山頂の巨大珍構造荒城・崩壊寸前嘗ての一大レジャー施設・円筒分水かと思いきや
なんでしょう、このよく分からない組み合わせ(笑)
強風の影響で30分遅れていた常磐線がようやく動き出しました。しかし、水戸線への乗換駅である友部で再び30分の待ち合せ・・・目的地の笠間に到着したのは当初の予定から2時間遅れ・・・。いつもはおおよその目的地だけを定めて、後はいい感じの界隈を探しながら適当にフラフラ漂うというのがパターンなのですが、こうも大幅にスケジュールが狂ってしまうとどうしようもないわけ。今回はお日様と追いかけっこしながらピンポイントで攻めるしかないようです。
2008年以来ですから実に5年ぶり、前回の際は様々な発見に次ぐ発見でたいへん充実した探索になったわけですが、特に驚いたのが知られざる花街の存在・・・しかもそれが現役と聞き更にビックリ・・・そんなレポに終始してしまいました。あれから5年ですか、早いものですね。その間に震災が発生、焼き物の町でもある笠間は窯元などに大きな被害があったと聞き以前から気になっておりました。
同じく震災の影響で廃業に至ってしまったという珍妙な造りの巨大ホテルが笠間稲荷神社の近くにあるのです。前回のときもその存在を知ってはいたのですが、訪れるのをすっかり忘れていた・・・当時はまだ現役だったんだよなあ。名前をホテル山乃荘といいます。試しに検索しますと、トップに楽天トラベルの『山乃荘へようこそ』なるHPが出てくるわけ。これで騙されました、下調べ段階ではてっきりまだ現役かと・・・たまたま航空写真を見て異変に気付きます。屋根瓦がグシャグシャ・・・よくよく調べましたら震災直後に休業・・・そして再建叶わず廃業・・・。それはともかく、このホテルの造りが凄いんです。清水寺を代表とする懸造(かけづくり)、或いは鳥取県にある投入堂風ともでも申しましょうか。とりあえずこのホテルを見学してから、前回も訪れたお気に入りの場所を再訪してみましょうか。
※前回のレポはコチラとコチラ、先にご覧になったほうが分かりやすいかと思われます。
今回も此処から始めましょう。笠間駅すぐ近くにこの駅前横丁があります。見にくくて申し訳ない。
砂利道に並ぶ廃れた飲み屋さん、5年前と全く変わっていないように見えます。まあ、そういうことなのでしょう。突当りはJR水戸線の線路です。
笠間駅から1.5キロほど・・・ほら、見えてきましたよ。笠間稲荷神社の西側、笠間日働美術館裏手の小高い丘の斜面にこの巨大な『お城』が異様を誇っています。これがホテル山乃荘さん。日働美術館にも寄りたかったのですが、今回の遅れに遅れたスケジュールでは到底無理・・・次回に繰り越しです。
全景・・・よく見ると屋根瓦が酷い状況であるのが分かるかと思います。嘗てこの高台には笠間城があったそうです。それでこういった意匠にしたのだと思いますが・・・まあ、ようやるわと感心するというか、呆れるというか・・・。
もっと驚くのが、コレ。まさに現代の懸造ですな(笑)まだこの時点では、廃業しているという事実にいまいちピンときていないわけ。そこで建物の裏手に出るために、急な坂道をヒイヒイ言いながら登っていきますと・・・。
見事なまでの廃墟然とした姿に呆然・・・。手前に写っている木造の大門というかゲート、震災の影響だと思うのですが、倒壊寸前まで傾いております。
すんごい唐破風キャノピーに口アングリ・・・。この山乃荘さん、開業は昭和28年(1953)と意外にも歴史があるんだそうです。おそらく笠間稲荷神社への参拝客を見込んだものだったのでしょうけど、当時はそれだけ需要があったということなんだろうなあ・・・現在の寂れた町の様子からは全く想像できませんけど・・・。
破風の下、見事な龍の彫り物が闖入者である私を睨んでおりました。ガラス越しにロビーを覗いてみましたが、完全に廃墟でした。此処から先は某廃墟探索サイトさんにお任せ致します・・・というか、既に紹介済みだったりして・・・。
山乃荘さんのある高台の東側にちょっとした飲み屋街がひろがっています。そこにあるのが笠間芸妓組合事務所、所謂見番です。前回、これを発見したときは心底驚きました。現在はどういう状況かは分かりませんが、平成19年時点で置屋11軒、20名の芸者さんが頑張っておられるとのことでした。
なぜか入口が全開・・・お人形がらしくていいですね。一階にひと気はありませんでした。二階で稽古中なのかな?
