霊園裏の白亜の洋館・小さな小さな横丁建築・日本最古の駄菓子屋併設の神様
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絶妙な位置に花一輪。
雑司が谷と聞くとまず頭に浮かぶのが霊園ではないでしょうか。夏目漱石、竹久夢二、金田一京助、小泉八雲、ジョン万次郎、そして永井荷風といった蒼々たる面子が眠る広大な霊園、個人的には川口浩に思い入れが強かったりします。残念なことに役者としての彼にではなく、探検隊隊長としての彼になんですけどね。あの探検隊、どこかのブログとよく似ていると思うわけです。引っ張るだけ引っ張っといて、収穫はショボイというところなんかが特にね(笑)おっと、話が自虐的な方向に逸れてしまった。えーと、雑司が谷霊園のことでしたね。この霊園ですが、敷地のほとんどが雑司が谷ではなく南池袋に位置しているというのはあまり知られていない事実ではないでしょうか。一帯は二十三区内では貴重な戦災から逃れることができた地域でもあります。そうなると町並みなんかもと思われるかもしれませんが、まあそのあたりは東京ですからね。最初に断っておきますが、今回は妖しげな一画など一切出てこない、そして大して目的地も定めないブラブラ散歩ですので過度な期待はなさらぬように。たまにはこういう健全なのもいいでしょ?
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最寄り駅は都電雑司ヶ谷霊園駅、下車すると目の前が霊園です。それにしても町名は『が』なのに、駅名はどうして『ヶ』なのでしょう。
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霊園を突っ切って住宅街に入りますと、緑の向こうに白い下見板張りの三角屋根が見えてきます。
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区立雑司が谷宣教師館、名前のとおり牧師さんの住居でした。家主は明治25年(1892)に来日して布教活動を行なったジョン・ムーディ・マッケーレブ、この地が気に入り住まいを建てたのが明治40年(1907)のこと、豊島区内に残る最古の木造洋風建築です。出窓の感じなどから何となくアメリカンだなと思っていましたら、マッケーレブさん米国人でした。
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路地裏を辿りながら雑司が谷二丁目を目指します。
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面白い屋号のラーメン屋さん、正統派の東京ラーメンがいただけるみたいです。
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本当に緑が濃い・・・濃いを通り越して薄暗いほど・・・。
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こういった緑が豊かなのも戦災から逃れた町の特徴だと思います。
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木漏れ日が綺麗、下町とは違った意味で暮らしやすい町なのでしょうね。
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路地と路地を繋ぐ飛び石、これも戦災から逃れた町の特徴の一つ。
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へたりかけの庇が二つ、羽目板の塗装の剥げ具合がいいね。
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くねる坂を下った先が雑司が谷二丁目です。
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坂の途中にありました。甘い言葉をかけたらその時点で痴漢ではないと思うのですが・・・。それ以前にこういう場所に出没する正統派の痴漢(笑)って今時いるのでしょうか。
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バターせんべいが気になって仕方がないわけ。
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肉の大久保さん、お店の雰囲気からしてコロッケが美味しいお店ではないかと。
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路地裏の廃屋にはドクダミの絨毯、相変わらず季節外れの画像で申し訳ない。
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あ、今気付いた、突当りにも倒れた甘い言葉(笑)
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政党のポスターってどうにかならんのでしょうか。
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クネクネ路地を抜けると萬屋さん的なお店が二軒。こういうお店が頑張っている限り、界隈はまだまだ大丈夫・・・と思いたいです。
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近くに目にも鮮やかな真っ青なトタン、物干し台が絶妙な角度ですなあ。アルミ製というのがちょっと残念ですが。
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由来は町名からきているのだと思いますが、『ぞうに』ストアーで合っています???
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小さな小さな、所謂横丁建築です。
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中には八百屋さんが一軒だけ、ストアーとしての機能は風前の灯。
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靴屋さんもとっくの昔に退役されてしまったようです。
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都電荒川線を渡った先にある大鳥神社さん。なぜか賽銭箱が巾着袋、布袋さんか大黒さんのでしょうかね。
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近くにある神様への参道があります。参道沿いに長屋風の建物、綺麗に直してありますが、かなり歴史があるものではないかと。
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長屋の脇に入りますと、突当りに並木ハウスという表札がある建物があります。たぶんアパートだと思います。窓台の手摺が軽やかでいいね。
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雑司が谷鬼子母神・・・まあ、此処は都電と合わせてのお手軽な観光スポットですからご存知の方も多いと思います。正式には法明寺さんというお寺のお堂の一つなんだとか。お堂手前にあるのが日本最古の駄菓子屋という上川口屋さん、創業はなんと天明元年(1781)!?十三代続いているそうです。ある意味、鬼子母神より人気のスポットかもしれません。
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お店のアイドルは爆睡中でした。片目が見えないので名前は『石松』、なんと16歳、アイドルじゃなくて大親分だったというわけ。こりゃ御見それ致しました。
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此処の由来は安土桃山時代まで遡るそうです。現在のお堂は寛文4年(1664)に建てられたものとされています。軒下に牡丹の花?を象った見事な彫り物があります。
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鬼子母神を後にして、再び路地裏クネクネ。
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コレは何処だったか・・・確か大鳥神社の脇辺りだったと思います。古い住宅を改修したアルゼンチン・タンゴのライブハウスなんだとか。
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明治通りを渡って西へ・・・マンション群に睥睨されながらもこんなお宅が残っておりました。
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適当にフラフラしておりましたら電車の音が聞こえてきましたよ。
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此処に出るんだ・・・山手線と埼京線だ、目白まで来ちゃったというわけ。左のヨネクラジム、ガッツ石松、柴田国明らを輩出した名ボクシングジムです。あら、鬼子母神のニャンコとかぶったのは偶然???
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目白通り沿いの大はしさんで美味しいお蕎麦を頂いたら今度は北へ・・・途中にこんな庭園がありました。区立目白庭園・・・平成2年(1990)に開園したそうですので、歴史のあるものではないみたい。こんな処があるとは全く知りませんでした。
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その先で西武池袋線を渡ります。ちょっと行きますと・・・
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・・・大好きな自由学園明日館です。
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あらら、今日もウェディングで入れない。まあ、数ヵ月後、知り合いの披露宴で入れそうですので、今回は外観だけで我慢しましょう。
以上で気ままなお手軽散歩はオシマイ。妖しげな一画もいいのですが、かなり精神的に疲れることが多々ありまして、こういうのはリフレッシュに最適だなと思った次第です。

