妖しい赤より腰のタイル・通風用可動式下見板張り(手動)・19歳はどうしたらいいの?
拙ブログではお馴染の表示ですが、コレ、よ~く覚えておいてくださいね。
今回は豊川市、実はこの探索急遽決まったものでして、当初は奥美濃方面を訪れるつもりで計画を練っていたのです。雪の飛騨高山なんか情緒があっていいじゃないですか。しかし、直前になって急な打ち合わせが入ってしまいあえなく頓挫・・・この職業を呪いましたわ(笑)宿をキャンセルしながらスケジュールを再確認してみると、なんとか一日だけはフリーで動けそう。もう行く気満々でしたので代替案を検討したのですが、どうも近場の町には食指が動かないなあということで、美濃の手前の東三河に強行日帰り探索と相成りました。豊川は以前名古屋周辺を探索した際、候補にもあがっていた町ですので下調べは一応万全・・・かな?
愛知県の東部、東三河平野の中央に位置する豊川は、日本三大稲荷の一つである豊川稲荷を中心に発展を遂げてきた門前町であります。ご存知でしょうか、このお稲荷さん、実は神社ではなくてお寺だということを・・・正式な名前は円福山豊川閣妙厳寺というんだそうです。コレ、たった今知った事実でして、現地で思いっきり二礼二拍手一礼しちゃった奴が此処にいるんですが・・・こりゃ、ご利益は無理ですかね。まあ、常識の無いアホはほっといて話を進めますよ。豊川は旧伊那街道が南北に抜けていましたので、宿場や物資の集積地という一面もある町でした。そのわりには戦後すぐ米軍が撮影した航空写真に写る中心街は、意外なほどこじんまりとまとまっているといった印象、でも密集ぶりはなかなかのものですので、路地裏を重点的に巡ってみることにしましょうか。あ、大した情報はありませんが、遊里関係はその2でお話致します。
兎にも角にもお稲荷さんにお参りということで、駅から伸びる表参道を行きましょう。
長屋風の商店が見えてきました。並びの端っこに素晴らしい飲み屋建築があります。
それがBARカワセさん、框ドアが斜めハンドルだったらほぼ完璧だったのに。
鈍い光沢を放つ黒モザイクタイルが貼られた雁行する外壁、大胆なデザインだなあ。
モザイクタイルは中央が盛り上がった座布団型、ちなみに建築用語にこういったものはありませんのでご注意を。バーの鑑札、愛知県は円形です。
お隣の食堂河精さんがこれまたいい。
格子下部の左官による装飾が控え目ながら凝っておりますな。格子脇の柱には料理店の鑑札、画像を開いて初めて気付きました。
その先で表参道は左折、豊川稲荷までは真っ直ぐです。早朝とあって人影皆無の通り、もう少ししたら参拝客で賑わうことでしょう。右は食堂旭亭さん、さきほどの河精さんもそうですが、いい感じの大衆食堂がたくさんあるのです。時間があれば寄りたかった。
その先のレトロなパーマ屋さんの前で日向ぼっこしいていた三毛ニャンコ。
シャッター音に驚いて一瞬逃げかけましたが、この場所がお気に入りらしくこのまま留まるべきか迷っている様子がコレ(笑)それにしてもこの仔、三毛の柄がくっきりすぎる、結構珍しいのではないでしょうか。
お次は珈琲館トミーさん、豊川市初の喫茶店なんだとか!?独特な喫茶店文化が知られている愛知県、ほんとそこら中で見かけますよね。探索していて歩き疲れたときの強い味方なのですが、今回は強行スケジュール、果たして寄っている時間があるでしょうか。
広大な境内を構える豊川稲荷、曹洞宗の東海義易禅師によって嘉吉元年(1441)に開山されました。思っていたほど古くはないのですね。これで京都府の伏見稲荷、茨城県の笠間稲荷と合わせて日本三大稲荷をコンプリート、だから何だという感じですが。重厚な本殿は昭和5年(1930)に再建されたものになります。右には文化10年(1813)に建てられた法堂があるのですが、改修のためか足場が組まれており姿を拝めませんでした。
此処で思いっきり柏手打っちゃったというわけ、早朝とあって私以外参拝客の姿が無かったのが不幸中の幸い。巨大な提灯を見ればわかりそうなものなのですが・・・嗚呼、恥ずかしい。
コチラは昭和4年(1929)に建てられた最祥殿、中には四百畳敷きの大広間があるそうです。広大な境内全てを巡っている時間はありませんのでここいらで。
お稲荷さんの門前、表参道から分岐する路地にのぼりがいっぱい。
突当りにあるのが薬師如来堂、お堂っぽくない簡素な造りです。入口の提灯に『円福山』とありましたので、たぶん豊川稲荷のお堂の一つなんだと思います。
