映画館が消え失せた町・メンチ切られた遊廓跡・検番脇の仄暗い路地の奥
この町の現在を象徴しているような光景に思えるのです。
三年ぶり三回目の木更津です。前回は東日本大震災が発生する一週間ほど前に訪れたわけですが、震源から遠く離れた木更津でも少なからず津波の被害があったと聞き、巨大地震の凄まじさに震撼させられました。船溜りに係留してあった漁船30隻ほどが転覆したそうですが、人的被害がなかったのは不幸中の幸いでした。そんな木更津が一月ほど前にアド街で特集されていましたよね。まあ、アウトレットパークに海ほたるなどなど、拙ブログではまず取り上げないものが多くてかなりガッカリの内容でしたが。
初回、前回とも毎度お馴染の杜撰な下調べのせいで結局遊廓跡に辿り着けなかったわけですが、その後、コメントをくれた親切な方の情報で場所が判明したわけです。それを確認するというのが今回の探索の主な任務となっております。そして、いつもの行き当たりばったりではありませんぞ、ちょっと意気込みからして違っております。なんたって珍しく図書館に寄って情報収集してきましたから。そこで見つけたのが、下の『千葉県木更津町鳥瞰』なる絵地図であります。
昭和4年(1929)1月に松井天山によって描かれました。この方、こういった絵地図専門の絵師だったようでして、木更津以外にも60以上の町を描いているそうです。かなり惹かれる職業なんですけど・・・まあ、現代じゃ需要はないよなあ。アホなこと言ってないで絵地図を説明しましょうね。左が北になります。町の東端にあるのが内房線の木更津駅、駅から分岐しているのが盲腸線である久留里線です。町の南を流れるのが矢那川、その河口近くにある證誠寺は童謡『証城寺のたぬき囃子』発祥の地として知られています。駅近くにある愛染院は、承久2年(1220)創建という真言宗の古刹になります。
ふってある番号はレポに出てくる重要ポイントとでもしておきましょうか。①宮の湯 ②舞踊研究所 ③紅梅 ④モジャ商店 ⑤レディースサークルひまわり ⑥はまだや ⑦富士館 ⑧BERBER金澤 ⑨安室薬局 ⑩人参湯 ⑪木更津東映 ⑫宝家 ⑬リリー木更津 ⑭ルイス英語教室 ⑮八幡屋 ⑯木更津温泉ホテル ⑰謎の飲み屋街 ⑱木更津会館 ⑲セントラルボウル ⑳佐久間屋・・・以上は現代の地図に記されている表示といった感じかな。この絵地図を見つけたときはめっけものだとホクホクしていたのですが、直後に市内の各所に設置された観光用の案内板にコレが使われているのを知ることになるわけ、一気に醒めましたわ。
※ちなみに前回のレポはコチラ、前々回はコチラ、先にご覧になったほうが判りやすいかと。
駅の反対側にある市立図書館を後にして、JR内房線を渡って新田に入りました。矢那川手前で見つけたお宅。なぜかノコギリ屋根なわけ、元織物工場という規模でもありませんし。洗濯物がいい味出しております。
矢那川を渡ると、広い駐車場の向こうに立派な煙突が見えてきます。①の宮の湯さん、絵地図にも同じ名前で表記されておりました。老舗のお風呂屋さんということになるわけ、もちろん今も現役です。
宮の湯さん裏手の路地で、全面にスタッコが塗りたくられた謎のホワイトボックスに出会ったわけ。看板の舞踊研究所で更に混乱、絵地図の②が此処になります。
絵地図には『藤屋パン店』とありましたが、コチラがそうなのかは不明。脇入口の庇の造りが結構好き。
ご存知だと思いますが、木更津は今も現役の芸者さんが活躍されている町。この舞踊研究所もそれに関係しているのではないかと・・・まあ、そんなことより外壁の丸二つは何なのでしょうね。
その先にも謎物件、外壁のモルタルの劣化具合が素晴らしい。
テントによる妙技をご覧下さい(笑)紅梅と読めるでしょうか、③が此処になります。絵地図には『すし千とせ』とありました。
腰に貼られたタイルがステキ、梅を模しているのお判りになるでしょうか。たぶん特注なんじゃないかなあ。
覗いてみると残っていたのは、カウンターと招きニャンコのみ。元喫茶店っぽいですよね。
相変わらずいい感じに眠そうな町であることだけは変わっていないようです。
駅から続く富士見通りを渡って路地に入ります。前回、前々回と紹介した扉に『風俗営業(バー)』の鑑札が残るお店は健在。しかし、その先の珍妙な造りの喫茶店?は隣の居酒屋と合わせて消え失せ駐車場に変わっておりました。
