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秋田県 秋田市201308その2

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どん詰まりの飲み屋横丁で出会いました。


 秋田市内を北から南に貫流し、秋田運河を介して雄物川に注いでいるのが旭川。嘗ては久保田城西側の外堀の役目も兼ねていました。『秋田県遊里史』によりますと、旭川右岸沿いに花街が形成されたのは明治19年(1886)に発生した俵屋火事の後になります。その1の前書きにある下米二丁目にあった遊里も焼け野原になった大火のことです。これによって遊廓は旧南鉄砲町、花街は川端(川反)三、四丁目に移転することになります。それまでは娼妓、芸妓が混在した遊里だったわけですね。当時の川端は人家もまばらな寂しい所だったそうです。そんな場所に料理屋や芸妓置屋が建ち並び、一大花柳界が形成されます。明治44年(1911)時点で芸妓屋17軒、芸妓一種48名、芸妓二種20名という記録が残っています。芸妓二種というのはたぶん舞妓さんのことではないでしょうか。

 大正末期から昭和初期にかけてが川反の最盛期だったのではないでしょうか。芸妓数が200名に達したといいます。しかし、その後に戦争に突入するわけでして、花街は次第に寂れていくことになります。防火上支障になるとして、旭川沿いの柳並木も切り倒されてしまったそうです。戦後、世の中が落着いてくると川反も復活を果たしますが、おそらく日本国中に存在した花街と同様にゆっくりと衰退していったのだと思います。『秋田県遊里史』にそのあたりことは書かれていませんでした。調べたかぎりでは、すでに現役の芸者さんもいらっしゃらないようですし・・・と書こうと思ったら、こんなニュースを見つけてしまったのです。一週間ほど前の記事です。

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/akita/news/20140214-OYT8T01308.htm
 秋田「芸妓」復活を かつて秋田市の繁華街の夜を彩った芸妓(げいぎ)を復活させようと、秋田商工会議所のメンバーら観光関係者が、芸妓をプロデュースする新会社設立へ向けて動いている。近く発案者の元企画会社社員成田千夏さん(25)を含めて会合を持ち、参加企業・団体の出資比率などを調整する。早ければ今秋の「第29回国民文化祭・あきた2014」でのお披露目を目指している。芸妓復活の動きは、地元での起業を目指していた成田さんが、かつての芸妓文化を知ったことがきっかけだった。成田さんは新たに「秋田舞妓(まいこ)」の名称を考案し、観光関係者を中心に芸妓復活への協力を呼びかけたところ、「観光の起爆剤」としての期待から、商工会議所は昨年12月、検討委員会を設置し、成田さんの企画に乗った。成田さんによると、設立する会社では、社員として雇った女性に日本舞踊、茶道、書道の稽古を積ませる構想だという。県外からの観光客を視野に、芸事だけでなく、秋田のご当地検定講習といった地元の知識も習得させる予定だ。秋田の花柳文化に詳しい黒川一男氏の著書「川反いまむかし―紅燈柳影抄」などによると、秋田の芸妓は明治時代には既に存在していた。土崎地区の高級料亭「池鯉(ちり)亭」(1974年廃業)などで妍(けん)を競っていたという。また現在も北東北地方一の繁華街として知られる川反地区では、大正から戦前期には置屋だけで40〜50軒に上るほどのにぎわいを見せ、芸妓数は150人前後だったとみられる。戦中期、料亭が軒並み取り壊しの憂き目にあいながらも再起。1955年を過ぎた頃、戦後の最盛期を迎えたというが、高度経済成長に伴い、宴会形式が洋風に変化し、さらに後継者不足も相まって芸妓文化は衰退した。92年の芸妓数は10人まで激減し、10年ほど前には現役の芸妓は一人もいなくなったとされている。衰退した地方の芸妓文化を守るため、社員として芸妓を雇う会社組織は全国的には先例が見られる。1987年、新潟の「古町芸妓」の育成・派遣をする全国初の株式会社「柳都(りゅうと)振興」(新潟市、中野進社長)、96年には「山形芸妓(やまがた舞子)」の文化を継承する「山形伝統芸能振興株式会社」(山形市、平井康博社長)が設立されている。「秋田美人」の名称は、川反の芸妓の人気投票に由来するとの説もあり、成田さんは「秋田美人を超える美人はいない。『これが秋田美人だ』という舞妓を育てて産業化し、秋田を元気にしたい」と抱負を語っている。

