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Channel: 『ぬけられます』 あちこち廓(くるわ)探索日誌
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東京都 青梅市200901・201203・201412 その1

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謎の豪邸の正体判明・鰻の煙で泥鰌を食らう?・拡幅により消え行く花街の面影

◆にゃにゃヶ所も曲り角、無かったような気がするのですが・・・。


 たまには東京もレポ致しましょう・・・とは言っても西の外れの青梅市ですけどね。新民謡ヨササ節で『青梅、青梅と青梅の町は、帯の長さもあるものを』、古民謡むぎ打唄では『青梅の宿は長い宿、長いとて物干竿にはならぬ』と唄われた青梅は、旧甲州街道の脇往還である旧青梅街道の宿場町。唄のとおり、多摩川の岸に沿うようにして中心街が東西に細長く伸びているのが特徴。嘗ては木綿と絹の交織である青梅縞を特産としていた機業地でもあります。名前のとおり吉野梅林を代表とする梅も名物でしたが、数年前に日本初(梅では世界初)のプラムポックルウィルスの発生が確認され二万本以上が伐採されてしまうという異常事態。しかも依然として感染は拡大しているというかなり心配な状況なのです。

 そんな青梅ですが、近頃は映画看板を代表とする昭和レトロ推しで観光客を誘致している町として知られているわけです。ご存知の方も多いかと思いますが、これが結構徹底しておりまして、ここまでやりきるのは見事なことだと思います。しかし、個人的にはこういったものって、ウーン・・・基本的に観光地のいやげ物的なものが苦手、押し付けられるとひいちゃう人間なものですから。そんなことしなくても十分に魅力的な町だと思うのですがね。でも、それだけじゃ人は来てくれないんだろうなあ・・・。まあ、そんな感じですので、映画看板はバックで見切れている程度、ほとんど出てきませんのであしからず。

 もちろん遊里も存在しておりましたが、詳しくはその2のほうで・・・大したネタはありませんけど。都合3回訪れておりますが、2回目はちょっと特殊な状況、番外編として最後にでもお伝えできたらと思っております。画像の在庫がかなりありますので、早々に始めさせていただきますね。

註)各画像のキャプションに付けられた★は2009年12月、☆は2012年3月、◆は2014年12月に撮影したことを示しています。



★青梅駅前ロータリーの光景。奥の駅舎は大正13年(1924)竣工、当時はJR青梅線の前身である青梅鉄道の本社を兼ねていたものになります。当時はまだ珍しい鉄筋コンクリート造3階建て、なんと地下には名店街もあったというハイカラなものだったそうです。



◆近くでこんな大門を見つけたわけ。『昭和の猫町 にゃにゃまがり』だと~?前2回のときは全く気付かなかったのですが、いつ頃できたのでしょう。



◆すれ違いも困難な路地に沿って、ニャンコをモチーフにした様々なオブジェが並んでいるわけ。映画看板と並んで町中で散見されるのがコレ、映画はあれですがニャンコは大歓迎(笑)



◆とはいえ、ご覧のとおりのちょっと寂しい状態。これで観光客を引き込むことができるのか、他人事とはいえ少し心配。



★にゃにゃまがりを抜けて旧青梅街道(都道28号線)に出ると、年期の入った銅板装飾に橋の欄干みたいなバルコニー付きの看板建築が現れます。昭和初期に建てられたとされる旧ほてい屋玩具店さん、国の登録文化財です。2階の開口部が塞がれており、どうやら空き家みたい。



★一軒置いた先には金属板平葺きの柏倉洋品店さん、コチラも昭和初期といった感じでしょうか。1階は変な絵画で塞がれておりました。



◆5年後の様子・・・ほてい屋さんはシャッターが撤去され、綺麗に直されておりました。新しい店子さんが入ったのかな。



◆おかげで2階の美しい桟が入った窓を鑑賞することができました。よくよく見るとバルコニーというほど奥行きが無かったね(笑)



★そのまま旧街道を西へ・・・重厚な出桁造りの商家はお茶とお米の柳屋さん。青梅きっての老舗で、現在のお店は明治7年(1874)に建てられたものだとか。



★その先には鈴木染物店さん、これも機業地の名残かもしれません。塗装が剥げ落ちかけた戸袋を兼ねた看板、そして引き戸の金文字が大変宜しいですなあ。



★お次はスッキリとした切妻屋根が美しい店蔵、旧稲葉家住宅です。江戸後期に建てられたとされ、都の民俗文化財に指定されています。内部も無料で見学できますよ。



★稲葉家は青梅宿の町年寄も勤めていた豪商、主に木材商と青梅縞の問屋を営んでいたそうです。画像は入口を入ったすぐ脇、おそらく往時は接客スペースだったと思われます。



★裏庭に面した広縁に囲まれた座敷、額縁障子が美しい。



★旧稲葉家住宅裏には廃業した造り酒屋。稲葉家の案内のお姉さんに屋号を聞いたはずなのですが、何せ6年前ですので・・・。コチラ、既に解体撤去され、この姿を見ることはできません。この辺りで旧街道の北側を並行する地元で七兵衛通りと呼ばれている裏通りを辿って駅方面に戻ります。



◆途中の脇道の光景、木製物干し場がいい感じ。



★その先でJR青梅線の踏切を渡り山側に入ると梅岩寺さんがあります。境内の片隅、森へと伸びる薄暗い山道に入ると現れるのがこんな竹林。



★一応観光マップにも載っている場所なのですが、全くと言っていいほど観光客は訪れない様子、穴場かも。まあ、でもご覧のとおりの至って普通の竹林ですけどね(笑)これは6年前の光景ですが、今回再訪すると倒木が塞いでいたりして少し荒れておりました。



◆竹林を抜けると苔生した石垣が現れます。フカフカ落ち葉のカーペットを踏みしめながら進みますと・・・



◆鳥居が連続する名無しのお稲荷さんがあります。6年前は油揚がお供えしてあったのをよく覚えています。



◆お稲荷さんから真っ直ぐ下っていく階段、コチラがメインの参道だったみたい。私の背後にはJR青梅線の踏切、お稲荷さん専用というわけ。



★駅には戻らず、旧街道を渡って多摩川側へ・・・常保寺さん境内の片隅に佇むのが、世にも珍しい猫地蔵。左手で招いていますので、ご利益はお金ではないみたい(笑)青梅のニャンコ推しのルーツってコチラかしら???



