天狗党がお世話になった遊廓・映画のセットみたいな町・漸く見つけた美しきバルコニー
民俗資料館近くにて・・・ポツンと残る小さな飲み屋さん、妙に心に残った光景でした。
今回は茨城県のほぼ中央に位置する石岡市です。この地は常陸国の国府が置かれていた場所、国分寺があったということになりますね。古くから地域の中心だったわけです。当時は府中と呼ばれていました。この国府と府中は、現在も町名として残っています。ちなみに東京の府中市の名前も、武蔵国の国府が置かれていたことが由来になっている・・・というのはご存知の方も多いと思います。町中を旧水戸街道が貫き、近くの霞ヶ浦を利用した水運も盛んだったそうで、宿場があり物資の集積地、しかも府中城というお城もあったそうですから、宿場町に城下町という往時はかなり栄えた町だったようです。現在は町中に数多く残る昭和初期に建てられた趣のある看板建築を目玉に、昭和レトロな町をアピールして観光客を誘致している・・・これもご存知ですよね???
でも、石岡を訪れるのは初めてなんですよね。周辺の水戸や土浦などは何度も訪ねているのに・・・。それには二つほど理由があるのです。その一つとして挙げられるのが、変な観光地化が進んでいるのではないかということ。ネットで見るかぎりですが、目玉の看板建築が妙に小綺麗なんですもの・・・。看板建築は大好物ですが、あまりにも綺麗過ぎるのはちょっと、ねえ・・・なんだか高嶺の花みたいで、いまひとつ食指が動かなかったわけです。でも、いざ訪れてみると全然そんなことはなく、とても静かで落ち着いた町であることが判明、食わず嫌いはいかんなと思った次第です。シーズンオフのせいか、観光客の姿もチラホラ程度でしたし・・・これはこれで問題かもしれませんが(笑)
重要なのはもう一つの理由・・・それだけの町でしたら遊里の一つや二つあったとしても不思議ではないのですが、手元の資料をめくってみても石岡の石の字も見当たらないわけ・・・これは拙ブログ的には致命的、後回しになって当然だと思いません???しかしです、この度石岡にも遊里が存在していたことが判明しちゃったわけ。詳しくはその2でお話致しますが、市の民俗資料館にその証拠があるらしい・・・これは行くしかない!!と意気揚々常磐線に飛び乗ったのはいいのですが、春の嵐とでも申しましょうか、強風の影響とかで電車がノロノロ運転・・・いっこうに進みやしない・・・この石岡の後、笠間を再訪するつもりだったのですが、どうなっちゃうの私!?
なんと、到着が一時間の遅れ・・・ただでさえノンビリ家を出てきたので、これは痛い・・・。ちょっと焦りながら早足で歩き出したときです。横から妙な視線を感じたわけ・・・ヘッ???
