雨に濡れる群青タイル・用途不明謎の長~い建物・駅前の『ぬけられます』
いつ頃貼られたのかは不明ですが、未だにいい艶放っておりました。
今回は千葉県北部のほぼ中央に位置する八街市です。ご存知の方も多いと思いますが、特産の落花生が全国的に有名ですよね。私は塩茹でが大好物、ビールのあてにするなら枝豆より好きかもしれません。でも、カロリー高いですからね、何事もほどほどが肝心ですな。
この町を訪れたのは遊里らしき一画があったらしいという有難いコメントを頂いたから。しかし、いざ地図を眺めてみると首を傾げることに・・・何ともとらえどころの無い町というのが第一印象。この町、中心街が存在しない、というのはちょっと言いすぎかもしれませんが・・・一応駅前に商店街らしきものがあるようなのですが、それが周辺の町と比べると明らかに規模が小さいわけ。その外側には比較的新しいと思われる宅地が、農地(落花生畑?)と共に際限なくひろがっていくといった感じなのです。間口が狭くて奥行きの長い家屋が密集する古くからの町並み的な場所も一切見当たりませんでした。
この不思議な状況ですが、町の歴史を知るとある程度納得することができます。この辺り、江戸の頃は幕府の放牧地だったそうで、所々に小さな集落だけが散見される何も無い処だったようです。明治になると開墾局が設置され周辺の開発と入植が開始されます。それに伴って始まったのが落花生の栽培ということになるのでしょう。明治30年(1897)に総武本線の八街駅が開業し、駅前に小規模ながら商店街が形成されたという感じでしょうか。要するに歴史の浅い町ということになります。そんな町に遊里が存在したのでしょうか・・・。
アチャー、降り出しちゃった。予報では今日は降らないって言っていたのに・・・コンビニでビニール傘を購入して探索開始です。ちょっと寂しい駅前の光景、此処にもちょっと気になる一画があるのですが、それについては最後にでも。
駅前広場から東に伸びる通りを行きます。こういう『百貨店』が健在なのも地方都市の一つの特徴かと。
その先にあるのが割烹やまもとさん。明治36年(1903)創業、当初は旅館だったそうです。残念ながらお店は新しいものに替わっておりました。お店のHP貼っておきます。お店の歴史のところで昭和3年(1928)の駅前の様子を描いた鳥瞰図を見ることができます。できればもう少し解像度上げて欲しかった(笑)
通りはすぐに国道409号線にぶつかります。国道を南に行って最初の脇道を右折するとこんな並びが現れます。
長野商店さん・・・いい具合に緑青が浮いた日の出型看板建築です。
軒天のアールがお気に入り。何屋さんだったのでしょうね。
お隣は寄棟屋根の蔵造り?いや、擬洋風建築にも見える不思議な造りのお店。淡いピンクのトタンがいいね。
安藤呉服店さん・・・右のシャッター廻り、照明の感じからして、呉服店を閉めた後は飲み屋さんとして余生を送っていたのではないでしょうか。
二軒のお店共、さきほどの割烹やまもとさんの鳥瞰図にもしっかり描かれています。
国道に戻って今度はJR総武本線沿いを行く脇道に入りました。この通りの先が気になる一画になります。
これは何だろう・・・塀の向こうに破風が顔を覗かせていますので、嘗ては此処が入口だったと思うのですが。それ以上に跳ね出した二階のずれた小窓が気になりますな。割烹やまもとさんの鳥瞰図には○○湯と記されているように見えるのですが・・・。
右がずれた小窓がある物件、かなり複雑な造りになっているようです。左の越屋根がある倉庫みたいなのの正体は後ほど。中央に空っぽの自販機には全面に落花生の画像、それ専用の販売機?問題は私が立っている更地、背後には総武本線が走っているのですが、此処には扇屋なる旅館がありました。割烹やまもとさんの鳥瞰図にも描かれており、一年ぐらい前の航空写真では複雑な造りの赤い屋根が確認できていたのですが、間に合わなかった・・・。
その先で脇道は国道から分岐する別の脇道にぶつかります。此処が気になっていた一画になります。とりあえず左の物件は後回しにして、右にはれいさんなる飲み屋さんの亡骸。
この飲み屋さんの造りが妙なのです。破れたオレンジテントの先、狭い間口のままずーっと奥まで続いているわけ。
振り返るとさきほどの倉庫みたいな物件。小澤商店さん、落花生とありますから、此処は炒ったり茹でたりする工場ではないでしょうか。写っておりませんが、右には落花生の加工品を売っている店舗があります。
問題の左の物件へ・・・まあ、これは一目で判りますよね???
