質草がバブルで止まったまま・謎ばかりの色街跡?の現在・駐車場の片隅にあるもの
黒ずんだ板塀の先に崩れかけた瓦屋根が見えてきた・・・。
再々訪編としましたが、足利は結構ちょくちょく訪れているのです。まあ、ついでといった感じですが・・・。東京からJR両毛線沿いの町を訪れる際、大抵はJR宇都宮線の久喜駅で東武伊勢崎線に乗り換え足利市駅で下車、徒歩で渡良瀬川を渡って対岸の足利駅に出るというのがいちばん早いわけ。乗り換えの合間を利用して駅周辺をちょこっとブラブラすることはありましたが、ちゃんとしたブラブラとなると四年ぶりになるでしょうか。たまたま気付いたのが、町の西側ってどうなっているんだろうということ。試しに地図を眺めてみるとこれが結構面白そう、ちょっと行ってみるか・・・そんな感じで始まる再々訪編。気になる町の西側の一画を訪れた後、ジワジワと区画整理という魔の手が伸びる謎の色街跡とされる界隈の現在も確認してきました。
註)初回と前回はコチラとコチラ、先にご覧になったほうが分かりやすいかと。
前書きのとおり、東武伊勢崎線の足利市駅で下車。いつもは緑のアーチが三つ続く中橋を渡るのですが、今回は眺めるだけ。土手沿いに上流を目指します。
すぐに見えてくるのが渡良瀬橋、ピンとくるのは今やオッサン世代となってしまいました。
対岸の橋の袂までは行ったことがあるのですが、フルで渡るのは今回が初めて。夕日じゃなくてすまぬ。
渡良瀬橋を渡り切るとすぐに見えてくるのがホクシンケン食堂さん、これが素晴らしい佇まいなわけ。後で知ったのですが、なんでも足利最古の食堂なんだとか。ショウガ焼肉が妙に気になる、次回は是非とも寄りたいものです。
その先で両毛線を渡ります。足利駅へは右ですが、今回は左へ。
由来は不明ですが、地元でトンネル通りと呼ばれている通りの高架を潜った先にあるのが、不思議な洋館の谷医院さん。昭和3年(1928)に建てられたそうです。
コチラは初回の時に訪れております。アーチ風の装飾に囲まれた窓が並ぶ外壁、紅葉したアイビーが綺麗。庭木も独特、シュロにソテツにバナナ?なぜか南国風、しかしシックリ馴染んでいるのが面白い。
コッチ側から見るのは初めてだ。裏側にも窓がありました。
谷医院さんの隣、広々とした駐車場の向こうに、積み重なる屋根が美しい数奇屋造りがあります。
料亭の相州楼さん、明治期から120年続く老舗だそうです。手前のRC造は旅館部分かな。
今回の探索の切欠となったのがコチラになります。HPを見ましたら、昔の写真とともに芸妓さんのことが記されてありました。やはりいらっしゃいました、足利の花街の様子については次回にでも。
大好物の擬木を発見、板を模しているわけです。コレ、相州楼さんの塀の一部なのですが、なぜか此処だけが擬木になっているわけ。向かいには一面アイビーに覆われた橙の三角屋根が可愛らしい洋館があります。
横から見ると洋館付住宅だということが分かります。
その先にはリブ状の装飾が残る袖蔵付の看板建築。ブロック塀にはいけばな・茶道教室の表示。煎茶に流派があるなんて知りませんでした。
此処にきて天候が急変、降らないといいけど・・・。
適当にブラブラしながら両毛線側に入ると、冒頭画像の崩れかけの瓦屋根が見えてきます。
何だろうと思いながら回り込むと正体判明、なんと古びた長屋だったというわけ。
てっきり廃屋かと思ったら一部は現役でしたか、これは失礼致しました。奥のキノコみたいな木と一緒に。
昭和な光景がいっぱい見られる足利ですが、その最たるものだとちょっと感動。
線路際に建つ一軒家、脇の路地を抜けますと・・・
いきなり舗装が物凄い色に・・・原因は両側の鉄工所。なんだか踏むのが恐いのですが(笑)
舗装に加え建物も塀も、おまけに紅葉した木も、似たような色彩で統一されているわけ。ハンガーはよく分からない・・・。
緑町を貫く県道40号線に出るとこんな洋館が・・・とんかつの大吉さんとのことなのですが、お店は近代建築???元々は繊維業で財を成した大吉氏の別邸だというのですが、素性がよく分からない謎の建物なのです。
駅方面に戻る脇道に入りますと、トタンにデカデカと屋号が描かれたお茶屋さん。
その先、赤いトタンと鉄平石に縁取られたお宅の間に入りますと・・・
兄弟のような石蔵がありましたよ。
路地を抜けると足利の町を東西に貫く県道67号線に出ます。通り沿いに建つオモチャのお城みたいなライオン堂さんにはビックリ。
お店の後ろに巨大な『九・一そば』、つなぎの小麦粉ニに対してそば粉八の『ニ八そば』はよく聞ますが、それでいくとコチラは小麦粉九にそば粉一・・・うどんかよ(笑)もちろんその逆ですのでご安心を、第一立花さんという明治12年(1879)創業、老舗のそば屋でした。
近くにあるのが以前も紹介したバルコニー付の宮殿みたいな旧木村洋服店さん。明治42年(1909)に建てられたとされています。ちょっと心配していた物件なのですが、健在を確認できて一安心。バルコニー上部に菊の御紋らしきものがあるのに初めて気付きました。
前半は此処まで、後半では色街跡とされている界隈を再訪した後、近くで興味深い一画に出会うことになるわけ。
