せせらぎ脇の飲み屋街・富士山と帆掛舟を象った窓・特産物貯蔵専用蔵
お天道様には勝てません・・・。
いきなりですが、グーグルのストリートビュー(以下SV)ご存知ですよね?・・・って、まあ知らない方はいらっしゃらないと思いますが、便利な世の中になったものだと感心するわけです。自宅にいながら世界中の町をフラフラ彷徨うことができちゃいますからね。でも、コレ私の中では禁じ手の一つとして軽く封印しているのです。あくまでも軽〜くね(笑)やっぱり文献やネットなどの乏しい情報と地図だけを手掛かりにこの辺りかな?と予想していざ現地へ・・・オオッ、本当にあった!!この展開が理想、感動も大きいですしね。たまにその封印を解いてしまうことがあります。ちょっと前にレポした名古屋がそれでした。一日に何ヶ所もピンポイントで訪れないとならなかったからというのが理由というか言い訳でして、下調べ段階で遺構はSVで全てチェックしてありました。でもね、いまひとつ感動できないわけ、あそこの遺構は皆レベル高いはずなのに・・・。当然かもしれません、次の角を曲がればあるって分かっているんですもの。出来る限りSVにはお世話にならないよう心掛けているのですが、名古屋とは違う理由で封印を解いてしまうことがあります。全くそういった情報が見当たらない町です。そんな時抜く伝家の宝刀がSVというわけ。
甲府〜諏訪間のJR中央本線沿い・・・甲府と諏訪には遊廓が存在していましたが、距離にして約60キロ、この間にそういった情報が皆無なのです。今回訪れた茅野以外にも甲斐、韮崎、北杜といった感じで市が連なっており、嘗てそれらを甲州街道が繋いでいました。それなりの町には必ず存在していたはずというのが持論ですので、何かあるんじゃないかと以前から不思議に思っていたのですが、ほんと何も見つからない。何なのでしょうね、コレ。町中を旧甲州街道が貫いている茅野市、てっきり宿場町だと思っていたのですがどうやらそうではないみたい。町の北に位置する永明寺山には武田方の上原城がありましたので、城下町と言いたいところなのですが、山城だったせいかそういった特徴も地図上では見当たらない・・・妙な町なのです。信州ということで、古くから養蚕が盛んだったということだけは分かりました・・・あ、そうそう、もう一つこの地方特有の特産物がありまして、それを貯蔵した立派な蔵が残っています。とりあえず目的地として蔵を押さえたのはいいのですが、残りの情報は皆無・・・そこで最後の手段、伝家の宝刀を抜いてみましたら・・・見つけちゃったのですよ。町の南を流れる上川の畔にそれはありました。
前々回の小諸から小淵沢までを繋いでいるのがJR小海線、日本一高い場所を走る鉄道として有名ですが、通しで乗ったのは初めてでした。西から台風並みの低気圧が接近しており、残念ながら八ヶ岳は望めませんでしたが雨に煙るカラマツの紅葉は綺麗でした。しかし、この雨が曲者、次第に激しくなってきて遂には小淵沢の手前で列車がストップ、これで30分のロス。これでは小淵沢で乗り換えるつもりだった列車に間に合わない。車掌さん曰く、次に来る特急あずさに乗っていいとのことなのですが、それがいっこうに来ないわけ・・・これでさらに1時間のロス。当初は諏訪湖畔の岡谷を訪れ、帰りに茅野に寄るつもりでした。結構ギチギチのスケジュールでして、このままではどっちも中途半端になってしまうことは確実・・・天候も考慮して今回は泣く泣く茅野だけということにさせてください。
茅野駅西口の蕎麦屋で雨宿り、小降りになったところを見計らって出発。まあ、行けるところまで行ってみましょうや。SVで見つけた一画は駅から5分ほど、町の南を流れる上川の畔にあります。
こんな感じで飲み屋さんが現れ始めます。
普通のお宅?にもこんな窓があったりします。その先の脇道に入りますと・・・。
せせらぎに沿って小さな飲み屋街が形成されているわけ。これは面白い。
おかげさま・・・カワイイですね。
振り返るとこんな感じ・・・左手の建物の造りが妙に気になるので裏手に回ってみます。