その先にあるのが料亭小柳さん、前回のときは、その雰囲気から『元』なのかな?と思っていましたら、板さんが出てきて驚いたお店になります。漆喰塗り、腰に鉄平石が貼られた外壁だったのですが、安っぽいサイディングに変わっておりました。引き戸の向こうに暖簾が見えますので、まだ現役・・・だと思いたいです。
立派な蔵は笹目宗兵衛商店さんのもの。明治26年(1893)創業の老舗酒蔵です。元々は笠間藩主である牧野家が経営していたそうです。この蔵、ちょっとやつれた感じの瓦屋根がとても美しかったのですが、金属の平葺きに変わっておりました。おそらく震災の被害に遭われたのだと思います。
左官による鉄平石貼りが表現されたこちらは無事。
その全景・・・二階ばかりに窓があるのが妙に気になりました。
トタンのバラックみたいな食堂というか、飲み屋さん?前回のときは、中から賑やかなお年寄りたちの声が聞こえたのですが・・・しんと静まり返っておりました。
この近道を通って笠間稲荷神社に向かうと致しましょう。
近道の中ほどには、廃業してしまった割烹旅館なんてものも・・・。
時間帯のせいでしょうか、妙に閑散とした笠間稲荷神社。参道沿いの仲見世もガラガラ・・・。こう見えましても、日本三大稲荷神社の一つですぞ。
可愛らしい四姉妹?がお参り中でした。いちばん下のおチビちゃんは、そんなことより奥が気になって仕方なかったようですが(笑)
新しい・・・とはいっても建てられたのは昭和35年(1960)とのことなのですが、拝殿の風情はいまひとつ。しかし、重厚な入母屋造りの東門は一見の価値あり、特に棟の部分に施された鏝絵によるカラフルな龍は必見ですぞ。文化13年(1816)に再建されたものだそうです。
東門脇にある謎の廃屋・・・一見すると料亭風に見えなくもないのですが、門が酷い状態になっておりました。
その先でチャリのお爺ちゃんに声をかけられました。見事な茨城弁でしたので、最初はなんのことだかサッパリ(笑)・・・どうやら拝殿の裏手に続く御本殿の彫刻を撮ったか?すごいから見ていけ、ということだったみたい。行ってみましたら、仰るとおり確かにこれは見事なものですなあ。お爺ちゃんありがとう。時代ははっきりしませんが、この御本殿は江戸末期に建てられたものだそうで・・・ヘッ?国の重文!?全然知らなかった・・・何のための下調べなんだか・・・相変わらず杜撰すぎるだろ、お恥ずかしいかぎりです。
でも、重文より気になったのが、その後ろで開催されていたこの会議(笑)
何を話し合っているのでしょうね。現代人の信仰心の無さなどを嘆いているのでしょうか。
右のお堂は瑞鳳閣、大正天皇即位を記念して大正6年(1917)に建てられました。設計は築地本願寺などで知られる伊東忠太です。東屋みたいのが幾つか並んでいますが、毎年10月に開催される菊まつりの展示用のもの、かなり大規模なお祭りみたいですよ。この近くで見つけたハート型のメダイヨンと美しいバルコニーがある逸品の看板建築、洗張のお店だったのですが、跡形もなく消え失せておりました・・・残念。
場所は笠間稲荷神社の近くとだけ申しておきましょう。前回、偶然発見した謎の一画があります。震災の影響が気になっていたのですが・・・よかった、まだ残ってた・・・ん!?