 上記のURLの記事ですが、既に読めなくなってる・・・読売さん、消すの早すぎるでしょう。保存しておいてよかった。やはり花街は10年ほど前に消え失せていたようです。花柳界の復活・・・これも町おこしの一種なのでしょう。例として新潟市と山形市が挙げられていましたが、長野県の諏訪市でも同じようなことしていますよね。レポの前に言ってしまうのも何なのですが、嘗ての花街の今・・・見事なまでに寂れた歓楽街ですから。県庁所在地のものとしてはちょっと寂しい印象でしたので・・・。この企画、うまくいくといいですね。最後に往時の様子を記しておきます。上から『全国花街めぐり』『よるの女性街 全国案内版』になります。

 『秋田の花街は即ち「川端」其の名声は遠く三都に迄も響いてゐる。市内川端三丁目から同五丁目に至る間、旭川の岸に芸妓屋、料亭等軒を並へた一廓がそれ・・・現在芸妓屋 四十二軒。芸妓 大小併せて百九十四人。料理屋約三十軒・・・主なる料理店 土手長町の秋田倶楽部を第一として、川端五丁目の大和、同四丁目の壽、稲本、富貴亭、中野亭、あさひ亭、田中町の松華亭、志田亭など・・・秋田美人の特色と川端情調 新潟から庄内平野、由利の海岸を経て秋田に至り、更に津軽地方に通ずる一大美人系がある。所謂日本美人系なるもので、その間多少厚薄あるを免れ難しとするも兎に角此の地帯一円は美人に富む、就中新潟と秋田が光つて見える・・・色白で皮膚は滑らかで、頭髪が美くしい、此の辺までは略同一であるが、新潟美人の如く唇は厚くない、そして口辺にこぼるるばかりの愛嬌を湛へてゐる・・・が、悪く言へば口元の締りが足りないので、顔面全体を弛緩させて見える惧れがないでもない。性質は至つてしとやかで、東京風のお侠な面白い芸妓は稀といふよりか殆んど発見し得ないが、座持はなかなか上手で、新潟芸妓に比べれば多少情熱的な所がある。且つ所謂「面食ひ」で、男振りに依つて客を気嫌ひするの風があるらしい。一旦惚れ込めば情合は甚だ濃厚なのである』

 『大都市のくせに道路行政も悪く、色里情緒は全然ない。〈芸妓〉川反三丁目から五丁目に至る旭川の岸に軒を並べた料亭、芸妓屋、戦前は置屋四二軒、芸妓一四九名の世帯で大黒屋の玉蝶、露香、力弥などの名妓を出したが目下は四〇ほどに縮少された。売れつ子は市子、初代、すみ子など』


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花街跡は前回の赤れんが館から目と鼻の先にあります。


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このすずらん通りを抜けた先がそれだと思うのですが・・・まあ、昨晩もこの界隈をフラフラしていたのですけどね。


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すずらん通りを抜けると旭川と並行している川反通りに出ます。おそらくこの通り沿いが花街の中心だったと思われます。すぐに趣のある塀が現われます。


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大正7年(1918)創業の老舗料亭濱乃家さんです。庭木が元気すぎて、建物が新しいんだか古いんだか、よく分からない・・・。


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その先に花街時代の遺構と思われる三階建てが残っています。現在は中華料理店、このミスマッチ感が面白い。この並びの裏を旭川が流れています。後で気付いたのですが、旭川のこと一枚も写真に収めていなかった。


