コリント式の一種でしょうか、裏通りにこんなものがあるなんて、侮れないぞ安中市。
まだしばらく旧中山道を西へと辿るのですが、その後訪れるのがJR磯部駅前にひろがる磯部温泉です。知る人ぞ知る秘湯・・・というほどでもなく、中途半端な知名度があるといっては失礼かな。まあ、此処がいい感じに鄙びていて拙ブログ的には大変宜しい処でした。この磯辺温泉、誰でも知っているある記号の発祥地とされているのですが、それについてはレポの中でお話致します。
温泉繋がりというわけではないのですが、先日、仕事がらみで仙台に行ってきました。合間の土日を利用してぶっつけ本番的な探索を行なってきたのですが、その中に二ヶ所の温泉が含まれていたわけです。それで思ったのですが、夏場の温泉巡りなんてするもんじゃないですな(笑)今夏の異常な暑さと温泉の熱さという合わせ技で、のぼせて危なくぶっ倒れるところでしたよ。これについてもそのうちレポでお伝えできたらと思っておりますが、素朴な共同浴場巡りはとても楽しめました。いい感じで文字数が埋まりましたので、引き続き旧中山道からお伝え致します。
旧中山道沿いにありました。越し屋根がありますよね、嘗ては屋根裏でお蚕さんを飼っていたのではないでしょうか。
それが今やフロアレディー募集中・・・華麗な変身だあ。
その先で碓氷川側に入ってしばらく行きますと、この茅葺屋根が見えてきます。安中が生んだ名士新島襄の旧宅です。新島は熱心なキリスト教徒で牧師の資格も持っていたそうで、その1でレポした日本基督教団安中教会は彼が創立したものになります。
再び旧中山道に戻り、国道18号線を渡りますと杉並木がチラホラ現われ始めます。原市の杉並木、もちろん中山道が現役の頃からのものになります。昭和初期には300本以上あり国の天然記念物に指定されますが、枯死などで生き残っているのは僅か十数本なんだとか。その後に植えられたと思われる比較的若い木も混じっており、どれがそれなんだかよく判らない(笑)
そんな杉並木の脇に一軒だけラブホがあったりするわけ。コレが乙種の名残・・・なんてことは有り得ないよなあ。
更に西へ・・・原市の集落に入りますと、高札場跡の表示。奥の石碑には明治天皇原市御小休所と刻まれておりました。
原市にも立派な教会があります。基本基督教団原市教会、昭和28年(1953)に建てられました。戦後なんだ、見た目は完全に近代建築ですな。創立されたのが明治19年(1886)とのことですので、おそらく二代目になるのではないかと。
幼稚園の敷地内に建っていますので、此処も外から眺めるだけ・・・。
原市の旧中山道沿いの家並み・・・店蔵や土蔵などが比較的良好な状態で残っておりました。
その家並みの裏手で変わった造りの可愛らしいお宅に出会いました。
なんといっても二階の窓、いいでしょコレ。
調べてみましたら、さきほどの原市教会の牧師さん宅だったみたい。そうとくればコリント式風の柱装飾も納得なのですが、かなり状態が悪いのが気になります。空き家なのでしょうか。
此処で旧中山道とはお別れ、真新しい通りを碓氷川へ下りJR磯部駅を目指します。何気なく撮った石碑、後で確認しましたら首塚入口と刻まれているではありませんか・・・。近くに八幡平の首塚なるものがあるそうで、中世のものと思われる150体以上の頭蓋骨が発見されているそうです。
その先にこんもりとした丘が現れます。これは一目瞭然ですよね。そう大昔のお墓、二子塚古墳、全長80mほどの前方後円墳です。以前は竹薮に覆われていたようですが、整備工事の真っ最中でした。今頃は公園として開放されているのではないでしょうか。
碓氷川を渡り、変化に乏しい風景の中を2キロもトボトボ、ようやくJR磯部駅に到着です。駅前には歓迎の大門、愛妻湯の町ってなんぞ???
駅前ロータリーの花壇にこの石碑があります。皆さんご存知の逆さクラゲマークは、磯部温泉が発祥の地とされています。石碑にもありますが、万治4年(1661)に書かれた『上野国碓氷郡上磯部村と中野谷村就野論裁断之覚』に添付された地図にコレが描かれているそうです。
大門を潜った先の今井食堂さんで昼食、驚いたことに駅周辺で食事できるお店が此処ぐらいしかないのです。鄙びているというのは下調べである程度判っていたのですが、これほどだったとは・・・。チャーシュー麺、おいしゅうございました。
今井食堂さんの並びにあるかなり大きな商家だったと思われる建物の軒下に・・・
こんな謎のマシン。正体をご存知の方いらっしゃいます???
裏通りを適当にフラフラしていますと、前方に何か見えてきた。
一見すると至って普通のお宅といった趣きなのですが、唯一円形の造作だけが異彩を放っているというわけ。こういうのを見ると必ずこう思うわけ、元置屋さん???
碓氷川側の河岸段丘と思われる坂を下っていきますと、また大門が現れたぞ。
大門の先には退役済みと思われるパーマ屋さん、鏝絵による屋号が妙に達筆(笑)
その先の法面の擁壁にはド派手な壁画が描かれてありました。どうやら地元の美大生と子供たちによるコラボ作品みたいです。
壁画の向かいには退役済みと思われる元旅館らしき物件、玄関脇には崩れかけの円形の造作が残っておりました。平屋のように見えますが、道の向こうは崖、玄関が二階にもあるわけです。
崖を下った処に建つ、明治12年(1879)創業の小島屋旅館さん。建物の一部がスクラッチタイル貼りの洋館風なのです。これがなかなかの佇まい。
この木造渡り廊下、人が通る度ミシミシッ、ギシギシッ・・・ちょっと恐いんですけど(笑)
どうやら洋館部分が浴室みたい、中はどうなっているんだろう。HPには表記されていなかったのですが、立ち寄り湯とかやっていないのでしょうか。
鄙びた鄙びたと連呼しておりますが、もっと碓氷川側に下っていきますとかんぽの宿といった大きな旅館が数軒ありまして、そちらは結構賑わっておりましたよ。まあ、それだけ駅周辺とのギャップが凄まじいということにもなるわけです。
駅前から続く通りに戻って参りました。正面の金鳳堂さんは磯部煎餅の老舗、常連と思われる老夫婦が車で乗り付けて入っていきました。磯部煎餅は所謂温泉煎餅の一種、よくありますよね、温泉水と小麦粉で作る軽い歯ざわりのヤツ。
近くの磯部公園にもありましたよ。
スマホの歩数計を見ますと此処まで19キロ、結構歩いたなあ。以上、今の季節には絶対できない安中市の探索でした。近くの足湯で少し休んでから隣町に向かうことに致します。