黒ずんだ板塀の先に崩れかけた瓦屋根が見えてきた・・・。
再々訪編としましたが、足利は結構ちょくちょく訪れているのです。まあ、ついでといった感じですが・・・。東京からJR両毛線沿いの町を訪れる際、大抵はJR宇都宮線の久喜駅で東武伊勢崎線に乗り換え足利市駅で下車、徒歩で渡良瀬川を渡って対岸の足利駅に出るというのがいちばん早いわけ。乗り換えの合間を利用して駅周辺をちょこっとブラブラすることはありましたが、ちゃんとしたブラブラとなると四年ぶりになるでしょうか。たまたま気付いたのが、町の西側ってどうなっているんだろうということ。試しに地図を眺めてみるとこれが結構面白そう、ちょっと行ってみるか・・・そんな感じで始まる再々訪編。気になる町の西側の一画を訪れた後、ジワジワと区画整理という魔の手が伸びる謎の色街跡とされる界隈の現在も確認してきました。
註)初回と前回はコチラとコチラ、先にご覧になったほうが分かりやすいかと。
前書きのとおり、東武伊勢崎線の足利市駅で下車。いつもは緑のアーチが三つ続く中橋を渡るのですが、今回は眺めるだけ。土手沿いに上流を目指します。
すぐに見えてくるのが渡良瀬橋、ピンとくるのは今やオッサン世代となってしまいました。
対岸の橋の袂までは行ったことがあるのですが、フルで渡るのは今回が初めて。夕日じゃなくてすまぬ。
渡良瀬橋を渡り切るとすぐに見えてくるのがホクシンケン食堂さん、これが素晴らしい佇まいなわけ。後で知ったのですが、なんでも足利最古の食堂なんだとか。ショウガ焼肉が妙に気になる、次回は是非とも寄りたいものです。
その先で両毛線を渡ります。足利駅へは右ですが、今回は左へ。
由来は不明ですが、地元でトンネル通りと呼ばれている通りの高架を潜った先にあるのが、不思議な洋館の谷医院さん。昭和3年(1928)に建てられたそうです。
コチラは初回の時に訪れております。アーチ風の装飾に囲まれた窓が並ぶ外壁、紅葉したアイビーが綺麗。庭木も独特、シュロにソテツにバナナ?なぜか南国風、しかしシックリ馴染んでいるのが面白い。
コッチ側から見るのは初めてだ。裏側にも窓がありました。
谷医院さんの隣、広々とした駐車場の向こうに、積み重なる屋根が美しい数奇屋造りがあります。
料亭の相州楼さん、明治期から120年続く老舗だそうです。手前のRC造は旅館部分かな。
今回の探索の切欠となったのがコチラになります。HPを見ましたら、昔の写真とともに芸妓さんのことが記されてありました。やはりいらっしゃいました、足利の花街の様子については次回にでも。
大好物の擬木を発見、板を模しているわけです。コレ、相州楼さんの塀の一部なのですが、なぜか此処だけが擬木になっているわけ。向かいには一面アイビーに覆われた橙の三角屋根が可愛らしい洋館があります。
横から見ると洋館付住宅だということが分かります。
その先にはリブ状の装飾が残る袖蔵付の看板建築。ブロック塀にはいけばな・茶道教室の表示。煎茶に流派があるなんて知りませんでした。
此処にきて天候が急変、降らないといいけど・・・。
適当にブラブラしながら両毛線側に入ると、冒頭画像の崩れかけの瓦屋根が見えてきます。
何だろうと思いながら回り込むと正体判明、なんと古びた長屋だったというわけ。
てっきり廃屋かと思ったら一部は現役でしたか、これは失礼致しました。奥のキノコみたいな木と一緒に。
昭和な光景がいっぱい見られる足利ですが、その最たるものだとちょっと感動。
線路際に建つ一軒家、脇の路地を抜けますと・・・
いきなり舗装が物凄い色に・・・原因は両側の鉄工所。なんだか踏むのが恐いのですが(笑)
舗装に加え建物も塀も、おまけに紅葉した木も、似たような色彩で統一されているわけ。ハンガーはよく分からない・・・。
緑町を貫く県道40号線に出るとこんな洋館が・・・とんかつの大吉さんとのことなのですが、お店は近代建築???元々は繊維業で財を成した大吉氏の別邸だというのですが、素性がよく分からない謎の建物なのです。
駅方面に戻る脇道に入りますと、トタンにデカデカと屋号が描かれたお茶屋さん。
その先、赤いトタンと鉄平石に縁取られたお宅の間に入りますと・・・
兄弟のような石蔵がありましたよ。
路地を抜けると足利の町を東西に貫く県道67号線に出ます。通り沿いに建つオモチャのお城みたいなライオン堂さんにはビックリ。
お店の後ろに巨大な『九・一そば』、つなぎの小麦粉ニに対してそば粉八の『ニ八そば』はよく聞ますが、それでいくとコチラは小麦粉九にそば粉一・・・うどんかよ(笑)もちろんその逆ですのでご安心を、第一立花さんという明治12年(1879)創業、老舗のそば屋でした。
近くにあるのが以前も紹介したバルコニー付の宮殿みたいな旧木村洋服店さん。明治42年(1909)に建てられたとされています。ちょっと心配していた物件なのですが、健在を確認できて一安心。バルコニー上部に菊の御紋らしきものがあるのに初めて気付きました。
前半は此処まで、後半では色街跡とされている界隈を再訪した後、近くで興味深い一画に出会うことになるわけ。