コ、コレ、タヌキですよね・・・なんでウナギ持ってるの???白のシルクハットにエプロン?も変だし・・・。よくよく見ますと、一応女性みたい。ちゃんとオッパイありますな。思わず二度見・・・そして唖然ですわ。
後姿です。なんでしょう、この色っぽい腰つきは・・・。後から知ったのですが、この更地には少し前まで老舗のうなぎ屋さんがあったそうです。タヌキ嬢はお店のマスコットだったというわけ。で、そのお店ですが、震災で建物に被害があったとかで解体の憂き目に・・・マスコットだけが残されたということみたい。傍らの看板には不法投棄禁止、これ狙っているのでしょうか(笑)
つっかけにペディキュアが妙に艶っぽい・・・。それしてもなんでタヌキなんだろう・・・。
いきなり変なのに引っかかってしまいました(笑)とりあえず民俗資料館がある石岡小学校を目指すわけですが、早くも看板建築が現れましたよ。二階窓の小庇の装飾が特徴的ですが、まだまだこんなのは序の口なわけ。
お次は社名の箱文字フォントがかっこいい石岡印刷さん。入母屋の屋根に破風、和洋折衷の建物です。
駅前通りが突当るのが国道355号線、これが旧水戸街道になります。マスヤ本店さん、まん丸でカワイイぞ(笑)
左折して少し行くと看板建築が連続する一画があるのですが、そちらは後でのお楽しみ。すぐに右に入る通りへ・・・土蔵造りの八百屋さん、巨大な看板のせいで全体像が分からないのですが、妻側には左官による石張り風装飾に赤煉瓦が顔を覗かせておりました。
鳥獣店って・・・要するにペットショップですよね。
その先の平屋の看板建築、はす向かいの黒い建物は次に紹介致します。
まずは平屋のほうから・・・上の知恵の輪みたいのが独特、こんな装飾は初めてです。面白いなあ。
黒い看板建築は国の登録文化財、平松理容店店舗兼住宅。昭和3年(1928)に建てられました。アカンサスなどが使われた頂部の装飾が素晴しいですね。店舗兼住宅とありますので、奥に続く母屋も文化財に指定されているのでしょう。洋館付住宅の一種としても宜しいかと思います。特にいちばん奥の洋館部分の二階がいいなあ、あそこに住みたい(笑)なによりも、床屋さんとして現役なのが嬉しいじゃないですか。
民俗資料館での調査終了、詳しくはその2にて。資料館近くにあるのが冒頭画像の廃墟と化した洋館風住宅。この枝ぶりいいなあ。
全景はこんな感じ。なぜか高い塀の内側から我が物顔で笹がワッサワッサ。右奥には鳥居が見えますが、小さな社があるわけ。不思議な一画ですね。
若宮一丁目と府中二丁目の境にあるのが二十三夜尊という小さな神様?というか地蔵堂?。地図には参道脇に中の湯という表示があるのです。しかし、それらしき煙突が見当たらない・・・あ、右のお宅の玄関廻りに注目。廃業しちゃったのですね・・・。
こんな由緒正しき土管、久しぶりに見ましたよ(笑)
押縁下見板張りのかなり大きな建物。おそらく当初は蔵だったと思うのですが、それをリフォームして住宅として使っているみたい。中はどうなっているのでしょう。
安っぽいタイルがステキな土蔵造りの商家。二階の漆喰が剥落して木摺(きずり)や木舞(こまい)が露わに・・・痛々しいですね。下の庇に新しい痕跡が残っていますので、おそらく震災でやられたんだと思います。
ド派手なミナミボウルさん。塗り替えたばかりのように見えるのですが、入口という入口全てがコンパネで塞がれているわけ。調べてみましたら、やはり震災の影響で閉店だそうです。建物は問題なさそうに見えるのですが、おそらく中の装置関係が相当やられてしまったのでしょう。此処だけでなく、茨城県内ではかなりの数のボーリング場が同じ理由で廃業に追い込まれているそう・・・ただでさえ苦しい経営状態だったところに大地震、再建できなかったのでしょう。
その先のセブンイレブンで飲み物を購入しようと思いましたら、駐車場にこんな巨木がドーン。それだけでなく、向こうには土蔵がいっぱい・・・何だコレ???
土蔵だけでなく。道路沿いには焼き過ぎレンガの積まれた美しい門も残っておりました。地図を見ますと青柳新兵衛商店とあります。どうやらこちらは裏門みたいですね。こりゃ、とんでもない豪商ですぞ。
是非とも新兵衛さんの母屋が見たいと思い、広大な敷地沿いを回り込み表通りに出てみます。途中、道端に転がっていたのが、○にイと書かれた・・・何コレ???
