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Channel: 『ぬけられます』 あちこち廓(くるわ)探索日誌
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埼玉県 加須市201411

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うどんの町でお店巡り・古い医院建築がいっぱい・お不動様近くの謎料亭

袂に建つとうふ屋さんがこれまたいい感じ。


 埼玉県の北東部に位置する加須市、なんでも『かす』なんて酷い読み間違いをする輩がいるようですが、『かぞ』ですので宜しくお願い致しますぞ。嘗ては青縞織を特産とする機業地だったそうですが、それが衰退した現在は何処にでもありそうな地味な町というのが第一印象。埼玉出身の私が言うのも何のですが、こういう感じの町は県内に結構あるわけでして、ベッドタウンとして機能はしていても、嘗て栄えた駅前などの中心街は閑古鳥が鳴いているような状態、所謂地方都市のドーナツ化現象という奴ですな。社会的には大問題なのですが、それに惹かれる者としては訪れる度複雑な心境になるんですよね。

 以上のようなことに危機感を覚えたのか、現在町が積極的にアピールしているのが『うどんの町』ということ。この一帯は町の北を流れる利根川の氾濫などで土地が肥沃でして、昔から米より小麦の栽培が盛んだったそうです。品質のよい地粉が手に入ったということですな。まあ、昨今は結構知られるようになりましたが、埼玉県には加須がある北東部から川越・狭山が位置する南西部にかけて、町毎にと言っていいほど独自のうどん文化が花開いているわけ。四国にあまりにも有名な県がありますが、それに負けないくらいのうどん県だと個人的には思っております。実際の処、昔の埼玉の女性は皆さん普通にうどんが打てたみたいですぞ。おふくろもそうですが、嫁入りの作法の一つといった感じだったみたい。私も子供の頃は踏んで延ばす工程などをよく手伝わされたものです。今はもう打ちませんが、実家には未だに延し棒が残っています。今や泥棒撃退専用みたいですが(笑)

 遊里関係はサッパリ・・・機業だけでなく、毎月五と十が付く日には市が開かれていたそうですので、存在していたとしてもおかしくないと思うのですがね。しかし、全くあきまへんので、今回はうどん屋巡りに変更。そうは言っても腹のキャパってものがありますので、ブラブラしながら腹を減らす作戦でいきたいと思います。また、町の西の外れには関東の三大不動の一つとされるお寺がありますので、そこまで足を伸ばすつもり。遊里ウンヌンは置いといて、気楽なお散歩探索として見ていただけたら幸いです。



JR宇都宮線の久喜駅で東武伊勢崎線に乗り換えて10分ほどで加須駅に到着。駅前にひろがるのは、いかにも典型的な埼玉の地方都市の町並み、いい意味で眠そう。駅のすぐ東側の線路沿いにあるのが庚良居アトリエ、アーティストの製作工房、元々は米蔵だったそうです。



中田病院の隣におそらく織物関係の工場だったと思われる物件があります。何故か現在は保険の代理店になっているわけ。



外壁の廃れ具合が見事、何だか変電所みたいですね。これ以上接近できませんので、正体は不明のまま。



中田病院脇の通りに入るといきなり市場が現れてビックリ。



その先には古びた板塀に囲まれた料亭吉田家さん。力士は県民にはお馴染の銘柄、加須市に編入された旧騎西町に酒蔵があります。りっきし~♪ってCMまだやっているんでしょうか。



ネットでも全くと言っていいほどヒットしませんのでおそらく退役済みかと。機業が盛んな頃は芸者さんも出入りしていたのでしょう。



近くの平和衣料さんの凄い蔵、こんなのがあるだなんてちょっと驚き。嘗ては青縞織関係のものだったのかな。ちなみに青縞は藍染をした木綿糸で織り上げた無地の平織物のこと、以前は法被や腹掛けなどに使われたそうですが、現在は剣道着が主な用途だとか。



サビサビトタン塀を抜けたらお待ちかねの一軒目、創業70年という手打ちうどん赤城屋さんです。10名も入ればいっぱいと思われる小さなお店、モルタルタタキの飾り気皆無な店内が堪らなくステキ。一応加須のうどんは盛うどんという定義があるようですが、当日はちょっと肌寒かったのでけんちんうどんを所望。里芋がゴロゴロ入った甘くて濃いお汁、讃岐うどん系とは全く違うコシ、何だろうこの懐かしさ、おいしゅうございました。



腹七分目といった感じ、まだまだいけそうですが消化を助けるため探索続行・・・日本特絹工業さんの事務所棟でしょうか。詳細不明ですが、創業が昭和16年(1941)とのことですので、その当時のものと思われます。



裏手にはノコギリ屋根の工場棟もありましたよ。



塀に囲まれたお宅、敷地に高低差があるため、母屋、蔵の順で屋根が積み重なっているように見えるのがおもしろい。



坂を登ると町を東西に貫く県道152号線に出ます。嘗ての目抜き通りと思われますが、江戸の頃は前書きのお不動さん詣での旅人が行き交った道でもあったのでしょう。そのため加須の町は宿場的な役割も果たしていたようです。この通りをひたすら西へと辿ります。まず現れるのが緑青を通り越して黒ずんだ銅板に包まれた新井商店さん。昭和12年(1937)に建てられたそうです。