超広角レンズだと分かりにくいと思いますが、まさに崩壊寸前・・・指でちょんと押せば一気に逝っちゃいそうな雰囲気です。まあ、前回も酷い状態だったのですが、震災が追い討ちをかけたようです。
前後左右にガタガタのグニャグニャ・・・時空が歪んでいるのではないかと錯覚を覚えるほどです。見ているだけでクラクラしてきた・・・違う意味でもクラクラしておりますが(笑)前回のとき、三角屋根の向こうから煙突が顔を覗かせていたのでお風呂屋さんだったのでは?と思ったのですが、どうやらそれも倒壊しちゃったみたい。
で、それと向き合うのが昭和館、嘗ての映画館です。こちらも酷い状態・・・てっぺんに昭和館と鏝絵で描かれた扁額が辛うじて残っていたのですが、それも落ちちゃったみたい・・・下地の木摺が露出して痛々しい姿です。
昭和館の入口前にはトタン屋根の車庫、埃が溜まった車が停まっておりました。前方に三角屋根の側面、とんでもない歪みっぷりがよくわかると思います。
そんな荒廃した中、鮮やかな緑が目に飛び込んできてビックリ!!もぎりの窓口ですね。前回のときもサンドバッグには気付いていたのです。緑は陰になっていて気付きませんでしたが・・・。それで住人がいるんじゃないかと思ったのですが、この状況・・・これで誰か住んでいたら、それこそホラーですな。そんなことはどうでもいいことで・・・何よりこの緑、ステキすぎるでしょう。で、視線を下に動かしますと・・・
コレですから・・・もう素晴しすぎて・・・暫しウットリです。
傍らの棚には本が無造作に積まれていたのですが、いちばん上がコレ・・・ある意味出来すぎだろ(笑)
向こう側に出てみました。うわ・・・こっちも酷い。トタンの錆っぷり・・・階段の露出っぷり・・・ぷりぷり祭りだあ!!申し訳ない、ちょっと興奮しすぎておかしくなっております。
少し冷静になりましょう。昭和館には食堂も併設されていたということなのでしょうか。ちなみに松緑は前述の笹目宗兵衛商店さんところの銘柄です。で、向かい合う三角屋根の建物に視線を移しますと・・・
またまた衝撃の光景が・・・半端じゃない崩壊っぷりはもちろんなのですが、お分かりになります???奥の引き戸に『ゆ』の文字、横の脱衣棚、転倒寸前の体重計・・・なんと、やっぱりお風呂屋さんだったのです。昭和館がらみということなのか、貼られているブロマイド?は日本の女優さんみたい。屋号は何だったのでしょう、やっぱり昭和湯???奥がものすごく気になりますが、拙ブログはあくまでも遊里跡探索が主旨・・・廃墟探索サイトではございません。本人もとんでもないヘタレでございます。というか、廃墟関係の猛者でも此処は危険すぎますよね。一応忠告はしましたぞ。
壁にぶら下がるブーツ、その奥には円形の造作の痕跡・・・猟奇的なものを感じさせる光景・・・。
最後に半開きになった扉の奥にカメラだけを突っ込んでみました。これが昭和館の内部・・・格天井になっているのが分かるでしょうか。客席は残っておらず、ヨレヨレのスクリーンの白さだけが妙に目に残りました。よくよく考えてみましたら、映画館、銭湯、食堂・・・往時は一大レジャー施設的なものだったのではないかと・・・。
おそらく次回はこの光景を見ることはできないのでしょうね・・・。
前半はここまで。なんだか廃墟巡りみたいなレポになってしまいましたね。山乃荘さん、昭和館さんですが、実際に訪れて何かトラブルに遭っても拙ブログは一切関知しませんのであしからず。重ねて忠告しておきますぞ。後半でも引き続きお日様と競争しながら、もしかするとマイブーム物件かもしれないというものを探してセカセカ歩き回ります。
なんでしょう、このよく分からない組み合わせ(笑)
強風の影響で30分遅れていた常磐線がようやく動き出しました。しかし、水戸線への乗換駅である友部で再び30分の待ち合せ・・・目的地の笠間に到着したのは当初の予定から2時間遅れ・・・。いつもはおおよその目的地だけを定めて、後はいい感じの界隈を探しながら適当にフラフラ漂うというのがパターンなのですが、こうも大幅にスケジュールが狂ってしまうとどうしようもないわけ。今回はお日様と追いかけっこしながらピンポイントで攻めるしかないようです。
