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Channel: 『ぬけられます』 あちこち廓(くるわ)探索日誌
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群馬県 前橋市201405(再々訪編)

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消え失せた花街跡の象徴・闇市由来の横丁建築・小品なれど逸品の看板建築

この色調、意図したものではありません。またカメラがおかしくなっちゃった・・・。


 大胡駅から15分ほどで上毛電鉄上毛線の西の基点である中央前橋駅に到着です。前橋市のほぼ中心に位置する駅なのですが、前回記したように此処からJR前橋駅まで直線距離にして約1キロも離れているわけです。おそらく当初は町の中心に駅を設置すればいろいろと便利という感じだったのかもしれませんが、どうして前橋駅と接続しなかったのでしょうね。接続していれば現在のローカル線然とした雰囲気も多少は薄まっていたのかもしれません。一方のJR前橋駅はというと、県庁所在地とはとても思えないほどの駅前風景というのが面白いところだったりします。

  五年ぶり三回目になりますか・・・県内随一の規模を誇る花柳界が存在していたようですが、前回、前々回共大した収穫はありませんでした。お馴染乙種料理店にいたっては言わずもがなという感じでしたし。これは私の力不足ということもありますが、空襲の影響が大だったのかもしれません。終戦間際の昭和20年(1945)8月5日、B29爆撃機92機による大空襲で、市内の六割近くの家屋が被災しているそうです。一応昭和18年時点でのそういった関係のお店の数は以下のとおり・・・乙種料理店23軒、酌婦81名、甲種料理店19軒、甲種料理店雇婦60名、芸奴屋65軒、カフェー及バー20軒となっております。前回と前々回で町の雰囲気は大体判っているつもりですので、今回は上毛線乗りつぶしのおまけみたいな感じで緩~くいきたいと思います。

註)前回と前々回をまとめたレポはコチラ、先にご覧になったほうが判りやすいかと。



オールステンレス車両が勢ぞろい。車両毎に運転席部分のカラーが違うのですね。



駅の北側、城東町界隈に妖しいお店があるとかないとか。前回も訪れましたが、どうもいまいちピンとこないわけ。



細い路地に面したノンさんは健在、向かいのMANILAさんは更地に変わっておりました。



路地を抜けると両側から凄まじい色彩に挟まれます(笑)以前と全く変わっていない・・・。



長屋形式の飲み屋さんだったようですが、どうしてこんな色にしちゃったんでしょう。まあ、飲み屋建築にどうしては禁句ですわな。



お隣はこんなお店、ゆうさんじゃなくてすまぬ。



広い通りを渡った先で見つけました。何かで駅近くの花園にそういった一画があったと見た記憶があるのですが・・・別の何かとごっちゃになっているかも。



中央前橋駅脇を流れる広瀬川を渡って南側に出ました。広瀬川沿いで見つけた旅館鈴元さん、どちらというと仕事での長逗留向きといった感じですな。



レポを書くためストリートビューでおさらいしますと、更地に変わっておりました。直後に解体されてしまったようです。



振り返ると広瀬川の向こうに中央前橋駅、奥のビルに上毛電鉄の本社があります。



近くにあるのが素っ気無い造りの成田湯さん。ネットの情報では現役のようなのですが、ひっそりと静まり返っておりました。定休日だったのかな???



その先、更地脇に建つ物件に目が吸い寄せられます。



影になっていて判らないと思いますが、格子の上、照明が組み込まれた看板には喜の川とエッチングで描かれておりました。手前は落ちちゃったテント製のキャノピー、最初は何かと思いましたよ。



そしてちょっと行った処にあるのが、円窓が二つある飲み屋さんの成れの果て。お気に入りの物件、よかった健在でした。



相変わらずのすんばらしい佇まいですが、五年前と比べてかなり熟成度が進んでおります。ご覧になるならお早めに(笑)



それでは花柳界の中心だった思われる千代田四丁目、五丁目に向かいますか。



左手のコインパーキングに建っていたのが、花街跡の象徴ともいえる見番の建物・・・ついに壊されちゃいましたか・・・。



向かいの料亭小松さん、昭和24年(1949)の創業になります。



最後の50セントなるお店の外壁が凄いことに・・・こう見えてもすき焼きのお店なんだとか。



路地裏の割烹っぽいお店、那智愚の洗い出しに石臼がいいね。格子戸の独特なアールのついた部材、コレ何だかお判りになります???正解は水車の回る部分と言えば判るかな、実は私も最近知ったのですがね(笑)本物の古材かどうかは不明ですが。



再び広瀬川方面に向かいます。途中でアーケードの架かった通りに出ました。弁天通り商店街です。



アーケードの中ほどに呑龍飲食店街なる大門があるわけ。



ちょっとワクワクしながら入っていきますと、こんな三角屋根が見えてきます。あら、名前が変わっているのはなぜ???



