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Channel: 『ぬけられます』 あちこち廓(くるわ)探索日誌
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福島県 福島市飯坂町201507

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焼けた旅館の先が遊廓跡?・謎のトンネルがある旅館・芭蕉も浸かったらしい外湯

夏空に円形造作・・・はいいのですが、早くも汗だくですわ。


 昨日は山形県の町を巡ったわけですが、今日は清々しいまでのノープラン。それじゃ困るので昨晩大急ぎで調べた仙台市内へ・・・小田原遊廓跡には辛うじてメインストリートらしき通りが残っておりましたが、ウーム、どうもピンとこない。その後、駅近くの仙台銀座なる小さな呑ん兵衛横丁、その先の闇市由来とされる壱弐参(いろは)横丁に文化横丁、国分町歓楽街の仙台ロック、そして仙台メディアテークといった感じで訪れたのですが、いまいちテンションが上がってこないわけ。まあ、異常な暑さが影響しているのだと思いますが、それ以上に感じたのが仙台市広すぎるぞということ。こりゃあかん、やはり大都市のぶっつけ本番は難しかったみたい・・・この探索、暫くお蔵入りということにさせてください。しっかりと調べてから訪れたいと思います。

 さて、これからどうするか・・・考えがまとまらないまま東北本線普通列車に乗り込んでしまった。以前から気になっている桑折町に寄ろうか、でもあそこはかなり歩かないとならないからなあ・・・などと考えているうちに気が付くと福島駅。六年ぶりになりますか、以前何気なく地図を覗くと、花街跡に建つ高塀に囲まれた巨大料亭が跡形も無く消え失せており驚かされました。それを確認しにでも行こうかと駅を出ると、ムワッと熱気が・・・当然なのですが、仙台よりクソ暑いわけ。どうせ汗だくになるのだから、昨日のかみのやま温泉みたいにサッパリできたらいいのに・・・そうだ、あるじゃん近くに温泉が。

 というわけで思いついたのが飯坂温泉。その歴史は縄文時代まで遡るという国内屈指の古湯であります。日本武尊も東征の際、この湯で病を癒したとされています。また、おくの細道で松尾芭蕉が立ち寄り、西行法師、正岡子規、与謝野晶子らが此処で句を詠んでいます。何を気に入ったのか、ヘレン・ケラーが二度も訪れているそうです。町中を南北に流れる摺上川沿いに数多くの旅館が軒を連ねているのですが、最盛期と比べると湯治客は半減しているとか。まあ、これは何処の温泉郷でも似たような状況なのでしょう。それを好む人間も此処にいたりしますが。そうそう、もちろんこの温泉にも遊廓が存在していていましたよ。お馴染『全国遊廓案内』からになります。

 『飯坂若葉遊廓 福島県信夫郡飯坂町若葉新地に在つて、東北本線伊達駅から私鉄信達鉄道に乗り替え、飯坂駅で下車する。福島市から自動車で行つても卅分で着く。温泉場で、福島市及此の附近一帯の歓楽境と成つて居る事は、若松に東山温泉があり、松本に浅間温泉があるのと同様である。如何にも温泉場らしい気分に成つて居ると云つて善い程だ。目下貸座敷が七軒あつて、娼妓は約五十人、芸妓は此れに劣らない程居る』

 この温泉も前回のかみのやま温泉同様、九ヶ所もの外湯(共同浴場)があるのです。その中の一ヶ所は、日本最古の木造共同浴場らしいので、探索後そこで汗を流したいと思います。JR福島駅に接続している福島交通飯坂線でガタゴト揺られること20分ほどで終点の飯坂温泉駅に到着です。この飯坂線、大好物の盲腸線、そして終着駅が温泉という素晴らしい路線ということになりますな。地図も持参していない完全なぶっつけ本番ですので、駅前の観光案内所で観光マップを貰ってから歩き出しました。



駅前から伸びる、摺上川沿いの通り(県道319号線)を行きます。この通り、地元では支保工坂と呼ばれているのですが、支保工って完全に建築用語、どういった由来なのでしょうね。前方に見える望楼が乗っている奇妙な建物は外湯の波来湯。後ほど此処にも寄りますよ。



摺上川対岸の光景、居並ぶ旅館が壮観・・・とはいえ、時代遅れの感は否めない様子。そろそろ建替えといきたいところなのでしょうが・・・。



振り返ると鉄骨造のアーチ橋、大正4年(1915)竣工の十綱橋です。大正期に架けられた鋼製アーチ橋の中でも古いものの一つということで、土木学会の推奨土木遺産に認定されています。



