板金細工の展示場・忽然と現れた飲み屋街・分断された遊廓跡
これは予想外の出会い・・・草臥れ具合が素晴しすぎてウットリです。
東北遊里跡巡礼の旅も6日目、東北とは思えない異常な暑さのせいでかなり疲れが溜まってきておりますが、今日も始発列車かあ・・・。ガタゴト揺られてやってきたのが、秋田県北部、青森県と県境を接する大館市であります。町の中心は、出羽山地を源とする米代川と長木川が流れる大館盆地に位置しています。この盆地、相当古くから人々の暮らしがあったようでして、周辺には数多くの縄文時代の遺跡が発見されているそうです。江戸時代、この地を治めたのは、この東北の旅お馴染の佐竹氏。大館には佐竹西家が入城し、秋田藩の大館城下の町として繁栄していくことになります。
遊里関係はその2でお話しするとして、下調べ段階で気付いたのですが、この大館、拙ブログで取り上げるような古い町並み的なものが全くといっていいほど残っていないのです。その原因は戊辰戦争・・・秋田藩の秋田軍と盛岡藩の南部軍が争った十二所の戦いと大館城攻城戦で、大館の町は徹底的に焼き尽くされ、残ったのは町屋29軒だけだったと言い伝えられています。その後も何度も大火に襲われたそうでして、その結果、近代建築的な建物もほとんど見られないというある意味異常事態・・・。空襲の戦災に遭った町以外で、それなりに歴史のある町としてはかなり珍しい部類になるのではないでしょうか。まあ、古い町並みも近代建築もいいですけど、そこからちょこっとずれた光景や建物を特に好む人間からすると、探索しがいのある町なのかもしれません。
大館市の中心街は、奥羽本線大館駅から南へ2キロほど。どうしてこんなに離れた場所に町の名前を冠した駅があるのでしょうね。大館駅から分岐している花輪線東大館駅のほうが遊廓跡にも近いのです。しかし、花輪線は震災で大きな被害あり2011年4月に一度復旧しますが、この旅に出る二週間ほど前のゲリラ豪雨による土砂災害で再び全線不通・・・大館駅前が水浸しの湖みたいになっている画像をネットで見かけてかなり心配していたのです。果たして降り立った駅前広場、至って長閑な一地方都市の光景がひろがっておりました。
意外な発見だったのが駅前の町並み、味のある看板建築がいっぱい。
中でもお気に入りがコチラ、なんとなくカフェー的な面影があるような気がしませんか???リブ壁が当時の流行だったみたい、臭突がいいアクセントになっております。
パリの香りは皆無ですけどね(笑)
大館駅から分岐して東へ伸びる錆びた鉄路があります。旧小坂線・・・明治41年(1908)開業、遊里も含めて大館の発展に寄与してきた鉄道でしたが、平成6年(1994)に旅客営業停止。その後貨物専用線となりますが、それも平成21年(2009)をもって廃止となってしまいました。鉄関係、特に終着駅と廃線は大好物ですので大変興味があるのですが、終点の小坂まで22キロあまり・・・こりゃ無理だ。ちなみに終着駅のあった小坂にも嘗て遊廓がありました。
旧小坂線を渡って、県道2号線をトボトボとひたすら南へ・・・バスにすればよかったと後悔し始めた頃、やっと興味をひく建物が現れました。玉屋商店さん、柱型をパラペットから突出させた神殿風看板建築。くすんだ青のトタン雨戸が大変宜しい。
その先の大館橋で長木川を渡ると大館市の中心街です。この親柱、トーチカみたいですね(笑)
中心街に入っても微妙な家並みが続きますが、所々にこんなお店が見られます。こういうの好きなんですけど、新しいんだか古いんだか判断が難しいなあ。
かなり昔に店仕舞いしてしまったらしい、たぶん時計屋さん。ペントハウス状部分の時計、もちろん動いておりません。
市役所の近くに大館の中心街唯一の近代建築かもしれない櫻櫓館が・・・って、朝早くてまだ開門してないじゃん・・・またまたやっちゃった。ハイ、計画変更。今回は遊里跡だけということでお許しくだされ。
県道2号線に戻る途中、ビルとビルの間の細長い敷地に『ハチ公小径』という表示が・・・。あまり知られていませんが、ハチ公の故郷は大館なのです。コチラはどうやらイベントスペースらしいです。奥にプレハブ小屋みたいのが見えますが、一応屋台的な飲食店みたい・・・何だか中途半端な施設。ハチ公を使ってのまちおこしの一環なんでしょうけど、これじゃいかんでしょ。
県道2号線に面した金物屋さんの側面が凄いことに・・・まるで板金細工の展示場です。
亀甲、麻の葉、清海波などなど。銅板の張られた戸袋なんかで見られる日本伝統の文様ですが、コレの材料はトタン、しかも文様の一つ一つがデカイ(笑)かなりの迫力です。
四つ辻にカッコイイビルがありましたよ。いいですねえ、コレ。
70年代・・・いや、60年代といった感じでしょうか。モダンなんだか野暮ったいんだか、なんとも表現しようのない建物なのに、どうしてこんなに魅力的なのでしょう。コルビジェのロンシャンのポツ窓みたいのはオリジナル???
