私も好きです中央線・消え失せた緑の怪物・未舗装路地のサイケなダイヤ
新緑の季節ということもあって蔦がとても綺麗だったのですがね・・・。
4年ぶりの八王子です。当初このレポは後回しといいますか、まあ気が向いたときにでもと思っていたのです。今回再訪した理由もたまたま野暮用ついでといった感じでしたし・・・。しかし今年の1月、この町にある変化が起きたということで緊急レポを掲載いたします。八王子は甲州街道の宿場町、機業地として栄えた町。現役の花柳界が存在し、都内唯一とされる遊廓時代の遺構が残る町でもあります。手抜きで申し訳ないのですが、そのあたりについては前回のレポをご覧頂けたら幸いです。以下は前回載せられなかった『全国遊廓案内』による遊廓の様子になります。
『八王子町田町遊廓 東京府八王子市田町にあつて、八王子駅西北八丁位の地点にあつて自動車なら五十銭電車なら高尾行市電で郵便局前に下車、西へ約四丁位ある賃六銭。明治初年には甲州街道にある宿場であつて、飯盛女が娼妓の様な役を演じて居つたのであるが、明治卅年頃八王子の大火に見舞はれ見る影もない姿になつた。それ以後八王子の発展が止まつたと言はれて居る。此大災の後に現在の土地に集つて遊廓を成した物である。現在貸座敷十四軒、娼妓約百人居つて居稼制で、写真又は陰店を張つて居る。娼妓は東北人が相当居る様であるが、戸籍面では東京人が大部分である様だ・・・附近には八幡神社、高尾山、城山城址、多摩御陵があり東京近郊の最適当のピクニツクの場所である・・・』
註)前回のレポはコチラ、酷いものですが宜しかったらどうぞ。
駅前ビルの隙間が『ぬけられます』状態になっていました。此処を抜けますと・・・
・・・旭町と三崎町。かなりの規模の歓楽街がひろがっています。看板には『るんるん横丁』・・・そういった雰囲気ではないのですがね。
適当にフラフラしていたら都道160号線(野猿街道)に出てしまった。目的地はこっちではないのですが、まあ急ぐ探索ではありませんので。JRの線路を跨ぐ陸橋からの光景です。
ちょっと戻ったところで見つけたエリザベスさんがいい佇まい。
安っぽいタイルアーチと鉢植えの競演、壁のガス燈風の照明がこれまたいい。
中町の西側と南町の東側が嘗ての花街・・・というか、現役なんですけどね。此処の手前で和服姿の女性を見かけました。見番の方に向かっていましたので、たぶん芸者さんだと思います。かなりのベテランでしたが・・・。
外壁がいい感じに草臥れているのは花の家さん。たぶん待合だったのではないでしょうか。手前の右、ミカドとあるソシアルビルのこっち側、現在は駐車場ですが、嘗て此処には藤の湯というお風呂屋さんがありました。
分かりにくいと思いますが、突当りに屋号が描かれた雪洞型の照明があります。現役なのでしょうか。
向かいには前回も紹介した待合松ヶ枝さん。高い黒板塀のせいで中の様子は窺えません。
近くにあるのが八王子三業組合事務所、所謂見番です。黒板塀に妙なポスターが・・・。
『中央線が好きだ。』よく分かりませんが、私も好きですよ〜。手前の三味線を手にした方は、芸者置屋ゆき乃恵の女将であり現役芸者の恵姐さんです。八王子花柳界の中心人物です。
その先にも黒板塀があります。お食事処のすゞ香さん、恵姐さんのお店です。ポスターの撮影場所は此処ですね。
この一画、『八王子花街・黒塀通り』と名付けられていまして、東京都の江戸東京・まちなみ情緒回生事業で整備されています。
八王子芸者は現在18名ほどが活躍されているそうです。新規も随時受付されているそうですぞ。
こちらがゆき乃恵さん。この路地を抜けると、目抜き通りのユーロードです。
ゆき乃恵さんの玄関廻り、たぶん元々は待合か料亭だったのだと思います。
それでは現役花街を抜けて遊廓跡に向かいましょう。
ユーロードと甲州街道を渡ります。前方の提灯がいっぱい下がっているのが『全国遊廓案内』にも出てくる八幡神社、その前の通りをひたすら北へ・・・。
旅館八百福さんが見えてきたらそこが田町遊廓跡です。
八百福さん、すでに現役ではないようです。遊廓との関係は不明なのですが、こんな扇形の窓があったり・・・。
格子戸の奥には妙な造形の欄間があったりするわけ。どういった関係だったのでしょう。
どう見ても不自然と思える広い通りが東西に続いています。往時の区画がはっきりと確認できるわけです。都内では貴重なものだと思いますよ。そのメインストリート沿いに遊廓時代の遺構が残っています。コチラは前回と変わらず。
素っ気無い造りですが、軒燈だけが往時を物語っています。ポリカの波板の向こう、手摺に何か造作が残っているようにも見えるのですが、此処からでは判断できませんでした。