2008年以来ですから実に5年ぶり、前回の際は様々な発見に次ぐ発見でたいへん充実した探索になったわけですが、特に驚いたのが知られざる花街の存在・・・しかもそれが現役と聞き更にビックリ・・・そんなレポに終始してしまいました。あれから5年ですか、早いものですね。その間に震災が発生、焼き物の町でもある笠間は窯元などに大きな被害があったと聞き以前から気になっておりました。
同じく震災の影響で廃業に至ってしまったという珍妙な造りの巨大ホテルが笠間稲荷神社の近くにあるのです。前回のときもその存在を知ってはいたのですが、訪れるのをすっかり忘れていた・・・当時はまだ現役だったんだよなあ。名前をホテル山乃荘といいます。試しに検索しますと、トップに楽天トラベルの『山乃荘へようこそ』なるHPが出てくるわけ。これで騙されました、下調べ段階ではてっきりまだ現役かと・・・たまたま航空写真を見て異変に気付きます。屋根瓦がグシャグシャ・・・よくよく調べましたら震災直後に休業・・・そして再建叶わず廃業・・・。それはともかく、このホテルの造りが凄いんです。清水寺を代表とする懸造(かけづくり)、或いは鳥取県にある投入堂風ともでも申しましょうか。とりあえずこのホテルを見学してから、前回も訪れたお気に入りの場所を再訪してみましょうか。
※前回のレポはコチラとコチラ、先にご覧になったほうが分かりやすいかと思われます。
今回も此処から始めましょう。笠間駅すぐ近くにこの駅前横丁があります。見にくくて申し訳ない。
砂利道に並ぶ廃れた飲み屋さん、5年前と全く変わっていないように見えます。まあ、そういうことなのでしょう。突当りはJR水戸線の線路です。
笠間駅から1.5キロほど・・・ほら、見えてきましたよ。笠間稲荷神社の西側、笠間日働美術館裏手の小高い丘の斜面にこの巨大な『お城』が異様を誇っています。これがホテル山乃荘さん。日働美術館にも寄りたかったのですが、今回の遅れに遅れたスケジュールでは到底無理・・・次回に繰り越しです。
全景・・・よく見ると屋根瓦が酷い状況であるのが分かるかと思います。嘗てこの高台には笠間城があったそうです。それでこういった意匠にしたのだと思いますが・・・まあ、ようやるわと感心するというか、呆れるというか・・・。
もっと驚くのが、コレ。まさに現代の懸造ですな(笑)まだこの時点では、廃業しているという事実にいまいちピンときていないわけ。そこで建物の裏手に出るために、急な坂道をヒイヒイ言いながら登っていきますと・・・。
見事なまでの廃墟然とした姿に呆然・・・。手前に写っている木造の大門というかゲート、震災の影響だと思うのですが、倒壊寸前まで傾いております。
すんごい唐破風キャノピーに口アングリ・・・。この山乃荘さん、開業は昭和28年(1953)と意外にも歴史があるんだそうです。おそらく笠間稲荷神社への参拝客を見込んだものだったのでしょうけど、当時はそれだけ需要があったということなんだろうなあ・・・現在の寂れた町の様子からは全く想像できませんけど・・・。
破風の下、見事な龍の彫り物が闖入者である私を睨んでおりました。ガラス越しにロビーを覗いてみましたが、完全に廃墟でした。此処から先は某廃墟探索サイトさんにお任せ致します・・・というか、既に紹介済みだったりして・・・。
山乃荘さんのある高台の東側にちょっとした飲み屋街がひろがっています。そこにあるのが笠間芸妓組合事務所、所謂見番です。前回、これを発見したときは心底驚きました。現在はどういう状況かは分かりませんが、平成19年時点で置屋11軒、20名の芸者さんが頑張っておられるとのことでした。
なぜか入口が全開・・・お人形がらしくていいですね。一階にひと気はありませんでした。二階で稽古中なのかな?