絶妙な位置に花一輪。
雑司が谷と聞くとまず頭に浮かぶのが霊園ではないでしょうか。夏目漱石、竹久夢二、金田一京助、小泉八雲、ジョン万次郎、そして永井荷風といった蒼々たる面子が眠る広大な霊園、個人的には川口浩に思い入れが強かったりします。残念なことに役者としての彼にではなく、探検隊隊長としての彼になんですけどね。あの探検隊、どこかのブログとよく似ていると思うわけです。引っ張るだけ引っ張っといて、収穫はショボイというところなんかが特にね(笑)おっと、話が自虐的な方向に逸れてしまった。えーと、雑司が谷霊園のことでしたね。この霊園ですが、敷地のほとんどが雑司が谷ではなく南池袋に位置しているというのはあまり知られていない事実ではないでしょうか。一帯は二十三区内では貴重な戦災から逃れることができた地域でもあります。そうなると町並みなんかもと思われるかもしれませんが、まあそのあたりは東京ですからね。最初に断っておきますが、今回は妖しげな一画など一切出てこない、そして大して目的地も定めないブラブラ散歩ですので過度な期待はなさらぬように。たまにはこういう健全なのもいいでしょ?

最寄り駅は都電雑司ヶ谷霊園駅、下車すると目の前が霊園です。それにしても町名は『が』なのに、駅名はどうして『ヶ』なのでしょう。

霊園を突っ切って住宅街に入りますと、緑の向こうに白い下見板張りの三角屋根が見えてきます。

区立雑司が谷宣教師館、名前のとおり牧師さんの住居でした。家主は明治25年(1892)に来日して布教活動を行なったジョン・ムーディ・マッケーレブ、この地が気に入り住まいを建てたのが明治40年(1907)のこと、豊島区内に残る最古の木造洋風建築です。出窓の感じなどから何となくアメリカンだなと思っていましたら、マッケーレブさん米国人でした。