もう一軒。コチラも軒燈が残っていますね。雨戸の向こう側が物凄く気になるわけです。
板塀には屋号と思われる透かし彫りがあるのですが・・・読めない。
裏手の様子・・・コチラも素っ気無い造りですよね。直された結果こうなったのか、往時はもっと派手な意匠が炸裂していたのか・・・。
問題はコチラ、冒頭画像の物件です。妓楼ではなく旅館だったらしいのですが、間違いなく遊廓時代からの生き残りのはずなのです。お化け屋敷然とした佇まいですが、それに拍車をかけているのが庭木のモミ?こっちのほうがお化けっぽいかも。
4月ですのでまだこんな状態ですが、もう少しするとモジャハウスどころかグリーンモンスターになっちゃうそうです。あ、蔦のことね。
お化け屋敷と言ってしまいましたが、どうも廃屋ではないみたいなのです。庭が綺麗ですし、前回の際は下屋の屋根に梯子が立てられていました。定期的に手入れがされているようです。で、問題はここから・・・コチラ、先日(1/17)に火事で焼けちゃったのです。コメントしていただいた方の情報で知ったのですが・・・結局、妓楼だったのか旅館だったのか、こういったものって正体不明のまま消え失せる運命なのかもしれませんね。関連ニュースを探してみましたが見つかりませんでした。
便利な時代になったと言ってしまっていいものかあれなのですが、最後の様子がYou TubeにUPされていました。かなりショッキングな動画かも・・・閲覧注意です。
http://www.youtube.com/watch?v=0fECklMSkDw
http://www.youtube.com/watch?v=wUEKhXtcaoQ
駅に戻る途中、こんなお店を見つけました。八王子芸者御用達ですかね。
お次はレトロな写真館、現役です。
地元の名店、とんかつ鈴本さんで昼食、美味しかったです。
近くのイタリアン、古いお店をリフォームして使っているようですが、ピンク玉石タイルって珍しいのではないでしょうか。
その先、甲州街道に抜ける未舗装の路地は以前のまま。
サイケなダイヤ型の窓も変わっておりませんでした。
以上で八王子(再訪編)緊急レポはオシマイ。要因は様々ですが、遊里跡というものはゆっくりとそして確実に消え失せる運命みたいです。まだまだ寒い日が続きます。くれぐれも火の元用心しましょう。
新緑の季節ということもあって蔦がとても綺麗だったのですがね・・・。
4年ぶりの八王子です。当初このレポは後回しといいますか、まあ気が向いたときにでもと思っていたのです。今回再訪した理由もたまたま野暮用ついでといった感じでしたし・・・。しかし今年の1月、この町にある変化が起きたということで緊急レポを掲載いたします。八王子は甲州街道の宿場町、機業地として栄えた町。現役の花柳界が存在し、都内唯一とされる遊廓時代の遺構が残る町でもあります。手抜きで申し訳ないのですが、そのあたりについては前回のレポをご覧頂けたら幸いです。以下は前回載せられなかった『全国遊廓案内』による遊廓の様子になります。
『八王子町田町遊廓 東京府八王子市田町にあつて、八王子駅西北八丁位の地点にあつて自動車なら五十銭電車なら高尾行市電で郵便局前に下車、西へ約四丁位ある賃六銭。明治初年には甲州街道にある宿場であつて、飯盛女が娼妓の様な役を演じて居つたのであるが、明治卅年頃八王子の大火に見舞はれ見る影もない姿になつた。それ以後八王子の発展が止まつたと言はれて居る。此大災の後に現在の土地に集つて遊廓を成した物である。現在貸座敷十四軒、娼妓約百人居つて居稼制で、写真又は陰店を張つて居る。娼妓は東北人が相当居る様であるが、戸籍面では東京人が大部分である様だ・・・附近には八幡神社、高尾山、城山城址、多摩御陵があり東京近郊の最適当のピクニツクの場所である・・・』
註)前回のレポはコチラ、酷いものですが宜しかったらどうぞ。
駅前ビルの隙間が『ぬけられます』状態になっていました。此処を抜けますと・・・
・・・旭町と三崎町。かなりの規模の歓楽街がひろがっています。看板には『るんるん横丁』・・・そういった雰囲気ではないのですがね。
適当にフラフラしていたら都道160号線(野猿街道)に出てしまった。目的地はこっちではないのですが、まあ急ぐ探索ではありませんので。JRの線路を跨ぐ陸橋からの光景です。
ちょっと戻ったところで見つけたエリザベスさんがいい佇まい。
安っぽいタイルアーチと鉢植えの競演、壁のガス燈風の照明がこれまたいい。
中町の西側と南町の東側が嘗ての花街・・・というか、現役なんですけどね。此処の手前で和服姿の女性を見かけました。見番の方に向かっていましたので、たぶん芸者さんだと思います。かなりのベテランでしたが・・・。
