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Channel: 『ぬけられます』 あちこち廓(くるわ)探索日誌
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群馬県 安中市201503 その1

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飯盛女不在の宿場・道にはみ出た赤煉瓦煙突・逆さクラゲ発祥の地

円窓が存在していたと辛うじて判断できる状態ですな。


 群馬県の西の外れ、長野県軽井沢町と接しているのが安中市です。南の碓氷川と北の九十九川という二つの川が作り出した東西に長い台地の上に中心街がひろかっています。これは大好物の一つである河岸段丘の町ということなりますな。そんな安中ですが、江戸の頃は安中藩三万石の城下町、そして中山道15番目の宿場町でした。この宿場、往時は本陣1、脇本陣2が置かれていたそうですが、どうも評判が宜しくなかったようなのです。この先には関所に碓氷峠という難所が待ち構えているのですから、手前の宿場でゆっくり身体を休めるのが普通だと思うのですが、ほとんどの旅人は素通りだったため、宿場は寂れる一方だったとか・・・。

 上記の理由として考えられるのが飯盛女の存在です。安中藩は旅籠に飯盛女を置くことを許可しなかったそうなのです。江戸の頃から廃娼県だったというわけ・・・いや、廃娼藩か(笑)まあ、これじゃ素通りされても文句は言えませんよね。こんな状態ですので、侍の時代が終わってもそういった面はあまり芳しくなかったようです。しかもすぐに公娼廃止となってしまいますからね。その後、県内ではお馴染乙種料理店が隆盛を極めることになりますが、安中は依然として寂しい状態のままでした。昭和18年(1943)に群馬県警がまとめた統計には、乙種料理店2、酌婦2、甲種料理店2、甲種料理店雇婦3、カフェー及バー1、カフェー及バー雇婦2という記録が残っています。町の規模からするとちょっとね、これはいかんでしょ。

 以上のような状況ですので、今回の探索、遊里関係は期待しないでくださいね。杜撰な下調べでも何も出てきませんでしたし。ですので、お気軽なブラブラ散歩といった感じにしたいのですが、実はこの町、なかなか手が出せないでおりました。理由はその距離、今回は安中駅から一駅先の磯部駅を目指すのですが、直線距離で10キロもあるのですもの。かなりの歩行距離を覚悟して、靴紐をきつく締めなおすと安中駅から歩き出しました。



安中駅の赤い屋根越しに望む東邦亜鉛安中精錬所。広角レンズですのであれですが、実物は斜面に並ぶプラント類が大迫力です。ちなみに安中駅駅舎は明治33年(1900)竣工、何度か改修されているようですが、群馬県内最古の駅舎になります。



妙義山の奇怪な山並みを遠くに眺めながら国道18号線で碓氷川を渡ると、県道125号線が左に分岐しています。コレが嘗ての中山道、途中の脇道や裏通りに寄り道しながら、旧街道をひたすら西へ西へと辿ります。



碓氷川側への脇道を下ると立派な石垣、すぐに河岸段丘の町らしい光景に出会うことがきました。



旧中山道の交差点、大野屋さんという商家の裏手に海鼠壁の土蔵が残っています。明治26年(1893)に建てられたそうです。



土蔵も美しいのですが、注目してほしいのが手前の赤煉瓦の塀。これは煉瓦の長手と小口を交互に積むフランス積という工法です。長手と小口で色を変えているというわけ、オシャレです。



コチラも碓氷川側へ下っていく脇道の光景、やっぱりステキだ高低差。



コレには驚いた!!北関東特有の重厚な土蔵造りの商家はいいのですが、脇のコレ、門って言っちゃっていいのでしょうか。



怪獣が大きく口を開けているようにしか見えないのですが・・・。



その先にあるのがつるだ理容所さん、鏝絵というより型押したような屋号がむちゃくちゃカッコイイぞ。退役済みっぽいのが残念。



巾木にはブルーグレーのスクラッチタイル、この色大好物なのです。しかも縦目地をネムリにして横のみを強調しているところが小憎らしいですなあ。



お隣には公民館、一階キャノピーに持ち送り風の装飾がありますが、新しいんだか古いんだかよく判らない不思議な建物です。



伝馬町交差点を右折、北に続くダラダラ坂を登った先にあるのが旧碓氷郡役所、明治44年(1911)竣工の二代目になります。柱や梁に、後述する杉並木の杉が使われているそうです。大正15年(1926)に碓氷郡は廃止になってしまいますが、現在は当時の様子を紹介する資料館になっています。此処の係をしているお爺ちゃんに乙種のことを尋ねたのですが、残念な結果に終わりました。



