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Channel: 『ぬけられます』 あちこち廓(くるわ)探索日誌
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東京都 台東区根岸201206 その1

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飲み屋の裏手は異界・柳並木向かいの花街跡・女の園に変身した元料亭

この一画の裏手は魑魅魍魎が跋扈する異界なのです。


 今回は台東区根岸です。花柳界が存在していたのですが、そちら関係の情報はその2でお話するとして、まずはその手前のことから始めさせていただきます。JR鶯谷駅と都道319号線(言問通り)に挟まれた細長い一画・・・そう、魅惑のラブホテル密集地帯のことです。全国各地にこういった場所がありますが、以前からその沿革などが気になっていました。渋谷円山町のように遊里が由来となっている処もありますが、鶯谷の場合にはそういったものは無かったはずだよなあと思っていましたら、こんな記事を見つけました。

 要約しますと、ラブホテルの前身は所謂連れ込み旅館・・・って、これは皆さんご存知ですよね。遊里由来となると、売防法施行後業者が転業して連れ込み旅館経営というケースが多いようです。鶯谷の場合はちょっと変わっています。元々この一画は商店街だったようです。戦後になって各地に現れ始めた連れ込み旅館の繁昌振りを見た商店主が「なんか流行っているからやってみよう」と転業したのが始まりなんだとか。お隣がそうならうちもうちもという感じで続々新規出店、その結果あの密集地帯が形成されたわけ。「なんか流行っているから・・・」それだけの理由で転業してしまう、いやはや昔の人は商魂逞しいですなあ。

 実は私、こういったものにちょっぴり詳しかったりします。あ、勘違いしないでください。仕事上でということですぞ(笑)25年ほど前になりますか、駆け出しの頃ラブホテルの計画にちょこっと関わったことがあるのです。計画自体はすぐにポシャっちゃいましたけど・・・。現在のはシティホテル並みの仕様とデザインのところが多いですが、当時はド派手で奇抜というのがまだまだ主流でした。ベッドなど備品も特殊なものが殆んどですから、それ専門のメーカーがあるわけです。分厚いカタログを開くと回転ベッドや謎の椅子(爆)などが幅を利かせている時代でした。個人的には綺麗なシティホテル風のより、連れ込み旅館の影を引きずる場末風が好みだったりします。まあ、現在のはよく知りませんけど(すっとぼけ)



起点は上野駅、駅前ロータリーの角っこにある黒猫館さん。以前は普通のアダルトショップだったと記憶しているのですが、いつのまにか『男推し』に・・・。



線路と国道4号線(昭和通り)に挟まれた一画を鶯谷駅へ向かいます。途中にあった飲み屋横丁、抜けると昭和通りです。男の酒場 狼の館・・・後で知ったのですが、コチラも『男推し』のお店なんだとか。



上野恩賜公園は古くからのハッテン場ですし、近くにはオークラ劇場、上野駅13番線ホームのトイレなんてものもありますよね。上野って駅周辺自体が『男推し』エリアでもあるわけです。そして、ちょっと行くと巨大ラブホ街、その先には花街跡・・・こう考えると東京ってつくづくおかしな都市だと思うわけです。



線路沿いをしばらく行きますと・・・



やがて通りは車も入れない路地になってしまいます。突当りに見えてくるのが鶯谷駅南口にある跨線橋です。



その下を潜りますと冒頭画像の場所に出ます。



階段を登って線路を渡ると鶯谷駅南口です。吉原の大人の風呂屋街へは、南口までお店の送迎車で迎いに来てもらうと便利・・・らしいです。



橋の袂の小さな飲み屋街、ファサードはこんな感じですが、線路側から見るとバラックっぽいのが気になるのです。この裏手にひろがっているのが巨大ラブホ街、男女の欲望渦巻く異界なのです。ちょっと前までは『たちんぼ』さんが昼間から客引きしていたのですが、今も立っているのでしょうか。おっと、あまり長居するとボロが出そうですので花街跡に向かうとしましょう。この一画の角にある焼き鳥のささのやさん、何度か通いましたがリーズナブルな美味しいお店です。



言問通りを少し上野駅方面に戻って根岸一丁目交差点を左折、金杉通り(うぐいす通り)に入りました。通りの左側は数少ない戦災から逃れることができた一画でして、所々にこういった戦前からの看板建築や町屋などを見ることができます。



黒漆喰の重厚な見世蔵も残っていましたよ。コチラは蒲鉾屋さんだったようです。



お隣には出桁造りの提灯の五十嵐さん、明治9年(1876)創業の老舗です。



途中の脇道を覗くと突当りにこんな端正な看板建築、何だったのでしょう。帰りはこの裏道を辿ってみることにします。



独特な看板建築が現れました。鈴木食品工業さんです。業務用のドレッシングやソースを製造している会社なんだそうで、創業は安政年間まで遡るという老舗なのです。



二階部分、洗い出し風の左官仕上に腰には茶の小口タイルかな?何よりもパラペットから突き出した柱型と円形部分が目を引きます。



後から塗り替えたのだと思いますが、突き出し窓でしょうか鮮やかな青のスチールサッシがいいですね。



通りを挟んだ向かいにはそばの甲州屋さん、屋号が鏝絵で描かれています。こちらの外壁も左官による洗い出し風仕上、オシャレなストライプ模様です。



その先の交差点、左折している通りが花街跡へと導いてくれるはず。目印は角に建つお好み焼きのぽんたさんです。



柳通り・・・その名のとおり柳並木が続いています。この通り、三業地の許可が下りた頃は細い路地だったそうで、現在の幅員に拡げられた昭和12年(1937)に柳が植えられ柳通りと呼ばれるようになりました。それにしては樹高が低いような・・・おそらく空襲で焼かれ、戦後になって再び植えられたものだと思います。梅雨時のジメジメした中、風にゆれる柳の葉に頬を撫ぜられながら歩くというのはよいものですな。



駐車場の向こうにサビサビトタン、これはいい。



柳通りの北側、根岸四丁目2〜6番が嘗ての花街でした。往時のままと思われるどん詰まりの石畳が残っておりました。



分岐する路地にあった高勢調理部と書かれている看板建築。料亭の厨房という意味でしょうか。



確かに続きの部分は何となくそれっぽい雰囲気があるような、ないような・・・。でもこの屋号、手元の資料には載っていないのです。



通りに戻って、車止めの角材が立っている別の路地を覗き込むと、奥に何かあるようですぞ。

前半はここまで。後半では迷路のような路地裏を巡り遺構を探します。これが思っていた以上に収穫がありまして、かなり楽しむことができました。帰りに選んだ裏道も面白かったですよ。お楽しみに。


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