立派な塀を構えた旅館、若喜別館とあります。しかし、どうも様子が変、ひっそりと静まり返っているわけ。帰ってから知ったのですが、通りを挟んだ向かい、摺上川の河畔にあったのが若喜旅館、おそらくこっちが本館だったのでしょう。この本館、平成6年(1994)12月21日に発生した火災によって全焼、宿泊客五名が亡くなるという惨事が起きてしまいます。どうやら既存不適格だったようですね。これによって旅館は廃業、焼け落ちた建物はしばらくその酷い姿を晒していましたが、数年前に解体され跡地は公園になっています。



高欄風の手摺に粋な窓が残る建物、コチラも元旅館と思われます。



上流にある新十綱橋からの光景。橋の袂に建つ退役済みと思われる旅館、窓際の応接セットの椅子がパステルカラーで妙にカワイイわけ(笑)肝心の遊廓跡なのですが、どうやらこの橋から若喜旅館跡辺りまでがそれだったようです。途中にある福住旅館さんの女将さんが遊廓跡に移転してきたと仰っておりますので間違いないかと。私が辿ってきた川沿いの通りがメインストリートだったようですが、名残みたいなものは皆無だったと記憶しております。ちなみに地元では若葉坂と呼ばれています。遊廓と同じ名前というわけです。ぶっつけ本番ですので、後付の情報ばかりで申し訳ない。



新十網橋を渡って対岸へ・・・摺上川と並行して流れる水路が現れます。西根堰といいまして、400年前に造られた農業用水になります。それを辿っていきますと、通り沿いのお宅に下に潜り込んでいるではありませんか。どうやらこの先は暗渠になっているみたい。



近くで見つけた水路の立体交差、こういうの大好物なのです。



対岸に見える東屋がある公園が若喜旅館跡になります。摺上川に下っていくと切湯という外湯があるようなのですが、このときは全く気付きませんでした。



十綱橋からちょっと入った路地裏で見つけた奥の細道。矢印の先はお宅の裏庭になっており途切れてしまっているわけ。



新十綱橋に戻って川沿いの通りを更に北西へ・・・途中にあるのが明治22年(1889)創業の味噌蔵である丸滝さんです。店内で味噌田楽などがいただけるようですが、私は向かいの昭和13年(1938)創業の吉原食堂さんで昼食。まあ、『吉原』に惹かれただけなんですけどね(笑)昭和まる出しの店内、頼んだチャーシュー麺と餃子、昔ながらの味付けでなかなかでしたよ。



燃料補給できましたので先を急ぎましょう。脇道の側溝には手押しポンプ、押しても何も出ませんでした。



コンパニオンなのに半玉とはこれ如何に?まあ、温泉郷ですのでコンパニオン置屋はたくさんあるようですが、本物の芸者さんも頑張っているみたい。現在の状況は不明ですが、5年前で5名いらっしゃったようです。



通りをしばらく行きますと見えてくるのが旅館赤川屋さん。脇の通りから見上げるとこんな感じ、敷地は半ば人工地盤の上にあるわけ。枠だけが残る円形の大きな看板、コレいいなあと思っていましたら、土手っ腹にポッカリと穴が開いていることに気付いたわけ。



ガレージかと思ったら貫通しているではありませんか、なんとトンネルだったというわけ。ちゃんと扁額もありますぞ。『旅館赤川屋隧道』とでもしてくれるとなおさら良かったかも(笑)残念なことに現在は休業中とのことですが、HPには洞窟風呂なんてものも、コレと何か関係があるものかもしれません。



そのまま脇道を下っていくと谷地みたいな処に出て行き止まり。近くで見つけた旅館と思われる廃墟、橋を渡ってアプローチします。もちろん拙ブログは此処まで、おそらくマニアが探索済みのことでしょう。



裏通りを駅方面に戻る途中で出会ったのが、冒頭画像の円形造作がある物件。クリーニング店と大衆食堂が合体したお店、両者とも退役済みでしたが・・・。



辿り着いたのが旧堀切邸。堀切家は地元の豪商で、衆議院議長、内務大臣などなど中央政界で活躍した子孫を輩出した名家。その旧宅を飯坂温泉の観光拠点施設として整備したのが現在の姿になります。