これが新兵衛さんのファサード、北関東特有の重厚な黒漆喰の見世蔵です。注目は赤煉瓦の蔵、卯建付きという豪華版ですぞ。どんな商売をなさっていたのでしょうね。
向かいにも土蔵造りの商家、この通りの雰囲気はなかなかのものでした。
この大谷石も新兵衛さんの蔵・・・いったい幾つあるんでしょう。
長大な赤煉瓦の塀、これも新兵衛さん家のもの。奥にセブンイレブンの駐車場にあった巨木が見えますね。あの辺りまで全部新兵衛さんの敷地・・・お友達になりたいわ〜。
旧水戸街道に戻ってまいりました。今度は△□の組み合わせ。□のほう、これまた大谷石の陸屋根の蔵、表面仕上げがちょっと面白いわけ。一般的な大谷石の仕上げはノコギリで引いたままや割肌が多いのですが、此処のはゴルフボールのディンプルみたいのが規則正しく並んでいる・・・びしゃん叩きとはまた違うようだし。あ、びしゃんというのは細かい突起が並んだ金槌みたいな工具、これで石の表面を叩き削って柔らかい表情を出すのです。とにかく、こんな仕上げ初めて見ましたよ。
お茶の石川園さんの奥行きもなかなかのもの。最近のマイブームである物干し台がいい味出してます。
その先で見つけた看板建築、新聞販売店だったようです。コーナーに使われている型押しのトタンはよく見られるものですが、二階庇上の装飾が珍しいです。何より窓の桟がステキだなあ。
駅前通り方面に戻りましょう。途中で出会った黒漆喰の見事な見世蔵。漆喰がいい感じに剥げ落ちて、ロマンスグレーと化しているわけ(笑)こちらの商家は昭和9年(1934)に建てられたそうです。
脇道の先にチラと見えた看板建築と鳥居。鳥居は宇迦魂稲荷神社のもの・・・読めない・・・。
どうやらバイク屋さんみたい。コーナーにはメダイヨン、斜めのチェック模様がカワイイですね。
前半はここまで、見事な看板建築がたくさん出てきましたが、こんなのはまだまだ序の口。後半ではもうお腹いっぱいって言いたくなほど出てきますから(笑)それらを見物した後、遊廓跡を訪ねましょう。
民俗資料館近くにて・・・ポツンと残る小さな飲み屋さん、妙に心に残った光景でした。
今回は茨城県のほぼ中央に位置する石岡市です。この地は常陸国の国府が置かれていた場所、国分寺があったということになりますね。古くから地域の中心だったわけです。当時は府中と呼ばれていました。この国府と府中は、現在も町名として残っています。ちなみに東京の府中市の名前も、武蔵国の国府が置かれていたことが由来になっている・・・というのはご存知の方も多いと思います。町中を旧水戸街道が貫き、近くの霞ヶ浦を利用した水運も盛んだったそうで、宿場があり物資の集積地、しかも府中城というお城もあったそうですから、宿場町に城下町という往時はかなり栄えた町だったようです。現在は町中に数多く残る昭和初期に建てられた趣のある看板建築を目玉に、昭和レトロな町をアピールして観光客を誘致している・・・これもご存知ですよね???
でも、石岡を訪れるのは初めてなんですよね。周辺の水戸や土浦などは何度も訪ねているのに・・・。それには二つほど理由があるのです。その一つとして挙げられるのが、変な観光地化が進んでいるのではないかということ。ネットで見るかぎりですが、目玉の看板建築が妙に小綺麗なんですもの・・・。看板建築は大好物ですが、あまりにも綺麗過ぎるのはちょっと、ねえ・・・なんだか高嶺の花みたいで、いまひとつ食指が動かなかったわけです。でも、いざ訪れてみると全然そんなことはなく、とても静かで落ち着いた町であることが判明、食わず嫌いはいかんなと思った次第です。シーズンオフのせいか、観光客の姿もチラホラ程度でしたし・・・これはこれで問題かもしれませんが(笑)
重要なのはもう一つの理由・・・それだけの町でしたら遊里の一つや二つあったとしても不思議ではないのですが、手元の資料をめくってみても石岡の石の字も見当たらないわけ・・・これは拙ブログ的には致命的、後回しになって当然だと思いません???しかしです、この度石岡にも遊里が存在していたことが判明しちゃったわけ。詳しくはその2でお話致しますが、市の民俗資料館にその証拠があるらしい・・・これは行くしかない!!と意気揚々常磐線に飛び乗ったのはいいのですが、春の嵐とでも申しましょうか、強風の影響とかで電車がノロノロ運転・・・いっこうに進みやしない・・・この石岡の後、笠間を再訪するつもりだったのですが、どうなっちゃうの私!?
