文字通り池の端にあった花街・裏玄関も御利用頂けます・二日酔いと早朝の歓楽街
夜中の22:00頃、この近くを歩くと・・・ステキな出会いがあるかもしれません。
一応、都内の遊里はほぼ全て踏破したつもりですが、一向にレポが進まない・・・。なんと言いますか・・・一般的にこういったことって資料が少ないものなのですが、東京の場合は探せば様々なものが出てきちゃうわけ、要するに有りすぎて困っちゃうという状況に陥ってしまうのです。まあ、それらから参考にさせていただく記述などを選ぶのが面倒っていうのが本音なんですけどね(笑)そんな子供みたいなことも言ってはいられませんので、5月6月は『都内の遊里強化月間』と銘打ちまして、東京のそういった場所を重点的にレポしていきますよ。でも、いろいろと忙しくなりそうな雰囲気・・・途切れそうな予感がプンプンしてるんですけど・・・。
強化月間の初っ端を飾りますのは台東区上野です。多くの観光客で賑わう上野恩賜公園の不忍池、此処はどなたでもご存知ですよね。でも、池の南側の畔に、かなりの規模の花街が存在していたということを知っている方は少ないのではないでしょうか。別名『池の端』とも呼ばれたのですが、昭和初期の段階で芸妓置屋184軒、芸妓426名、料理屋約20軒、待合120軒を数えたといいます。幇間も9名いたそうですから、相当な規模だと思います。この花街の特徴といいますか、ちょっと変わったところというのが、下谷区と本郷区の区界を挟んでひろがっていたということになるでしょうか。下谷区というのは現在の台東区、本郷区は文京区と思っていただければ宜しいかと・・・タイトルには台東区とありますが、単なる便宜上でのことです。芸妓組合も二つに分かれていたそうですが、行き来は自由だったようです。よくある組合毎に競い合って仲が悪いということはなかったみたいですね。
地図をご覧ください。上が下谷区、下が本郷区です。この地図は1950年代のものですので既に台東区・文京区に変わっておりますが、町名は古いままみたいですので、これを使わせていただきました。不忍池の下、下谷区の池ノ端仲町、数奇屋町・・・本郷区の湯島同朋町、湯島天神町三丁目・・・この界隈が嘗ての花街だったようです。現在の地下鉄上野広小路駅と湯島駅を結ぶ春日通り、その両側に花街がひろがっていたということになりますね。往時の様子は『全国花街めぐり』にお願いすると致しましょう。
『池の端の夜の灯 今は山下を電車が通るやうになつて幾分殺風景にはなつたが、それでも公園入口の池に面した徙崖や、静養軒辺りから見おろした夜の光景―――不忍池の向ふ端に料理待合の軒燈がズラリと一列にならんで、それが池の水にうつる風景は、東京の花街でもちよつと他には類のないなまめかしさを見せていゐる。蓮の花咲く不忍池を抱こんで居る点が何と言つても此の里の生命で、左に弥生ヶ丘、右に東叡山といふ眺望もひとり池の端の待合のみが誇りとする所である、殊に老木に富んだ上野公園のこんもりとした大きな森は四方の風景を一際引き立ててゐる。春は、丘上一面あいたいする花雲に覆はれ、夏は池の面一ぱいに紅蓮白蓮でうつくしく色どられる。秋の月、冬の雪景、とりどりに趣きがあつて、甍の海の東京の真ン中にどうしてこんな処があるかと、まア大袈裟にいへばそれ位に誉めてもいいところ・・・』
珍しい、いつも辛辣なのにベタ誉めですな(笑)この花街、上村敏彦著『東京 花街・粋な街』によりますと、由来がいまいちはっきりしないそうですが、一帯は古くから江戸庶民のお手軽な観光地・・・その一言で済んでしまうような気がするのは早計でしょうか。東京の遊里はほとんどがそうですが、此処も東京大空襲で灰燼に帰してしまいます。戦後になって復活しますが、昭和30年代に入りますと、一気に歓楽街へと変貌していくことになります。そして昭和50年代には見番もなくなり、江戸時代から続いた花街は消え失せてしまうのでした。