そう、廃墟と化した映画館であります。背後の建物のせいでファサード全体を収めるのはこれが限界、あおりまくりで申し訳ない。
なんといってもこの鮮やかな群青色のモザイクタイルです。今は亡き横須賀安浦の例の物件が真っ先に頭に浮かびましたよ。惜しい人・・・いや、惜しい建物を亡くしたものです。
なんかバランス悪いと思ったら、左右のアール壁の出が違うわけ。ご覧のとおりの熟成度、廃館になってからかなりの時間が経過しているようですな。
こじんまりとしたもぎりの窓口。昭和三十年代、八街には八街第一銀映、八街第二銀映、八街中央劇場という三つの映画館が存在したようです。コチラはどれになるのでしょうか。
見上げると朱色のタイルが貼られたリブ壁、ありがちな意匠ですけどこれがレトロ感満載で大変宜しい。
振り返ると前出の飲み屋りのさんの延長部分、たばこのカウンターで判りますが何らかのお店があったと考えるのが正しいかと。
廃映画館と向き合うこの細長い建物、途中から大谷石が積まれた外壁に変わり、向こうを走る県道43号線まで続いているのです。地図上で測ってみると、なんと100mもあるのです。どんな用途だったのでしょう、全く想像ができません。
謎の一画の前を東に行くと総武本線の踏切、手前には古いものではありませんが長屋風の飲み屋さんの痕跡。
踏切を渡った先にはこんな押縁下見板張りの工場らしきものが。綿貫商店さん、どうやら製茶の工場みたいです。
先には何も無さそうですので謎の一画に戻り、今度は県道43号線に抜ける裏道に入ると廃映画館の裏側が現れます。外壁モルタルの劣化が凄まじいですが、気になるのは右手の建物。前出の映画館全景が収まっていた画像の左に写っていたものです。外壁に看板の痕跡、コチラも長屋風の飲み屋さんだったようです。
その先には旅館松楽さん。どうです、やっぱりこの一画妙ですよね。
県道43号線に出ました。総武本線の踏切近くにあるのが女化稲荷神社。この名前です、気にならないほうがおかしいですよね。記念碑に勧靖の経緯とかが刻まれていましたが、残念ながら遊里がらみの記述はゼロ。女化の読みは『にょか』ではなく『おなばけ』だと思います。関係があるのか不明ですが、茨城県龍ヶ崎市に同じ名前の神社があるそうです。狐が女に化けて男を誘った・・・そんなこともあって近くに遊里が形成された・・・なんて物事はうまくいくわけないよね。
県道沿いで見つけた廃商店、頂部の装飾と矢羽の桟が入った窓が確認できました。外壁の板金の平葺きはオリジナルではないでしょうね。長いこと放置プレイされているようでして、軒樋が草ぼうぼうでした。
これが謎の長~い物件の県道に面したファサード。右奥に見える木の向こうに廃映画館があります。こう見てもやっぱり用途不明・・・外壁の大谷石から真っ先に蔵が頭に浮かび、落花生の貯蔵庫だったりしてと考えながら、締め切られた扉に開いた孔にレンズだけを突っ込んで撮影したのが次の画像。
な、何だコレ・・・液晶画面に現れた謎空間にますます混乱。コレって所謂横丁建築の一種でしょうか。でもお店というわりには痕跡が無さすぎるよなあ。両側にボロボロの絵みたいのが貼られていますが、廃映画館のこともあって映画のポスターだと思ったのですがそうではないみたい。唯一判明したのが突当りの若かりし頃の若大将(なんのこっちゃ)のポスター、その脇にはスピーカーらしきものも確認できますが、やっぱり用途不明であることに変わりはないわな。
向かいには重厚な造りの商家。黒一色の中、雨に濡れた戸袋の鮮やかな青が印象的。
二階の高欄風の手摺、それを支える束には見事な彫り物が取り付けてあります。
国道を渡った先で見つけた佐藤歯科医院さん。手元の近代建築関係の書籍などにも八街市って全くといっていいほど名前が出てこないのです。これも歴史が浅い町というのが関係しているのかもしれません。雨が激しくなってきましたので、ここいらで駅に戻ります。
最後に訪れたのが駅前広場に面した商店が並ぶ長屋形式のビル、一部が『ぬけられます』状態なわけ。
抜けた先は半ばシャッター通りと化しておりました。なんと百貨店には別館があったとは・・・。
遊里ウンヌンはぬきにして、とにかく謎の一画があるということだけは判っていただけたのではないでしょうか。以上で八街の探索はオシマイ・・・としたいところなのですが、このたびレポを書くにあたって、ストリートビューでおさらいをしていましたら、もっと気になる一画を見つけてしまったのです。たぶんこの町、もう一度訪れることになりそうです。