すぐ近くの路地裏にあるのが住吉さん、冒頭画像のお店です。
奥には二階の軒下に看板の残骸が残るお宅、左には菱形の装飾?の痕跡。元旅館でしょうか。
表参道に戻って、途中にある駅前通り(県道31号線)に抜ける脇道に入りますと、通りがさらに分岐、テントの庇が架かった路地の先に看板が見えますね。お邪魔してみましょう。
飲み屋さんで間違いないのでしょうが、なぜかのっぺらぼう。
そのファサード、アンシンメトリーな破風がいいね。お決まりの鉄平石にスタッコの外壁。このスタッコは大人し目ですが、汚れてくるとやっぱり気色悪い。
ウェブの情報になりますが、この一画、嘗ては置屋さんが軒を連ねていたそうです。言われてみれば納得の雰囲気が感じられます。右の森川さん、腰に貼られたタイルがまさに迷彩柄、これは面白い。
ちょっと変わった格子越しに望む森川さん、引き分け戸の上には18歳未満ウンヌンの表示と料理店の鑑札が残っておりました。
琴三絃・・・この場所に相応しすぎるお店、とっくの昔に退役されたようですが。
路地を抜けると、今度はレトロフューチャーな喫茶店がお出迎え。こういうの大好物なのですよ。
ウーム、発音しずらいぞパピさん。こういうモザイクタイル、もはや入手困難なんですよね。
パピさん前の通りを行くと、この三階建てが見えてきます。玄関の照明には五月と描かれておりました。裏手にさきほどの置屋さんが並んでいたという一画があります。
やきとりの丸山さん、のぶ子の店さん、両者とも既に退役済みでした。
最初に出てきた河精さんの処に戻って、今度は通りを東へ・・・見事な造りの商家が見えてきます。斉藤金物店さんです。勾配のきつい入母屋の屋根が見事、こういう商家って関東ではあまり見られないものだと思います。
脇道でまた出会ってしまった。拙ブログお馴染の文化服装学院でございます。なんでコレに吸い寄せられちゃうんだろう・・・。
近くの空地では白梅が満開でしたよ。
前半はここまで、後半ではお待ちかねの遊里跡を訪ねます。これはこれで良かったのですが、その後に訪ねた謎の路地がいたく気に入ってしまった私です。かなり興味深い場所ですので、楽しみにしていただいても宜しいかと。
拙ブログではお馴染の表示ですが、コレ、よ~く覚えておいてくださいね。
今回は豊川市、実はこの探索急遽決まったものでして、当初は奥美濃方面を訪れるつもりで計画を練っていたのです。雪の飛騨高山なんか情緒があっていいじゃないですか。しかし、直前になって急な打ち合わせが入ってしまいあえなく頓挫・・・この職業を呪いましたわ(笑)宿をキャンセルしながらスケジュールを再確認してみると、なんとか一日だけはフリーで動けそう。もう行く気満々でしたので代替案を検討したのですが、どうも近場の町には食指が動かないなあということで、美濃の手前の東三河に強行日帰り探索と相成りました。豊川は以前名古屋周辺を探索した際、候補にもあがっていた町ですので下調べは一応万全・・・かな?
愛知県の東部、東三河平野の中央に位置する豊川は、日本三大稲荷の一つである豊川稲荷を中心に発展を遂げてきた門前町であります。ご存知でしょうか、このお稲荷さん、実は神社ではなくてお寺だということを・・・正式な名前は円福山豊川閣妙厳寺というんだそうです。コレ、たった今知った事実でして、現地で思いっきり二礼二拍手一礼しちゃった奴が此処にいるんですが・・・こりゃ、ご利益は無理ですかね。まあ、常識の無いアホはほっといて話を進めますよ。豊川は旧伊那街道が南北に抜けていましたので、宿場や物資の集積地という一面もある町でした。そのわりには戦後すぐ米軍が撮影した航空写真に写る中心街は、意外なほどこじんまりとまとまっているといった印象、でも密集ぶりはなかなかのものですので、路地裏を重点的に巡ってみることにしましょうか。あ、大した情報はありませんが、遊里関係はその2でお話致します。
兎にも角にもお稲荷さんにお参りということで、駅から伸びる表参道を行きましょう。
長屋風の商店が見えてきました。並びの端っこに素晴らしい飲み屋建築があります。
それがBARカワセさん、框ドアが斜めハンドルだったらほぼ完璧だったのに。
鈍い光沢を放つ黒モザイクタイルが貼られた雁行する外壁、大胆なデザインだなあ。
モザイクタイルは中央が盛り上がった座布団型、ちなみに建築用語にこういったものはありませんのでご注意を。バーの鑑札、愛知県は円形です。
