河畔の木陰の四層楼!?・県下三番目の大地主・崩壊寸前の酒寮
はて?此処は城下町ではないはずなのですが・・・。
中断していた越後新潟シリーズ再開致します。今日が最終日、新津駅から信越本線で長丘方面に戻り、東三条駅で盲腸線である弥彦線に乗り換え20分ほどで吉田駅に到着です。以前は吉田町でしたが、平成18年(2006)に燕市、分水町との合併で町は消滅し現在は燕市の一部になっています。下調べ段階でもそうだったのですが、今回レポを記すにあたってこの町のことを再び調べてみたのですが、いまひとつその歴史などがよく判らないのです。吉田駅から二つ先、弥彦線の終点である弥彦駅の西には有名な弥彦山がそびえ、その麓にはパワースポットとしても知られている弥彦(彌彦)神社があるわけです。そのことから門前町的な理由から形成された町ではないかと考えたのですが如何でしょう。
町の歴史などはどうでもいいとぶっちゃけちゃうのは大変心苦しいのですが、この町を訪れた理由はどうしても見たかった近代建築があったから。まあ、探索はついでだと思いながら地図を眺めておりますと、町の西を南北に貫く西川沿いに割烹と記された建物が数軒集まっているのを見つけたわけ、そりゃ気になりますよね。とりあえずこの一画を訪れた後、本当の目的地に向かおうと人影まばらな早朝の駅前に降り立ったのですが、こういうときにかぎって見つけてしまうのですよ。
気になる一画へは駅前通りを北西へ真っ直ぐ、出会ったのはワンコの散歩のお母さんだけでした。
その先で通りの幅員が狭まり、地図にも載っていない水路を古びた橋で渡ります。親柱には新田橋と刻まれていました。その名前を確認し、視線を先に延ばした瞬間・・・前方に異様な物体が・・・。
これにはぶったまげた!!暫し馬鹿みたいにポカ~ンと口を開けたまま見上げておりました。三階・・・いや、右に中二階と思われる窓がありますね。木造四階建て!?隣のお宅と繋がっているようですが、長いこと使われていないようです。
画像を見てから気付いたのですが、正面二階の蔦に覆われた部分に屋号らしきものが描かれているようです。現地では全く気付かなかった・・・入母屋破風の欄間の繊細な格子に釘付けになっておりました。
軒天は格天井、四枚引き戸の桟がそこはかとなく中華風なのが面白い。そして欄間部分のべんがら色が鮮やかすぎるのが不思議。引き戸脇の看板には『日本国有鉄道 推薦旅館』とあります。果たして元からそうだったのか、転業されたのか、答えを知る人はいるのでしょうか。
脇には円形の造作の向こうに破れ障子。そろばんみたいな装飾がこれまた面白いぞ。
そして見上げると幾重にも重なる軒また軒・・・こりゃ壮観ですなあ。
すぐ脇を流れるのが西川。こう見るとお城にしか見えないというのは言いすぎでしょうか。
『お城』の向かいには橋畔楼なる看板。実は当初の目的はコチラだったんですけどね。
でもコチラ、地図を見ますとお店ではなくお店の寮みたいです。しかし、なぜか側面二階の窓に円形の造作があるのです。
振り返るとお城がドーン、何度見てもこりゃ凄いわ。
本体は奥の西川沿いにあるわけ。立派な塀を構えております。一応ウェブでヒットしますので現役のはずですが、詳細などは不明。
昔の航空写真を見ますと、お店の真ん前に橋が架かっていたようです。屋号の由来かもしれませんね。建物の向こう側には立派なお庭があるのも確認できました。
脇道にあった料亭かねこ家さん。残念ながらお店は新しいものでしたが、大正末期創業なんだとか。
脇道を抜ける飲み屋さんが数軒、奥の黄色い建物は割烹大磯さん。前出のかねこ家さんが経営しているようです。
退役済みと思われる飲み屋さん、入口脇には・・・