路地裏を辿りながら雑司が谷二丁目を目指します。

面白い屋号のラーメン屋さん、正統派の東京ラーメンがいただけるみたいです。

本当に緑が濃い・・・濃いを通り越して薄暗いほど・・・。

こういった緑が豊かなのも戦災から逃れた町の特徴だと思います。

木漏れ日が綺麗、下町とは違った意味で暮らしやすい町なのでしょうね。

路地と路地を繋ぐ飛び石、これも戦災から逃れた町の特徴の一つ。

へたりかけの庇が二つ、羽目板の塗装の剥げ具合がいいね。

くねる坂を下った先が雑司が谷二丁目です。

坂の途中にありました。甘い言葉をかけたらその時点で痴漢ではないと思うのですが・・・。それ以前にこういう場所に出没する正統派の痴漢(笑)って今時いるのでしょうか。

バターせんべいが気になって仕方がないわけ。

肉の大久保さん、お店の雰囲気からしてコロッケが美味しいお店ではないかと。

路地裏の廃屋にはドクダミの絨毯、相変わらず季節外れの画像で申し訳ない。

あ、今気付いた、突当りにも倒れた甘い言葉(笑)

政党のポスターってどうにかならんのでしょうか。

クネクネ路地を抜けると萬屋さん的なお店が二軒。こういうお店が頑張っている限り、界隈はまだまだ大丈夫・・・と思いたいです。

近くに目にも鮮やかな真っ青なトタン、物干し台が絶妙な角度ですなあ。アルミ製というのがちょっと残念ですが。

由来は町名からきているのだと思いますが、『ぞうに』ストアーで合っています???

小さな小さな、所謂横丁建築です。

中には八百屋さんが一軒だけ、ストアーとしての機能は風前の灯。

靴屋さんもとっくの昔に退役されてしまったようです。

都電荒川線を渡った先にある大鳥神社さん。なぜか賽銭箱が巾着袋、布袋さんか大黒さんのでしょうかね。

近くにある神様への参道があります。参道沿いに長屋風の建物、綺麗に直してありますが、かなり歴史があるものではないかと。

長屋の脇に入りますと、突当りに並木ハウスという表札がある建物があります。たぶんアパートだと思います。窓台の手摺が軽やかでいいね。

雑司が谷鬼子母神・・・まあ、此処は都電と合わせてのお手軽な観光スポットですからご存知の方も多いと思います。正式には法明寺さんというお寺のお堂の一つなんだとか。お堂手前にあるのが日本最古の駄菓子屋という上川口屋さん、創業はなんと天明元年(1781)!?十三代続いているそうです。ある意味、鬼子母神より人気のスポットかもしれません。

お店のアイドルは爆睡中でした。片目が見えないので名前は『石松』、なんと16歳、アイドルじゃなくて大親分だったというわけ。こりゃ御見それ致しました。

此処の由来は安土桃山時代まで遡るそうです。現在のお堂は寛文4年(1664)に建てられたものとされています。軒下に牡丹の花?を象った見事な彫り物があります。

鬼子母神を後にして、再び路地裏クネクネ。

コレは何処だったか・・・確か大鳥神社の脇辺りだったと思います。古い住宅を改修したアルゼンチン・タンゴのライブハウスなんだとか。

明治通りを渡って西へ・・・マンション群に睥睨されながらもこんなお宅が残っておりました。

適当にフラフラしておりましたら電車の音が聞こえてきましたよ。

此処に出るんだ・・・山手線と埼京線だ、目白まで来ちゃったというわけ。左のヨネクラジム、ガッツ石松、柴田国明らを輩出した名ボクシングジムです。あら、鬼子母神のニャンコとかぶったのは偶然???

目白通り沿いの大はしさんで美味しいお蕎麦を頂いたら今度は北へ・・・途中にこんな庭園がありました。区立目白庭園・・・平成2年(1990)に開園したそうですので、歴史のあるものではないみたい。こんな処があるとは全く知りませんでした。

その先で西武池袋線を渡ります。ちょっと行きますと・・・

・・・大好きな自由学園明日館です。

あらら、今日もウェディングで入れない。まあ、数ヵ月後、知り合いの披露宴で入れそうですので、今回は外観だけで我慢しましょう。
以上で気ままなお手軽散歩はオシマイ。妖しげな一画もいいのですが、かなり精神的に疲れることが多々ありまして、こういうのはリフレッシュに最適だなと思った次第です。