現在の界隈は、膨大な数の飲食店の中にラブホやソープ、各種風俗店が点在する雑多な歓楽街・・・その中に花街の残り香を探し出すのは容易ではないわけです。でも、こういう場所って遊里ウンヌン関係なく、ただフラフラするだけで面白い光景を発見できるから楽しいですよね。実際のレポもそういうことになっております(笑)都合三度訪れております。去年の二度目はちょっと特殊な状況ですが・・・それにつきましてはレポの中で説明させていただきます。
註)各画像のキャプションに付けられた☆は2009年5月、★は2012年10月、◆は2013年5月に撮影されたことを示しています。
◆上野駅公園口改札を出ると警視庁の機動隊員がいっぱい・・・???と思いながら坂を下っていくと、前方に街宣車の長蛇の列・・・そうか、今日は憲法記念日でしたか。まあ、彼らに関しては肯定も否定もしませんが、人様に迷惑かけるなと・・・とにかく、うるせー!!中央通りの手前に白の仮囲いが見えますが、あそこに建っていたのが・・・
☆上野松竹デパート、向かいを走る京浜東北線からも見える3階の囲碁センターが有名でしたね。いつもお爺ちゃんたちでいっぱいでした。4年前のこの時点で解体が決まっており、中の階段を登ってみましたが、囲碁センターは既に閉鎖されておりました。
☆こういうのも上野らしい光景なのかなと思ったのですが・・・。
◆街宣車の凄まじい音量に追い立てられるようにして不忍池へ・・・池の手前にあるのがハッテン場として有名な上野オークラ劇場。奥に新館があるっていうのは知らなかった。それにしても彼等・・・この場合は彼女等?って、どうしてこういう処に集うのでしょうね。考えてみると、上野公園って昔からそういう処として有名だったらしい・・・まあ、隠れられる場所いっぱいありそうだものなあ・・・そうそう、上野駅構内にも有名な便所がありますよね。私はまだ利用したことありませんが・・・あ、もちろん用を足すためですぞ(笑)
◆扉に貼られていた女優さんたちの指名手配書・・・罪状に爆笑!!巨乳柔乳不法所持、美乳準備集合罪、美乳開帳常習犯、映像による誘惑罪等々・・・なんという重罪、これは危険だ。しかも再犯注意だとぉ?・・・どんどん再犯しちゃってくださ〜い(笑)
☆不忍池に出ました。奥のタワーマンションの隣にクレーンが見えますが、嘗てあそこに建っていたのが、菊竹清訓が設計したソフィテル東京ことホテルCOSIMA。中央のコアから枝のように客室部分が跳ね出しているというダイナミックな構造のメタボリズム建築でした。平成6年(1994)に竣工ということは、おそらく計画が始まったのはバブルの最中だったと思われます。その特異な姿から景観論争も巻き起こったのですが、営業不振により平成18年(2006)に廃業・・・そして解体。世の中に存在していたのはたった12年・・・100m超の高層ビルで、日本で初めて解体されたという不名誉な記録が残ってしまった建物になります。菊竹先生も一昨年の暮れに亡くなられてしまいました。晩期のコレや江戸東京博物館は評判悪かったですけど、初期のスカイハウスや東光園とかは大好きでしたよ。ソレの写真、何処かにあるはずなんだけど見つからない・・・。
◆そして現在・・・ソフィテル東京があった場所には、ほぼ同じ高さのタワーマンションが建設されています。それ以外にもこんなに・・・。通りかかったおチビちゃんが一言「あの高いの邪魔だよね〜」全く仰るとおりです・・・。
◆この辺りが花街跡の西端になるでしょうか・・・何か繋がりのあるものかはわかりませんが、こんな純和風のお宅があったりします。その背後に続いているのはラブホ・・・現代の東京らしい光景ですよね。
☆花街跡の西の外れにあるのが有名な旧岩崎邸。明治29年(1896)竣工、設計はジョサイア・コンドル、国の重文です。此処はアサッリ済ませますよ。
☆なぜかというと、見学者が多すぎたから・・・当日は1階のホールで演奏会も開催されていてゆっくり見学できませんでした。
☆・・・というのを気に入った写真が撮れなかった理由にしているわけ(笑)で、今回再訪してみると、耐震補強工事が始まっており、建物の1/3くらいに足場が・・・。
☆このバルコニーは気持ちいいですよね〜。