遊廓跡に向かうため近くの脇道へ・・・何このオモロイ造りの入口。真っ先に浮かんだ言葉が、なぜかマハラジャ(笑)そんなことより、前方に何か見えてきた・・・。
見事なまでに草臥れ果てた飲み屋街。これは正に不意打ち、下調べ段階では全く気付かなかった・・・。
すぐ先には遊廓跡があるわけでして、それを考える何となく納得の状況なのですが、この重苦しい空気・・・只者ではないとみた。
分岐するどん詰まりの路地にもお店が続いています。退役してからかなり時間が経過しているみたい、苔生しちゃってる。
車も入れないような細い路地が通りと並行しているのに気付きました。仲見世通り 裏小路!?どうやらさきほどの通りが仲見世通り、これから辿る路地が裏小路みたいです。裏手には大きなお寺が幾つか並んでいますので、これが仲見世の由来かもしれませんね。
もちろん此処もビッシリです。
簡略しすぎて青いミカンみたいになってしまったアジサイのイラストがステキ(笑)大館の飲み屋さんでよく見かけたのが左下のプレート。所謂18歳未満ウンヌンってやつなんですけど、ママさんの氏名が併記されているのがちょっと珍しいと思いました。
歯抜け状の更地越しに仲見世通りを望みます。外壁のモルタルの廃れ具合が最高レベルですな。
サビサビのブレース・・・バッテンのやつね・・・これがまたいい。
その先で裏小路は直角に曲がって仲見世通りに合流にしております。
無事仲見世通りに戻ってくることができました。
サンリオさんに許可・・・取っているわけないか・・・。
前半はここまで、試しに仲見世通りを検索してみましたら、いかにも胡散臭い掲示板がヒット。それによりますと、幾つかのお店は現役みたい、しかもステキなママさんがいらっしゃるらしいですぞ。その2では待望の遊廓跡を訪ねます。この旅、いちばんの遺構との出会いに感動させていただきました。
これは予想外の出会い・・・草臥れ具合が素晴しすぎてウットリです。
東北遊里跡巡礼の旅も6日目、東北とは思えない異常な暑さのせいでかなり疲れが溜まってきておりますが、今日も始発列車かあ・・・。ガタゴト揺られてやってきたのが、秋田県北部、青森県と県境を接する大館市であります。町の中心は、出羽山地を源とする米代川と長木川が流れる大館盆地に位置しています。この盆地、相当古くから人々の暮らしがあったようでして、周辺には数多くの縄文時代の遺跡が発見されているそうです。江戸時代、この地を治めたのは、この東北の旅お馴染の佐竹氏。大館には佐竹西家が入城し、秋田藩の大館城下の町として繁栄していくことになります。
遊里関係はその2でお話しするとして、下調べ段階で気付いたのですが、この大館、拙ブログで取り上げるような古い町並み的なものが全くといっていいほど残っていないのです。その原因は戊辰戦争・・・秋田藩の秋田軍と盛岡藩の南部軍が争った十二所の戦いと大館城攻城戦で、大館の町は徹底的に焼き尽くされ、残ったのは町屋29軒だけだったと言い伝えられています。その後も何度も大火に襲われたそうでして、その結果、近代建築的な建物もほとんど見られないというある意味異常事態・・・。空襲の戦災に遭った町以外で、それなりに歴史のある町としてはかなり珍しい部類になるのではないでしょうか。まあ、古い町並みも近代建築もいいですけど、そこからちょこっとずれた光景や建物を特に好む人間からすると、探索しがいのある町なのかもしれません。
大館市の中心街は、奥羽本線大館駅から南へ2キロほど。どうしてこんなに離れた場所に町の名前を冠した駅があるのでしょうね。大館駅から分岐している花輪線東大館駅のほうが遊廓跡にも近いのです。しかし、花輪線は震災で大きな被害あり2011年4月に一度復旧しますが、この旅に出る二週間ほど前のゲリラ豪雨による土砂災害で再び全線不通・・・大館駅前が水浸しの湖みたいになっている画像をネットで見かけてかなり心配していたのです。果たして降り立った駅前広場、至って長閑な一地方都市の光景がひろがっておりました。
意外な発見だったのが駅前の町並み、味のある看板建築がいっぱい。
中でもお気に入りがコチラ、なんとなくカフェー的な面影があるような気がしませんか???リブ壁が当時の流行だったみたい、臭突がいいアクセントになっております。
パリの香りは皆無ですけどね(笑)