その先の脇道に入ると下見板に上げ下げ窓が並ぶ端正な洋館が現れます。大正期に建てられたという松本医院さん、外壁を塗り替えたばかりみたい。ご覧のとおり、バリバリの現役というのが素晴らしいですなあ。この加須市、こういった医院建築がそこかしこで見られる町なのです。おや?お隣はうどん屋ではありませんか・・・しかし、まだ胃袋に空きができておりません、もう少し歩かせて。



県道に戻って更に西へ・・・こういった昭和初期頃竣工と思われる比較的シンプルな看板建築商店がチラホラ、典型的な埼玉の地方都市の町並みです。



コチラもそんな一軒、ファサードは左官による石貼り風なのに、側面は型押しトタンによって同じ石貼りが表現されているわけ。



こんな立派な土蔵も残っていましたよ。前に立てられた案内板には、なぜか山車と蘭陵王面なるお面?の説明。この土蔵に保管されているということなのでしょうか。



これまた脇道で見つけました。コチラも何となく元お医者さんっぽいですよね。画像では全く分かりませんが、キャノピーを支える円柱は非常に小さなベージュのモザイクタイルで覆われており、そこに鮮やかな紫と緑のタイルがアクセントとして散りばめられているわけ。まるでラメみたいでとても綺麗なのです。



再び県道に戻ると、最近拡幅されたばかりのように見える県道38号線と交わります。それ沿いに雨戸が閉め切られた空き家、二階の欄間にはこんな模様があるわけ。近くには若葉さん、さかもとさんなる二軒の料亭、ビジュアル的にあれでしたので画像はありませんが。背後には蓋をされ公園と化した会の川が流れているわけ。ちょっと気になる一画でした。



空き家の向かいには、理想的な色合いの緑青に包まれた萩原時計店さん。昭和3年(1928)に建てられたそうです。立派なゴールドの箱文字の天辺には薄紫の球形照明が下がっています。コチラ、通りの拡幅に伴い曳家で動かしたんじゃないでしょうか。



またまた県道に戻りました。重要文化財はもちろん登録文化財の建造物さえもない町並み、見事なまでに眠そう。結構交通量が激しいのですが、うまい具合に車が途絶えるとまるでパニック映画の一場面みたい。この先の丁字路を右折しますと・・・



冒頭画像の会の川を跨ぐレトロな欄干の橋が現れます。徒歩橋(かちばし)と言いまして、その名の由来は江戸の頃まで遡ります。橋を渡ってちょっと行った先には龍蔵寺なるお寺がありまして、当時は橋の手前が参道の始まりだったそうです。参道ですので馬に乗ったままの通行は禁じられており、お侍もこの橋の手前で馬から降りたそうです。徒歩でしか渡れない橋というわけです。



もちろん私も徒歩で渡りましたよ。目的のお不動さんは道なりに左なのですが、私は嘗ての参道を辿ります。しかし、龍蔵寺には寄らず、そのまま国道125号線に出ると二軒目の子亀さんに到着です。お昼をかなり過ぎた時刻でしたがお客でいっぱい、加須のうどん屋でいちばんの人気店らしいです。この店発祥という冷汁うどんを所望、ごま汁うどんいえば分かりやすいかな。県内には『すったて』と呼ぶよく似たうどんがありますが、違いがよく分からん。ツヤツヤでモチモチのうどんと、青じその風味が効いたごま汁との組み合わせがいいね。さすが人気店というお味、おいしゅうございました。しかし、うどんは腹持ちいいからね、限りなく十に近い腹九分目状態。もう一軒いけるかな・・・歩きながら考えましょう。



徒歩橋に戻って通りを更に西へ、イトーヨーカドーを過ぎると不動岡。おそらくこれから向かうお不動さんの門前町として栄えた処だと思います。



そんな道すがら出会ったのがコチラ。無理矢理増築したような二階部分で島田以降が判読できませんが、たぶんコチラもお医者さんだったのでは。



近くにもお医者さん、赤い洗い出し風の門柱がオシャレなのは、本多歯科医院さん。陶器製の表札が旧仮名、間違いなく元だと思います。



その先に加須が誇る埼玉銘菓のお店が二軒並んでいます。手前の看板建築風のが文久2年(1862)創業の武蔵屋本店さん、向こうが歴史不明の清見屋さん。此処で製造販売しているのが五家宝、もう説明しなくてもご存知ですよね。お店の向かいが目的のお不動さんですので、始まりは参拝客目当てということなのかな。茶店みたいな感じだったのかもしれません。でも、五家宝って熊谷が元祖じゃないの?と思い、武蔵屋本店さんの綺麗な女将さんに尋ねてみると、きっぱりとうちが元祖ですと言い切られてしまった・・・。パック入りのいちばん小さな奴を購入、噎せるほどきなこがいっぱい、出来立てですので柔らかくて美味しいのですが、凄まじく甘~い。渋い番茶や粉茶にピッタリかも、でも一日一本で十分だなこりゃ。この五家宝とご存知草加煎餅、そして川越の芋菓子が埼玉三大銘菓と呼ばれているそうです。えーと、十万石饅頭は???



