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Channel: 『ぬけられます』 あちこち廓(くるわ)探索日誌
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東京都 大田区蒲田200905・201305

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玉石タイルがある路地・駅前歓楽街の最後・アパートだらけ嘗ての二業地

◆このラブホ、今頃は存在していないかもしれません・・・。


 先日、5月6月は都内の遊里強化月間と自信満々に宣言致しました。多忙のため中断しちゃいましたので、7月もそれは継続ということでお願い致しますぞ。とりあえず偽サラリーマン生活からは脱出できましたが、忙しいのは相変わらずなんですけど・・・というか、そういったことを抜きにしてもこの常軌を逸した猛暑、探索なんて行っていられないわけです。途中でぶっ倒れること確実・・・今夏は日中の探索は諦め、夜に切り替えようかなどと検討中です。でも、夜の遊里跡ってどうなんでしょう、なんだかその周りの名残かもしれない飲み屋さんの赤提灯が気になって仕方がなかったりして(笑)ともかくいきなりでしたので、身体がついていけていない方も多いかと思います。皆さんくれぐれもご自愛くださいませ。

 今回は蒲田です。JR蒲田駅前の民間ビルをそのまま使った区役所には仕事で足繁く通ったことがあります。あまり良い思い出ではありませんが(笑)上村敏彦著『東京 花街・粋な街』によりますと、大正10年(1921)に地元の宮城某という人物が八幡神社近くの所有地に芸妓屋の設置を願い出ます。その頃の蒲田は多くの大規模工場が進出、松竹キネマ蒲田撮影所が誕生といった感じで非常に賑わっていたそうです。おそらくそれ目当てだったと思うのですが、なかなか警察の許可は下りませんでした。ようやく二業地の許可が出たのが昭和2年(1927)4月のこと、東京に存在した花街としてはかなり新興の部類に入るかと思います。指定地は京急蒲田駅の南、環八通りの向こう側、現在の南蒲田二丁目になります。地図を見ますと、環八とテクノポートカマタに挟まれた一画に、往時のままと思われる整然とした区画があるのが分かるはずです。この蒲田新地と呼ばれた花街、昭和7年(1932)時点で芸妓屋24軒、待合12軒、芸妓大が70名、小が9名という記録が残っています。空襲で新地は焼失しますが、戦後になって復活します。昭和25年(1950)で料亭・待合が19軒あったそうですが、その後はゆっくりと衰退・・・いつ頃軒燈が消えたのかは不明ですが、今では遺構の類もほとんど残っていないとか・・・。

 実はこの花街よりも気になる場所があるのです。それが京急蒲田駅西口にひろがるいい感じ鄙びた歓楽街、地元では柳通りと呼ばれています。ふと思ったのですが、一大工業地帯であった蒲田、若い工員も多かったはずです。彼らが遊ぶ場所が必要・・・果たして花街で満足したでしょうか。確かな資料があるわけではないので大きな声では言えませんが、この柳通り、赤か青かは分かりませんが、嘗てそういったお店が存在した・・・という記述をネットで見かけたわけです。行ってみれば分かるのですが、確かにそんな雰囲気が感じられる場所なのです。あ、行ってみれば分かると言ってしまいましたが、この歓楽街、今はもう見られないかも・・・。去年でしたっけ、京急の高架化工事が完了しましたよね。それに伴うものだと思うのですが、この歓楽街の大部分を含む駅の西口一帯の再開発事業が始まるというのです。最後の姿を見届けようと駆けつけたのですが、結果は如何に・・・。

註)各画像のキャプションの◆は2009年5月、◇は2013年5月に撮影したことを示しています。



◇JR蒲田駅から歩き始めました。京急蒲田駅へは東口なのですが西口へ・・・気になるものが見えたものですから・・・。それがコレ、東京工科大学蒲田キャンパス、なんだかインチキ新興宗教の本部みたい・・・。



◇そのままJRの線路潜って京急蒲田駅を目指します。途中の路地を覗くと・・・なんと、成田アキラ(笑)懐かしい・・・昔、テレクラはよく見かけましたよね。こちらは所謂デートクラブ、会費を払って会員になると女性を紹介してもらえるわけ、その後は・・・まあ、大人同士なんですからご自由にということみたい。ハッ、なんでこんなことを一生懸命調べているのでしょうか・・・。



