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圓福荘の赤よりも、こっちのほうが妖しく見えたのはなぜでしょう。
これから向かう遊里跡、名前を『圓福荘』といいます。豊川稲荷の正式名『円福山豊川閣妙厳寺』と同じですね。お稲荷さんは元々市内を流れる豊川沿いの円福ヶ丘という高台にあったそうで、現在地に移ってきたのは元禄時代になってからになります。おそらく由緒正しきお稲荷さんにあやかって名前を使わせてもらったのでしょう。でもこの遊里、それ以外の様子がほとんど判らないのです。一応、戦後の赤線時代のものですが、業者20軒、従業婦87名という記録が残っているそうですが、判明しているのはたったこれだけ、成り立ちなどは一切不明なのです。まあ、日本三大稲荷を有する門前町、そして旧伊那街道の宿場町ということで、そういう場所が必要不可欠だったというのは容易に想像できますよね。
豊川のもう一つの顔というのが軍都です。豊川稲荷の北西に200ヘクタール超の広大な敷地を有していたのが豊川海軍工廠、主に航空機の機銃や対空機銃、それらの弾薬を製造していました。たぶん20ミリ機関砲や13ミリ機銃あたりがメインだったのではないでしょうか。その規模は当時東洋一と言われるほどだったそうです。これだけの規模ですので当然米軍爆撃機の標的になり、昭和20年(1945)8月7日の大空襲であえなく壊滅してしまいます。工廠が設置されたのが昭和14年(1939)ですから、たった6年で無くなってしまったことになります。跡地は陸上自衛隊豊川駐屯地、日本車両豊川製作所(新幹線N700A系などを製造)、豊川市役所などになっています。戦時中の圓福荘の様子は不明ですが、軍人さんもお得意さんだったのではないでしょうか。
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さて、この圓福荘、立地が独特といいますか、いかにも遊里然としていましたので、航空写真で位置関係を説明したいと思います。コレ、国土地理院の地図・航空写真閲覧サービスからの出典(整理番号:MBC616 コース番号:C9 写真番号:7985 撮影年月日:1961/5/6を加工加筆)になります。豊川稲荷と豊川駅に挟まれているのが、門前町を兼ねた中心街になるでしょうか。町を南北に貫いているのが旧伊那街道、町の南を東西に走っているのが旧姫街道、現在の県道5号線になります。姫街道というのは東海道の脇往還、磐田見附宿で分岐して浜名湖の北岸を通って御油宿で再び東海道に合流しています。水色の点線の『置屋?』というのは、その1でレポした嘗て置屋さんが軒を連ねていたという一画になります。その下の紫の点線は最後に偶然見つけた場所、とりあえず謎の一画とでもしておきましょうか。
肝心の圓福荘は駅の反対側、畑のド真ん中にポツン・・・見るからに隔離状態といった感じなのがよく判ると思います。これは明らかに風紀上ウンヌンとかで移転させられたとみるのが正しいのではないでしょうか。まあ、元々どこにあっていつ移転させられたのか、航空写真は売防法が施行された3年後のものですが、赤線としていつまで現役だったのか、それら肝心なことは全く判らないんだよなあ。そんなことを考えながら航空写真を眺めていますと、あることに気付きます。
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コチラが戦後すぐの圓福荘の様子、同じく国土地理院からの出典(整理番号:USA コース番号:R864 写真番号:6 撮影年月日:1948/1/18を加工加筆)になります。同じ大きさの建物が10棟、規則正しく並んでいるのがよく判ります。6棟と4棟の間が通りになっているようです。
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そして13年後の様子、最初の航空写真を拡大したものになります。10棟の並びは変わっていませんが、どういった用途なのか周りに建物が増えています。そして10棟それぞれの形状が変わっていますね。増える客足に対応するために増築したのではないでしょうか。ボケボケでしたので掲載しませんでしたが、売防法施行直後の1959年の航空写真も同じ状態でした。お手数ですが、現在の状況はグーグルででも確認して下さいな。至って普通の新興住宅地の中に埋没しているのがよく判ると思います。どうです、お気付きになりましたか?20と10・・・そう、前書きにある業者数と建物の数が合わないわけ。この謎の正解は現地に行けば判ります・・・というか、私も自分の撮った写真を見ていてはたと気付いたのですがね。
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お稲荷さんの門前町を後にして旧伊那街道を北へ、頃合をみてJR飯田線を渡り、比較的新しい住宅が並ぶ通りを東へ進みます。嘗ては一面の畑だったというのが信じられない光景です。どこにでもありそうな住宅街をしばらく行くと圓福荘跡の入口です。6棟並んでいた通りの現在の姿、気をつけていないと見逃してしまうと思われるほど、周囲の町並みに溶け込みすぎ。
