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Channel: 『ぬけられます』 あちこち廓(くるわ)探索日誌
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長野県 小諸市201311(再訪編) その2

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一応残ってはいたのですがね・・・。


 この前書きに書くことが全く思いつかない・・・これは困った。何かしら遊里関係の資料でもあればそれでお茶を濁すこともできるのですが、この町に関してはそれは不可能なわけ。とりあえず町の印象でも記しておきましょうか。紅葉は散り始めていたのですが、小諸城址である懐古園は観光客で賑わっていました。しかし、駅の反対側、旧北国街道に出るとそれが一変します。観光客どころか人影さえもまばら、車の通行量はかなりのものなのですが、単に通過するだけの町と化しているわけです。本陣と脇本陣が残っている宿場ってかなり貴重ですし、往時の町並みだってそれなりに残っている・・・そして、そこから一本脇道に入ってみると結構面白い光景が見られる町。地方都市ではよくみられるパターンだと思うのですが、役所などももっとこっち推ししてもいいのではないか・・・というのはあくまでも建前。まあ、今のままでいてくれると私のような人間は嬉しいと思うわけです。小諸にお越しの際は懐古園だけでなく駅の反対側もブラブラされることオススメ致しますぞ。

註)前回のレポはコチラ、酷いものですが宜しかったらどうぞ。



遊廓跡?を後にして、旧北国街道に戻ろうしたところで近くに前回も訪れた川が流れていることを思い出しました。それが中沢川、嘗てはかなりの暴れ川だったと書こうと思ったら・・・。



何だコレ!?川っぺりが凄い状態。どうやら廃屋のようですが、よくまあこんなところに建てたものです。でも、こういう場所に住むの憧れちゃうんだよなあ。



対岸の空き地?カスミ草のドライフラワーみたいなポワポワした謎の植物に一面覆われているのです。



そのポワポワ越しの光景。何棟かに分かれていると思ったのですが、全部繋がっているようですね。川面に跳ね出した木製バルコニーがいいなあ。



橋を渡るとタバコの販売カウンター。足元には面白い形状のモザイクタイル。この販売カウンター、古い商店でよく見られますが、全体の形状は似たようなのが多いですよね。由来みたいなものってあるのでしょうか。



同じお宅の通りに面した部分、かなり複雑な造りになっているみたい。木製扉がいい味出しています。



そのまま流れに沿って行きますとこんな東屋が現れます。洗い場でしょうか、どうやら崖側から湧水が出ていたみたい。枯れてしまったのか、もう使われていないようです。



旧北国街道に戻ってきました。いかん、急がないと本当に日が暮れそう・・・。望楼が乗っているのは柳茂商店さん、明治20年(1887)頃のものとされているのですが、その頃に看板建築ってあったっけ???どうやら通りの拡幅で建物の前面が削られた結果、今の姿になったそうです。



延宝2年(1674)創業の山吹味噌酢久商店さん、信州味噌って関東の人間にとってはいちばん馴染み深いものですよね。その1で紹介した小山敬三の生家でもあります。



荒町二丁目交差点に面しているのが前回も紹介した謎の建物。あ、右のやつね。



まあ、その際はカフェー建築だとか勝手なことほざいていたのですが、この度正体が判明致しました。有難いことに説明板が掛けられていたのですよ。



『昭和のはじめのカフェバーで、お店の名前は銀座会館(ミルクホール)といいました。第二次世界大戦前には、夜には近所の若い人たちが当時の流行の服を着て集まっては、蓄音機で音楽を聞いたり、タンゴなどのダンスを踊っていたそうです・・・第二次世界大戦の後は、アメリカ兵がきたりしていましたが、1950〜51年ごろ店を閉めたようです』あら、やっぱりカフェー建築ではありませんか。斜めハンドルは嘘つかないということですな(笑)



アーチ窓がお気に入りです。



カフェー建築より謎だったのが、菱形の装飾が特徴的なお隣のコチラ。蔵かオフィスか・・・コチラも正体判明したかも!?