正体は所謂横丁建築でした。とはいえ、ありがちな妖しい雰囲気は皆無、建物も新しいようですし。帰ってから調べてみましたら意外な事実を知ることになります。コチラ、元々は戦後の復員者のために設置された闇市みたいなマーケットだったそうです。それが火事で焼けてしまい、昭和58年(1983)に規模を縮小して再建したのが今の姿。昔の航空写真で確認しますと、現在のより大きい倉庫みたいな屋根がはっきりと写っておりました。その頃の姿見たかったなあ。なんでそんなに詳しいの?と思われるかもしれません・・・だってこの横丁建築、HPがあるんですもの。



反対側にもちゃんと大門があるのですぞ。



大門の向かいには創業60年という料亭金光さん、新しい建物ですがかなり立派。地元ではちょっと知られた高級店みたい。さきほどの見番向かいの小松さんもそうですが、戦後の創業ということは一度空襲で焼けているということなのかもしれません。



近くの小料理店的なお店、側面に半円の窓が穿たれておりました。



昭和8年(1933)に架けられた比刀根橋で広瀬川を渡ります。欄干の孔から見えた光景、河畔の柳並木が綺麗でした。



その先でカメラに異変、こんなになっちゃった。以前にも発生した事案だ・・・まあ、そのうちに直ると思いますのでこのままいっちゃいます。



素晴らしい佇まいのお店を見つけました。ホルモンやきそばが気になって仕方がないのですが・・・。食べログがこういうお店もカバーしていることにちょっと関心、書き込んでいる連中のグルメっぷりにはちょっとあれですけどね(笑)見たとおり地元密着のお店みたい、しかし肝心のホルモンやきそばは二人前から、しかも女将さんの気分次第なんだとか。



お隣の黒いお宅が冒頭画像の場所、鮮やかなバラとのコントラストが強烈。



ほら、直った・・・おまえそれでいいのかという感じですが。



近くで円窓を発見、おそらくお医者さんだと思います。



その先にはテーラー、なぜか看板がひっくり返っているわけ。



少し北に入った処で見つけた小さな小さな看板建築、これが素晴らしいのです。



段になったパラペット、羽目板が方向を変えて張られています。これまた段になった小庇の下には洒落た木製窓。腰には茶の縁取りに少し窯変したピンクのモザイクタイル。元床屋さんといった感じでしょうか。小品なれど逸品ですな、こういう発見は嬉しいなあ。



すぐ向こうの四つ角に、すでに退役済みの小さなコインランドリーがあります。



シンプルなホワイトボックスの一部を斜めに欠き込んで入口を造っているのですが、飛び出した異様に分厚い袖壁が面白い。貼られているタイルも面白いのです。



初めて見る形状のモザイクタイルですな。特にアクセントに使われている一見すると石風のヤツ、傾きかけた太陽を反射して雲母みたいに光るのです。



帰り道、適当にフラフラしておりましたら長~い赤煉瓦の倉庫が見えてきました。此処に出るんだ・・・コチラは前回も紹介した旧安田銀行担保倉庫、以前はほぼ放置プレイ状態だったと記憶しているのですが、アンティークの家具店が入っておりました。



近くの柴田テントさん、和瓦葺きなのに洋館風という和洋折衷の建物です。扉の前に鬼瓦が・・・落ちちゃったみたいです。



途中、こんな可愛らしい食堂を見つけました。もうやっていなさそうなのが残念。再びアーケードを抜けてJR前橋駅を目指します。でも、あと1キロあるんですよね。

やはり五年ぶりとなると様々な変化があるものですね。以上、地味そうに見えて実は結構奥が深い前橋のブラブラ再々訪でした。

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