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Channel: 『ぬけられます』 あちこち廓(くるわ)探索日誌
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静岡県 周智郡森町201301

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石松が育った(らしい)町・蔵が連なる裏路地・破風が美しい老舗料亭

石松の養家だからというわけではないと思うのですが・・・。それにしても見事な枝ぶりですね。


 前回の由比探索の後、清水で一泊です。夕食のため立ち寄ったチェーン店だと思われる海鮮居酒屋、正月ということで此処ぐらいしかやっていなかったのですが、大晦日からずーっと飲みっぱなしだったからでしょうか・・・気が付くと宿のベッドで大の字、どうやって辿り着いたのかよく覚えていないわけ(笑)あ、さすがにマグロは美味しかった、という微かな記憶だけが・・・。せっかく嘗ての赤線である相生町近くに宿を取ったのに、結局行かずじまい。まあ、以前訪れていますからということでお許しくだされ。

 さて、二日目です。毎度お馴染の鉄ネタになってしまい恐縮ですが、以前から気になっていた路線に乗ります。それが浜名湖の北岸をグルリと迂回するようにして掛川と新所川を結んでいる天竜浜名湖線。国鉄時代は二俣線と名乗っていた第三セクターのローカル線です。この路線沿いの遊里が存在したと思われる町を巡りますよ。初っ端は県西部のほぼ中央に位置する森町。町の歴史は鎌倉時代中期まで遡るそうです。戦国時代になりますと、この地域を巡って今川氏と斯波氏が争うようになり、周辺にいくつもの山城が築かれるようになります。町の南北を貫くようにして秋葉山詣でに使われた信州街道が通っているため、江戸時代は宿場町として栄えてきたようです。

 この町のことで忘れてならないのが『森の石松』ですよね。アウトロー、そしてギャンブラーの元祖みたいな人物ですが、この森町出身というのが定説になっています。しかし、愛知県新城市出身という説や実は隻眼ではなかったという説・・・仕舞いにはその存在自体が怪しいと言われる始末、要するにいろいろと謎の多い人物だったみたいです。町の北部、山あいにある大洞院にお墓が存在しているようですが、こういったものの宿命でしょうか、ギャンブルのゲン担ぎのため削って持ち帰る輩多数で何度も造り直しているとか。まあ、このお墓自体、他所にも複数あるそうですから、此処のも本物かどうか怪しいところではあります。

 『森町遊廓 静岡県周智郡森町にあつて、東海道本線袋井駅から北へ約三里、森町行の電車もあれば、乗合自動車もある。電車は駅から賃三十八銭、自動車は四十五銭である。此の遊廓は明治二十四年に設定されたものではあるが、元は矢張飯盛女であつた。散娼制が集娼制に改まつた迄の事である。貸座敷は目下、「花月楼」と、「喜栄楼」の二軒丈けで、娼妓は全部で十五人居る。重に東北地方の女が多い・・・茶、椎茸、次郎柿、森梅衣菓子等が土地の名物だ』

 以上は『全国遊廓案内』による森町に存在したとされる遊廓の昭和初期の様子になります。やはり宿場の飯盛女が由来のようですね。下調べ段階で明治の頃の様子も知ることができました。地元の古老中村秀吉の『明治の森の町物語』によりますと、遊廓の設置は明治29年(1896)だったそうです。天森橋のたもとの新町、天宮境に七軒(初音楼、玄蕃楼、春日楼、花月楼、鈴野楼、金静楼、喜楽楼)が集まって遊廓を形成したとあります。すでに新町、天宮境という町名は残っておりませんが、町の中央を流れる太田川沿いに天森橋という交差点を発見、近くには新町公民館なるものも・・・どうやらこの界隈のような気がします。それ以外にも、石松が育ったとされる家なんてものも残っています。それがどういうわけか割烹旅館なのです。もしかすると、遊里と何かしら関係あるのかも・・・。まあ、いずれにしろ二軒しかなかった遊廓です。見つからなくって当然、気楽にいきましょうや。



掛川駅から一両編成のワンマンカーで揺られること20分ほど、最寄りの遠州森駅に到着です。



木造駅舎の遠州森駅、昭和10年(1935)に建てられました。駅舎とプラットホームは国の登録文化財です。この天竜浜名湖線、駅に到着する度、この駅舎は登録文化財に指定されていますと車内放送があるわけ・・・まあ、有り難がるのは私も含めた少数なんでしょうけど、生き残りに必死なんでしょうね。



森町の中心街へは駅前を横切る県道278号線をひたすら東へ1キロほど。前書きにあるとおりお茶が名産品です(笑)



途中にあった廃院となったお医者さん。玄関廻り、窓の並びがモダンだなあ。



この辺りからが中心街になるでしょうか、地元では川原町と呼ばれているようです。洋品ふくやさんのテント製?のブリーズソレイユモドキが面白いなあ。ちょっと気色悪いですけど。