その先にあるのが料亭小柳さん、前回のときは、その雰囲気から『元』なのかな?と思っていましたら、板さんが出てきて驚いたお店になります。漆喰塗り、腰に鉄平石が貼られた外壁だったのですが、安っぽいサイディングに変わっておりました。引き戸の向こうに暖簾が見えますので、まだ現役・・・だと思いたいです。
立派な蔵は笹目宗兵衛商店さんのもの。明治26年(1893)創業の老舗酒蔵です。元々は笠間藩主である牧野家が経営していたそうです。この蔵、ちょっとやつれた感じの瓦屋根がとても美しかったのですが、金属の平葺きに変わっておりました。おそらく震災の被害に遭われたのだと思います。
左官による鉄平石貼りが表現されたこちらは無事。
その全景・・・二階ばかりに窓があるのが妙に気になりました。
トタンのバラックみたいな食堂というか、飲み屋さん?前回のときは、中から賑やかなお年寄りたちの声が聞こえたのですが・・・しんと静まり返っておりました。
この近道を通って笠間稲荷神社に向かうと致しましょう。
近道の中ほどには、廃業してしまった割烹旅館なんてものも・・・。
時間帯のせいでしょうか、妙に閑散とした笠間稲荷神社。参道沿いの仲見世もガラガラ・・・。こう見えましても、日本三大稲荷神社の一つですぞ。
可愛らしい四姉妹?がお参り中でした。いちばん下のおチビちゃんは、そんなことより奥が気になって仕方なかったようですが(笑)
新しい・・・とはいっても建てられたのは昭和35年(1960)とのことなのですが、拝殿の風情はいまひとつ。しかし、重厚な入母屋造りの東門は一見の価値あり、特に棟の部分に施された鏝絵によるカラフルな龍は必見ですぞ。文化13年(1816)に再建されたものだそうです。
東門脇にある謎の廃屋・・・一見すると料亭風に見えなくもないのですが、門が酷い状態になっておりました。
その先でチャリのお爺ちゃんに声をかけられました。見事な茨城弁でしたので、最初はなんのことだかサッパリ(笑)・・・どうやら拝殿の裏手に続く御本殿の彫刻を撮ったか?すごいから見ていけ、ということだったみたい。行ってみましたら、仰るとおり確かにこれは見事なものですなあ。お爺ちゃんありがとう。時代ははっきりしませんが、この御本殿は江戸末期に建てられたものだそうで・・・ヘッ?国の重文!?全然知らなかった・・・何のための下調べなんだか・・・相変わらず杜撰すぎるだろ、お恥ずかしいかぎりです。
でも、重文より気になったのが、その後ろで開催されていたこの会議(笑)
何を話し合っているのでしょうね。現代人の信仰心の無さなどを嘆いているのでしょうか。
右のお堂は瑞鳳閣、大正天皇即位を記念して大正6年(1917)に建てられました。設計は築地本願寺などで知られる伊東忠太です。東屋みたいのが幾つか並んでいますが、毎年10月に開催される菊まつりの展示用のもの、かなり大規模なお祭りみたいですよ。この近くで見つけたハート型のメダイヨンと美しいバルコニーがある逸品の看板建築、洗張のお店だったのですが、跡形もなく消え失せておりました・・・残念。
場所は笠間稲荷神社の近くとだけ申しておきましょう。前回、偶然発見した謎の一画があります。震災の影響が気になっていたのですが・・・よかった、まだ残ってた・・・ん!?