大館駅から分岐して東へ伸びる錆びた鉄路があります。旧小坂線・・・明治41年(1908)開業、遊里も含めて大館の発展に寄与してきた鉄道でしたが、平成6年(1994)に旅客営業停止。その後貨物専用線となりますが、それも平成21年(2009)をもって廃止となってしまいました。鉄関係、特に終着駅と廃線は大好物ですので大変興味があるのですが、終点の小坂まで22キロあまり・・・こりゃ無理だ。ちなみに終着駅のあった小坂にも嘗て遊廓がありました。
旧小坂線を渡って、県道2号線をトボトボとひたすら南へ・・・バスにすればよかったと後悔し始めた頃、やっと興味をひく建物が現れました。玉屋商店さん、柱型をパラペットから突出させた神殿風看板建築。くすんだ青のトタン雨戸が大変宜しい。
その先の大館橋で長木川を渡ると大館市の中心街です。この親柱、トーチカみたいですね(笑)
中心街に入っても微妙な家並みが続きますが、所々にこんなお店が見られます。こういうの好きなんですけど、新しいんだか古いんだか判断が難しいなあ。
かなり昔に店仕舞いしてしまったらしい、たぶん時計屋さん。ペントハウス状部分の時計、もちろん動いておりません。
市役所の近くに大館の中心街唯一の近代建築かもしれない櫻櫓館が・・・って、朝早くてまだ開門してないじゃん・・・またまたやっちゃった。ハイ、計画変更。今回は遊里跡だけということでお許しくだされ。
県道2号線に戻る途中、ビルとビルの間の細長い敷地に『ハチ公小径』という表示が・・・。あまり知られていませんが、ハチ公の故郷は大館なのです。コチラはどうやらイベントスペースらしいです。奥にプレハブ小屋みたいのが見えますが、一応屋台的な飲食店みたい・・・何だか中途半端な施設。ハチ公を使ってのまちおこしの一環なんでしょうけど、これじゃいかんでしょ。
県道2号線に面した金物屋さんの側面が凄いことに・・・まるで板金細工の展示場です。
亀甲、麻の葉、清海波などなど。銅板の張られた戸袋なんかで見られる日本伝統の文様ですが、コレの材料はトタン、しかも文様の一つ一つがデカイ(笑)かなりの迫力です。
四つ辻にカッコイイビルがありましたよ。いいですねえ、コレ。
70年代・・・いや、60年代といった感じでしょうか。モダンなんだか野暮ったいんだか、なんとも表現しようのない建物なのに、どうしてこんなに魅力的なのでしょう。コルビジェのロンシャンのポツ窓みたいのはオリジナル???
遊廓跡に向かうため近くの脇道へ・・・何このオモロイ造りの入口。真っ先に浮かんだ言葉が、なぜかマハラジャ(笑)そんなことより、前方に何か見えてきた・・・。
見事なまでに草臥れ果てた飲み屋街。これは正に不意打ち、下調べ段階では全く気付かなかった・・・。
すぐ先には遊廓跡があるわけでして、それを考える何となく納得の状況なのですが、この重苦しい空気・・・只者ではないとみた。
分岐するどん詰まりの路地にもお店が続いています。退役してからかなり時間が経過しているみたい、苔生しちゃってる。
車も入れないような細い路地が通りと並行しているのに気付きました。仲見世通り 裏小路!?どうやらさきほどの通りが仲見世通り、これから辿る路地が裏小路みたいです。裏手には大きなお寺が幾つか並んでいますので、これが仲見世の由来かもしれませんね。
もちろん此処もビッシリです。
簡略しすぎて青いミカンみたいになってしまったアジサイのイラストがステキ(笑)大館の飲み屋さんでよく見かけたのが左下のプレート。所謂18歳未満ウンヌンってやつなんですけど、ママさんの氏名が併記されているのがちょっと珍しいと思いました。
歯抜け状の更地越しに仲見世通りを望みます。外壁のモルタルの廃れ具合が最高レベルですな。
サビサビのブレース・・・バッテンのやつね・・・これがまたいい。
その先で裏小路は直角に曲がって仲見世通りに合流にしております。
無事仲見世通りに戻ってくることができました。
サンリオさんに許可・・・取っているわけないか・・・。
前半はここまで、試しに仲見世通りを検索してみましたら、いかにも胡散臭い掲示板がヒット。それによりますと、幾つかのお店は現役みたい、しかもステキなママさんがいらっしゃるらしいですぞ。その2では待望の遊廓跡を訪ねます。この旅、いちばんの遺構との出会いに感動させていただきました。