脇に回り込んでみるとこんな窓が顔を覗かせていました。三方を閉じた壁に囲まれている住宅といった感じでしょうか。それにしてもこの菱形は強烈だなあ。



交差点に戻ってもう一方の洋館・・・明治初期に建てられたという山崎長兵衛商店さん。銀座会館同様、窓廻りのデザインが大変宜しいと思います。



更に旧街道を行きますと、美しい邸宅が見えてきます。小山家住宅、江戸初期400年以上前に建てられたもので、当時は庄屋だったそうです。東日本に現存する最も古い民家の一つとされています。しかも今も普通に住まわれているというのが凄いですね。ですので見学は不可能、外から眺めるだけにしましょう。



その先を左折、小諸ゆかりの俳人高浜虚子の旧宅があるのです。途中になぜか手押しポンプと火消し半纏・・・謎の展示だ。



これが虚子の旧宅、虚子庵です。質素な造りです。虚子は戦火から逃れるため小諸に疎開、昭和19年9月〜22年10月まで此処で過ごしたそうです。



再び旧街道に戻って、前回も辿った薬師小道へ・・・無くなっている・・・。細い路地沿いに土蔵が続くとても雰囲気のある場所だったのですが、駐車場に変わっておりました。



残っていたのは出口の一軒だけ・・・。



薬師小道を抜けると鶴巻、目的の場所がある一画です。町名を冠しているお風呂屋さん、鶴巻の湯さんです。確か前回の際は現役だったと記憶しているのですが、残念な状態で私の再訪を迎えてくれました。



残された見事な扁額だけが往時を物語っておりました。



鶴巻の湯さん周辺が、噂によりますと色街だったらしいのです。花街だったのか赤線だったのか、遊里の種類は不明ですが・・・。でも、その1で紹介した成就寺門前よりそういった匂いみたいなものは強いような気がするのです。



歯抜け状の更地を挟むような感じで飲み屋さんが集まっているのですが、そのほとんどは退役済み。唯一明りが灯っていたのがじょんがらさん、早くもカラオケ全開でした(笑)



向かいの大店は日本料理音羽さん、披露宴もできる料亭です。



更に奥へ・・・一気に寂れた雰囲気に・・・ほら、見えてきましたよ。



路地に沿って続く廃墟と化した飲み屋横丁、前回これに偶然出会ったときは思わず息を呑みましたよ。そのときと何一つ変わっていない・・・あ、手前にもう一軒あったのですが無くなっていましたね。



この草臥れたピンクが堪らんわけです。



此処で飲み屋横丁は鉤型に曲がり路地から離れてしまうのです。この素晴らしい佇まいのお店の入口廻りは土・・・雨になったら大変ですね、なんて呑気に言っている場合じゃない。扉上の青い照明には営業中の文字、どうして青なのでしょう。これが『知られざる遊里』=『青線』の証拠だったりして・・・あ、根拠はありませんので、あしからず。さきほどから妙なシルバーの物体が写り込んでいますが、引きの絵にすると状況がわかります。



冷蔵庫、シンク、コールドテーブルなどの業務用厨房機器。事務用机に灯油タンクなどなど。此処、以前は単なる空き地だったのですよ。半ばゴミ捨て場と化していたのです。これには違う意味で息を呑みましたわ。



ゴミ捨て場と言ってしまいましたが、どちらかというと破産物件などから売れそうなものを引き揚げてきたのだけれど、置く場所に困って放置プレイという感じに見えるのですが、如何でしょう。まさか・・・盗品ってことはないよなあ。



あ、此処にも手押しポンプ(笑)これなら高く売れそうな気がするのですが・・・。以上、謎の一画の惨状でした。



遂に日が暮れてしまいました。夕焼けは綺麗なのですが、西から台風並みの低気圧が接近中・・・雨だけは勘弁して。

以上で小諸の再訪編はオシマイ。遊里は存在したのか、結局分からず仕舞いで終わってしまいました。まあ、それでも別にいいのです。それ以外でも楽しめましたから。次回は岩村田、おそらく全国でもこれだけ良好な状態で残っているのは唯一と思われるあるものを探します。見つかるかどうか・・・それより天候が心配です。

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