車窓から見つけた扇窓・謎のレッドカーペット・風呂屋の最後に立ち会った日
4年越しの再会に感無量。
ちょっと前に信州シリーズをレポしましたが、それの続きみたいなものになります。その際は坂城 → 小諸(再訪) → 岩村田 → 茅野の順で巡ったのですが、天候悪化のため訪れることができなかったのが岡谷です。まあ、遊里の情報のない町でしたので、そのうちに寄れるだろうと思っていたのですが、去年の暮れの押し詰まった日、突然ポッカリと予定が空いてしまったわけ。それなら行くかということで急遽ゴタゴタと計画を策定、いつもこんな感じですな(笑)そんなこんなで始まりました、周辺の町を合わせて一泊二日のノンビリ旅です。
最初の町は長野県のほぼ中央に位置する伊那市です。実はこの町、私にとって曰く付きの町なのです。4年前(2009)に伊那市の南に位置する飯田市を訪ねた帰りのことです。夏の盛りの探索でもうヘロヘロ、列車のボックスシートに横たわり、缶ビールを片手に明日からまた仕事か・・・などと考えながら外の風景をボンヤリ眺めていたときです。伊那市駅を出て次第に速度を増すJR飯田線・・・次の瞬間、車窓に特徴的な扇型の窓が通り過ぎていくのが見えたのです。なんだ!?と思い身を乗り出すと、川沿いに建つ古ぼけた押縁下見板張りらしき建物が遠ざかって一瞬にして視界から消失しました。これがどうしても気になり、帰ってから調べてみましたら意外な素性が判明したのです。なんと元カフェーの食堂だというのです。カフェーと聞いたら黙っていられませんがな。とはいえこの辺り興味を惹かれる町が少ないのです。あ、遊里跡的な意味でですよ。何かのついでに訪れることができたらと思っていたのですが、1年、2年と先送りにしているうちに半ば忘れていたわけ。今回岡谷を訪れることなりその存在を思い出したという体たらく・・・というか、まだ残っているのでしょうか。ちょっと心配しながら岡谷駅で飯田線に乗り換えて45分、伊那市駅の手前にさしかかると・・・よかった、まだ残っておりましたよ。
典型的な地方都市の元気のない駅前の光景、パチンコGENKIもやっていないみたい。
GENKIの脇に興味深い一画が残っておりました。路地の奥、お店が連なる長屋風の建物です。
一部にはこげ茶の渋いモザイクタイルが使われています。
コチラは明らかに元飲み屋さんかと思われます。VISAに物凄い違和感(笑)
色褪せているのにカラフルという相反する状態・・・なのにどうしてこんなにステキなのでしょう。
そして見上げると深緑一色、剥げ落ち具合が最高レベル・・・なんなの此処!?
駅を出た途端これですからね。この先を期待しないではいられない状態なわけ。実際、期待していいかもしれませんぞ。
深緑の領域を出て線路と並行している通りを行きますと、かなり歴史のありそうな物件が現われます。外壁の羽目板の劣化具合が見事。たぶん商店だったの思うのですが・・・
証拠としてショーケースが残っているのですが、なぜか思いっきり不整形。何屋さんだったのでしょう。
華道と茶道のお師匠さんも兼業されていたようです。
その先に目的の物件が見えてきましたよ。
こちらが元カフェーの食堂、クロネコさんです。もう屋号からして堪らんでしょ?下手糞な写真では分からないと思いますが、建物の各部が目で見て分かるほど歪みまくっているわけ。これは相当ガタきていますぞ。
目を引くのが四角と円を組み合わせたオシャレな造作。入口上の円形もそうでしたが、漆喰が新しいようです。直されたばかりなのかな。
飯田線から見えるのがこちら側のファサード。一階部分の淡い緑がいいね。
車窓から見えたのがこの扇型の窓、此処に辿り着くまで4年かかってしまいました。淡々とレポしておりますが、実は物凄く感動しているのですぞ。
入口廻り、なぜか小さな桧皮葺きの庇があるのです。その下に鮮やかな藍染めの暖簾、メインは蕎麦とうどんのようですね。奥の踏切が飯田線です。
そして謎の装飾、和ロウソクに海老の尻尾にしか見えないのですが・・・。でも、この意味不明こそが元カフェーの証拠って感じがするのです。
床屋風の洋風窓、内倒しと突き出しがごっちゃになっているみたい。これもカフェー時代のままなのかもしれません。庇の先端には、荒々しいテクスチャのリブ状の左官仕上も残っておりました。では、店内へどうぞ・・・。