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凄いでしょ?この妖しい赤。しかし、遺構につきもののべんがらとは明らかに違う発色です。色漆喰でしょうか、いつ頃塗られたのかは判りませんが、色褪せてこれですから往時はもっともっと強烈だったのでしょう。その赤に目がいきがちですが、私は腰に貼られたボーダータイルによるストライプがお気に入り。対照的なこの渋さが、全体が破綻しないよう引き締めているように見えるのです。
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見上げると軒下に軒燈代わり?の吊り灯篭が一基。以前は建物の前に圓福荘と刻まれたコンクリート製の街灯柱が建っていて、それに旅館幸楽と書かれた看板が取り付けてあったそうです。
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玄関の引き戸は三枚引き、これも結構珍しいかも。その脇には妙な形の窓、凧窓とでも呼んでおきましょうか。
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そして豪華な造りの入母屋の破風、垂木の先端には腐食防止を兼ねた銅板による装飾、これがいい。波と花を象った瓦、こういうの関東じゃまず見られないよなあ。引き戸の上には料理店の鑑札が残っておりました。
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同じ建物の裏手、たぶんこれが後から増築された部分だと思います。
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通りに戻ってもう一軒、かなり直されたのか地味目なファサードですが、破風や手摺の造りから一目瞭然です。ここで感じたのが、前出の航空写真と比べて明らかに間口が狭いということ。その理由はすぐに判りました。二階の窓台の手摺をご覧下さい。妻側に返る部分が補修されています。同じく妻側、トタンに包まれた屋根、端部に板金による笠木が見えますね。これでピンときました、嘗ては右にも同じ間口の建物が続いていたのではないか、半分が壊された結果が現在の状態ではないかというわけ。妖しい赤のほうもよく見ると同じ状態でした。これでさきほどの数の食い違いという謎が解決するわけ、要するに10×2=20、1棟に2業者が入っていたということになりますな。俗に言うニコイチの長屋風だったのではないでしょうか。これってかなり珍しい状況なのではと思うわけです。まあ、当時の様子が全く判りませんので、間違っていましたらご免なさいするしかありませんが・・・。
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此処にも赤が使われています。色モルタルに那智黒の洗い出し風、腰には美しいモザイクタイルが貼られていたようですが、サイディングで見えませんでした。コチラにもコンクリート製の街灯柱が建っていたそうです。圓福荘跡に残る遺構は以上の二軒、ほんと至って普通の住宅街に混ざっていますので、かなり驚く光景だと思います。そして、とっても居心地の悪い遊里跡でした(笑)
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駅の近くに戻って参りました。もう一ヶ所というか、もう一軒見ておきたい物件があります。
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駅の南、旧姫街道である県道5号線の中央通1丁目交差点に面しているのが松井線香製造店さんです。大正5年(1916)に建てられました。
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お店の側面・・・一部が『ぬけられます』状態なのは置いといて、二階の外壁に注目!!ありゃまあ、下見板張りが痩せて反っちゃってると思った方、よ~く見て下さいね。
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これがディテール。実はコレ、可動式の木製ルーバーなのです。二階は線香の乾燥室になっているそうで、通風の確保と風量を調整するためこういう構造になっているというわけ。どういう機構になっているのかは不明ですが、間違いなく手動でしょうな(笑)なかなか見られないものですぞ。
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問題はここから・・・駅に戻る途中に出会った豊川商店街駅前駐車場、奥が駅前通りに面しています。お手数ですが最初の航空写真に戻っていただけますでしょうか?紫の点線で囲まれた範囲、謎の一画と説明した場所が此処になります。航空写真には中央に大きな屋根が写っているのが判ると思います。それの跡地が現在の駐車場というわけ。注目していただきたいのが、駐車場の両側に続くサビサビトタンに包まれた建物、航空写真にもはっきりと写っています。地図を見ますと、建物の向こう側には路地があるようです。最後にこの路地を探ってみましょう。
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駅前通りに戻って、まずは右側の路地から・・・此処入っちゃっても大丈夫なの?