いつ頃貼られたのかは不明ですが、未だにいい艶放っておりました。
今回は千葉県北部のほぼ中央に位置する八街市です。ご存知の方も多いと思いますが、特産の落花生が全国的に有名ですよね。私は塩茹でが大好物、ビールのあてにするなら枝豆より好きかもしれません。でも、カロリー高いですからね、何事もほどほどが肝心ですな。
この町を訪れたのは遊里らしき一画があったらしいという有難いコメントを頂いたから。しかし、いざ地図を眺めてみると首を傾げることに・・・何ともとらえどころの無い町というのが第一印象。この町、中心街が存在しない、というのはちょっと言いすぎかもしれませんが・・・一応駅前に商店街らしきものがあるようなのですが、それが周辺の町と比べると明らかに規模が小さいわけ。その外側には比較的新しいと思われる宅地が、農地(落花生畑?)と共に際限なくひろがっていくといった感じなのです。間口が狭くて奥行きの長い家屋が密集する古くからの町並み的な場所も一切見当たりませんでした。
この不思議な状況ですが、町の歴史を知るとある程度納得することができます。この辺り、江戸の頃は幕府の放牧地だったそうで、所々に小さな集落だけが散見される何も無い処だったようです。明治になると開墾局が設置され周辺の開発と入植が開始されます。それに伴って始まったのが落花生の栽培ということになるのでしょう。明治30年(1897)に総武本線の八街駅が開業し、駅前に小規模ながら商店街が形成されたという感じでしょうか。要するに歴史の浅い町ということになります。そんな町に遊里が存在したのでしょうか・・・。
アチャー、降り出しちゃった。予報では今日は降らないって言っていたのに・・・コンビニでビニール傘を購入して探索開始です。ちょっと寂しい駅前の光景、此処にもちょっと気になる一画があるのですが、それについては最後にでも。
駅前広場から東に伸びる通りを行きます。こういう『百貨店』が健在なのも地方都市の一つの特徴かと。
その先にあるのが割烹やまもとさん。明治36年(1903)創業、当初は旅館だったそうです。残念ながらお店は新しいものに替わっておりました。お店のHP貼っておきます。お店の歴史のところで昭和3年(1928)の駅前の様子を描いた鳥瞰図を見ることができます。できればもう少し解像度上げて欲しかった(笑)
通りはすぐに国道409号線にぶつかります。国道を南に行って最初の脇道を右折するとこんな並びが現れます。
長野商店さん・・・いい具合に緑青が浮いた日の出型看板建築です。
軒天のアールがお気に入り。何屋さんだったのでしょうね。
お隣は寄棟屋根の蔵造り?いや、擬洋風建築にも見える不思議な造りのお店。淡いピンクのトタンがいいね。
安藤呉服店さん・・・右のシャッター廻り、照明の感じからして、呉服店を閉めた後は飲み屋さんとして余生を送っていたのではないでしょうか。
二軒のお店共、さきほどの割烹やまもとさんの鳥瞰図にもしっかり描かれています。
国道に戻って今度はJR総武本線沿いを行く脇道に入りました。この通りの先が気になる一画になります。
これは何だろう・・・塀の向こうに破風が顔を覗かせていますので、嘗ては此処が入口だったと思うのですが。それ以上に跳ね出した二階のずれた小窓が気になりますな。割烹やまもとさんの鳥瞰図には○○湯と記されているように見えるのですが・・・。
右がずれた小窓がある物件、かなり複雑な造りになっているようです。左の越屋根がある倉庫みたいなのの正体は後ほど。中央に空っぽの自販機には全面に落花生の画像、それ専用の販売機?問題は私が立っている更地、背後には総武本線が走っているのですが、此処には扇屋なる旅館がありました。割烹やまもとさんの鳥瞰図にも描かれており、一年ぐらい前の航空写真では複雑な造りの赤い屋根が確認できていたのですが、間に合わなかった・・・。
その先で脇道は国道から分岐する別の脇道にぶつかります。此処が気になっていた一画になります。とりあえず左の物件は後回しにして、右にはれいさんなる飲み屋さんの亡骸。
この飲み屋さんの造りが妙なのです。破れたオレンジテントの先、狭い間口のままずーっと奥まで続いているわけ。
振り返るとさきほどの倉庫みたいな物件。小澤商店さん、落花生とありますから、此処は炒ったり茹でたりする工場ではないでしょうか。写っておりませんが、右には落花生の加工品を売っている店舗があります。
問題の左の物件へ・・・まあ、これは一目で判りますよね???