☆塔のある玄関廻りに比べて、芝生の広大な庭に面したこっち側、妙にプロポーションが悪いように見えるんだよなあ。
☆工事が終わったらまた来ます。
◆いつも気になるのが旧岩崎邸の南側、立ち塞がるようにして建つこのマンション。湯島ハイタウンというそうで、たぶん賃貸物件だと思いますが、怖いくらいの圧迫感・・・外壁に規則正しく並んだエアコンの屋外機も怖い・・・。
☆花街跡に戻って参りました。不忍通りから一本入ったところにあるのがレトロな境屋酒店さん。詳細は不明ですが、おそらく建てられたのは昭和初期ぐらいではないでしょうか。横に連続する出窓はモダンなのに、全体の構成はアールデコという不思議な建物です。テラコッタや洋瓦などに拘りが感じられますね。で、この建物、去年再訪すると全面に足場が・・・嗚呼、ついに壊されちゃうかと思っていましたら・・・
◆あらあら、ずいぶんと垢抜けちゃって(笑)思わず笑っちゃいましたが、これはねえよなあ・・・ちょっとガッカリです。
☆近くにあるのが昭和5年(1930)に建てられた黒沢ビルさん。当時はどういった用途だったのかはわかりませんが、現在は眼科医院と歯科医院が入居しています。ラチス梁のモダンなキャノピーはオリジナルでしょうか、玄関の欄間には美しいステングラスが使われています。屋上に生えた大木が目印です。
☆向かいの中華料理店の軒下で、人懐っこいニャンコに出会いました。
☆この日は5月とはいえ、真夏みたいな陽射し・・・シバワンコとポメ、早くもバテ気味です。
☆またニャンコで申し訳ない。老舗のとんかつ屋千代本さん横の路地にて・・・それにしてもおまえらくつろぎすぎ。
☆そうこうしているうちに木戸の奥からもう一匹現れた。そしていきなり大股開きの淫らな格好(笑)突当りにある大人のサロンの兄ちゃんが、コイツなにやってんだって表情で見ていたっけ。
◆そして今回平成25年・・・4年ぶり、感動の再会だというのに、相変わらずのマイペースぶりに安心したよ。黒の子は何処に行っちゃったんだい???
◆そしてこのノビである(笑)この子、ストリートビューにも写っていて、また大笑い。
◆春日通りから分かれる路地、その突当りに現在の界隈を象徴するような物件が残っています。
◆旅荘なみき亭さん・・・微妙な虫籠窓に軒燈、高欄風手摺、もしかすると前身は待合だったのかもしれません。その後、旅館に転業したのかも・・・ただし旅館は旅館でも連れ込み系ですな。どうしてですって?入口脇の照明にはこうあります・・・『裏玄関も御利用下さい』
☆4年前・・・その前を、日傘をさした派手なお姉さんが通り過ぎていきました。ヒラヒラと・・・まるで原色の蝶々みたい・・・。
◆言われたとおり裏玄関利用してみました。もちろん開きませんでしたけど・・・現在は廃屋状態みたいです。あ、マイブームの物干し台も発見です。
◆この界隈、遺構かもしれない物件はコレ一軒・・・寂しいですね。
◆周辺にはこんな感じのお店だらけ、これはこれで素晴しいとは思いますが・・・ねえ・・・。
◆男爵でまず思いついたのが、オークラ劇場・・・それ系のお店でしょうか。長いことやっていないようでした。
◆タワーパーキングの足元に佇むいい感じの焼き鳥屋とおでん屋です。
◆中央通りに抜ける手前の路地にあったコインロッカー(笑)まあ、笑っている私も撮られているんですけどね。
◆広小路の交差点にある虎屋さん、年がら年中閉店セールをやっているお店といった感じでしょうか。安い・・・安いんだけど、欲しいものが全然ない・・・。そのまま春日通りの南を並行する通りへ、この辺りが花街跡の南端にあたるようです。
☆そこ見つけたはずのこちら・・・実は記憶が曖昧でよく覚えていないのです。確かこの辺りだったはずなんだけど・・・お宅なのかお店なのかそれさえも・・・試しに検索したらすぐに判明、インターネットって素晴しい。和食のお店だそうです。この時(4年前)は『湯島121』という屋号でしたが、現在は『くろぎ』に変わっているそうです。実は知る人ぞ知る名店なんだそうで、此処の大将、アイアンシェフこと道場六三郎と対決したこともあるとか・・・そういった番組全く見なくなりましたので何のことやらって感じですが(笑)夜は予約必須らしいですが、ランチは1000円程度でいただけるとか・・・まあ、そんなことより肝心なのは建物、リフォームされたようですが、元は置屋ではないかと妄想させていただきました。物干し台の手摺に転用されているのは彫刻欄間ですね。