かなり複雑な造りになっているようです。
二階にはこんな窓、いったい何だったのでしょうね。ちなみにSVで発見したのはこれではありませんよ。
旧甲州街道(県道197号線)を渡ると、これまた複雑な造りのお店が現れます。物干し台付きですぞ。
寿司と書かれた看板がありますが・・・
どうやら割烹だったみたい、とっくの昔に退役されているようです。
お隣は見越しの松が見事なお宅、こちらも気になる存在です。
その先には車寄せ風の屋根付きポーチがあるお宅。全体は和風なのに左官による石貼り風の外壁、擬洋風建築にも見える不思議な造りです。
この廃屋の先にSVで見つけた物件があるはずなのですが・・・。ちなみに奥に見える上川と並行している比較的新しい通り、戦後すぐに撮影された航空写真には写っておりません。
な、無い・・・無くなってる・・・。此処があったからこそ、この町に決めたのに・・・。
悔しいのでSVの画像貼っておきます。分かりますか?富士山と帆掛舟を象った窓、こんなの見たことないでしょ?これを見つけたときはまさに鳥肌モノだったのに・・・。SVが撮影されたのが2012年5月とのこと、一年半までは確実に存在していたのです。嗚呼、ショック。
また雨が激しくなってきた、以上のこともあってテンションガタ落ちですわ。旧甲州街道に戻って上川を渡ります。対岸の宮川地区に前書きにある特産物の蔵がたくさん残っているそうです。
上川沿いに建つ古いお宅、窓の桟がSV画像と酷似しているのですが。手前の出っ張った部分に臭突、昔の便所って感じですね。
此処にもせせらぎ、雨に濡れた石垣の苔が綺麗です。特産物の製造には清らかな水が重要な役目を果たすのです。
男子美容専科・・・カットモデルのイラストが渋すぎるぞ。
これが特産物の蔵かどうかは判断できませんでした。
しかし、風化具合は最高レベルですな。
その先にあるのが三輪神社。由来などは不明ですが、創建は天平年間まで遡るようです。手前が拝殿、奥が本殿でしょうか。その間を渡り廊下が繋いでいるという面白い造りになっております。諏訪地方ということで御柱が立ててありました。
まるで舞台ですね。神楽が舞われたりしたのではないでしょうか。
三輪神社の向かいに三層の蔵があります。信州ですので繭蔵といきたいところなのですが、コチラは寒天蔵。夜間冷え込み、適度な降雪があり、清らかな水が手に入る諏訪地方は寒天作りに適した地なのです。その歴史は天保年間まで遡ります。
近くにもう一棟、なんとコチラは四層ですぞ。
それにしても海の産物であるモサモサした天草が遠く離れた山あいの町に運ばれて、あの透明なプルプルに変身するわけです。誰が思いついたのでしょう、先人は偉大ですなあ。
あ、こっちにも・・・先程のもそうなのですが結構ガタがきているように見えるのです。現役なのでしょうか。
蔵の向こう側に出てみるとこんな感じ、どうやら住宅部分と蔵が一体になっているみたいです。
ふと目に留まった物件、妙に気になり近付いてみますと・・・
松の湯・・・なんとこれがお風呂屋さん。もちろん現役ではないと思いますが、随分とこじんまりとした造りです。
隣には窓の桟が美しいお宅?地図には板金屋さんとあります。
妻側はこんな感じ、庭木が元気すぎて全体が捉えられないのが残念。
また四層の寒天蔵、コチラがいちばん立派ではないでしょうか。大正初期に建てられたものだそうです。
ますます雨が激しくなってきた、もう靴の中までグッショリです。予定では此処から直線距離で3キロほどの拙ブログではお馴染の藤森照信設計の神長官守矢史料館を訪ねるつもりでしたが、そんな気力はどこからも湧いてこないのでした。退くも勇気ということで無念の撤退です。
目的が達成されなかったというわけで寒天のヤケ喰い(笑)個人的には寒天より求肥が好きだったりします。
目的の物件は消え失せているわ、雨に祟られるわで散々な探索になってしまいました。消え失せていたアレ、どう見ても普通のお宅とは思えないのです。やはり『知られざる遊里』は存在した・・・かもしれない茅野の探索でした。
