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Channel: 『ぬけられます』 あちこち廓(くるわ)探索日誌
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山形県 酒田市201308(再訪編)その2

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この娘たちの踊り、見られませんでした。


 『「花の今町、もみぢの新地、すずみ臺町、かすみの出町、沖をながむる日和山」酒田名所を詠んだ庄内民謡「いざや巻」の小唄。日和山公園は市街の西北端にある高さ三十米突ばかりの砂丘で、市街の瓦鱗および最上川口から日本海を一目に見晴らして眺望頗ぶる開闊、芭蕉翁の「温海山や吹浦かけて夕すずみ」の名句も此の丘上あたりの吟かとおもはれる・・・日和山公園の下もみぢの「新地」は即ち遊廓で、門を入れば青楼庇を接し、紅燈を連ねて、昼尚ほ弦歌の声湧くがごとくなる歌吹境。が、要するにここは娼妓地帯で、市内に散在する大料理店はそれぞれ内芸妓を抱えている。芸妓の数常に百十名内外、人口二萬五六千の町であつて、人口三萬二千を擁する鶴岡市に比して五六名か十名位は多い、そこが即ち酒田の酒田たる所以で、川村端軒が此地に倉庫を建てて貢米を大阪に直輸する大廻り小廻りの航路を開いて以来、奥羽の商権を握つて繁栄した地、その繁栄振は西鶴の一代男などにも描かれて、新潟に劣らぬ「色の港」であつた・・・特有の歌踊 「おばこ節」及びこれに伴ふ踊。但し秋田市附近のや「神代おばこ」とは少し節がちがふので、私たちは「庄内おばこ」として之を区別してゐる。「おばこ此の頃見えね、風邪でも引いたかやと案ずられ、コバエテコバエテ♪ 風邪も引かねども、親達やきンびしぐで籠の鳥、コバエテコバエテ♪」「酒田荒町で、染屋のうらにて狐啼く、コバエテコバエテ♪ 狐なんと啼く、浅黄がうすとてコンと啼く。コバエテコバエテ♪」「おばこ××好きで、花染の腰巻などまくづりあげて、コバエテコバエテ♪ 人に見つけられ、ひきづり眼で引きわかれ。コバエテコバエテ♪」その他性的で露骨な歌詞が多いが、その点が野趣に富む「おばこ」の面白い点だともいへる。おばこは十七八の処女の意、「コバエテ」は「来ば好いて」の訛りらしく思われる・・・』

 『全国花街めぐり』による酒田の花街の様子になります。かなりの隆盛を誇った町ですので華やかな花柳界が存在していたようですね。その後の様子は不明ですが、おそらく日本全国に存在した花街同様、ゆっくりと衰退していったのだと思います。それの象徴ともいえるのがその1で紹介した山王くらぶになるのではないでしょうか。でも、僅かながらですが残っております。それが冒頭画像の酒田舞娘なのですが、それについてはレポの中でお話していきたいと思います。↑でおばこ節のことが書かれてありますが、神代おばこ(秋田市)、庄内おばこ(酒田市)以外にも米沢おばこというのもあるらしく、地域によってそれぞれ節も歌詞も違うみたいですね。それにしても処女なのに××好きとはこれ如何に・・・あれ?もしかして私、××のこと勘違いしている!?

註:前回のレポはコチラ、酷いものですが宜しかったらどうぞ。



日吉町のほぼ真ん中にやってきました。鮮やかなべんがら色に塗られた塀が目印なのが相馬楼さん、江戸時代から続く老舗料亭、『全国花街めぐり』にもでてくるお店です。現在の建物は庄内地震の後に建てられたもの、国の登録文化財です。まだ開館時間じゃなくて入れなかった・・・。



現在は料亭というよりも観光施設的なものになっているみたいです。酒田にゆかりが深い竹久夢二の美術館なんてものが併設されています。此処で食事をしながら鑑賞できるのが酒田舞娘の踊り、もちろん庄内おばこもレパートリーの一つとなっています。でも彼女たち、京都の所謂半玉さんとはちょっと違うみたい、置屋に所属しているわけではなく、この相馬楼さんの社員なんだそうです。舞妓ではなく舞娘と名乗っているのにもそのあたりのことがあるのかもしれませんね。でも華やかだった花柳界を伝える唯一の存在ですから頑張ってほしいものです。



