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Channel: 『ぬけられます』 あちこち廓(くるわ)探索日誌
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埼玉県 川口市201303 その3

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まあとにかく、驚きましたよ。路地の奥にコレが現れたときは・・・。


 2011年に川口市に編入されたというのが鳩ヶ谷市、当時は蕨市に次いで日本で二番目に小さい市でした。川口と同じく日光御成街道(岩槻街道)の宿場町だったわけですが、平成13年(2001)に埼玉高速鉄道線が開通するまで公共の交通機関がバスしかなく、長いこと陸の孤島などと言われ続けてきたという可哀相な歴史がある町なのです。まあ、そのおかげで開発が一気に進み、辛うじて保たれていた宿場の面影も風前の灯状態・・・皮肉なことですよね。この日光御成街道、仕事や野暮用などで結構頻繁に行き来した道なのですが、言われてみれば確かに、以前はもっと趣のある家並みが残っていたような気がします。

 国道122号線の真下を行く埼玉高速鉄道線、川口元郷駅から鳩ヶ谷駅までの二駅乗っただけなにの260円!?第三セクターだから仕方ないのでしょうが、いくらなんでもボリすぎ(笑)一般的にこの国道122号線が岩槻街道と呼ばれていますが、鳩ヶ谷駅手前で分岐する県道105号線が嘗ての日光御成街道になります。まあ、この探索はその1・その2の旧川口市のレポのおまけみたいなもの・・・鳩ヶ谷に遊里があったという記述などは見つけられませんでしたし、とりあえずお気楽なブラブラ散歩的な感じで歩き出したのですが・・・あんなことになるなんて・・・。



殺風景な鳩ヶ谷駅から少し東に行くと日光御成街道・・・最初に現れるのが一見すると工場か倉庫みたいな地味な建物。実はコレ、お風呂屋さんなのです。



立派な煙突で納得、昌美浴場さんです。何時に開店とか書かれた表示が見当たらないのですが・・・。



見沼代用水を渡ります。橋の親柱の上には、なぜか子供の銅像。どこ見てるの?



その先、地元では御成坂と呼ばれる緩やかな勾配の坂道、その中ほどにスパニッシュ風の美しい洋館があります。旧船津眼科医院、昭和7年(1932)に建てられました。



鳩ヶ谷宿跡のランドマーク的な建物ですな。連続するアーチ窓を強調するように、ざっくりとした質感のグレーの二丁掛タイルが貼られています。頂部の細かい装飾に八芒星風の小窓・・・内部を見てみたいですね。



ポツリポツリといった感じですが、こういった古い商家が残っています。土蔵を従えた酒屋さん、伝統的な出桁造りです。往時のものかは分かりませんが、石畳も残っておりました。



高欄風の手摺が残る町屋、こちらは整骨院として使われているようです。



確かに風前の灯状態でしたが、街道から分岐する袋小路には面影が残っているような気がしました。石畳がいいですね。



これは残っていましたね。いつも車窓から注目していた豪壮な石蔵です。独特な縞模様、伊豆石でしょうか。



古い町並みを売りにしている観光地でよく見かけますよね、旧型ポスト。どうもああいうのはあざとくて好きになれません。でも、こういう微妙な町にあるのは大賛成(笑)この先には何も無さそうですので戻りますよ。



全身にタイルを纏った看板建築風、古いんだか新しいんだかよく分からない建物です。児童館的な使われ方をしているみたい。



近くにあったカッコイイお宅です。



来た道を戻るのも何ですので、脇道に入ってみました。そこで見つけた古びた板塀、旅館か料亭風に見えるのですが・・・その先には数軒の廃れた飲み屋さん・・・。



で、この謎のゲートが現れます。足立百不動礼所???どうやら埼玉県南部から東京都北部にかけて存在する百軒のお不動さんを巡礼するものみたい・・・そのまんまですな、説明になってない(笑)私の背後には笠間稲荷神社の小さな社と古井戸なんかもあったりして、この界隈ちょっと妙なのです。



そのまま奥へ・・・此処、入っちゃっていいの?って雰囲気ですが・・・。



あ、あった。どうやらコレが32番札所みたい。後から知ったのですが、嘗て此処には源性寺というお寺があったそうです。お寺は無くなったけど、祠だけは残されたということみたいです。



振り返ると、こんな砂利道の路地・・・これを抜ければ日光御成街道に出られそう・・・。



ン?・・・右側に何かあるぞ・・・



ヒャア!!思わず声が洩れました。こんなのがいきなり現れたら誰でも驚きますよね。辺りに漂う重苦しい空気、ただ者ではありません。



虫籠窓風のくり抜きがある塀、趣のある桟の入った窓・・・遊里跡でしたら、間違いなくと強く言い切ってしまうのですがね(笑)まあ、軽々しい発言は控えておきますよ。



分かりにくいと思いますが、塀と建物が物凄く接近しているので、塀が外壁の一部みたいになっちゃっているわけ。どうしてこんな建て方したんだろう・・・。



そのまま路地を行くと街道に出ます。右はシャッターが降りたままの蕎麦屋さん、さきほどの艶っぽい部分はこの蕎麦屋さんの建物の一部ということみたい・・・ということは・・・。



帰ってから調べてみましたら、鳩ヶ谷宿には往時で16軒の旅籠があり、この辺りに本陣があったそうです。もしかしたらこの蕎麦屋さん、元旅籠だったのではないでしょうか。そして、そこには飯盛女も・・・と妄想すると楽しいわけです。

旧川口市があまりにも収穫が無かったのですが、最後の最後で救われたといった感じでしょうか。逆転までとはいきませんが、ロスタイムに同点ゴールといった感じ?なんのこっちゃ(爆)以上、原点ともいえる川口市の探索でした。

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