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和服に割烹着っていいですよねえ。この絵は微妙ですけど・・・。


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長屋形式の飲み屋さんが二軒、路地を挟んで向き合っておりました。冒頭画像の場所になります。


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名前をかっぱ小路といいます。どん詰まりで行き止まりみたい、残念、この飲み屋横丁『ぬけられません』。


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この子、なつさんところの飼い猫みたいです。


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お次は不思議な名前のみきょう小路。嘗ては左側にも飲み屋さんがギッシリ並んでいたのだと思います。


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これはいい草臥れっぷりですね。


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ここにもどん詰まりがありましたよ。


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行き止まりの様子、『灯』の看板がお気に入りです。


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近くのソシアルビルが凄い・・・何だコレ!?


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脇道はこんな状態・・・花街の名残みたいなものは全くといっていいほど残っていないのです。まあ、これはこれで素晴しいとは思いますけど・・・。


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名残は残っていませんが・・・並行する赤れんが通りにはこんな大門があります。左手の秋田銀行秋田支店、それなりに歴史がありそうな建物なのですが、調べてみても詳細が分かりませんでした。


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大門の脇には風俗店の無料案内所。こんな感じの界隈ですが、夜でも比較的落着いた感じでしたよ。とても県内随一の歓楽街とは思えませんでした。落着いている=寂れているということなのかもしれません。


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川反通りに戻って南へ・・・横町通りを渡ると大人のお風呂屋さん街、7、8軒ほどのお店が集まっているようです。昨晩も同じ呼び込みのお爺ちゃんに声掛けられたのですが・・・本人は覚えていなかったみたい(笑)その先、今度はラブホが数軒・・・それを抜けるとこんな立派な蔵が現れます。この町並みの変化はある意味劇的だったりするわけ。蔵は新政酒造さんのもの、さきほどの大門に銘柄がありましたね。嘉永5年(1852)創業という老舗酒蔵です。


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その先で橋を渡って旭川の左岸へ、有楽町通りを駅方面に戻ります。途中、こんなものを見つけました。秋田パンテオン、いつ頃廃業されたのかは分かりませんが、最盛期この界隈には10館以上もの映画館があったそうです。


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近くにこんなお店があります。奥はこれまたどん詰まりの路地になっているみたい。


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床屋さんみたいな木製の突き出し窓が連続しています。これがいい。突当りは旭川です。


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旭川の向こうは花街跡ですからね。こういう場所が残っていても不思議ではありませんよね。


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脇道で見つけたお店が滅茶苦茶カッコイイ。


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雁行する出窓にバタフライ屋根、秋田市ってそれなりに雪降るのですよね???こんな屋根にしちゃって大丈夫なのかなあ。


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ここで完全に電池切れ・・・もう歩きたくない。まあ、ほとんど収穫はありませんでしたし、何よりも暑さに完敗です。まだ帰りの新幹線までかなり時間がありますが、後はお茶したり、千秋公園の向かいにある県立美術館に寄ったりして時間を潰したいと思います。

秋田駅のコンコースで帰りの新幹線を待ちながら、ぼんやりしていますと、行き交う人々の中に浴衣姿の女性が結構混じっているのに気付きました。ちょうどこの日は、有名な大曲の花火大会開催日だったというわけです。帰りのスーパーこまちの車窓からも観ることができたのですが、夏の終わりを告げるそれを見上げながら、明日から戻ってくる日常のことを考えると・・・複雑なんだよなあ・・・。

以上をもちまして、長々とお送りしてきた東北遊里跡巡礼の旅はオシマイ、お付き合いありがとうございました。収穫ウンヌンよりも、異常とも思える残暑に終始苦しめられた探索になってしまいましたね。東北がこんな状態とすると・・・残りは北海道しかないじゃん・・・。


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