なんと、到着が一時間の遅れ・・・ただでさえノンビリ家を出てきたので、これは痛い・・・。ちょっと焦りながら早足で歩き出したときです。横から妙な視線を感じたわけ・・・ヘッ???
コ、コレ、タヌキですよね・・・なんでウナギ持ってるの???白のシルクハットにエプロン?も変だし・・・。よくよく見ますと、一応女性みたい。ちゃんとオッパイありますな。思わず二度見・・・そして唖然ですわ。
後姿です。なんでしょう、この色っぽい腰つきは・・・。後から知ったのですが、この更地には少し前まで老舗のうなぎ屋さんがあったそうです。タヌキ嬢はお店のマスコットだったというわけ。で、そのお店ですが、震災で建物に被害があったとかで解体の憂き目に・・・マスコットだけが残されたということみたい。傍らの看板には不法投棄禁止、これ狙っているのでしょうか(笑)
つっかけにペディキュアが妙に艶っぽい・・・。それしてもなんでタヌキなんだろう・・・。
いきなり変なのに引っかかってしまいました(笑)とりあえず民俗資料館がある石岡小学校を目指すわけですが、早くも看板建築が現れましたよ。二階窓の小庇の装飾が特徴的ですが、まだまだこんなのは序の口なわけ。
お次は社名の箱文字フォントがかっこいい石岡印刷さん。入母屋の屋根に破風、和洋折衷の建物です。
駅前通りが突当るのが国道355号線、これが旧水戸街道になります。マスヤ本店さん、まん丸でカワイイぞ(笑)
左折して少し行くと看板建築が連続する一画があるのですが、そちらは後でのお楽しみ。すぐに右に入る通りへ・・・土蔵造りの八百屋さん、巨大な看板のせいで全体像が分からないのですが、妻側には左官による石張り風装飾に赤煉瓦が顔を覗かせておりました。
鳥獣店って・・・要するにペットショップですよね。
その先の平屋の看板建築、はす向かいの黒い建物は次に紹介致します。
まずは平屋のほうから・・・上の知恵の輪みたいのが独特、こんな装飾は初めてです。面白いなあ。
黒い看板建築は国の登録文化財、平松理容店店舗兼住宅。昭和3年(1928)に建てられました。アカンサスなどが使われた頂部の装飾が素晴しいですね。店舗兼住宅とありますので、奥に続く母屋も文化財に指定されているのでしょう。洋館付住宅の一種としても宜しいかと思います。特にいちばん奥の洋館部分の二階がいいなあ、あそこに住みたい(笑)なによりも、床屋さんとして現役なのが嬉しいじゃないですか。
民俗資料館での調査終了、詳しくはその2にて。資料館近くにあるのが冒頭画像の廃墟と化した洋館風住宅。この枝ぶりいいなあ。
全景はこんな感じ。なぜか高い塀の内側から我が物顔で笹がワッサワッサ。右奥には鳥居が見えますが、小さな社があるわけ。不思議な一画ですね。
若宮一丁目と府中二丁目の境にあるのが二十三夜尊という小さな神様?というか地蔵堂?。地図には参道脇に中の湯という表示があるのです。しかし、それらしき煙突が見当たらない・・・あ、右のお宅の玄関廻りに注目。廃業しちゃったのですね・・・。
こんな由緒正しき土管、久しぶりに見ましたよ(笑)
押縁下見板張りのかなり大きな建物。おそらく当初は蔵だったと思うのですが、それをリフォームして住宅として使っているみたい。中はどうなっているのでしょう。
安っぽいタイルがステキな土蔵造りの商家。二階の漆喰が剥落して木摺(きずり)や木舞(こまい)が露わに・・・痛々しいですね。下の庇に新しい痕跡が残っていますので、おそらく震災でやられたんだと思います。
ド派手なミナミボウルさん。塗り替えたばかりのように見えるのですが、入口という入口全てがコンパネで塞がれているわけ。調べてみましたら、やはり震災の影響で閉店だそうです。建物は問題なさそうに見えるのですが、おそらく中の装置関係が相当やられてしまったのでしょう。此処だけでなく、茨城県内ではかなりの数のボーリング場が同じ理由で廃業に追い込まれているそう・・・ただでさえ苦しい経営状態だったところに大地震、再建できなかったのでしょう。
その先のセブンイレブンで飲み物を購入しようと思いましたら、駐車場にこんな巨木がドーン。それだけでなく、向こうには土蔵がいっぱい・・・何だコレ???