埼玉三大銘菓のお次は関東三大不動という我ながら素晴らしい流れ(笑)向かいのお不動さんというのが不動ヶ岡不動尊、正式名称は總願寺(そうがんじ)といいます。元和2年(1616)に、高野山の總願上人によって開山されたと伝えられております。祀られた不動明王を拝むため、今も数多くの参拝客が訪れます。この日は閑散としておりましたが・・・。此処の向かいにあるのが三軒目の岡村屋さん。創業200年だそうで、そもそも加須のうどんはお不動さんの参拝客にうどんを振舞ったのが始まりとされているそうです。おそらく最も歴史があるお店だと思うのですが、お昼の営業時間を過ぎてしまったのか入れませんでした。まあ、実を言うとちょっとホッとしたというのが本音、オッサンに無理させないで(笑)



不動堂と大日堂はこんな渡り廊下で繋がっています。そこにズラリと並べられた年男と記された木札?ナニコレ。



お不動さんの並び、数軒のお宅の先で奇妙な門を見つけました。看板には料亭亀屋、奥にちらと写っている暖簾にはうなぎの文字、今も現役というわけ???コチラ、ネットで一応ヒットはするのですが、場所などの情報以外は正体不明という謎のお店なのです。



奇妙な門の奥、庭木で巧妙に隠してありますが、その向こうにあるのが母屋みたい。



実は裏手が公園になっておりまして、後ろ姿が丸見えだったというわけ。立派なお店だというのは確認できましたが、分かったのはそれだけ・・・。しかし、これには続きがありまして、たまたま国会図書館の近代デジタルライブラリーで見つけたのが、明治44年(1911)に出版された『東武線案内』なる書籍。名前のとおり東武鉄道各駅の紹介と、その駅がある町の紹介と観光ガイド的なものと思っていただければ分かりやすいかと。加須駅の最後に町にある主な会社やお店が記されているわけ。昔の観光ガイドってこういうの多いですよね、広告料を貰って宣伝頁を設けているのでしょう。そこにしっかりと亀屋さんがあるではありませんか。そして併記されていたのが『各講中御定宿』の文字、やはりお不動さんの参拝客御用達のお店だったようです。参拝の後は精進落しというわけで、嘗ては芸者さんも出入りしていたのではないかと、力技で遊里関係に持っていったのですが如何でしょう。ちなみに五家宝の武蔵屋さんも載っていましたよ、当時は五家『棒』だったようですが。



さて、駅の西側の一画に戻って参りました。いかにも埼玉的な車と自虐的に言っちゃいますが、それが停められた駐車場に面してなぜか門柱があるわけ。背後の嘗ては庭木だったと思われる森の中には、洋館付住宅と思われる廃屋が埋もれておりました。さすがに中には入れませんので門柱だけで勘弁して。



その先には簡素な長屋門とでも言っておきましょうか。地図には薬師尊とあるのですが、それ以外の情報が皆無という謎のお堂なのです。こう見えても門の両側では仁王像が睨みを効かせているのでした。



今も現役のボウリング場、アイビーボウル加須の裏手に三角屋根の山小屋風のお宅があります。しかし、よく見ると一階には和風の格子、外壁もハーフティンバーというよりは真壁と言ったほうが正しいかも、不思議な和洋折衷なのです。



旧篠原医院さん・・・またまた医院建築だ。この建物、敷地に対して45度振った配置で建てられているわけ。ですので物凄く目立ちます。



その先に見えたのが油田型の煙突、地図にはときわ湯とあります。



なんとこんな貼り紙が・・・どうやら五ヶ月ほど前に廃業されたようです。私、間違えて奥に見える裏口から入ってきちゃったみたい。



玄関廻り・・・腰にはこげ茶の座布団型タイル、引き分けの框戸には珍しい玉石柄の型板ガラス。その下からチラと顔を覗かせるのは市松模様・・・なんとも郷愁を誘う光景でした。



近く大和湯さんはとっくの昔に退役されたご様子。市内にスーパー銭湯はあるようですが、こういったお風呂屋さんはときわ湯さんが最後だったみたい。



最後に訪れたのが旧内田医院さん。コチラは路地に面した妻側の様子、一階は下見板張りに上げ下げ窓、二階はハーフティンバーにドイツ壁風の左官仕上、窓は塞がれておりました。



ファサードはこんな感じ、破風先端の丸みと、二つ並んだ持ち送り風の装飾が妙に気に入っております。大正10年(1921)に建てられたそうです。



うどんはあれですが、甘いものは別腹ということで、駅前のレトロな喫茶店千珈多さんで〆。アップルパイをオーダーしたら、想像したのと全く違うものが出てきた・・・美味しかったからいいけど

偉そうにうどん屋巡りと銘打っておきながら、結局行けたのは二軒だけ。今日のところはこれぐらいにしといたろ(笑)相変わらずしまらないオチばかり、以上で加須の探索はオシマイ。


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