近くではオオデマリの白い花が満開でした。ブロック塀の蔦がいいアクセントになっております。
その先にも蔦がモジャモジャ、④の勝手にモジャ商店と呼んでいる物件。蔦で隠れている部分の造りが面白いのですが、この度その正体が判明しました。まあ、前書きの観光用の案内板があったからなんですけどね。コチラは昭和10年(1935)頃に建てられたという内山洋服店さん、ショーウィンドウには当時のアイロンなどが展示されておりました。此処の裏手に愛染院があります。
四つ角に建つ⑤のレディースサークルひまわりさんも健在、絵地図には『金田屋洋品店』とあります。案内板には昭和7年(1932)に建てられたとありました。
向かいには⑥のはまだやさん、コチラも変化はないようです。左の土蔵は江戸末期、右のお店は昭和11年(1936)に建てられたとされています。絵地図には『浜田屋着物』と記されているような・・・文字がつぶれていてかなり曖昧。
相変わらず欄間の色ガラスが綺麗ですなあ。
その先に閉館してしまった映画館、⑦の富士館さんがあるのですが・・・やはりこうなってしまいましたか。どうやら平成23年(2011)9月頃に解体されたようです。木更津キャッツアイの聖地とされていた物件ですが、それもはるか昔のことのように思えます。まあ、ドラマの流行りなんてそんなものと言ってしまえば簡単ですけどね・・・ちょっと寂しいなあ。しかも、こういった光景がこの後も連続するわけ、覚悟しておいてください。ちなみに絵地図に富士館の表記はありません、描かれた後に開館したと思われます。
まあ、解体されたおかげといいますか、お隣の立派なお宅をじっくり観察することができました。
富士館跡の向かい、通りに面した部分は看板建築風の飲み屋さんなのですが、奥に続く二階部分の造りが興味深いわけ。特に左官で塗り回した格子?とでもしておきましょうか、こんなの初めて見ましたよ。
南片町大通りに面している⑧のBERBER金澤さんも健在。昭和初期に建てられたとされる、リブ状のストライプが並ぶ看板建築です。絵地図には『リハツテン佐久間支店』とありました。
南片町大通りと五平町通りが交わる四つ角に建つのが、重厚な看板建築である⑨の安室薬局さんです。
建てられたのが絵地図が描かれた昭和4年、そのままの名前が表記されてありました。最初に訪れたとき(2008)は現役だったのですが・・・ちょっと先行きが心配な建物です。関東でこれだけ立派なのってかなり貴重だと思いますので。
南片町浜通り沿い、こんな奥まった場所に旅館があっただなんて、初めて気付きましたよ。
向かいにあるのが⑩の人参湯さん、絵地図には『実母散薬湯』とあります。コレって商品名なんじゃないの?まあ、現在の人参も???なんですけどね(笑)立派な千鳥破風のいかにも港町の銭湯らしい造りのお風呂屋さんです。しかし、残念なことに現在休業中なのです。
もっと残念だったのが、お隣の更地。嘗て此処に建っていたのが⑪の木更津東映さん。前回時点で既に閉館していましたので、遅かれ早かれこうなるんじゃないかと思っていましたが・・・。此処も絵地図には表記されておりませんでした。
向かいの熟女パブ出逢いは健在なのに・・・現役かどうかは知りませんが。
木更津東映さんが無くなったおかげで人参湯さんの側面がまる見えなわけ。湯気抜きの越し屋根がデカイ、瓦葺の二階部分はお休み処だったようですね。
一応休業と言いつつもほぼ廃墟と化している⑯の木更津温泉ホテルさんも変わらず。しかし、今回おさらいのストリートビューで確認してみますと、見事な更地に変貌しておりました。どうやら直後に解体されてしまったようです。絵地図には前身なのかは不明ですが、『割烹旅館佐久間本館』というかなり大きな建物が描かれてありました。
アド街にも出てきた明治30年(1897)創業、⑫の宝家さんで昼食です。もちろん絵地図にも描かれております。名物のあさり膳を所望、写ってはいませんがかき揚げと味噌汁以外にも、あさりご飯と佃煮が付くまさにあさり尽くしとなっております。でも、かき揚げがいまいちだった気が・・・串揚げにしておけば良かったかも。コチラの若女将、なんと元女優だったとは、どおりで綺麗なわけだ。
なんだか更地巡りみたいになってしまった前半は此処まで。燃料補給と美しい女性を愛でましたら、遊廓跡に向かうと致しましょうか。