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路地は途中で緩く曲がっているのですが、角に建つみほさんがいいアイストップになっております。
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振り返るとこんな感じ、看板が新しいですので現役と思いたい私です。
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その先には腰に格子模様のモザイクタイル、面白い色の組み合わせです。
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お隣のモワレみたいな型板ガラス、初めて見ましたよ。まあ、この路地はまだまだ大人しいといった感じですが、左側が結構興味深い場所なのですよ。
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再び駅前通りに戻って、元は旅館だったらしいうなぎの藤川屋さんの脇を入っていきます。
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右の路地とは違って日陰だからでしょうか、妙に重苦しい空気が漂っているような・・・。奥に看板が見えてきましたね。まあ、焦らない焦らない、順番にレポしていきますから。
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妻入りのコチラ、ぱっと見では普通のお宅に見えるかもしれませんが、裏の駐車場から見ますと・・・
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入口屋別館!?面白い屋号ですなあ。どうやら旅館か料理屋系ではないかと。その証拠に・・・
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入口にはその1でも紹介した18歳未満ウンヌンの表示、レトロな照明がいいね。ガタがきている格子戸の隙間から覗くと、玄関の三和土には笹が生え、その向こうには円形の下地窓がありました。
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お次は御料理春楽さん。コチラの腰にもモザイクタイル、庇のトタンから落ちた錆汁のせいでちょっと可哀想な状態です。
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そして此処にも18歳未満ウンヌン・・・しかし、下には20歳未満ウンヌンだと!?19歳はどうしたらいいのでしょうね(笑)欄間には折れ曲がった料理店の鑑札が残っておりました。
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お隣は路地に勝手にお手製アーケードを架けてしまったらしい憩の店小松屋さん。
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コチラも18歳と20歳、しかも料理店の鑑札が二つ・・・これぞ本当の二枚鑑札。念のため断っておきますが、二枚鑑札の使い方思いっきり間違っているの承知の上ですから。
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そして赤系だけでまとめられたモザイクタイル、これが妖しさ満点で堪らないわけ。さきほどの春楽さんもそうですが、こう見るとコレ完全にショーケースですよね。色街的な場所ではないような気がします。
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アーケードを抜けた先、欄間に組み込まれた照明に屋号らしき文字が描かれておりました。
謎の一画ですが、航空写真に写っていた大きな屋根は映画館ではないでしょうか。その周りに料理屋が並び、一種の歓楽街が形成されたのではないかと。しかも、近くに置屋があったようですから、芸者さんが出入りしていたのではないか・・・そう妄想すると楽しいわけ。でも不思議なのは料理屋が皆背を向けて並んでいること。まあ、映画館と決まったわけではありませんが、映画館側に向いていればいろいろと効果的だったのではないかと考えたのですが・・・もしかすると、背を向けないといけない理由があったのかもというのは深読みしずぎでしょうか。以上で豊川の探索はオシマイ、圓福荘跡の赤で驚き、謎の一画の赤でダメ押しされたような気分です。次回は蒲郡、三河湾に面した機業地に点在したという遊里跡を巡ります。