お隣の食堂河精さんがこれまたいい。
格子下部の左官による装飾が控え目ながら凝っておりますな。格子脇の柱には料理店の鑑札、画像を開いて初めて気付きました。
その先で表参道は左折、豊川稲荷までは真っ直ぐです。早朝とあって人影皆無の通り、もう少ししたら参拝客で賑わうことでしょう。右は食堂旭亭さん、さきほどの河精さんもそうですが、いい感じの大衆食堂がたくさんあるのです。時間があれば寄りたかった。
その先のレトロなパーマ屋さんの前で日向ぼっこしいていた三毛ニャンコ。
シャッター音に驚いて一瞬逃げかけましたが、この場所がお気に入りらしくこのまま留まるべきか迷っている様子がコレ(笑)それにしてもこの仔、三毛の柄がくっきりすぎる、結構珍しいのではないでしょうか。
お次は珈琲館トミーさん、豊川市初の喫茶店なんだとか!?独特な喫茶店文化が知られている愛知県、ほんとそこら中で見かけますよね。探索していて歩き疲れたときの強い味方なのですが、今回は強行スケジュール、果たして寄っている時間があるでしょうか。
広大な境内を構える豊川稲荷、曹洞宗の東海義易禅師によって嘉吉元年(1441)に開山されました。思っていたほど古くはないのですね。これで京都府の伏見稲荷、茨城県の笠間稲荷と合わせて日本三大稲荷をコンプリート、だから何だという感じですが。重厚な本殿は昭和5年(1930)に再建されたものになります。右には文化10年(1813)に建てられた法堂があるのですが、改修のためか足場が組まれており姿を拝めませんでした。
此処で思いっきり柏手打っちゃったというわけ、早朝とあって私以外参拝客の姿が無かったのが不幸中の幸い。巨大な提灯を見ればわかりそうなものなのですが・・・嗚呼、恥ずかしい。
コチラは昭和4年(1929)に建てられた最祥殿、中には四百畳敷きの大広間があるそうです。広大な境内全てを巡っている時間はありませんのでここいらで。
お稲荷さんの門前、表参道から分岐する路地にのぼりがいっぱい。
突当りにあるのが薬師如来堂、お堂っぽくない簡素な造りです。入口の提灯に『円福山』とありましたので、たぶん豊川稲荷のお堂の一つなんだと思います。
すぐ近くの路地裏にあるのが住吉さん、冒頭画像のお店です。
奥には二階の軒下に看板の残骸が残るお宅、左には菱形の装飾?の痕跡。元旅館でしょうか。
表参道に戻って、途中にある駅前通り(県道31号線)に抜ける脇道に入りますと、通りがさらに分岐、テントの庇が架かった路地の先に看板が見えますね。お邪魔してみましょう。
飲み屋さんで間違いないのでしょうが、なぜかのっぺらぼう。
そのファサード、アンシンメトリーな破風がいいね。お決まりの鉄平石にスタッコの外壁。このスタッコは大人し目ですが、汚れてくるとやっぱり気色悪い。
ウェブの情報になりますが、この一画、嘗ては置屋さんが軒を連ねていたそうです。言われてみれば納得の雰囲気が感じられます。右の森川さん、腰に貼られたタイルがまさに迷彩柄、これは面白い。
ちょっと変わった格子越しに望む森川さん、引き分け戸の上には18歳未満ウンヌンの表示と料理店の鑑札が残っておりました。
琴三絃・・・この場所に相応しすぎるお店、とっくの昔に退役されたようですが。
路地を抜けると、今度はレトロフューチャーな喫茶店がお出迎え。こういうの大好物なのですよ。
ウーム、発音しずらいぞパピさん。こういうモザイクタイル、もはや入手困難なんですよね。
パピさん前の通りを行くと、この三階建てが見えてきます。玄関の照明には五月と描かれておりました。裏手にさきほどの置屋さんが並んでいたという一画があります。
やきとりの丸山さん、のぶ子の店さん、両者とも既に退役済みでした。
最初に出てきた河精さんの処に戻って、今度は通りを東へ・・・見事な造りの商家が見えてきます。斉藤金物店さんです。勾配のきつい入母屋の屋根が見事、こういう商家って関東ではあまり見られないものだと思います。
脇道でまた出会ってしまった。拙ブログお馴染の文化服装学院でございます。なんでコレに吸い寄せられちゃうんだろう・・・。
近くの空地では白梅が満開でしたよ。
前半はここまで、後半ではお待ちかねの遊里跡を訪ねます。これはこれで良かったのですが、その後に訪ねた謎の路地がいたく気に入ってしまった私です。かなり興味深い場所ですので、楽しみにしていただいても宜しいかと。