この町の現在を象徴しているような光景に思えるのです。
三年ぶり三回目の木更津です。前回は東日本大震災が発生する一週間ほど前に訪れたわけですが、震源から遠く離れた木更津でも少なからず津波の被害があったと聞き、巨大地震の凄まじさに震撼させられました。船溜りに係留してあった漁船30隻ほどが転覆したそうですが、人的被害がなかったのは不幸中の幸いでした。そんな木更津が一月ほど前にアド街で特集されていましたよね。まあ、アウトレットパークに海ほたるなどなど、拙ブログではまず取り上げないものが多くてかなりガッカリの内容でしたが。
初回、前回とも毎度お馴染の杜撰な下調べのせいで結局遊廓跡に辿り着けなかったわけですが、その後、コメントをくれた親切な方の情報で場所が判明したわけです。それを確認するというのが今回の探索の主な任務となっております。そして、いつもの行き当たりばったりではありませんぞ、ちょっと意気込みからして違っております。なんたって珍しく図書館に寄って情報収集してきましたから。そこで見つけたのが、下の『千葉県木更津町鳥瞰』なる絵地図であります。
昭和4年(1929)1月に松井天山によって描かれました。この方、こういった絵地図専門の絵師だったようでして、木更津以外にも60以上の町を描いているそうです。かなり惹かれる職業なんですけど・・・まあ、現代じゃ需要はないよなあ。アホなこと言ってないで絵地図を説明しましょうね。左が北になります。町の東端にあるのが内房線の木更津駅、駅から分岐しているのが盲腸線である久留里線です。町の南を流れるのが矢那川、その河口近くにある證誠寺は童謡『証城寺のたぬき囃子』発祥の地として知られています。駅近くにある愛染院は、承久2年(1220)創建という真言宗の古刹になります。
ふってある番号はレポに出てくる重要ポイントとでもしておきましょうか。①宮の湯 ②舞踊研究所 ③紅梅 ④モジャ商店 ⑤レディースサークルひまわり ⑥はまだや ⑦富士館 ⑧BERBER金澤 ⑨安室薬局 ⑩人参湯 ⑪木更津東映 ⑫宝家 ⑬リリー木更津 ⑭ルイス英語教室 ⑮八幡屋 ⑯木更津温泉ホテル ⑰謎の飲み屋街 ⑱木更津会館 ⑲セントラルボウル ⑳佐久間屋・・・以上は現代の地図に記されている表示といった感じかな。この絵地図を見つけたときはめっけものだとホクホクしていたのですが、直後に市内の各所に設置された観光用の案内板にコレが使われているのを知ることになるわけ、一気に醒めましたわ。
※ちなみに前回のレポはコチラ、前々回はコチラ、先にご覧になったほうが判りやすいかと。
駅の反対側にある市立図書館を後にして、JR内房線を渡って新田に入りました。矢那川手前で見つけたお宅。なぜかノコギリ屋根なわけ、元織物工場という規模でもありませんし。洗濯物がいい味出しております。
矢那川を渡ると、広い駐車場の向こうに立派な煙突が見えてきます。①の宮の湯さん、絵地図にも同じ名前で表記されておりました。老舗のお風呂屋さんということになるわけ、もちろん今も現役です。
宮の湯さん裏手の路地で、全面にスタッコが塗りたくられた謎のホワイトボックスに出会ったわけ。看板の舞踊研究所で更に混乱、絵地図の②が此処になります。
絵地図には『藤屋パン店』とありましたが、コチラがそうなのかは不明。脇入口の庇の造りが結構好き。
ご存知だと思いますが、木更津は今も現役の芸者さんが活躍されている町。この舞踊研究所もそれに関係しているのではないかと・・・まあ、そんなことより外壁の丸二つは何なのでしょうね。
その先にも謎物件、外壁のモルタルの劣化具合が素晴らしい。
テントによる妙技をご覧下さい(笑)紅梅と読めるでしょうか、③が此処になります。絵地図には『すし千とせ』とありました。
腰に貼られたタイルがステキ、梅を模しているのお判りになるでしょうか。たぶん特注なんじゃないかなあ。
覗いてみると残っていたのは、カウンターと招きニャンコのみ。元喫茶店っぽいですよね。
相変わらずいい感じに眠そうな町であることだけは変わっていないようです。
駅から続く富士見通りを渡って路地に入ります。前回、前々回と紹介した扉に『風俗営業(バー)』の鑑札が残るお店は健在。しかし、その先の珍妙な造りの喫茶店?は隣の居酒屋と合わせて消え失せ駐車場に変わっておりました。
