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Channel: 『ぬけられます』 あちこち廓(くるわ)探索日誌
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山形県 米沢市201306 その2

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中央の小さな歓楽街で見かけた光景です。


 『米澤市福田遊廓 山形県米澤市相生町に在つて、奥羽本線米澤駅で下車すれば西へ約六丁の位置に在る。旧上杉氏の城下で公園には鷹山公を奉つた上杉神社がある。鷹山公が製糸業を奨励し出して以来、米澤織の産地として天下に其の名の届かない処は無い。従つて織物の好況不況は直に遊廓にも影響する処と見て差閊えは無からう。宿場から現在の遊廓に移転したのは、明治十九年の五月で、当時は僅々五軒の同業者に過ぎなかったが、其の後漸次に増加して大正六年五月廿二日の大火災当時には既に十一軒に成つて居た。其後復興して現在営業続けて居る家は八軒あつて、娼妓は約三十五人居る。殆んどが同県下の女と少数の福島県の女とである・・・妓楼は丸喜楼、甘水楼、新芳楼、昌平楼、朝日楼、武蔵楼、住の江楼、東陽楼等がある。』

 以上は『全国遊廓案内』によるこれから向かう福田遊廓跡の昭和初期の様子になります。幸いにも相生町は現在も存在しておりまして、地図を見ますと一目瞭然、明らかに不自然な広い通りが残っているのを確認できると思います。米沢城がまだ健在の頃の古地図を見ますと、相生町の西は東寺町というお寺がズラリと並ぶ寺町でした。一方、相生町には何の表示もないのです。要するに当時は町ではなかったということになります。田畑か野原か・・・そこを新たに開発して形成された遊廓ということになるでしょうか。移転の理由は間違いなく風紀上の問題、如何わしいものは町の外れへということなのでしょう・・・まあ、何処も同じですな。



城北2丁目にも趣のある写真館があります。昭和初期に建てられたらしい相馬写真館さんです。おそらく鉄筋コンクリート造、方形屋根にオシャレなツートンカラー、△の小庇が面白いですね。『成人式おめでとう』・・・えーと、今6月なんですけど・・・。



陶器の表札がいいですね。



近くにあるのが日本基督教団米沢教会、可愛らしい小さな教会です。年代は不明ですが、おそらくこちらも大火後に再建されたものだと思います。残念ながら外壁が大嫌いなサイディングに替えられておりました。



米沢でよく見かけたのがこの『餅店』の文字、要するに和菓子屋さんのことなのですが、『餅は餅屋』の由来はこれなんだとか・・・嘘です(爆)



その先の家具屋さんのポツ窓がカッコイイ!!



中央にやって参りました。米沢随一の歓楽街とのことなのですが・・・思いっきり寂れております。まあ、私好みではあるんですけどね。



プレスリーが目印のKENTO’Sさんの入口はコチラ。



???



コンピュータを全面に押し出しておりました(笑)



近くに米沢では珍しい飲み屋さんがビッシリ集まった一画があります。その中を水路が流れておりまして、どんな光景なのか楽しみにしていたのですが・・・。



ウーム、ちょっとどころかかなり想像と違っていた・・・残念。



夜はどんな感じになるのでしょうね。



八谷街道の手前にあった激渋の喫茶店。物凄く惹かれますが・・・此処じゃ食べられないよね、米沢牛・・・。



八谷街道に戻ってきました。あとは遊廓跡を訪ねるだけ・・・ン?何この卑猥な造形(笑)どうやらこちら米沢出身の鈴木晋という画家の私設?美術館みたい。



一部がステキな看板建築になっております。こちらも大火後に建てられたものでしょうね。



傍らを流れる水路が建物を貫通しておりました。こういうの好きなんですよね〜。



行きに渡ってきた最上川の橋の袂、右手に見える湯殿山と刻まれた石碑が遊廓跡への目印です。それにしてもどうして湯殿山???



少し行きますと・・・お分かりになります?通りの幅員が不自然にひろがっておりますね。此処が入口だと思われます。



右手の市営住宅の前には名残の桜並木が数本残っていたそうなのですが・・・何も見当たりません。



法徳寺というお寺の駐車場の向こう、反りの美しい入母屋の屋根が・・・よかった、残っていてくれました。



通りに面している部分は大幅に直されているようですが、当時はかなりの大店だったのではないでしょうか。



妻側に残る往時の面影、ほんと屋根が綺麗だなあ。額入障子もいい感じです。



戸袋には菊屋旅館、転業されたのだと思います。何も見つからなかったらどうしようと思っていましたので、これで一安心。



距離にして150mほどでしょうか、通りの巾が狭まります。その先にあった小さな神様、遊廓との繋がりは不明です。



神様よりも気になったのが、向かいのアパート福寿荘。面影が残っているような気がするのですが・・・如何でしょう。



米沢駅前に戻ってきました。さてさて、米沢牛、米沢牛♪・・・なんと、ピックアップしてあった名物牛をリーズナブルにいただけるお店は満員・・・とはいえノンビリ待ってもいられない。福島方面に戻る奥羽本線の普通列車は一日たった6本、次を逃すと4時間後・・・この奥羽本線、ほぼ山形新幹線専用になっちゃってるんですね。で、見つけたの駅前通りからちょっと外れたところにあった焼肉みよしさん、上カルビ定食をいただきました。時間があれば独り焼肉したかったのですがね。さすがは米沢牛、旨い・・・でも、こういう霜降の肉って、オッサンにはこれぐらいの量で十分だなと・・・これ以上だともたれそう思ったりして(笑)

以上、米沢の探索でした。ネットで大火のことが書かれた新聞の記事を見つけました。大正6年の大火で福田遊廓は全滅しているそうです。ですので、あの遺構と思われる元旅館はその後に建てられたということになりますね。次回は以前から気になっていた二本松をフラフラ彷徨います。この町も遊廓特有の不自然な通りが確認できるところです。それ以外の遺構が発見できるといいのですが・・・。

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