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Channel: 『ぬけられます』 あちこち廓(くるわ)探索日誌
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静岡県 浜松市天竜区二俣町201301その1

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隠れていた松皮菱・砦のような美術館・社と池と櫓と井戸?

嘗ての目抜き通り、人っ子一人おりませぬ。正月だからですよね?


 遠州森駅からワンマンカーで揺られること20分、山あいの天竜二俣駅に到着です。現在は浜松市天竜区ですが、以前は天竜市でした。で、天竜市の前身は二俣町だったわけです。この町の特徴はなんといっても天竜川。大きく蛇行した流れの内側、岬のように突き出した高台に町の中心があります。そんな場所ですので、中世の頃は戦略上重要な地だったようで、岬の先端に築かれた名城二俣城を巡って武田信玄・勝頼親子と徳川家康が何度も激しい攻防を繰り広げたそうです。近代になりますと、天竜川の水運を活かした物資の集積地として栄えていくことになります。特に周辺の山から切り出した木材が特産でしたので、上流にある佐久間ダムが完成する1950年代まで筏流しが行なわれていたようです。また、秋葉街道が南北に貫いていましたので、宿場町という一面もありました。往時は相当賑わっていた町なんだと思います。

 『二俣町遊廓 静岡県磐田郡二俣町字吾妻町に在つて、東海道線浜松駅から遠州電鉄に乗換へ、二俣駅で下車する。乗合自動車の便があつて賃十銭。附近の三方ヶ原は家康と武田氏とが戦つて家康の初めて敗けた古戦場として有名だ。二俣は天竜川の沿岸に在つて、北遠の咽喉を占め、水利の便がよい。当貸座敷は明治九年に許可されたので、目下妓楼は八軒、娼妓は二十五人居て、静岡県の女が最も多い・・・恐らくは茲は県下最低廉の遊里だらう。妓楼は、延年楼、小泉楼、宝来楼、金子楼、二見楼、喜楽楼、吾妻楼、京美楼、の八軒』

 お馴染『全国遊廓案内』による昭和初期の様子です。吾妻町とありますが、残念ながらこの町名は残っておりません。これは困った・・・しかしです、そんなに大きな町ではありませんので、じっくりと目を凝らして地図眺めてみますと・・・八軒存在したという妓楼と同じ屋号の旅館を発見。それ以外にも周囲には小さな町にしては不自然なくらい旅館が集まっているわけ。この界隈を重点的に探ってみることにしましょうか。



天竜二俣駅に降り立つと、鉄ちゃんや親子連れがチラホラ・・・なんだと思いましたら、構内に残る近代化産業遺産に認定されている扇形車庫や転車台などを見学できるツアーがあるんだそうです。予約なしで参加できるみたいなのですが、時間帯があわず断念。仕方ないので駅前に展示されているこちらで我慢します。C58の389号機、嘗ては北海道を走っていました。昭和44年(1969)から天竜浜名湖線の前身である国鉄二俣線に移り、昭和46年(1971)にこの地で廃車になりました。



状態はあまり芳しくありませんが、運転台も見られますよ。



駅前を西へ、天竜川の支流である二俣川を渡るとそこが二俣町の中心。その真ん中を南北に走っているのがクローバー通り商店街、一応これが目抜き通りみたいです。手前の古い商家の奥、赤い鳥居が見えますね。



しっかりと吾妻町と書かれておりました。この辺りのようですね。ちなみにこのお稲荷さん、豊川稲荷から分閣されたものだそうです。



脇道に入ると旅館ふか家さん、新しい建物でした。



そのまま脇道を抜けると二俣川沿いの国道152号線に出ます。これが嘗ての秋葉街道になります。そこにこの看板、前書きの『全国遊廓案内』の中に喜楽楼とありますよね。果たして建物は・・・



残念・・・こちらも新しくなっておりました。転業旅館なのでしょうか。



近くの路地に入りますと、まず現れたのが吾妻町公会堂。



その先に、由女とあります。『ゆめ』とでも読むのでしょうか、用途は不明。建物はいたって普通のトタン製サイディング張りです。実はこの路地、さきほどのクローバー通りに出るために通ってきたのです・・・どうしてこれに気付かなかったのだろう。