お天道様には勝てません・・・。
いきなりですが、グーグルのストリートビュー(以下SV)ご存知ですよね?・・・って、まあ知らない方はいらっしゃらないと思いますが、便利な世の中になったものだと感心するわけです。自宅にいながら世界中の町をフラフラ彷徨うことができちゃいますからね。でも、コレ私の中では禁じ手の一つとして軽く封印しているのです。あくまでも軽〜くね(笑)やっぱり文献やネットなどの乏しい情報と地図だけを手掛かりにこの辺りかな?と予想していざ現地へ・・・オオッ、本当にあった!!この展開が理想、感動も大きいですしね。たまにその封印を解いてしまうことがあります。ちょっと前にレポした名古屋がそれでした。一日に何ヶ所もピンポイントで訪れないとならなかったからというのが理由というか言い訳でして、下調べ段階で遺構はSVで全てチェックしてありました。でもね、いまひとつ感動できないわけ、あそこの遺構は皆レベル高いはずなのに・・・。当然かもしれません、次の角を曲がればあるって分かっているんですもの。出来る限りSVにはお世話にならないよう心掛けているのですが、名古屋とは違う理由で封印を解いてしまうことがあります。全くそういった情報が見当たらない町です。そんな時抜く伝家の宝刀がSVというわけ。
甲府〜諏訪間のJR中央本線沿い・・・甲府と諏訪には遊廓が存在していましたが、距離にして約60キロ、この間にそういった情報が皆無なのです。今回訪れた茅野以外にも甲斐、韮崎、北杜といった感じで市が連なっており、嘗てそれらを甲州街道が繋いでいました。それなりの町には必ず存在していたはずというのが持論ですので、何かあるんじゃないかと以前から不思議に思っていたのですが、ほんと何も見つからない。何なのでしょうね、コレ。町中を旧甲州街道が貫いている茅野市、てっきり宿場町だと思っていたのですがどうやらそうではないみたい。町の北に位置する永明寺山には武田方の上原城がありましたので、城下町と言いたいところなのですが、山城だったせいかそういった特徴も地図上では見当たらない・・・妙な町なのです。信州ということで、古くから養蚕が盛んだったということだけは分かりました・・・あ、そうそう、もう一つこの地方特有の特産物がありまして、それを貯蔵した立派な蔵が残っています。とりあえず目的地として蔵を押さえたのはいいのですが、残りの情報は皆無・・・そこで最後の手段、伝家の宝刀を抜いてみましたら・・・見つけちゃったのですよ。町の南を流れる上川の畔にそれはありました。
前々回の小諸から小淵沢までを繋いでいるのがJR小海線、日本一高い場所を走る鉄道として有名ですが、通しで乗ったのは初めてでした。西から台風並みの低気圧が接近しており、残念ながら八ヶ岳は望めませんでしたが雨に煙るカラマツの紅葉は綺麗でした。しかし、この雨が曲者、次第に激しくなってきて遂には小淵沢の手前で列車がストップ、これで30分のロス。これでは小淵沢で乗り換えるつもりだった列車に間に合わない。車掌さん曰く、次に来る特急あずさに乗っていいとのことなのですが、それがいっこうに来ないわけ・・・これでさらに1時間のロス。当初は諏訪湖畔の岡谷を訪れ、帰りに茅野に寄るつもりでした。結構ギチギチのスケジュールでして、このままではどっちも中途半端になってしまうことは確実・・・天候も考慮して今回は泣く泣く茅野だけということにさせてください。
茅野駅西口の蕎麦屋で雨宿り、小降りになったところを見計らって出発。まあ、行けるところまで行ってみましょうや。SVで見つけた一画は駅から5分ほど、町の南を流れる上川の畔にあります。
こんな感じで飲み屋さんが現れ始めます。
普通のお宅?にもこんな窓があったりします。その先の脇道に入りますと・・・。
せせらぎに沿って小さな飲み屋街が形成されているわけ。これは面白い。
おかげさま・・・カワイイですね。
振り返るとこんな感じ・・・左手の建物の造りが妙に気になるので裏手に回ってみます。