近くではオオデマリの白い花が満開でした。ブロック塀の蔦がいいアクセントになっております。
その先にも蔦がモジャモジャ、④の勝手にモジャ商店と呼んでいる物件。蔦で隠れている部分の造りが面白いのですが、この度その正体が判明しました。まあ、前書きの観光用の案内板があったからなんですけどね。コチラは昭和10年(1935)頃に建てられたという内山洋服店さん、ショーウィンドウには当時のアイロンなどが展示されておりました。此処の裏手に愛染院があります。
四つ角に建つ⑤のレディースサークルひまわりさんも健在、絵地図には『金田屋洋品店』とあります。案内板には昭和7年(1932)に建てられたとありました。
向かいには⑥のはまだやさん、コチラも変化はないようです。左の土蔵は江戸末期、右のお店は昭和11年(1936)に建てられたとされています。絵地図には『浜田屋着物』と記されているような・・・文字がつぶれていてかなり曖昧。
相変わらず欄間の色ガラスが綺麗ですなあ。
その先に閉館してしまった映画館、⑦の富士館さんがあるのですが・・・やはりこうなってしまいましたか。どうやら平成23年(2011)9月頃に解体されたようです。木更津キャッツアイの聖地とされていた物件ですが、それもはるか昔のことのように思えます。まあ、ドラマの流行りなんてそんなものと言ってしまえば簡単ですけどね・・・ちょっと寂しいなあ。しかも、こういった光景がこの後も連続するわけ、覚悟しておいてください。ちなみに絵地図に富士館の表記はありません、描かれた後に開館したと思われます。
まあ、解体されたおかげといいますか、お隣の立派なお宅をじっくり観察することができました。
富士館跡の向かい、通りに面した部分は看板建築風の飲み屋さんなのですが、奥に続く二階部分の造りが興味深いわけ。特に左官で塗り回した格子?とでもしておきましょうか、こんなの初めて見ましたよ。
南片町大通りに面している⑧のBERBER金澤さんも健在。昭和初期に建てられたとされる、リブ状のストライプが並ぶ看板建築です。絵地図には『リハツテン佐久間支店』とありました。
南片町大通りと五平町通りが交わる四つ角に建つのが、重厚な看板建築である⑨の安室薬局さんです。
建てられたのが絵地図が描かれた昭和4年、そのままの名前が表記されてありました。最初に訪れたとき(2008)は現役だったのですが・・・ちょっと先行きが心配な建物です。関東でこれだけ立派なのってかなり貴重だと思いますので。
南片町浜通り沿い、こんな奥まった場所に旅館があっただなんて、初めて気付きましたよ。
向かいにあるのが⑩の人参湯さん、絵地図には『実母散薬湯』とあります。コレって商品名なんじゃないの?まあ、現在の人参も???なんですけどね(笑)立派な千鳥破風のいかにも港町の銭湯らしい造りのお風呂屋さんです。しかし、残念なことに現在休業中なのです。
もっと残念だったのが、お隣の更地。嘗て此処に建っていたのが⑪の木更津東映さん。前回時点で既に閉館していましたので、遅かれ早かれこうなるんじゃないかと思っていましたが・・・。此処も絵地図には表記されておりませんでした。
向かいの熟女パブ出逢いは健在なのに・・・現役かどうかは知りませんが。
木更津東映さんが無くなったおかげで人参湯さんの側面がまる見えなわけ。湯気抜きの越し屋根がデカイ、瓦葺の二階部分はお休み処だったようですね。
一応休業と言いつつもほぼ廃墟と化している⑯の木更津温泉ホテルさんも変わらず。しかし、今回おさらいのストリートビューで確認してみますと、見事な更地に変貌しておりました。どうやら直後に解体されてしまったようです。絵地図には前身なのかは不明ですが、『割烹旅館佐久間本館』というかなり大きな建物が描かれてありました。
アド街にも出てきた明治30年(1897)創業、⑫の宝家さんで昼食です。もちろん絵地図にも描かれております。名物のあさり膳を所望、写ってはいませんがかき揚げと味噌汁以外にも、あさりご飯と佃煮が付くまさにあさり尽くしとなっております。でも、かき揚げがいまいちだった気が・・・串揚げにしておけば良かったかも。コチラの若女将、なんと元女優だったとは、どおりで綺麗なわけだ。
なんだか更地巡りみたいになってしまった前半は此処まで。燃料補給と美しい女性を愛でましたら、遊廓跡に向かうと致しましょうか。