土蔵だけでなく。道路沿いには焼き過ぎレンガの積まれた美しい門も残っておりました。地図を見ますと青柳新兵衛商店とあります。どうやらこちらは裏門みたいですね。こりゃ、とんでもない豪商ですぞ。
是非とも新兵衛さんの母屋が見たいと思い、広大な敷地沿いを回り込み表通りに出てみます。途中、道端に転がっていたのが、○にイと書かれた・・・何コレ???
これが新兵衛さんのファサード、北関東特有の重厚な黒漆喰の見世蔵です。注目は赤煉瓦の蔵、卯建付きという豪華版ですぞ。どんな商売をなさっていたのでしょうね。
向かいにも土蔵造りの商家、この通りの雰囲気はなかなかのものでした。
この大谷石も新兵衛さんの蔵・・・いったい幾つあるんでしょう。
長大な赤煉瓦の塀、これも新兵衛さん家のもの。奥にセブンイレブンの駐車場にあった巨木が見えますね。あの辺りまで全部新兵衛さんの敷地・・・お友達になりたいわ〜。
旧水戸街道に戻ってまいりました。今度は△□の組み合わせ。□のほう、これまた大谷石の陸屋根の蔵、表面仕上げがちょっと面白いわけ。一般的な大谷石の仕上げはノコギリで引いたままや割肌が多いのですが、此処のはゴルフボールのディンプルみたいのが規則正しく並んでいる・・・びしゃん叩きとはまた違うようだし。あ、びしゃんというのは細かい突起が並んだ金槌みたいな工具、これで石の表面を叩き削って柔らかい表情を出すのです。とにかく、こんな仕上げ初めて見ましたよ。
お茶の石川園さんの奥行きもなかなかのもの。最近のマイブームである物干し台がいい味出してます。
その先で見つけた看板建築、新聞販売店だったようです。コーナーに使われている型押しのトタンはよく見られるものですが、二階庇上の装飾が珍しいです。何より窓の桟がステキだなあ。
駅前通り方面に戻りましょう。途中で出会った黒漆喰の見事な見世蔵。漆喰がいい感じに剥げ落ちて、ロマンスグレーと化しているわけ(笑)こちらの商家は昭和9年(1934)に建てられたそうです。
脇道の先にチラと見えた看板建築と鳥居。鳥居は宇迦魂稲荷神社のもの・・・読めない・・・。
どうやらバイク屋さんみたい。コーナーにはメダイヨン、斜めのチェック模様がカワイイですね。
前半はここまで、見事な看板建築がたくさん出てきましたが、こんなのはまだまだ序の口。後半ではもうお腹いっぱいって言いたくなほど出てきますから(笑)それらを見物した後、遊廓跡を訪ねましょう。