現地ではこれこそ!!という感じだったのですが・・・。
『秋田県遊里史』によりますと、湯沢の花柳界の歴史は古く、明治初期にまで遡るそうです。場所は平清水新町(下新地)とのこと、たぶんこれは駅からほど近い現在の表町2丁目、4丁目辺りになるのではないかと思われます。この界隈にたくさんの料理店が軒を連ね、芸妓、酌婦等80名を数えたといいます。この隆盛はその1でお話した院内銀山のおかげなのでしょう。漁師もそうなのですが、こういった鉱夫って明日をも知らない命がけの仕事ですから、遊ぶときは相当派手だったのではないでしょうか。大正13年(1924)頃で、料理屋18軒、芸妓置屋11軒、芸妓22名、舞妓6名、娼妓6名、酌婦28名という記録が残っているそうです。
これもその1でお話しましたが、酒どころの湯沢です。毎日蔵出しの芳醇な酒で酔客をもてなし喜ばれていたそうです。石川楼、千歳楼、湯沢倶楽部などでは月五石もの日本酒を消費していたといいますから驚きです。簡単に五石と言っておりますが、900リットルですからね。一日当たりでも30リットル・・・何なの、このうわばみ軍団(笑)また、上記の千歳屋にはロシア人のローラー、ドイツ人のアグネスという青い目の女性がいたというのです。ドイツ人なのにアグネスってピンとこないのですが・・・これって源氏名???現在も似たような風俗がございますが、どういった感じだったのでしょうか物凄く興味があるのですが・・・あ、そちら方面あまり詳しくありませんのであしからず。まあ、相変わらずのアホはほっといて、かなりユニークな遊里だったことは確かなようですね。
『湯澤町遊廓 秋田県湯澤町字新地にあつて、鉄道は奥羽線湯澤駅で下車する。昔は佐竹氏の支城のあつた処っで、養蚕が盛んである。遊廓は貸座敷約三軒、娼妓は約十四五人居る・・・附近には湯の平温泉がある』以上はお馴染『全国遊廓案内』による昭和初期の様子になります。貸座敷3軒ですか・・・銀山の衰退とともに遊廓もといった感じなのでしょう。地図を眺めてみますと、JR奥羽本線と並行している国道13号線の平清水交差点から線路方面に入る通りに、『秋田県遊里史』にも載っているお店があるようです。おそらくこの界隈がそれだと思うのですが、遊廓独特の町割りみたいなものは一切見られないんだよなあ・・・。
表町に向かう途中にあったお宅、奥行きがかなりあります。外壁は石貼り風の目地が切られた左官系。
欄間の上のレリーフというか鏝絵がステキ。横に増築されたような感じで作業場みたいのがありましたので、左官屋さんなのかもしれません。外壁も欄間もご自分で施工されたのかも。
その先の飲み屋さんがなかなかの佇まい。
ちょっぴりトンガリハウス風の名月さん。北陸のかぐら建てみたいな屋根の構成が面白いなあ。
角を曲がると現れるのが、シルバー食堂さん。屋号はもちろんですが、建物がカッコよすぎるぞ。
元々は飲み屋さんではなかったのかもしれませんね。看板に『正一合の店』・・・この表示、噂には聞いておりましたが、こんな処で出会うとは(笑)
脇では暑さにやられたのか、秋田犬がグデーッとのびておりました。まだ午前中なのですが、私も日陰でこうなりたい気分です。
路地を振り返るとこんな感じ、全部飲み屋関係です。
路地を抜けると国道13号線。この大通り、両側には飲み屋関係しかないわけ。遊里の名残りといえばそれまでなんですが、ほとんどが退役済みということも相まってかなり異様な光景なのです。
その大通りから奥羽本線側に入りますと、ちょっと気になる家並みが現れます。
コの字型のプラン、妓楼などでよく見かけるパターンなわけです。直されすぎていて嘗ての姿が想像できない・・・。
近くにあるのが割烹の嬉し野さん、コチラは現役っぽい。かなり歴史がある建物のように見えるのですが、変なバルコニー?を後からくっ付けたみたいでファサードがカオス状態。
空き地の向こうには美しい料亭風のお宅?古いんだか新しいんだか全く判断できない・・・この界隈、おかしな建物ばかりなんですけど・・・。
極めつけがコチラ、冒頭画像の建物になります。
妙な違和感を覚えて近付いてみますと、手摺がなんとなく洋風。たまにですが遺構で見かける意匠ですよね。
妻側にはこんな窓があったりするわけ。発見したときは興奮しましたが、今になってじっくり見てみますと、違うような気もしてきた・・・どう思われます???
国道に戻るため、トタン屋敷裏のこんな路地を辿っていきますと・・・
仕舞いにはこんな状態・・・此処通っちゃっても大丈夫なの???前方のボロボロテント庇、地図には旅館福本とあります。
路地を抜けると、しもた屋風の廃屋がひっそりと佇んでおりました。
案の定、福本さんは退役済みでした。『秋田県遊里史』には、芸妓置屋ということで福本という屋号が記されています。転業されたのかもしれません。
どんな商売をされていたのでしょうか。
国道に戻って参りました。大通り沿いは依然として飲み屋さんの墓場と化しております。
ちょっと戻ると平清水交差点、此処を右折すると平清水新町商店街です。通りに特徴的な門を構える大店があります。『秋田県遊里史』にも出てくる料亭石川さんです。
文久3年(1863)創業の老舗です。伸びやかな入母屋屋根、連続する欄間が美しい。塀の向こうには唐破風があるみたいですね。
此処で毎晩30リットルの日本酒が飲み干されていたわけですね。
唐破風が見たいと覗き込んでみましたが、鉄骨で屋根が架けられていてよく分からん・・・。
そろそろ時間切れ、別の路地を辿って駅に戻ります。
私の背後では汲み取り屋さんが作業中、そういう場所なのですね。国道を渡った先にも路地が続いているみたいです。
目の前に現れたトタンの塊に唖然・・・いや、一応は建物の体を成しているようですが、崩壊寸前ですな。
言葉も無く見上げる私・・・背後のお宅の二階窓、そんな私を、コイツ何やってんだって表情でニャンコが見おろしておりました。
駅前通りに戻って参りました。名店街・・・所謂横丁建築です。こんなのあったんだ、全く気付かなかった。
妖しげな眼差しの女性が私を見つめておりました。コチラがいちごさん???
以上で酒どころ湯沢の探索はオシマイ。あの屍累々の飲み屋さんの列、900リットルという量を考えれば何となく納得してしまった私です。次回は酒の町からヤキソバの町へ(笑)まあ、それだけじゃないんですけどね。