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圓福荘の赤よりも、こっちのほうが妖しく見えたのはなぜでしょう。
これから向かう遊里跡、名前を『圓福荘』といいます。豊川稲荷の正式名『円福山豊川閣妙厳寺』と同じですね。お稲荷さんは元々市内を流れる豊川沿いの円福ヶ丘という高台にあったそうで、現在地に移ってきたのは元禄時代になってからになります。おそらく由緒正しきお稲荷さんにあやかって名前を使わせてもらったのでしょう。でもこの遊里、それ以外の様子がほとんど判らないのです。一応、戦後の赤線時代のものですが、業者20軒、従業婦87名という記録が残っているそうですが、判明しているのはたったこれだけ、成り立ちなどは一切不明なのです。まあ、日本三大稲荷を有する門前町、そして旧伊那街道の宿場町ということで、そういう場所が必要不可欠だったというのは容易に想像できますよね。
豊川のもう一つの顔というのが軍都です。豊川稲荷の北西に200ヘクタール超の広大な敷地を有していたのが豊川海軍工廠、主に航空機の機銃や対空機銃、それらの弾薬を製造していました。たぶん20ミリ機関砲や13ミリ機銃あたりがメインだったのではないでしょうか。その規模は当時東洋一と言われるほどだったそうです。これだけの規模ですので当然米軍爆撃機の標的になり、昭和20年(1945)8月7日の大空襲であえなく壊滅してしまいます。工廠が設置されたのが昭和14年(1939)ですから、たった6年で無くなってしまったことになります。跡地は陸上自衛隊豊川駐屯地、日本車両豊川製作所(新幹線N700A系などを製造)、豊川市役所などになっています。戦時中の圓福荘の様子は不明ですが、軍人さんもお得意さんだったのではないでしょうか。
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さて、この圓福荘、立地が独特といいますか、いかにも遊里然としていましたので、航空写真で位置関係を説明したいと思います。コレ、国土地理院の地図・航空写真閲覧サービスからの出典(整理番号:MBC616 コース番号:C9 写真番号:7985 撮影年月日:1961/5/6を加工加筆)になります。豊川稲荷と豊川駅に挟まれているのが、門前町を兼ねた中心街になるでしょうか。町を南北に貫いているのが旧伊那街道、町の南を東西に走っているのが旧姫街道、現在の県道5号線になります。姫街道というのは東海道の脇往還、磐田見附宿で分岐して浜名湖の北岸を通って御油宿で再び東海道に合流しています。水色の点線の『置屋?』というのは、その1でレポした嘗て置屋さんが軒を連ねていたという一画になります。その下の紫の点線は最後に偶然見つけた場所、とりあえず謎の一画とでもしておきましょうか。
肝心の圓福荘は駅の反対側、畑のド真ん中にポツン・・・見るからに隔離状態といった感じなのがよく判ると思います。これは明らかに風紀上ウンヌンとかで移転させられたとみるのが正しいのではないでしょうか。まあ、元々どこにあっていつ移転させられたのか、航空写真は売防法が施行された3年後のものですが、赤線としていつまで現役だったのか、それら肝心なことは全く判らないんだよなあ。そんなことを考えながら航空写真を眺めていますと、あることに気付きます。
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コチラが戦後すぐの圓福荘の様子、同じく国土地理院からの出典(整理番号:USA コース番号:R864 写真番号:6 撮影年月日:1948/1/18を加工加筆)になります。同じ大きさの建物が10棟、規則正しく並んでいるのがよく判ります。6棟と4棟の間が通りになっているようです。
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そして13年後の様子、最初の航空写真を拡大したものになります。10棟の並びは変わっていませんが、どういった用途なのか周りに建物が増えています。そして10棟それぞれの形状が変わっていますね。増える客足に対応するために増築したのではないでしょうか。ボケボケでしたので掲載しませんでしたが、売防法施行直後の1959年の航空写真も同じ状態でした。お手数ですが、現在の状況はグーグルででも確認して下さいな。至って普通の新興住宅地の中に埋没しているのがよく判ると思います。どうです、お気付きになりましたか?20と10・・・そう、前書きにある業者数と建物の数が合わないわけ。この謎の正解は現地に行けば判ります・・・というか、私も自分の撮った写真を見ていてはたと気付いたのですがね。