その先に短い距離ですが古い町屋が続いておりました。宿場の面影が辛うじて感じられるでしょうか。



嘗ての屋号でしょうか、なんて読むんでしょうね。



こちらは大石家住宅、なんと寛政11年(1799)に建てられたそうです。そんな年代物とは知らなかったので全景を撮り忘れてた・・・。それだけ大切にされているということなのでしょう。格子が綺麗だなあ。



盛土をした塚のような高台に建つ三島神社。千年以上の歴史がある由緒正しき神様なんだとか・・・この神社の森が森町の名の由来となったという説があるそうです。



瓦を葺き替えたばかりみたい、これはこれで美しいですよね。この旅何回目の初詣でしょう、数打ちゃ当たるというものではないと思いますが、念のため(笑)



この辺りから新町になるでしょうか・・・しかし、遺構らしきものは見当たらず。まあ、予想どおりでの結果ですので、大して気にはなりません・・・というのは真っ赤なウソ、僅かな痕跡でもいいから何か見つけたかったなあ。



この食堂脇の路地を真っ直ぐ行った先辺りに、嘗ての天森橋があったようです。現在の橋の少し下流になりますね。



こんなお店もありましたが、遊廓との関わりは不明です。とっくの昔に退役してしまったようですけど・・・。



遊里跡は発見できませんでしたが、こういった未踏の田舎町をフラフラ彷徨うのは楽しいものです。



左手、川沿いに建つ重厚な入母屋屋根にピンときました。



玄関に翠清の文字、そして立派な家紋?もしかして!?と一瞬思ったのですが、こちらはウナギ専門の割烹なんだそうです。遊廓だけでなく、森町には芸者さんも多数活躍されていたそうですので、こういったお店に出入りしていたのではないでしょうか。



その先に冒頭画像の物件が現われます。そう、これが森の石松が育ったとされる割烹旅館新屋さんです。



森町出身で『正伝清水次郎長』の著者である村松梢風によりますと、石松はこの新屋さん裏手の高台にある天宮神社の境内で拾われたとされています。



いくつまで此処で育てられたのかはわかりませんが、その後次郎長親分に預けられ数々の武勇伝を残していくことになります。



ほら、ちゃんと看板もありますよ。室内の柱には石松の刀傷なんてものも残っているそうですぞ。割烹旅館ですから芸者さんも出入りしていたのではないでしょうか。石松は酒乱だったらしいので、芸者さんを呼んでどんちゃん騒ぎ・・・勢い余って刀を抜いたという感じだったのかも・・・。でも、この建物、どう見ても江戸時代からのものには見えないのですがね(笑)



せっかくですので、天宮神社に初詣していきましょう。



本殿は改修工事の真っ最中で見られませんでした。石松が拾われたらしい境内から森町の町並みを見下ろします。真下に見える建物が新屋さんです。



帰りは辿ってきた通りと並行する路地を行くことにしました。これが大正解。



円窓が縦に二つ並ぶお店?元飲み屋さんでしょうか。路地のクネリ具合が絶妙ですな。



その先、笠付きの街灯がレトロな蔵と向かい合うのはオカノ写真館さん。



すでに現役ではないみたい。綺麗に直されておりますが、ヴォールト屋根のキャノピーはかなり歴史があるものだと思います。欄間も宜しいですな。こうなると二階部分が気になるわけ・・・サイディングの内側はどうなっているのでしょう。



オカノ写真館さんを通り過ぎると、蔵や古い町屋が集まる一画。いい雰囲気です。



近くにも割烹料理店、小さな町なのに結構見かけるのが気になるところではあります。



小庇を支える持ち送りは何を象っているのでしょう、ステキですね。ペンキが剥げ落ち気味のトタンもいい感じ。



また蔵が現れました。漆喰が落ちて下地の荒壁が露わになっておりました。



銅板張りの扉に見事な緑青、綺麗ですねえ。



その先に現われたコレにはビックリ!!料亭の柏屋さんです。創業は明治年間、四代続く老舗なんだそうです。



現在のお店は昭和4年(1929)に建てられたもの、最近になって改修されたみたいですね。瓦から下見板張りまで、全てが新しくなっておりました。特に目を引くのが見事な唐破風、絶妙な曲線ですね。わかりにくいと思いますが、奥の部分は鮮やかな群青色に塗られています。現在はフェンスに面していますが、往時は此処がメインの入口だったのでしょう。



二階はコの字のプランになっているようです。往時の姿を尊重しそのまま改修されているのだと思います。素晴しいことですね。いやー、いきなりだったので本当に驚きました。



帰り道、遠州森駅近くで出会った出世稲荷・・・まあ、普段出世などとは全く縁のない生活を送っておりますが、これだけ並ぶとなんだか脅迫されているみたい・・・恐いです(笑)



登録文化財の木造駅舎に戻ってまいりました。



やってきた掛川方面に向かうワンマンカー、これには乗りませんよ。それにしてもおチビちゃんって鉄道大好きですよね。



私が乗るのは反対方向に向かうこちらです。

結局というか案の定といいますか、遊廓跡は確認できませんでした。石松と同様、本当に存在していたのでしょうか。以上、森町の探索でした。

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