外壁がいい感じに草臥れているのは花の家さん。たぶん待合だったのではないでしょうか。手前の右、ミカドとあるソシアルビルのこっち側、現在は駐車場ですが、嘗て此処には藤の湯というお風呂屋さんがありました。
分かりにくいと思いますが、突当りに屋号が描かれた雪洞型の照明があります。現役なのでしょうか。
向かいには前回も紹介した待合松ヶ枝さん。高い黒板塀のせいで中の様子は窺えません。
近くにあるのが八王子三業組合事務所、所謂見番です。黒板塀に妙なポスターが・・・。
『中央線が好きだ。』よく分かりませんが、私も好きですよ〜。手前の三味線を手にした方は、芸者置屋ゆき乃恵の女将であり現役芸者の恵姐さんです。八王子花柳界の中心人物です。
その先にも黒板塀があります。お食事処のすゞ香さん、恵姐さんのお店です。ポスターの撮影場所は此処ですね。
この一画、『八王子花街・黒塀通り』と名付けられていまして、東京都の江戸東京・まちなみ情緒回生事業で整備されています。
八王子芸者は現在18名ほどが活躍されているそうです。新規も随時受付されているそうですぞ。
こちらがゆき乃恵さん。この路地を抜けると、目抜き通りのユーロードです。
ゆき乃恵さんの玄関廻り、たぶん元々は待合か料亭だったのだと思います。
それでは現役花街を抜けて遊廓跡に向かいましょう。
ユーロードと甲州街道を渡ります。前方の提灯がいっぱい下がっているのが『全国遊廓案内』にも出てくる八幡神社、その前の通りをひたすら北へ・・・。
旅館八百福さんが見えてきたらそこが田町遊廓跡です。
八百福さん、すでに現役ではないようです。遊廓との関係は不明なのですが、こんな扇形の窓があったり・・・。
格子戸の奥には妙な造形の欄間があったりするわけ。どういった関係だったのでしょう。
どう見ても不自然と思える広い通りが東西に続いています。往時の区画がはっきりと確認できるわけです。都内では貴重なものだと思いますよ。そのメインストリート沿いに遊廓時代の遺構が残っています。コチラは前回と変わらず。
素っ気無い造りですが、軒燈だけが往時を物語っています。ポリカの波板の向こう、手摺に何か造作が残っているようにも見えるのですが、此処からでは判断できませんでした。
もう一軒。コチラも軒燈が残っていますね。雨戸の向こう側が物凄く気になるわけです。
板塀には屋号と思われる透かし彫りがあるのですが・・・読めない。
裏手の様子・・・コチラも素っ気無い造りですよね。直された結果こうなったのか、往時はもっと派手な意匠が炸裂していたのか・・・。
問題はコチラ、冒頭画像の物件です。妓楼ではなく旅館だったらしいのですが、間違いなく遊廓時代からの生き残りのはずなのです。お化け屋敷然とした佇まいですが、それに拍車をかけているのが庭木のモミ?こっちのほうがお化けっぽいかも。
4月ですのでまだこんな状態ですが、もう少しするとモジャハウスどころかグリーンモンスターになっちゃうそうです。あ、蔦のことね。
お化け屋敷と言ってしまいましたが、どうも廃屋ではないみたいなのです。庭が綺麗ですし、前回の際は下屋の屋根に梯子が立てられていました。定期的に手入れがされているようです。で、問題はここから・・・コチラ、先日(1/17)に火事で焼けちゃったのです。コメントしていただいた方の情報で知ったのですが・・・結局、妓楼だったのか旅館だったのか、こういったものって正体不明のまま消え失せる運命なのかもしれませんね。関連ニュースを探してみましたが見つかりませんでした。
便利な時代になったと言ってしまっていいものかあれなのですが、最後の様子がYou TubeにUPされていました。かなりショッキングな動画かも・・・閲覧注意です。
http://www.youtube.com/watch?v=0fECklMSkDw
http://www.youtube.com/watch?v=wUEKhXtcaoQ
駅に戻る途中、こんなお店を見つけました。八王子芸者御用達ですかね。
お次はレトロな写真館、現役です。
地元の名店、とんかつ鈴本さんで昼食、美味しかったです。
近くのイタリアン、古いお店をリフォームして使っているようですが、ピンク玉石タイルって珍しいのではないでしょうか。
その先、甲州街道に抜ける未舗装の路地は以前のまま。
サイケなダイヤ型の窓も変わっておりませんでした。
以上で八王子(再訪編)緊急レポはオシマイ。要因は様々ですが、遊里跡というものはゆっくりとそして確実に消え失せる運命みたいです。まだまだ寒い日が続きます。くれぐれも火の元用心しましょう。