この旅お馴染となった風俗営業の鑑札。これだけ発見がある一画、何かがあったのではないかと思っても不思議ではないでしょ?でも、この吉田の次に訪れた町で出会った方の話では、此処には遊里みたいなものはなかったというのです。その方、橋畔楼さんはご存知でしたが、『お城』のことは全く知らなかったというのも不思議なんだよなあ。
新潟ですので雁木が見られます。でも、この辺りは新潟でも積雪が少ない処なんだそうです。
謎の一画を後にして当初の目的地に向かいましょう。西川沿いの裏通りを北へ、途中にあるのが昭和5年(1930)創業の越後味噌醸造さん。
その先、色づき始めた並木の向こうに小ぶりな蔵がズラリと並んでおりました。
手前にはか細いものですが濠まで、石橋を渡ってアプローチします。庇の意匠が面白いですね。実は此処、目的地の裏口になります。
県道223号線に出ましたら駅方面に戻ります。
近くの水路脇にあった焼き鳥の河童さんはもうやっていないみたい・・・。
いきなりこの仔にメンチ切られた・・・気が強そうなニャンコだなあ。
コチラが当初の目的であった香林堂さんです。香林堂さんは代々長岡藩の御用商人を勤めていた今井家なる商家、現在は置き薬の販売をされているとのこと。前出の隣町の方によりますと、往時は1000町歩もの土地を所有していたそうで、これは新潟県下三番目の大地主なんだとか。一番と二番は聞き忘れましたが(笑)まあ、なんにせよ、とんでもない豪商であります。
釉薬が使われた煉瓦が積まれた重厚な洋館は旧今井銀行、大正9年(1920)に建てられました。名前のとおり今井家が経営していた銀行になります。キャノピーとパラペット部分の銅板細工、階毎に表情が違う要石があるアーチ窓などなど、見所満載の建物です。
一階窓のグリル(格子)が凄いですな。コレ、オリジナルなんでしょうか。気候の厳しい処なのに、全くといっていいほど直された痕跡が見当たりません。かなり腕のいい大工が手掛けたのではないでしょうか。
玄関の要石は大黒さん、ニコニコです(笑)キャノピー軒天の照明もいいね。
床下換気孔の鋳物グリル、郵便記号?はどういった意味なんでしょう。
旧銀行に続く、切妻屋根妻入りの和風建築は今井家住宅主屋、江戸後期のものとされています。
まだまだ続きますよ。その先には外壁にデカデカと香林堂と描かれた赤煉瓦。蔵だと思われるかもしれませんが、名前は今井家住宅西洋館といいます。明治中期に建てられたとされています。おそらく来客用の施設だったのではないでしょうか。
凄いのが寄棟屋根から突き出した望楼。コレ、五角形の平面になっているわけ。中が見てみたいですよね。この今井家住宅、去年7月に国の登録文化財に指定するよう国に答申されたのですが、その後の動きが判りません。無事登録されたのでしょうか。その際の燕市の紹介サイトを貼っておきます。西洋館内部の画像もあるのですが、シャンデリアが下がる花を象ったセンターシーリングが凄い。コレ、薔薇?牡丹?ますます内部が見たくなったぞ。公開してくれないかなあ・・・。
駅に戻る途中、雁木の下で美しい型板ガラスを見つけましたよ。時計を見ると、まだ少し時間がありますので・・・。
また此処に戻ってきてしまった。例の『お城』の裏側はこんなグリーンモンスター状態。竹は庭木だったのでしょうか。視線を左に動かしますと・・・
こんな崩壊寸前の建物が目に飛び込んできたわけ。
『酒寮』ってかなり珍しいのではないでしょうか。建物の雰囲気と業態が全く釣り合っていないような気がするのですが・・・。
そして近くのお宅、二階のスダレの向こうに円形の造作があるのお判りになるでしょうか?やっぱりこの一画、何かあったんじゃないかと・・・断言できないのが心苦しい。
香林堂さんも素晴らしかったのですが、全部『お城』が持っていってしまった感がする吉田の探索は以上です。毎回言っておりますが、こういうことにメジャーもマイナーもないと思うのですが、こういった情報の少ない町を彷徨うのは楽しいと再認識させてくれましたよ。