問題はそのお隣、こちらもトタン製サイディングで綺麗にお化粧されているのですが・・・どうも全体の雰囲気が妙・・・。手前に大和張りの塀がありますが、その奥を覗き込んでみますと・・・



オオッ、こんなところに松皮菱が!!周りの色褪せた漆喰、元は何色だったのでしょう。たぶんこれが遺構で間違いないと思います。



建物の裏手は細い細い路地に面しています。プロパンがそれなりに新しいのでどなたかお住いのようですが、見た目は完全に廃屋状態です。



高欄風の手摺が残っておりましたが、元の姿が全く想像できませんね。何も発見できなかったらどうしようと思っていましたので、とりあえずこれで一安心。安心した途端、お腹が鳴った(笑)



路地を抜けたところにある喫茶店だか食堂だかよくわからないお店に飛び込みました。地図を見ても、此処ぐらいしか食事ができそうなところがなさそうですので・・・。まさに昭和で時が止まっている店内、半ば物置と化していたのですが、正月早々、とんでもないものをいただいてしまった・・・好き嫌いはほとんどない人間なのですが、これは正直きつかった・・・。



とりあえず空腹だけは満たされたので探索続行、クローバー通りに戻りますと最初に現れるのがかどや旅館さん。庇の先端はモザイクタイル貼り、小判型の窓みたいなのは何でしょうね。コレ、一見するとモダンな看板建築風に見えますでしょ???



しかし、妻側に廻ってみますと、こんな立派な切妻屋根が現れて驚かされます。洋と和の境を強引に仕切る妙な形状の袖壁が面白いなあ。



この建物、ものすごい奥行きがあるのです。



しかもその先に続くのが・・・なんと、赤煉瓦の蔵。



さらに続きがあるのです。今度は雷紋が施された石蔵風。石積に見えるのは左官による目地ですよ。以上、二俣町の嘗ての栄華を物語るような建物でした。



たま〜に車が通りかかるくらい・・・静かな静かな正月の田舎町・・・。



この時計、いつから止まったままなのでしょう。窓の桟がカワイイですね。



オーシャンウヰスキーの箱文字が懐かしい酒屋さん。普通の看板建築風に見えますが、近付いてみますと・・・



おわかりになります???コレ、全部『木』なのです。角のアールのついた部分も含めて。下見板張りにも見えますが、どちらかというと天然スレートやカラーベストコロニアルを木材で代用しているといったほうが正しいかもしれません。林業で栄えていたという名残なのかもしれませんね。非常に珍しいものだと思います。こういう発見は嬉しいなあ。



またまた旅館、こちらは現役の尾張屋旅館さん。高欄風手摺に白く塗られた庇の持ち送りが見られますが、古いものではなさそうです。



歴史はあるようですが、遊廓との関係などは一切不明です。



ここでひとまずクローバー通りとはお別れ・・・二俣川を渡って町の東側にある山へと続く急坂をヒイヒイ言いながら登っていきますと、まるで砦のような不思議な三角屋根が見えてきます。



浜松市秋野不矩美術館。秋野不矩(あきのふく)は二俣町出身の日本画家。彼女の功績を称えるための美術館になります。設計は看板建築の名付け親である藤森照信と内田祥士(習作舎)、竣工は平成10年(1998)。インドやネパール、アフガニスタンなども訪れて創作していた彼女の作品とも共通点があるように見える建物です。



屋根の天然スレート、藁すさの入ったザクッとした左官の外壁、地元産と思われる杉板等、自然素材のみで造られた温かみのある建物になります。外壁から突き出しているのは木製の樋、ル・コルビジェのロンシャンの教会をモチーフにしているとか、いないとか・・・。普段の私はコンクリートや金属ばっかり・・・こういったのに憧れるのです。えっ、中は?ですって・・・正月のため休館ですって・・・またやっちゃった、アハハ・・・。



町中へ戻る途中、とある会社の正月のお飾り。橙が落っこちてた・・・これは不吉だ(笑)

前半はここまで。後半もいい感じに鄙びた町をウロウロした後、この二俣町で育った偉人ゆかりの場所を訪ねますよ。お楽しみに。

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