◆近くで出会った現役と思われる井戸。此処だけでなく町中でも結構見られるのです。



★中心街の東端、都立青梅総合高校の手前にあるのが、さくらファクトリーのノコギリ屋根。元々は青梅織物協同組合の工場だったものを、アートスペースや工房として再活用しているそうです。



★記憶が曖昧ですが、近くの坂道だったかと。旧青梅街道から多摩川側に入ると、こういった場所がチラホラ、河岸段丘だと思われます。大好物の高低差がある町でもあるわけです。



★旧青梅街道に抜ける脇道の出口にこんな看板建築があります。コチラも昭和初期といった感じでしょうか、黄色外壁の草臥れ具合が素晴らしい。



★旧街道を少し駅方面に戻ると、橋本屋旅館さんの独特な吊り行灯型の看板が見えてきます。コレ、結構な大きさなのです。創業は明治3年(1870)とのこと、ネットの情報が間違っていなければ今も現役のはず。



★橋本屋旅館さんの裏手、JR青梅線沿いで見つけた小さな洋館付住宅。オシャレな出窓が目印です。



★再び旧街道に戻って駅方面へ、途中の脇道に入りますと、軒燈代わりの提灯が連なる古色蒼然としたお店が現れます。歴史などは不明ですが、宿場時代からの生き残りかもしれません。とんかつのもりたやさん、とんねるずの番組にも登場しているお店といえば何となく雰囲気は分かるかと(笑)実はコチラに3回共ふられているのです。初回は入口が開かず仕舞。2回目、引き戸は開いたのですが、声をかけても一向にご主人は現れず。まあ、とても飲食店とは思えない店内を観察できたのは収穫でしたが。そして3回目、また開かず。その後知ったのですが、夜だけの営業なんだそうです。普通、とんかつ屋が夜だけなんて思わないでしょ。閉店時間もご主人が呑みに行くため、その日の気分次第という素晴らしさ(笑)



★初回は丹下左膳が掲げられていましたが、2回目には無くなっておりました。今回、おさらいのストリートビューで確認しますと、鞍馬天狗に変わっていましたよ。



◆提灯も白から赤に変わっていたわけ。私の記憶違いかもしれませんが、コチラ、NHKの番組にも登場していたはず。現在は別番組ですが、お昼のニュースの後に放送されていた『生中継ふるさと1番!』っていうの覚えておりませんか?確かこの番組だったと思うのですが・・・その中でご主人が、嘗ては芸者さんが出入りして二階で宴会をしていたと仰っていたような・・・勘違いだったらご免なさい。



★もりたやさんの隣に石垣と塀に囲まれた謎の豪邸があるのです。初回、2回目共、門が固く閉ざされており、中の様子を窺うことは不可能、此処は何だろうと思いながら通り過ぎるだけでした。



◆ところがです。今回訪れてみると、なんと公開されているではありませんか。津雲邸といいまして、青梅出身の元衆議院議員津雲國利のお宅だったというわけ。ようやく謎の豪邸の正体が判明致しました。このお宅は昭和9年(1934)竣工、京都から宮大工を呼んで建てさせたそうです。ええ、もちろん、見学させていただきますよ。



◆門を潜ると、鯉?が泳ぐ手水鉢がお出迎え。



◆奥まった玄関廻りのアプローチ、突当りにはちょっと変わった下地窓。敷石には謎の彫刻、何かの転用だと思われます。



◆たぶんご子息と思われる品の良い紳士が案内してくれました。公開してからまだ一月ほどとかで、説明が初々しいところなんかが良かったです(笑)コチラは一階の六畳切の茶室、右に奥行きのある床の間、左は水屋だと思います。



◆一階の応接室、床は寄木造り、天井はたぶんケヤキの格天井。用途は洋式なのに、豪華な床の間や真壁に長押が回っていたりするため、一種オリエンタルな空間になっているわけ。



◆オリエンタルな空間演出に一役買っていたのがこの釈迦涅槃像。由来などを伺ったはずなのですが、記憶からすっかり抜け落ちていた・・・申し訳ない。



◆気に入ったのがおトイレ、ジックリと腰を据えてあれこれと思索できそうですな(笑)



◆二階の大広間には釣鐘窓に出書院。精緻な組子障子と透かし彫りが見事です。



◆大広間の広縁手摺の腰板には蝶の透かし彫り。



◆コレは一階の和室だったかな、欄間に源氏香の記号が穿たれておりました。時間の関係でゆっくりできず、しかも暗くて撮影失敗の連発・・・他にも見所いっぱいですのでオススメですぞ。HPも貼っておきますね。

その1はココまで、次回は駅の東側にひろがっていたという花街跡を重点的に彷徨います。そこで私は落語の一節のような状態に陥ってしまうわけ・・・。

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