はて?此処は城下町ではないはずなのですが・・・。
中断していた越後新潟シリーズ再開致します。今日が最終日、新津駅から信越本線で長丘方面に戻り、東三条駅で盲腸線である弥彦線に乗り換え20分ほどで吉田駅に到着です。以前は吉田町でしたが、平成18年(2006)に燕市、分水町との合併で町は消滅し現在は燕市の一部になっています。下調べ段階でもそうだったのですが、今回レポを記すにあたってこの町のことを再び調べてみたのですが、いまひとつその歴史などがよく判らないのです。吉田駅から二つ先、弥彦線の終点である弥彦駅の西には有名な弥彦山がそびえ、その麓にはパワースポットとしても知られている弥彦(彌彦)神社があるわけです。そのことから門前町的な理由から形成された町ではないかと考えたのですが如何でしょう。
町の歴史などはどうでもいいとぶっちゃけちゃうのは大変心苦しいのですが、この町を訪れた理由はどうしても見たかった近代建築があったから。まあ、探索はついでだと思いながら地図を眺めておりますと、町の西を南北に貫く西川沿いに割烹と記された建物が数軒集まっているのを見つけたわけ、そりゃ気になりますよね。とりあえずこの一画を訪れた後、本当の目的地に向かおうと人影まばらな早朝の駅前に降り立ったのですが、こういうときにかぎって見つけてしまうのですよ。
気になる一画へは駅前通りを北西へ真っ直ぐ、出会ったのはワンコの散歩のお母さんだけでした。
その先で通りの幅員が狭まり、地図にも載っていない水路を古びた橋で渡ります。親柱には新田橋と刻まれていました。その名前を確認し、視線を先に延ばした瞬間・・・前方に異様な物体が・・・。
これにはぶったまげた!!暫し馬鹿みたいにポカ~ンと口を開けたまま見上げておりました。三階・・・いや、右に中二階と思われる窓がありますね。木造四階建て!?隣のお宅と繋がっているようですが、長いこと使われていないようです。
画像を見てから気付いたのですが、正面二階の蔦に覆われた部分に屋号らしきものが描かれているようです。現地では全く気付かなかった・・・入母屋破風の欄間の繊細な格子に釘付けになっておりました。
軒天は格天井、四枚引き戸の桟がそこはかとなく中華風なのが面白い。そして欄間部分のべんがら色が鮮やかすぎるのが不思議。引き戸脇の看板には『日本国有鉄道 推薦旅館』とあります。果たして元からそうだったのか、転業されたのか、答えを知る人はいるのでしょうか。
脇には円形の造作の向こうに破れ障子。そろばんみたいな装飾がこれまた面白いぞ。
そして見上げると幾重にも重なる軒また軒・・・こりゃ壮観ですなあ。
すぐ脇を流れるのが西川。こう見るとお城にしか見えないというのは言いすぎでしょうか。
『お城』の向かいには橋畔楼なる看板。実は当初の目的はコチラだったんですけどね。
でもコチラ、地図を見ますとお店ではなくお店の寮みたいです。しかし、なぜか側面二階の窓に円形の造作があるのです。
振り返るとお城がドーン、何度見てもこりゃ凄いわ。
本体は奥の西川沿いにあるわけ。立派な塀を構えております。一応ウェブでヒットしますので現役のはずですが、詳細などは不明。
昔の航空写真を見ますと、お店の真ん前に橋が架かっていたようです。屋号の由来かもしれませんね。建物の向こう側には立派なお庭があるのも確認できました。
脇道にあった料亭かねこ家さん。残念ながらお店は新しいものでしたが、大正末期創業なんだとか。
脇道を抜ける飲み屋さんが数軒、奥の黄色い建物は割烹大磯さん。前出のかねこ家さんが経営しているようです。
退役済みと思われる飲み屋さん、入口脇には・・・