お昼時間をかなり過ぎていましたので客は私一人。お店の方に断って撮影させていただきました。まず目についたのが円柱、明らかに不自然な位置に建っているのお分かりになるでしょうか。カフェー時代は今とは違ったプランだったと思われます。
天井は洋風の格天井、これが思いっきりへたっちゃっているわけ。どうやら二階部分はもう使われていないようです。
奥の小上がりには炬燵、此処でも食事ができるそうです。
メニューは豊富、メインの蕎麦とうどん以外にも洋食やこの地方名物のソースカツ丼もいただけます。
これもカフェー時代の遺構かと、この小窓どんな役目を果たしていたのでしょうね。
窓際の席に着くと、床が窓に向かって強烈に傾いているわけ。このまま食事したら胃袋の片側だけが満腹になりそう(笑)傾き具合をお茶の水面で表現しようと思ったのですが、うまくいかないものですな。クロネコと描かれた箸箱、コレ欲しい。
注文したのはオムライス。想像どおり、これ以上無いほどの正統派が出てきて一安心。これでフワフワとかトロトロとか出てきたら嫌だものなあ。お味のほうも正統派、間違いなく万人が好む美味しさでした。箸休めの野沢菜もいいね。こんな感じですが、とても落着く空間なのですよ。
長年憧れていたお店を辞して踏切の反対側へ、正式な町名ではないようですが地元では錦町と呼ばれている一画へ。
派手なタイルで彩られたスナック。最初は『田園』だと思って、長閑な屋号だと笑ったのですが、よく見ると『園』ではないですよね。何て読むのでしょう。
この錦町、最初地図を見たとき怪しいと睨んだ一画なのですが、何とも判断の難しい物件ばかり。どうもピンとこないなあと思っていましたら・・・
なんと、いきなり『新地』が現れた!?
その1はココまで。次回『新地』の正体が明らかに・・・まあ、それ以外にも興味深い場所が続々と出てきます。この伊那市、想像以上に面白い町だったということが次第に判明していくわけ。そして肝心の遊里は・・・。
4年越しの再会に感無量。
ちょっと前に信州シリーズをレポしましたが、それの続きみたいなものになります。その際は坂城 → 小諸(再訪) → 岩村田 → 茅野の順で巡ったのですが、天候悪化のため訪れることができなかったのが岡谷です。まあ、遊里の情報のない町でしたので、そのうちに寄れるだろうと思っていたのですが、去年の暮れの押し詰まった日、突然ポッカリと予定が空いてしまったわけ。それなら行くかということで急遽ゴタゴタと計画を策定、いつもこんな感じですな(笑)そんなこんなで始まりました、周辺の町を合わせて一泊二日のノンビリ旅です。
最初の町は長野県のほぼ中央に位置する伊那市です。実はこの町、私にとって曰く付きの町なのです。4年前(2009)に伊那市の南に位置する飯田市を訪ねた帰りのことです。夏の盛りの探索でもうヘロヘロ、列車のボックスシートに横たわり、缶ビールを片手に明日からまた仕事か・・・などと考えながら外の風景をボンヤリ眺めていたときです。伊那市駅を出て次第に速度を増すJR飯田線・・・次の瞬間、車窓に特徴的な扇型の窓が通り過ぎていくのが見えたのです。なんだ!?と思い身を乗り出すと、川沿いに建つ古ぼけた押縁下見板張りらしき建物が遠ざかって一瞬にして視界から消失しました。これがどうしても気になり、帰ってから調べてみましたら意外な素性が判明したのです。なんと元カフェーの食堂だというのです。カフェーと聞いたら黙っていられませんがな。とはいえこの辺り興味を惹かれる町が少ないのです。あ、遊里跡的な意味でですよ。何かのついでに訪れることができたらと思っていたのですが、1年、2年と先送りにしているうちに半ば忘れていたわけ。今回岡谷を訪れることなりその存在を思い出したという体たらく・・・というか、まだ残っているのでしょうか。ちょっと心配しながら岡谷駅で飯田線に乗り換えて45分、伊那市駅の手前にさしかかると・・・よかった、まだ残っておりましたよ。
典型的な地方都市の元気のない駅前の光景、パチンコGENKIもやっていないみたい。
GENKIの脇に興味深い一画が残っておりました。路地の奥、お店が連なる長屋風の建物です。
一部にはこげ茶の渋いモザイクタイルが使われています。
コチラは明らかに元飲み屋さんかと思われます。VISAに物凄い違和感(笑)
色褪せているのにカラフルという相反する状態・・・なのにどうしてこんなにステキなのでしょう。
そして見上げると深緑一色、剥げ落ち具合が最高レベル・・・なんなの此処!?