◇そのまま路地を進むと中途半端な神殿みたいなラブホが現れます。突当りは呑川です。



◇呑川沿い建つコチラ・・・1階の庇というか、コレ、シャッターケースなんですけど・・・。



◇玉石タイルがビッシリ・・・蛇の鱗みたいですね。光線の塩梅でしょうけど、ヌメッとした質感までソックリですな。



◇そうかと思えば、別の路地で見つけたビル・・・分かりにくいと思いますが、なんと外壁全部が玉石タイル貼り。こっちはブルーチーズみたい(笑)本来は床に使うタイルなんですけどね。



◇京急蒲田駅の手前にアーケードの架かった商店街が現れます。そこで見つけたのが、貸席京浜クラブ???かなり歴史があるように見えますね。嘗ては蒲田新地の芸者さんが此処まで出張されていたとか・・・と勝手に妄想させていただきました。このまま真っ直ぐ行くと駅に出ちゃいますので、適当なところで左へ・・・。



◇すると、このゲートが現れます。拙ブログ的に申しますと、所謂大門という奴ですな。



◇このコインパーキング、2台分しかないのです。



◇歓楽街と言いましたが、そこまでの妖しい雰囲気はありませんよ。飲み屋さんだけですよね、こういうテントの使い方するの、面白いなあ。



◇北側を流れる呑川沿いにも大門があります。



◇ン?あ、あれは・・・。



◇アチャー、間に合わなかった・・・。仮囲いの向こう側が再開発の範囲ということです。内側の建物は全部壊されちゃうというわけ。もちろんこのラブホも・・・。



◇この飲み屋さんは再開発の範囲からはギリギリ外れていましたが、その前からこんな状態だったみたいですね。



◆これが在りし日の姿・・・ヘルスに小料理屋、遠景にさきほどのラブホ。確かに赤か青か・・・嘗てはそういったお店が存在していたとしても不思議ではないのでは。



◆こんなカフェー風のお店もあったんですけどねえ。分かりにくいと思いますが、入口のボロボロ庇、ピンクと水色の市松模様のタイル貼りです。



◆結構良さげな雰囲気のお店があった記憶があるのです。仕方がないことなのでしょうけど、こういった場所って絶対必要だと思うんですよね・・・。



◇当然、駅に面した側もこんな状態でした。



◆右が当時は絶賛工事中だった京急の高架部分です。4年なんてあっというまですね。



◇その高架を潜って蒲田新地跡へ向かいましょう。



◇蒲田新地跡は駅から500mほど、最初に現れるのが全身サビサビトタンの小さなアパート、地図を見ていて気になったのが此処の名前。



◇一力荘っていうんです。花街跡にお似合いだと思いません?もしかすると・・・。



◇その先に嘗ての見番だったとされている建物があります。入母屋屋根の立派なものです。一見するとお風呂屋さんにも見えますね。現在は会計事務所になっています。



◆左はうなぎにてんぷら、そしてどういうわけかコスタリカ料理も食べられるという不思議なお店なんだとか(笑)この界隈、右のような出窓がいっぱいあるアパートが沢山あるのです。どうしてでしょう。



◇NTT柱に残る二業の文字。



◇元料亭か元待合か、おそらく遺構だと思われるお宅。高い塀に囲まれています。



◆かなり複雑な造りであることが分かるかと思います。



◆何処で撮ったのか全く覚えていない一枚。襖屋さん、奥に置かれた黄色のリヤカーがいい感じ。



◆『東京 花街・粋な街』で待合の雰囲気が漂うと紹介されていた建物。現在は町内会倉庫になっています。そういった雰囲気、私はあまり感じ取れませんでした。



◆とにかくこの一画アパートだらけ、明らかに花街時代には存在していたと思われるものも多数・・・もしかすると遺構をリフォームして使っているところもあるのかも知れませんね。



◇しかし、これこそが・・・と断定できるものがなかなか見つからない・・・などと思っていましたら・・・。



◇こんなのが現れて一気に脱力・・・そろそろ戻ります。



◇駅前にある大田区産業プラザPio、設計は類設計室、竣工は平成7年(1995)のいかにも金かかってんぞって公共建築、今はこういったのを建てるのは至難の業。

以上、駅前歓楽街の最後に立ち会った蒲田の探索でした。次回は大井、ISUZU本社の向かいに存在した花街跡を訪ねます。

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