隣にあるのが料亭香梅咲さん、重厚な門が目印です。嘉永7年(1854)創業、こちらは今も現役バリバリのお店です。



打ち水がされた石畳が涼しげでいいですねえ。こちら、天皇陛下をお迎えしたこともあるそうです。名店ですな。



二つの料亭の間はいい感じの路地になっております。



ここだけは涼しくて良かったのですがね・・・。



近くにあるのが久村酒屋さん、こちらも慶応3年(1867)創業の老舗。夜になると久村の酒場という名居酒屋に変身します。昨晩探していたのがこのお店、途中で面倒くさくなって止めちゃったのですが、此処にあったんだ・・・。



次に訪れたのが前回もレポした山居倉庫、酒田随一の観光名所ではないでしょうか。昨晩も訪れております・・・真っ暗で何も分からなかったけど(笑)



明治26年(1893)、酒田米穀取引所の倉庫として建てられました。現在もJAの倉庫として現役です。切妻屋根が12個連続する様は壮観ですなあ。よく見ると屋根が二重になっているのが分かるかと思います。これは断熱と通風を考慮した納まり、所謂置き屋根の一種になります。



裏手にはケヤキの巨木がズラリ、こちらは遮光と防風のためのもの。当時はエアコンなんてありませんでしたから、穀物を如何にして良い状態で保存するか・・・先人はいろいろと知恵を絞ったわけです。



町中に戻ってまいりました。二番町にあるのがその1で紹介した日本一の大地主と呼ばれた豪商本間家の旧本邸。見事な長屋門の向かいには別館お店という不思議な名前の建物。『おみせ』ではなく『おたな』と読みます。その名のとおり嘗ては本間家のお店だったそうです。



長屋門を潜って美しい白砂が敷かれたアプローチを辿っていきますと・・・こんな光景が見えてきます。



こ、これは・・・建物よりも松が気になって仕方がない。この物凄い松は樹齢400年とのこと、伏龍の松と呼ばれています。



肝心の明和5年(1768)に建てられたという旧本邸ですが・・・実は中には入りませんでした。だって入館料が700円・・・先を急ぐのでということにさせてください(笑)



次の目的地に向かう途中出会ったモダンな建物。住宅?商店?・・・正体不明でした。



国指定史跡の旧鐙屋(あぶみや)、微妙な出来の少女像がお出迎え(笑)此処、現在公開中の映画版『おしん』のロケで使われたそうです。おしんの奉公先である加賀屋という設定です。



鐙屋は酒田を代表する廻船問屋でした。建物は弘化2年(1845)に発生した大火の後に建てられたものと伝わっています。正直言ってしまうと、此処を訪れたのはとにかく涼みたかったから・・・真夏の土間ってヒンヤリしてていいですよねえ。この土間、通り庭と呼ばれており、家人のメイン動線でした。



こんな感じの座敷が10余り、通り庭に沿って並んでいます。各部の造作は至って地味でした。



さすが豪商、いいもの食ってますな(笑)



日和山公園裏の新地に移転する前に遊廓があったとされる船場町、当時の名残は全くといっていいほど残っておりません。長大な黒板塀は酒田酒造さんのもの。



ウハッ!!Hairに反応してしまう私はおかしいのでしょうか。



こちらも船場町で見つけた不思議な造りの商家?です。



松を象った造作、普通こういうのって通りに向けるものだと思うのですが・・・。



日和山公園に向かう急坂、ヒイヒイ言いながらチャリを押し登っていくと・・・ほら、見えてきた。



前回も紹介した割烹小幡さん、そのときは既に商売を辞めており廃屋状態でした。その後、看板がありますとおり映画『おくりびと』の中で、主人公モックンが再就職するNKエージェンシーのオフィスとして使われ一躍脚光を浴びることになります。私もたまたま映画館で観ており、スクリーンにコレが現れたときは驚きました。



当時のセットが残されており見学ができますよ。ファンには堪らんのではないでしょうか。まあ、他ではあまり見られない独特な建物です。ただほおっておくのは勿体無い、こういう余生も有りなのではないでしょうか。



日和山公園を下って、最上川河口の酒田港に行ってみようかな・・・。



酒田港には酒田駅から伸びる貨物引込線が枝分かれして無数に走っています。その上をディーゼル機関車がゆっくりと行ったり来たり・・・なんだか長閑な光景でした。どうもいまいち気が進まないので此処で帰ることに致します。理由?とにかく暑いから・・・中途半端なレポで申し訳ない。

以上、7年ぶりの酒田再訪編でした。何しろぶっ倒れそうになった山形市並みの暑さでしたので、このあたりでお許しくだされ。また一時間スーツケースを転がす気にもなれませんので、タクシーを呼んでもらうことにします。次回からは秋田県編、実はこれが東北遊里跡巡礼の旅のメインディッシュだったりします。かな〜り濃ゆ〜い光景もあったりするかも!?乞うご期待。

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