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お稲荷さんの門前町を後にして旧伊那街道を北へ、頃合をみてJR飯田線を渡り、比較的新しい住宅が並ぶ通りを東へ進みます。嘗ては一面の畑だったというのが信じられない光景です。どこにでもありそうな住宅街をしばらく行くと圓福荘跡の入口です。6棟並んでいた通りの現在の姿、気をつけていないと見逃してしまうと思われるほど、周囲の町並みに溶け込みすぎ。
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凄いでしょ?この妖しい赤。しかし、遺構につきもののべんがらとは明らかに違う発色です。色漆喰でしょうか、いつ頃塗られたのかは判りませんが、色褪せてこれですから往時はもっともっと強烈だったのでしょう。その赤に目がいきがちですが、私は腰に貼られたボーダータイルによるストライプがお気に入り。対照的なこの渋さが、全体が破綻しないよう引き締めているように見えるのです。
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見上げると軒下に軒燈代わり?の吊り灯篭が一基。以前は建物の前に圓福荘と刻まれたコンクリート製の街灯柱が建っていて、それに旅館幸楽と書かれた看板が取り付けてあったそうです。
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玄関の引き戸は三枚引き、これも結構珍しいかも。その脇には妙な形の窓、凧窓とでも呼んでおきましょうか。
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そして豪華な造りの入母屋の破風、垂木の先端には腐食防止を兼ねた銅板による装飾、これがいい。波と花を象った瓦、こういうの関東じゃまず見られないよなあ。引き戸の上には料理店の鑑札が残っておりました。
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同じ建物の裏手、たぶんこれが後から増築された部分だと思います。
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通りに戻ってもう一軒、かなり直されたのか地味目なファサードですが、破風や手摺の造りから一目瞭然です。ここで感じたのが、前出の航空写真と比べて明らかに間口が狭いということ。その理由はすぐに判りました。二階の窓台の手摺をご覧下さい。妻側に返る部分が補修されています。同じく妻側、トタンに包まれた屋根、端部に板金による笠木が見えますね。これでピンときました、嘗ては右にも同じ間口の建物が続いていたのではないか、半分が壊された結果が現在の状態ではないかというわけ。妖しい赤のほうもよく見ると同じ状態でした。これでさきほどの数の食い違いという謎が解決するわけ、要するに10×2=20、1棟に2業者が入っていたということになりますな。俗に言うニコイチの長屋風だったのではないでしょうか。これってかなり珍しい状況なのではと思うわけです。まあ、当時の様子が全く判りませんので、間違っていましたらご免なさいするしかありませんが・・・。
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此処にも赤が使われています。色モルタルに那智黒の洗い出し風、腰には美しいモザイクタイルが貼られていたようですが、サイディングで見えませんでした。コチラにもコンクリート製の街灯柱が建っていたそうです。圓福荘跡に残る遺構は以上の二軒、ほんと至って普通の住宅街に混ざっていますので、かなり驚く光景だと思います。そして、とっても居心地の悪い遊里跡でした(笑)
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駅の近くに戻って参りました。もう一ヶ所というか、もう一軒見ておきたい物件があります。
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駅の南、旧姫街道である県道5号線の中央通1丁目交差点に面しているのが松井線香製造店さんです。大正5年(1916)に建てられました。
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お店の側面・・・一部が『ぬけられます』状態なのは置いといて、二階の外壁に注目!!ありゃまあ、下見板張りが痩せて反っちゃってると思った方、よ~く見て下さいね。
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これがディテール。実はコレ、可動式の木製ルーバーなのです。二階は線香の乾燥室になっているそうで、通風の確保と風量を調整するためこういう構造になっているというわけ。どういう機構になっているのかは不明ですが、間違いなく手動でしょうな(笑)なかなか見られないものですぞ。