☆こちらも遺構の一つと言ってしまっても宜しいかと思われます。三味線や琴、和楽器を専門に扱うお店です。その戸袋には撥(ばち)です。お店は退役されてしまったようでしたが・・・。
◆向かいには『東京 花街・粋な街』に載っていたお宅?が残っておりました。塀の向こうには離れなどが点在しているようです。こちらも遺構なのでしょうか。
以上が、『池の端』のレポになりますが、此処からが特殊な状況下で行なった去年のレポになります。その特殊な状況というのが、徹夜で飲んだ後の探索(笑)友人とこの界隈で飲んでいたのですが、妙に盛り上がり、気付けば朝・・・そして二日酔い、こんなに酷いの久しぶり・・・。酔い覚ましというわけではありませんが、ちょっとフラフラしていきましょう。時刻は午前6:30です・・・。
★たまたま神奈川県に探索に行った帰りに寄ったのでカメラを持っていたというわけ。まずはなみき亭さんから、まあ早朝だからといって此処は変化ありませんよね。実は前夜、友人と会う前にこの周辺をブラブラしていたときのことです。此処のすぐ近くの路地の暗闇で『たちんぼ』さんに声をかけられました。口調からして日本人ではないと思います。最近では新宿と鶯谷で見かけましたが、まだいるんですねえ。もちろん着いて行きませんぞ、私は飲みに来たの(笑)
★見覚えありますよね。こんなところ定点観測してどうする・・・。
★早朝の歓楽街って好きなんですよね。祭りの後みたいな感じが・・・。
★不忍池ではどなたか存じませんが、アーティストの作品が浮かんでおりました。ウーム、よくわからん・・・そんなことより、頭がガンガンする・・・。
★そりゃ、池の鴨もまだおネムだよね。
今度が本当(笑)以上で『池の端』のレポはオシマイ。次回は今回の目と鼻の先、湯島天神前に存在した花街の痕跡を探します。で、そのまま御茶ノ水を目指して南に向かうつもりです。
夜中の22:00頃、この近くを歩くと・・・ステキな出会いがあるかもしれません。
一応、都内の遊里はほぼ全て踏破したつもりですが、一向にレポが進まない・・・。なんと言いますか・・・一般的にこういったことって資料が少ないものなのですが、東京の場合は探せば様々なものが出てきちゃうわけ、要するに有りすぎて困っちゃうという状況に陥ってしまうのです。まあ、それらから参考にさせていただく記述などを選ぶのが面倒っていうのが本音なんですけどね(笑)そんな子供みたいなことも言ってはいられませんので、5月6月は『都内の遊里強化月間』と銘打ちまして、東京のそういった場所を重点的にレポしていきますよ。でも、いろいろと忙しくなりそうな雰囲気・・・途切れそうな予感がプンプンしてるんですけど・・・。
強化月間の初っ端を飾りますのは台東区上野です。多くの観光客で賑わう上野恩賜公園の不忍池、此処はどなたでもご存知ですよね。でも、池の南側の畔に、かなりの規模の花街が存在していたということを知っている方は少ないのではないでしょうか。別名『池の端』とも呼ばれたのですが、昭和初期の段階で芸妓置屋184軒、芸妓426名、料理屋約20軒、待合120軒を数えたといいます。幇間も9名いたそうですから、相当な規模だと思います。この花街の特徴といいますか、ちょっと変わったところというのが、下谷区と本郷区の区界を挟んでひろがっていたということになるでしょうか。下谷区というのは現在の台東区、本郷区は文京区と思っていただければ宜しいかと・・・タイトルには台東区とありますが、単なる便宜上でのことです。芸妓組合も二つに分かれていたそうですが、行き来は自由だったようです。よくある組合毎に競い合って仲が悪いということはなかったみたいですね。
