから富士山信仰の拠点の一つであった富士山本宮浅間大社の門前町として栄えてきたという歴史があるからみたいです。今回はその由緒正しき浅間大社への初詣も兼ねた探索になります。で、肝心の遊廓跡ですが、当然のことながら字茨木なんて地名は残っていないわけ。しかし、駅の西側一帯に大宮町という表記が・・・もう少し目を凝らしてみますと旅館と割烹が数軒あるみたい。この一画を中心に攻めてみることにしましょうか。まあ、当時で三軒しかなかった遊廓です。見つからなくって当然といった感じで気楽にいきましょう。正月ですしね。

 東京から3時間あまり、東海道本線富士駅で身延線に乗り換え20分ほどで富士宮駅に到着。この身延線、富士山を眺めるのには最高の路線かと・・・一度、終点の甲府まで乗ってみたいのですが、途中に遊里が存在した町が無さそうというというのが難点。富士駅を出ると、カーブを曲がる度に左右の車窓に雪化粧を施した山頂が大迫力で迫ってきます。しかし、車内が浅間神社の初詣客でラッシュ並みの混雑・・・ゆっくり眺めていられませんでした。



ご安心を、駅前からもこんな感じで望めますよ。私の下手糞な写真では伝わりませんが、実際はもっともっと迫力があります。正月早々ありがたや〜。しかし、山頂を望めたのはこのときだけ、以降は雲の帽子を被ったままでした。



まずは駅の東側、東町をフラフラしてみます。最初に出会った飲み屋さんがいい雰囲気、先の展開が楽しみになってきましたよ。



料理名を店名にしてしまうとは・・・しかも本店(笑)



ピンクのトタンとは珍しいですね。古びた木の部分との取り合わせ、このアンバランスが堪らんわけです。



入口が二ヶ所・・・どうしてでしょう・・・気になりますよね。レトロな照明もいいなあ。



どのあたりがフラワーなのかよくわかりませんが・・・。



和と洋・・・洋ってほどでもないか・・・でもこういうの好きですよ。



ここから大宮町・・・まず見つけたのが重厚な商家、呉服屋さんみたいです。入口の上に立派な看板が掲げられておりました。向かいはスナックハッピー・・・。



雨戸が閉め切られた謎の建物、何だったのでしょう。



入口も固く閉ざされておりました。扉が斜めに振られているのがおわかりになります???飲み屋さん関係かも・・・いや、もしかすると・・・。



おふくろの味水口屋さん、もうやってないみたい。おふくろさんは何処・・・。



真っ白な塀に囲まれた旅館鳥岩さん、かなり大きな建物なのですが、古いんだか新しいんだか、いまいちよくわからない。一応現役っぽいです。



この界隈、旅館や飲み屋さんが点在しているのですが、どうもピンとこない・・・違うのでしょうか。



かと思えば路地裏にこんな質屋さんがあったりします。付属する頭でっかちの蔵が面白いですね。



あ、また旅館だ。こちらはとっくに退役済みたいですね。やっぱり間違っていない!?なんだか混乱してきた・・・。



四つ辻に建つ看板建築のいけだ化粧品店さん、アーチ窓が気になるのですが、アーケードのせいでよくわからない。右に行くと浅間大社があります。



近くの小さな神様。失礼、名前は失念してしまいました。鳥居の先、参道のように伸びている路地の奥にそれは現われました。



これが問題の物件、単なる古い平屋建てのお宅に見えますでしょ。おや?何か看板みたいなものが掛けられていますよ。



『富士宮五業協同組合事務所』・・・ご、五業!?なんぞコレ???えーと、とりあえずおさらいしておきましょう。所謂花街を形成するために必要な三つの業種(料理店・芸妓置屋・待合)を『三業』といいます。これまで待合抜きの『二業』には何度か出会っておりますが、さすがに『五業』は初体験・・・というか、花街が存在していたのでしょうか。或いは遊廓には芸妓がつきものだったりしますから、それの関係かも・・・いやいや、そんなことより重要なのは残りの二つは何なのかということ・・・で、何なの???



路地を抜け、綺麗に整備された県道76号線を渡った先も大宮町です。このお宅の物干し台には仰天、豪快さんだなあ(笑)



その先が妙に気になる・・・うまく言い表せないのですが、独特の雰囲気があるのですよ。



このいい感じに廃れた路地、地図に載っていないのです。で、これを抜けますと・・・



冒頭画像の場所に出ます。割烹壽さんです。お店のHPを拝見しましたら、現在の御主人で三代目だとか、かなりの老舗ということですね。老夫婦がお品書きを見ていますが、お昼は蕎麦を供しているようです。かなり惹かれたのですが、ここは富士宮、例のB級グルメを食べなくてはと思い踏みとどまりました。



壽さんの先には六本木(笑)地方都市で結構見掛けますが、やっぱり憧れの場所ということなんでしょうか・・・あんなところの何処が良いのか全く理解できませんけどね。



壽さんの裏手に立派な長屋門が残っています。江戸時代に造られたようですが、当初は別の場所にあった豪商のものでした。昭和の始めにこの地移築され、料亭高しま家の門として使われてきたそうです。屋根の上に突き出たガス燈みたいな照明は明らかに料亭時代のものですね。高しま家が無くなった後もこの門だけは残されましたが、痛みが激しく解体寸前のところを市が買い取り、現在は歴史の館という資料館的な使われ方をしているようです。注目してほしいのが、料亭があったという事実、すぐ近くには前述の壽さんがありますし、その2で紹介しますがもう一軒近くに気になる物件があるのです。もしかすると、この一画がそうだったのかも・・・と妄想すると楽しいわけ。



長屋門の向かいには廃墟になった飲み屋さんが数軒、屋号が達筆すぎて読めません。

その1はここまで、その2では浅間大社に初詣をした後、近くで超有名建築家作品のパクリ疑惑物件を発見して大興奮・・・というのはちょっと大袈裟かもしれませんが、個人的にはとてもツボに嵌った物件・・・まあ知らない人が見たら何言ってんだコイツってことになりそうですけど。

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