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問題はここから・・・駅に戻る途中に出会った豊川商店街駅前駐車場、奥が駅前通りに面しています。お手数ですが最初の航空写真に戻っていただけますでしょうか?紫の点線で囲まれた範囲、謎の一画と説明した場所が此処になります。航空写真には中央に大きな屋根が写っているのが判ると思います。それの跡地が現在の駐車場というわけ。注目していただきたいのが、駐車場の両側に続くサビサビトタンに包まれた建物、航空写真にもはっきりと写っています。地図を見ますと、建物の向こう側には路地があるようです。最後にこの路地を探ってみましょう。
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その先には腰に格子模様のモザイクタイル、面白い色の組み合わせです。
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お隣のモワレみたいな型板ガラス、初めて見ましたよ。まあ、この路地はまだまだ大人しいといった感じですが、左側が結構興味深い場所なのですよ。
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再び駅前通りに戻って、元は旅館だったらしいうなぎの藤川屋さんの脇を入っていきます。
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右の路地とは違って日陰だからでしょうか、妙に重苦しい空気が漂っているような・・・。奥に看板が見えてきましたね。まあ、焦らない焦らない、順番にレポしていきますから。
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妻入りのコチラ、ぱっと見では普通のお宅に見えるかもしれませんが、裏の駐車場から見ますと・・・
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入口にはその1でも紹介した18歳未満ウンヌンの表示、レトロな照明がいいね。ガタがきている格子戸の隙間から覗くと、玄関の三和土には笹が生え、その向こうには円形の下地窓がありました。
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お次は御料理春楽さん。コチラの腰にもモザイクタイル、庇のトタンから落ちた錆汁のせいでちょっと可哀想な状態です。
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そして此処にも18歳未満ウンヌン・・・しかし、下には20歳未満ウンヌンだと!?19歳はどうしたらいいのでしょうね(笑)欄間には折れ曲がった料理店の鑑札が残っておりました。
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お隣は路地に勝手にお手製アーケードを架けてしまったらしい憩の店小松屋さん。
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コチラも18歳と20歳、しかも料理店の鑑札が二つ・・・これぞ本当の二枚鑑札。念のため断っておきますが、二枚鑑札の使い方思いっきり間違っているの承知の上ですから。
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そして赤系だけでまとめられたモザイクタイル、これが妖しさ満点で堪らないわけ。さきほどの春楽さんもそうですが、こう見るとコレ完全にショーケースですよね。色街的な場所ではないような気がします。
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アーケードを抜けた先、欄間に組み込まれた照明に屋号らしき文字が描かれておりました。
謎の一画ですが、航空写真に写っていた大きな屋根は映画館ではないでしょうか。その周りに料理屋が並び、一種の歓楽街が形成されたのではないかと。しかも、近くに置屋があったようですから、芸者さんが出入りしていたのではないか・・・そう妄想すると楽しいわけ。でも不思議なのは料理屋が皆背を向けて並んでいること。まあ、映画館と決まったわけではありませんが、映画館側に向いていればいろいろと効果的だったのではないかと考えたのですが・・・もしかすると、背を向けないといけない理由があったのかもというのは深読みしずぎでしょうか。以上で豊川の探索はオシマイ、圓福荘跡の赤で驚き、謎の一画の赤でダメ押しされたような気分です。次回は蒲郡、三河湾に面した機業地に点在したという遊里跡を巡ります。