かなり複雑な造りになっているようです。
二階にはこんな窓、いったい何だったのでしょうね。ちなみにSVで発見したのはこれではありませんよ。
旧甲州街道(県道197号線)を渡ると、これまた複雑な造りのお店が現れます。物干し台付きですぞ。
寿司と書かれた看板がありますが・・・
どうやら割烹だったみたい、とっくの昔に退役されているようです。
お隣は見越しの松が見事なお宅、こちらも気になる存在です。
その先には車寄せ風の屋根付きポーチがあるお宅。全体は和風なのに左官による石貼り風の外壁、擬洋風建築にも見える不思議な造りです。
この廃屋の先にSVで見つけた物件があるはずなのですが・・・。ちなみに奥に見える上川と並行している比較的新しい通り、戦後すぐに撮影された航空写真には写っておりません。
な、無い・・・無くなってる・・・。此処があったからこそ、この町に決めたのに・・・。
悔しいのでSVの画像貼っておきます。分かりますか?富士山と帆掛舟を象った窓、こんなの見たことないでしょ?これを見つけたときはまさに鳥肌モノだったのに・・・。SVが撮影されたのが2012年5月とのこと、一年半までは確実に存在していたのです。嗚呼、ショック。
また雨が激しくなってきた、以上のこともあってテンションガタ落ちですわ。旧甲州街道に戻って上川を渡ります。対岸の宮川地区に前書きにある特産物の蔵がたくさん残っているそうです。
上川沿いに建つ古いお宅、窓の桟がSV画像と酷似しているのですが。手前の出っ張った部分に臭突、昔の便所って感じですね。
此処にもせせらぎ、雨に濡れた石垣の苔が綺麗です。特産物の製造には清らかな水が重要な役目を果たすのです。
男子美容専科・・・カットモデルのイラストが渋すぎるぞ。
これが特産物の蔵かどうかは判断できませんでした。
しかし、風化具合は最高レベルですな。
その先にあるのが三輪神社。由来などは不明ですが、創建は天平年間まで遡るようです。手前が拝殿、奥が本殿でしょうか。その間を渡り廊下が繋いでいるという面白い造りになっております。諏訪地方ということで御柱が立ててありました。
まるで舞台ですね。神楽が舞われたりしたのではないでしょうか。
三輪神社の向かいに三層の蔵があります。信州ですので繭蔵といきたいところなのですが、コチラは寒天蔵。夜間冷え込み、適度な降雪があり、清らかな水が手に入る諏訪地方は寒天作りに適した地なのです。その歴史は天保年間まで遡ります。
近くにもう一棟、なんとコチラは四層ですぞ。
それにしても海の産物であるモサモサした天草が遠く離れた山あいの町に運ばれて、あの透明なプルプルに変身するわけです。誰が思いついたのでしょう、先人は偉大ですなあ。
あ、こっちにも・・・先程のもそうなのですが結構ガタがきているように見えるのです。現役なのでしょうか。
蔵の向こう側に出てみるとこんな感じ、どうやら住宅部分と蔵が一体になっているみたいです。
ふと目に留まった物件、妙に気になり近付いてみますと・・・
松の湯・・・なんとこれがお風呂屋さん。もちろん現役ではないと思いますが、随分とこじんまりとした造りです。
隣には窓の桟が美しいお宅?地図には板金屋さんとあります。
妻側はこんな感じ、庭木が元気すぎて全体が捉えられないのが残念。
また四層の寒天蔵、コチラがいちばん立派ではないでしょうか。大正初期に建てられたものだそうです。
ますます雨が激しくなってきた、もう靴の中までグッショリです。予定では此処から直線距離で3キロほどの拙ブログではお馴染の藤森照信設計の神長官守矢史料館を訪ねるつもりでしたが、そんな気力はどこからも湧いてこないのでした。退くも勇気ということで無念の撤退です。
目的が達成されなかったというわけで寒天のヤケ喰い(笑)個人的には寒天より求肥が好きだったりします。
目的の物件は消え失せているわ、雨に祟られるわで散々な探索になってしまいました。消え失せていたアレ、どう見ても普通のお宅とは思えないのです。やはり『知られざる遊里』は存在した・・・かもしれない茅野の探索でした。