そう、廃墟と化した映画館であります。背後の建物のせいでファサード全体を収めるのはこれが限界、あおりまくりで申し訳ない。
なんといってもこの鮮やかな群青色のモザイクタイルです。今は亡き横須賀安浦の例の物件が真っ先に頭に浮かびましたよ。惜しい人・・・いや、惜しい建物を亡くしたものです。
なんかバランス悪いと思ったら、左右のアール壁の出が違うわけ。ご覧のとおりの熟成度、廃館になってからかなりの時間が経過しているようですな。
こじんまりとしたもぎりの窓口。昭和三十年代、八街には八街第一銀映、八街第二銀映、八街中央劇場という三つの映画館が存在したようです。コチラはどれになるのでしょうか。
見上げると朱色のタイルが貼られたリブ壁、ありがちな意匠ですけどこれがレトロ感満載で大変宜しい。
振り返ると前出の飲み屋りのさんの延長部分、たばこのカウンターで判りますが何らかのお店があったと考えるのが正しいかと。
廃映画館と向き合うこの細長い建物、途中から大谷石が積まれた外壁に変わり、向こうを走る県道43号線まで続いているのです。地図上で測ってみると、なんと100mもあるのです。どんな用途だったのでしょう、全く想像ができません。
謎の一画の前を東に行くと総武本線の踏切、手前には古いものではありませんが長屋風の飲み屋さんの痕跡。
踏切を渡った先にはこんな押縁下見板張りの工場らしきものが。綿貫商店さん、どうやら製茶の工場みたいです。
先には何も無さそうですので謎の一画に戻り、今度は県道43号線に抜ける裏道に入ると廃映画館の裏側が現れます。外壁モルタルの劣化が凄まじいですが、気になるのは右手の建物。前出の映画館全景が収まっていた画像の左に写っていたものです。外壁に看板の痕跡、コチラも長屋風の飲み屋さんだったようです。
その先には旅館松楽さん。どうです、やっぱりこの一画妙ですよね。
県道43号線に出ました。総武本線の踏切近くにあるのが女化稲荷神社。この名前です、気にならないほうがおかしいですよね。記念碑に勧靖の経緯とかが刻まれていましたが、残念ながら遊里がらみの記述はゼロ。女化の読みは『にょか』ではなく『おなばけ』だと思います。関係があるのか不明ですが、茨城県龍ヶ崎市に同じ名前の神社があるそうです。狐が女に化けて男を誘った・・・そんなこともあって近くに遊里が形成された・・・なんて物事はうまくいくわけないよね。
県道沿いで見つけた廃商店、頂部の装飾と矢羽の桟が入った窓が確認できました。外壁の板金の平葺きはオリジナルではないでしょうね。長いこと放置プレイされているようでして、軒樋が草ぼうぼうでした。
これが謎の長~い物件の県道に面したファサード。右奥に見える木の向こうに廃映画館があります。こう見てもやっぱり用途不明・・・外壁の大谷石から真っ先に蔵が頭に浮かび、落花生の貯蔵庫だったりしてと考えながら、締め切られた扉に開いた孔にレンズだけを突っ込んで撮影したのが次の画像。
な、何だコレ・・・液晶画面に現れた謎空間にますます混乱。コレって所謂横丁建築の一種でしょうか。でもお店というわりには痕跡が無さすぎるよなあ。両側にボロボロの絵みたいのが貼られていますが、廃映画館のこともあって映画のポスターだと思ったのですがそうではないみたい。唯一判明したのが突当りの若かりし頃の若大将(なんのこっちゃ)のポスター、その脇にはスピーカーらしきものも確認できますが、やっぱり用途不明であることに変わりはないわな。
向かいには重厚な造りの商家。黒一色の中、雨に濡れた戸袋の鮮やかな青が印象的。
二階の高欄風の手摺、それを支える束には見事な彫り物が取り付けてあります。
国道を渡った先で見つけた佐藤歯科医院さん。手元の近代建築関係の書籍などにも八街市って全くといっていいほど名前が出てこないのです。これも歴史が浅い町というのが関係しているのかもしれません。雨が激しくなってきましたので、ここいらで駅に戻ります。
最後に訪れたのが駅前広場に面した商店が並ぶ長屋形式のビル、一部が『ぬけられます』状態なわけ。
抜けた先は半ばシャッター通りと化しておりました。なんと百貨店には別館があったとは・・・。
遊里ウンヌンはぬきにして、とにかく謎の一画があるということだけは判っていただけたのではないでしょうか。以上で八街の探索はオシマイ・・・としたいところなのですが、このたびレポを書くにあたって、ストリートビューでおさらいをしていましたら、もっと気になる一画を見つけてしまったのです。たぶんこの町、もう一度訪れることになりそうです。