地図をご覧ください。上が下谷区、下が本郷区です。この地図は1950年代のものですので既に台東区・文京区に変わっておりますが、町名は古いままみたいですので、これを使わせていただきました。不忍池の下、下谷区の池ノ端仲町、数奇屋町・・・本郷区の湯島同朋町、湯島天神町三丁目・・・この界隈が嘗ての花街だったようです。現在の地下鉄上野広小路駅と湯島駅を結ぶ春日通り、その両側に花街がひろがっていたということになりますね。往時の様子は『全国花街めぐり』にお願いすると致しましょう。
『池の端の夜の灯 今は山下を電車が通るやうになつて幾分殺風景にはなつたが、それでも公園入口の池に面した徙崖や、静養軒辺りから見おろした夜の光景―――不忍池の向ふ端に料理待合の軒燈がズラリと一列にならんで、それが池の水にうつる風景は、東京の花街でもちよつと他には類のないなまめかしさを見せていゐる。蓮の花咲く不忍池を抱こんで居る点が何と言つても此の里の生命で、左に弥生ヶ丘、右に東叡山といふ眺望もひとり池の端の待合のみが誇りとする所である、殊に老木に富んだ上野公園のこんもりとした大きな森は四方の風景を一際引き立ててゐる。春は、丘上一面あいたいする花雲に覆はれ、夏は池の面一ぱいに紅蓮白蓮でうつくしく色どられる。秋の月、冬の雪景、とりどりに趣きがあつて、甍の海の東京の真ン中にどうしてこんな処があるかと、まア大袈裟にいへばそれ位に誉めてもいいところ・・・』
珍しい、いつも辛辣なのにベタ誉めですな(笑)この花街、上村敏彦著『東京 花街・粋な街』によりますと、由来がいまいちはっきりしないそうですが、一帯は古くから江戸庶民のお手軽な観光地・・・その一言で済んでしまうような気がするのは早計でしょうか。東京の遊里はほとんどがそうですが、此処も東京大空襲で灰燼に帰してしまいます。戦後になって復活しますが、昭和30年代に入りますと、一気に歓楽街へと変貌していくことになります。そして昭和50年代には見番もなくなり、江戸時代から続いた花街は消え失せてしまうのでした。
現在の界隈は、膨大な数の飲食店の中にラブホやソープ、各種風俗店が点在する雑多な歓楽街・・・その中に花街の残り香を探し出すのは容易ではないわけです。でも、こういう場所って遊里ウンヌン関係なく、ただフラフラするだけで面白い光景を発見できるから楽しいですよね。実際のレポもそういうことになっております(笑)都合三度訪れております。去年の二度目はちょっと特殊な状況ですが・・・それにつきましてはレポの中で説明させていただきます。
註)各画像のキャプションに付けられた☆は2009年5月、★は2012年10月、◆は2013年5月に撮影されたことを示しています。
◆上野駅公園口改札を出ると警視庁の機動隊員がいっぱい・・・???と思いながら坂を下っていくと、前方に街宣車の長蛇の列・・・そうか、今日は憲法記念日でしたか。まあ、彼らに関しては肯定も否定もしませんが、人様に迷惑かけるなと・・・とにかく、うるせー!!中央通りの手前に白の仮囲いが見えますが、あそこに建っていたのが・・・
☆上野松竹デパート、向かいを走る京浜東北線からも見える3階の囲碁センターが有名でしたね。いつもお爺ちゃんたちでいっぱいでした。4年前のこの時点で解体が決まっており、中の階段を登ってみましたが、囲碁センターは既に閉鎖されておりました。
☆こういうのも上野らしい光景なのかなと思ったのですが・・・。
◆街宣車の凄まじい音量に追い立てられるようにして不忍池へ・・・池の手前にあるのがハッテン場として有名な上野オークラ劇場。奥に新館があるっていうのは知らなかった。それにしても彼等・・・この場合は彼女等?って、どうしてこういう処に集うのでしょうね。考えてみると、上野公園って昔からそういう処として有名だったらしい・・・まあ、隠れられる場所いっぱいありそうだものなあ・・・そうそう、上野駅構内にも有名な便所がありますよね。私はまだ利用したことありませんが・・・あ、もちろん用を足すためですぞ(笑)
◆扉に貼られていた女優さんたちの指名手配書・・・罪状に爆笑!!巨乳柔乳不法所持、美乳準備集合罪、美乳開帳常習犯、映像による誘惑罪等々・・・なんという重罪、これは危険だ。しかも再犯注意だとぉ?・・・どんどん再犯しちゃってくださ〜い(笑)