この旅お馴染となった風俗営業の鑑札。これだけ発見がある一画、何かがあったのではないかと思っても不思議ではないでしょ?でも、この吉田の次に訪れた町で出会った方の話では、此処には遊里みたいなものはなかったというのです。その方、橋畔楼さんはご存知でしたが、『お城』のことは全く知らなかったというのも不思議なんだよなあ。
新潟ですので雁木が見られます。でも、この辺りは新潟でも積雪が少ない処なんだそうです。
謎の一画を後にして当初の目的地に向かいましょう。西川沿いの裏通りを北へ、途中にあるのが昭和5年(1930)創業の越後味噌醸造さん。
その先、色づき始めた並木の向こうに小ぶりな蔵がズラリと並んでおりました。
手前にはか細いものですが濠まで、石橋を渡ってアプローチします。庇の意匠が面白いですね。実は此処、目的地の裏口になります。
県道223号線に出ましたら駅方面に戻ります。
近くの水路脇にあった焼き鳥の河童さんはもうやっていないみたい・・・。
いきなりこの仔にメンチ切られた・・・気が強そうなニャンコだなあ。
コチラが当初の目的であった香林堂さんです。香林堂さんは代々長岡藩の御用商人を勤めていた今井家なる商家、現在は置き薬の販売をされているとのこと。前出の隣町の方によりますと、往時は1000町歩もの土地を所有していたそうで、これは新潟県下三番目の大地主なんだとか。一番と二番は聞き忘れましたが(笑)まあ、なんにせよ、とんでもない豪商であります。
釉薬が使われた煉瓦が積まれた重厚な洋館は旧今井銀行、大正9年(1920)に建てられました。名前のとおり今井家が経営していた銀行になります。キャノピーとパラペット部分の銅板細工、階毎に表情が違う要石があるアーチ窓などなど、見所満載の建物です。
一階窓のグリル(格子)が凄いですな。コレ、オリジナルなんでしょうか。気候の厳しい処なのに、全くといっていいほど直された痕跡が見当たりません。かなり腕のいい大工が手掛けたのではないでしょうか。
玄関の要石は大黒さん、ニコニコです(笑)キャノピー軒天の照明もいいね。
床下換気孔の鋳物グリル、郵便記号?はどういった意味なんでしょう。
旧銀行に続く、切妻屋根妻入りの和風建築は今井家住宅主屋、江戸後期のものとされています。
まだまだ続きますよ。その先には外壁にデカデカと香林堂と描かれた赤煉瓦。蔵だと思われるかもしれませんが、名前は今井家住宅西洋館といいます。明治中期に建てられたとされています。おそらく来客用の施設だったのではないでしょうか。
凄いのが寄棟屋根から突き出した望楼。コレ、五角形の平面になっているわけ。中が見てみたいですよね。この今井家住宅、去年7月に国の登録文化財に指定するよう国に答申されたのですが、その後の動きが判りません。無事登録されたのでしょうか。その際の燕市の紹介サイトを貼っておきます。西洋館内部の画像もあるのですが、シャンデリアが下がる花を象ったセンターシーリングが凄い。コレ、薔薇?牡丹?ますます内部が見たくなったぞ。公開してくれないかなあ・・・。
駅に戻る途中、雁木の下で美しい型板ガラスを見つけましたよ。時計を見ると、まだ少し時間がありますので・・・。
また此処に戻ってきてしまった。例の『お城』の裏側はこんなグリーンモンスター状態。竹は庭木だったのでしょうか。視線を左に動かしますと・・・
こんな崩壊寸前の建物が目に飛び込んできたわけ。
『酒寮』ってかなり珍しいのではないでしょうか。建物の雰囲気と業態が全く釣り合っていないような気がするのですが・・・。
そして近くのお宅、二階のスダレの向こうに円形の造作があるのお判りになるでしょうか?やっぱりこの一画、何かあったんじゃないかと・・・断言できないのが心苦しい。
香林堂さんも素晴らしかったのですが、全部『お城』が持っていってしまった感がする吉田の探索は以上です。毎回言っておりますが、こういうことにメジャーもマイナーもないと思うのですが、こういった情報の少ない町を彷徨うのは楽しいと再認識させてくれましたよ。