超広角レンズだと分かりにくいと思いますが、まさに崩壊寸前・・・指でちょんと押せば一気に逝っちゃいそうな雰囲気です。まあ、前回も酷い状態だったのですが、震災が追い討ちをかけたようです。
前後左右にガタガタのグニャグニャ・・・時空が歪んでいるのではないかと錯覚を覚えるほどです。見ているだけでクラクラしてきた・・・違う意味でもクラクラしておりますが(笑)前回のとき、三角屋根の向こうから煙突が顔を覗かせていたのでお風呂屋さんだったのでは?と思ったのですが、どうやらそれも倒壊しちゃったみたい。
で、それと向き合うのが昭和館、嘗ての映画館です。こちらも酷い状態・・・てっぺんに昭和館と鏝絵で描かれた扁額が辛うじて残っていたのですが、それも落ちちゃったみたい・・・下地の木摺が露出して痛々しい姿です。
昭和館の入口前にはトタン屋根の車庫、埃が溜まった車が停まっておりました。前方に三角屋根の側面、とんでもない歪みっぷりがよくわかると思います。
そんな荒廃した中、鮮やかな緑が目に飛び込んできてビックリ!!もぎりの窓口ですね。前回のときもサンドバッグには気付いていたのです。緑は陰になっていて気付きませんでしたが・・・。それで住人がいるんじゃないかと思ったのですが、この状況・・・これで誰か住んでいたら、それこそホラーですな。そんなことはどうでもいいことで・・・何よりこの緑、ステキすぎるでしょう。で、視線を下に動かしますと・・・
コレですから・・・もう素晴しすぎて・・・暫しウットリです。
傍らの棚には本が無造作に積まれていたのですが、いちばん上がコレ・・・ある意味出来すぎだろ(笑)
向こう側に出てみました。うわ・・・こっちも酷い。トタンの錆っぷり・・・階段の露出っぷり・・・ぷりぷり祭りだあ!!申し訳ない、ちょっと興奮しすぎておかしくなっております。
少し冷静になりましょう。昭和館には食堂も併設されていたということなのでしょうか。ちなみに松緑は前述の笹目宗兵衛商店さんところの銘柄です。で、向かい合う三角屋根の建物に視線を移しますと・・・
またまた衝撃の光景が・・・半端じゃない崩壊っぷりはもちろんなのですが、お分かりになります???奥の引き戸に『ゆ』の文字、横の脱衣棚、転倒寸前の体重計・・・なんと、やっぱりお風呂屋さんだったのです。昭和館がらみということなのか、貼られているブロマイド?は日本の女優さんみたい。屋号は何だったのでしょう、やっぱり昭和湯???奥がものすごく気になりますが、拙ブログはあくまでも遊里跡探索が主旨・・・廃墟探索サイトではございません。本人もとんでもないヘタレでございます。というか、廃墟関係の猛者でも此処は危険すぎますよね。一応忠告はしましたぞ。
壁にぶら下がるブーツ、その奥には円形の造作の痕跡・・・猟奇的なものを感じさせる光景・・・。
最後に半開きになった扉の奥にカメラだけを突っ込んでみました。これが昭和館の内部・・・格天井になっているのが分かるでしょうか。客席は残っておらず、ヨレヨレのスクリーンの白さだけが妙に目に残りました。よくよく考えてみましたら、映画館、銭湯、食堂・・・往時は一大レジャー施設的なものだったのではないかと・・・。
おそらく次回はこの光景を見ることはできないのでしょうね・・・。
前半はここまで。なんだか廃墟巡りみたいなレポになってしまいましたね。山乃荘さん、昭和館さんですが、実際に訪れて何かトラブルに遭っても拙ブログは一切関知しませんのであしからず。重ねて忠告しておきますぞ。後半でも引き続きお日様と競争しながら、もしかするとマイブーム物件かもしれないというものを探してセカセカ歩き回ります。