お隣には珍しい大谷石造の日本基督教団安中教会があります。大正8年(1919)竣工、設計は古橋柳太郎、国の登録文化財です。楽しみにしていたのですが、看板を見て愕然・・・なんと見学するには三週間前までに予約しないといけないとのこと。こんなアングルでしか撮れませんでした。



ちょっと行った処に土蔵を付属させた長屋門みたいな不思議な物件があります。



大名小路というのは通りの名前、此処の裏手の安中小学校辺りに安中城址があったそうです。気になるのは木戸脇の『獨楽荘』、調べてみましたら安中出身の日本画家、小野踏青のアトリエだったようです。



旧中山道に戻る脇道で出会った謎の洋館。



正体は既に退役済みと思われるお医者さんでした。キャノピーを支える柱が懲りすぎ(笑)



旧中山道に戻ると、微妙な感じのパチンコ屋の向かいに赤煉瓦の蔵。米庄商店倉庫、明治23年(1890)に建てられました。



ちょっと戻った処で和洋折衷のステキなお宅を見つけましたよ。見越しの松がカワイイですね。



向かいには立派な質屋さん、鬼瓦が見事です。



物凄く惹かれました。大アタリか大ハズレ、はっきりと評価が分かれそうなお店ですな。たぶん大アタリだと思うけど・・・残念ながらまだ腹減っていないんだよなあ。



再び碓氷川側へ下った処で見つけました。道祖神、馬頭観音、庚申塔、道端の神様オールスター勢ぞろいではありませんか。



また旧中山道渡って北側へ、改修が済んだばかりなのか、妙に真新しい茅葺屋根の曲り家が現れました。曲り家って東北特有のものかと思っていたのですが関東にもあるんですね。旧安中藩郡奉行役宅・・・安中藩藩主板倉勝明の側近、山田三郎の住まいだったと伝えられています。



通りを挟んだ向かいにも長~い茅葺屋根があります。コチラは旧安中藩武家長屋、江戸末期に建てられたとされています。桁行26間とのことですので、47mほどになるでしょうか。



所謂棟割長屋ですな、安中藩の武士四家族が暮らしていたそうです。



歴史のあるものではありませんが、面白いバルコニーを設えたお宅です。



近くにはこれまた面白い窓がありましたよ。木造物干し場がポイント高いです



旧中山道沿い、擬人化されたミシンが自身を縫っている・・・。



お隣の廃屋と化したお店、欄間に板金の細やかな手仕事の痕跡。こういうの大好物です。



勇ちゃんの店で左折、脇道に入りますと・・・



そこが冒頭画像の場所。おそらく飲み屋さん関係だったと思われるのですが、この凄まじいまでの荒廃っぷり、看板や鑑札などが残っていればねえ・・・。



突き当りには鳥居のあるお宅、元旅館っぽく見えたのは気のせいでしょうか。妙に心に引っかかった一画でした。



旧中山道に戻ると立派な土蔵が現れます。天保3年(1832)創業の味噌と醤油の醸造元である有田屋さんです。嘗ては安中藩の御用達だったそうです。



分厚い煉瓦塀の脇に小さな庭があるのですが、そこに出るためのにじり口みたいな小さな扉が設えてありました。銅板の板金による麻の葉模様ですね。



お店の裏手に回ると、赤煉瓦が美しい煙突が現れます。此処、ちょっと面白い状況になっているのです。



お判りでしょうか?この煙突、通りにかなりはみ出しちゃっているというわけ。そのわりには擦られた痕跡皆無なのが不思議(笑)



ちゃんとデザインされているのが素晴らしいと思います。

前半は此処まで。後半でも引き続き旧中山道を西へ西へと辿りますよ。その後、鄙びたとしか表現しようのない小さな温泉郷を訪れるのですが、コレがなかなか宜しかったわけ。


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