☆不忍池に出ました。奥のタワーマンションの隣にクレーンが見えますが、嘗てあそこに建っていたのが、菊竹清訓が設計したソフィテル東京ことホテルCOSIMA。中央のコアから枝のように客室部分が跳ね出しているというダイナミックな構造のメタボリズム建築でした。平成6年(1994)に竣工ということは、おそらく計画が始まったのはバブルの最中だったと思われます。その特異な姿から景観論争も巻き起こったのですが、営業不振により平成18年(2006)に廃業・・・そして解体。世の中に存在していたのはたった12年・・・100m超の高層ビルで、日本で初めて解体されたという不名誉な記録が残ってしまった建物になります。菊竹先生も一昨年の暮れに亡くなられてしまいました。晩期のコレや江戸東京博物館は評判悪かったですけど、初期のスカイハウスや東光園とかは大好きでしたよ。ソレの写真、何処かにあるはずなんだけど見つからない・・・。
◆そして現在・・・ソフィテル東京があった場所には、ほぼ同じ高さのタワーマンションが建設されています。それ以外にもこんなに・・・。通りかかったおチビちゃんが一言「あの高いの邪魔だよね〜」全く仰るとおりです・・・。
◆この辺りが花街跡の西端になるでしょうか・・・何か繋がりのあるものかはわかりませんが、こんな純和風のお宅があったりします。その背後に続いているのはラブホ・・・現代の東京らしい光景ですよね。
☆花街跡の西の外れにあるのが有名な旧岩崎邸。明治29年(1896)竣工、設計はジョサイア・コンドル、国の重文です。此処はアサッリ済ませますよ。
☆なぜかというと、見学者が多すぎたから・・・当日は1階のホールで演奏会も開催されていてゆっくり見学できませんでした。
☆・・・というのを気に入った写真が撮れなかった理由にしているわけ(笑)で、今回再訪してみると、耐震補強工事が始まっており、建物の1/3くらいに足場が・・・。
☆このバルコニーは気持ちいいですよね〜。
☆塔のある玄関廻りに比べて、芝生の広大な庭に面したこっち側、妙にプロポーションが悪いように見えるんだよなあ。
☆工事が終わったらまた来ます。
◆いつも気になるのが旧岩崎邸の南側、立ち塞がるようにして建つこのマンション。湯島ハイタウンというそうで、たぶん賃貸物件だと思いますが、怖いくらいの圧迫感・・・外壁に規則正しく並んだエアコンの屋外機も怖い・・・。
☆花街跡に戻って参りました。不忍通りから一本入ったところにあるのがレトロな境屋酒店さん。詳細は不明ですが、おそらく建てられたのは昭和初期ぐらいではないでしょうか。横に連続する出窓はモダンなのに、全体の構成はアールデコという不思議な建物です。テラコッタや洋瓦などに拘りが感じられますね。で、この建物、去年再訪すると全面に足場が・・・嗚呼、ついに壊されちゃうかと思っていましたら・・・
◆あらあら、ずいぶんと垢抜けちゃって(笑)思わず笑っちゃいましたが、これはねえよなあ・・・ちょっとガッカリです。
☆近くにあるのが昭和5年(1930)に建てられた黒沢ビルさん。当時はどういった用途だったのかはわかりませんが、現在は眼科医院と歯科医院が入居しています。ラチス梁のモダンなキャノピーはオリジナルでしょうか、玄関の欄間には美しいステングラスが使われています。屋上に生えた大木が目印です。
☆向かいの中華料理店の軒下で、人懐っこいニャンコに出会いました。
☆この日は5月とはいえ、真夏みたいな陽射し・・・シバワンコとポメ、早くもバテ気味です。
☆またニャンコで申し訳ない。老舗のとんかつ屋千代本さん横の路地にて・・・それにしてもおまえらくつろぎすぎ。
☆そうこうしているうちに木戸の奥からもう一匹現れた。そしていきなり大股開きの淫らな格好(笑)突当りにある大人のサロンの兄ちゃんが、コイツなにやってんだって表情で見ていたっけ。
◆そして今回平成25年・・・4年ぶり、感動の再会だというのに、相変わらずのマイペースぶりに安心したよ。黒の子は何処に行っちゃったんだい???