右の土蔵は安永4年(1775)に建てられました。桁行が18mあることから十間蔵と呼ばれています。福島県内最大最古の土蔵なんだとか。左奥は主屋、一度火災で焼失したのを明治14年(1881)に再建したものになります。興味深いのが屋根の材料、天然のスレート葺きなのです。かなり珍しいものだと思いますよ。



庭園の片隅のステージでは酷暑の中、可愛らしい女の子たちが踊りを披露中。



主屋の九つある座敷の一つ、アールの付いた竿縁天井が面白い。



旧堀切邸近くで見つけた飲み屋さん、積み木みたいでカワイイ。



旧堀切邸の南側にあるのが目的の外湯、鯖湖湯(さばこゆ)です。前書きの日本武尊が病を癒したというのが此処とされており、飯坂温泉で最も歴史がある共同浴場ということになります。かの松尾芭蕉もこの湯に浸かったとされています。日本最古の木造共同浴場と言いましたが、あれは間違い。現在の建物は平成5年(1993)に改築されたもので、それまでが日本最古だったそうです。唐破風を崩したような独特な形状の銅板葺きの屋根、総ヒバ造りで以前の姿(明治22年築)を忠実に再現しているようですが、入口の位置だけが変わっているようです。以前は妻側にありました。



料金は200円、浴室には中央に長方形の浴槽、洗い場はかなり広め、両者とも御影石貼り、まだまだ新しいので清潔そのものですが、カランはありませんでした。かけ湯の時点で分かっていたのですが、これがとんでもない熱さ。前回のかみのやま温泉では5分でしたが、此処は3分と浸かっていられないわけ。鬼の形相で我慢しているとプルプル震えてくるほど。湯温計には47度!?これは客の回転を稼ぐための作戦かと勘ぐる私(笑)実は飯坂温泉、湯の温度が異常に高いことで有名なんですって。そんなの知らんがな、先に言ってよ。サッパリしたのは一瞬、今度はいっこうに汗がひかないわけ。向かいの温カフェさんに避難させてください。脇にある巨大な桶が乗っている不思議な塔は貯湯塔だそうです。



落着いたので再出発、近くでいい雰囲気の路地を見つけましたよ。



こんな趣のある塀がありましたが、中は更地。何が建っていたのでしょう。



路地の出口には、色褪せた赤い外壁に高欄風の手摺がある物件。一見すると料亭風に見えないこともないかな。



グルリと廻り込んで坂を下っていきますと、立派な看板を掲げた真っ黒な商家が現れます。明治後期に建てられたという採進堂酒店さんです。



ショーケースだけが洋風というのが面白いわけ。



その先の四つ角に面しているのが三層の土蔵造りという豪壮ななかむら屋旅館さん。角の土蔵を挟んで右が本館、左が新館になります。本館は江戸末期、新館は明治29年(1896)頃建てられたとされています。両者とも国の登録文化財になります。左に行くとすぐに鯖湖湯です。



本館には嘗ての帳場が残っており、内部の意匠も結構凝っているとか。東日本大震災でかなりの被害に遭われたそうですが、綺麗に修復されており全くそれを感じさせません。ちょっと此処は泊ってみたいなあ。



角には屋号を刻んだ石柱が埋め込まれてありました。



遊廓跡裏手の路地にて。遠路はるばるですか・・・現在は高速道路も整備されましたし、新幹線なんてものも走っているのですぞ。便利な世の中になりました。



再び汗だく・・・最後に波来湯(はこゆ)に寄っていきましょう。鯖湖湯に次ぐ古湯で1200年余りの歴史を誇っています。4年前に望楼が乗った寺社建築風に改築されました。浴室は摺上川レベルの地下一階、エレベーターで下っていきます。料金は300円、川沿いにあるので露天風呂や展望を期待したのですが、至って普通の造りでちょっとガッカリ。ただ、他の外湯と違っているのは熱い湯と温い湯という二つの浴槽があること。これは飯坂温泉さん熱すぎ、どうにかしてという苦情、もとい要望があったからではないかと(笑)熱いほうは爪先だけで諦め、温いほうへ浸かりましたが、どこが温い湯やねんと言いたくなる温度。出たり入ったりを繰り返しているうちに、何かの修行をしているような気分になってしまったのはなぜでしょう。

まあ、盛夏に訪れた私が悪いということにしておきましょう。個人的には温めの湯にゆっくり浸かるのが好きなのです。完全なぶっつけ本番のわりには十分楽しめた飯坂温泉の探索は以上でオシマイ。

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