◆そしてこのノビである(笑)この子、ストリートビューにも写っていて、また大笑い。
◆春日通りから分かれる路地、その突当りに現在の界隈を象徴するような物件が残っています。
◆旅荘なみき亭さん・・・微妙な虫籠窓に軒燈、高欄風手摺、もしかすると前身は待合だったのかもしれません。その後、旅館に転業したのかも・・・ただし旅館は旅館でも連れ込み系ですな。どうしてですって?入口脇の照明にはこうあります・・・『裏玄関も御利用下さい』
☆4年前・・・その前を、日傘をさした派手なお姉さんが通り過ぎていきました。ヒラヒラと・・・まるで原色の蝶々みたい・・・。
◆言われたとおり裏玄関利用してみました。もちろん開きませんでしたけど・・・現在は廃屋状態みたいです。あ、マイブームの物干し台も発見です。
◆この界隈、遺構かもしれない物件はコレ一軒・・・寂しいですね。
◆周辺にはこんな感じのお店だらけ、これはこれで素晴しいとは思いますが・・・ねえ・・・。
◆男爵でまず思いついたのが、オークラ劇場・・・それ系のお店でしょうか。長いことやっていないようでした。
◆タワーパーキングの足元に佇むいい感じの焼き鳥屋とおでん屋です。
◆中央通りに抜ける手前の路地にあったコインロッカー(笑)まあ、笑っている私も撮られているんですけどね。
◆広小路の交差点にある虎屋さん、年がら年中閉店セールをやっているお店といった感じでしょうか。安い・・・安いんだけど、欲しいものが全然ない・・・。そのまま春日通りの南を並行する通りへ、この辺りが花街跡の南端にあたるようです。
☆そこ見つけたはずのこちら・・・実は記憶が曖昧でよく覚えていないのです。確かこの辺りだったはずなんだけど・・・お宅なのかお店なのかそれさえも・・・試しに検索したらすぐに判明、インターネットって素晴しい。和食のお店だそうです。この時(4年前)は『湯島121』という屋号でしたが、現在は『くろぎ』に変わっているそうです。実は知る人ぞ知る名店なんだそうで、此処の大将、アイアンシェフこと道場六三郎と対決したこともあるとか・・・そういった番組全く見なくなりましたので何のことやらって感じですが(笑)夜は予約必須らしいですが、ランチは1000円程度でいただけるとか・・・まあ、そんなことより肝心なのは建物、リフォームされたようですが、元は置屋ではないかと妄想させていただきました。物干し台の手摺に転用されているのは彫刻欄間ですね。
☆こちらも遺構の一つと言ってしまっても宜しいかと思われます。三味線や琴、和楽器を専門に扱うお店です。その戸袋には撥(ばち)です。お店は退役されてしまったようでしたが・・・。
◆向かいには『東京 花街・粋な街』に載っていたお宅?が残っておりました。塀の向こうには離れなどが点在しているようです。こちらも遺構なのでしょうか。
以上が、『池の端』のレポになりますが、此処からが特殊な状況下で行なった去年のレポになります。その特殊な状況というのが、徹夜で飲んだ後の探索(笑)友人とこの界隈で飲んでいたのですが、妙に盛り上がり、気付けば朝・・・そして二日酔い、こんなに酷いの久しぶり・・・。酔い覚ましというわけではありませんが、ちょっとフラフラしていきましょう。時刻は午前6:30です・・・。
★たまたま神奈川県に探索に行った帰りに寄ったのでカメラを持っていたというわけ。まずはなみき亭さんから、まあ早朝だからといって此処は変化ありませんよね。実は前夜、友人と会う前にこの周辺をブラブラしていたときのことです。此処のすぐ近くの路地の暗闇で『たちんぼ』さんに声をかけられました。口調からして日本人ではないと思います。最近では新宿と鶯谷で見かけましたが、まだいるんですねえ。もちろん着いて行きませんぞ、私は飲みに来たの(笑)
★見覚えありますよね。こんなところ定点観測してどうする・・・。
★早朝の歓楽街って好きなんですよね。祭りの後みたいな感じが・・・。
★不忍池ではどなたか存じませんが、アーティストの作品が浮かんでおりました。ウーム、よくわからん・・・そんなことより、頭がガンガンする・・・。
★そりゃ、池の鴨もまだおネムだよね。
今度が本当(笑)以上で『池の端』のレポはオシマイ。次回は今回の目と鼻の先、湯島天神前に存在した花街の痕跡を探します。で、そのまま御茶ノ水を目指して南に向かうつもりです。