駅を出た途端これですからね。この先を期待しないではいられない状態なわけ。実際、期待していいかもしれませんぞ。
深緑の領域を出て線路と並行している通りを行きますと、かなり歴史のありそうな物件が現われます。外壁の羽目板の劣化具合が見事。たぶん商店だったの思うのですが・・・
証拠としてショーケースが残っているのですが、なぜか思いっきり不整形。何屋さんだったのでしょう。
華道と茶道のお師匠さんも兼業されていたようです。
その先に目的の物件が見えてきましたよ。
こちらが元カフェーの食堂、クロネコさんです。もう屋号からして堪らんでしょ?下手糞な写真では分からないと思いますが、建物の各部が目で見て分かるほど歪みまくっているわけ。これは相当ガタきていますぞ。
目を引くのが四角と円を組み合わせたオシャレな造作。入口上の円形もそうでしたが、漆喰が新しいようです。直されたばかりなのかな。
飯田線から見えるのがこちら側のファサード。一階部分の淡い緑がいいね。
車窓から見えたのがこの扇型の窓、此処に辿り着くまで4年かかってしまいました。淡々とレポしておりますが、実は物凄く感動しているのですぞ。
入口廻り、なぜか小さな桧皮葺きの庇があるのです。その下に鮮やかな藍染めの暖簾、メインは蕎麦とうどんのようですね。奥の踏切が飯田線です。
そして謎の装飾、和ロウソクに海老の尻尾にしか見えないのですが・・・。でも、この意味不明こそが元カフェーの証拠って感じがするのです。
床屋風の洋風窓、内倒しと突き出しがごっちゃになっているみたい。これもカフェー時代のままなのかもしれません。庇の先端には、荒々しいテクスチャのリブ状の左官仕上も残っておりました。では、店内へどうぞ・・・。
お昼時間をかなり過ぎていましたので客は私一人。お店の方に断って撮影させていただきました。まず目についたのが円柱、明らかに不自然な位置に建っているのお分かりになるでしょうか。カフェー時代は今とは違ったプランだったと思われます。
天井は洋風の格天井、これが思いっきりへたっちゃっているわけ。どうやら二階部分はもう使われていないようです。
奥の小上がりには炬燵、此処でも食事ができるそうです。
メニューは豊富、メインの蕎麦とうどん以外にも洋食やこの地方名物のソースカツ丼もいただけます。
これもカフェー時代の遺構かと、この小窓どんな役目を果たしていたのでしょうね。
窓際の席に着くと、床が窓に向かって強烈に傾いているわけ。このまま食事したら胃袋の片側だけが満腹になりそう(笑)傾き具合をお茶の水面で表現しようと思ったのですが、うまくいかないものですな。クロネコと描かれた箸箱、コレ欲しい。
注文したのはオムライス。想像どおり、これ以上無いほどの正統派が出てきて一安心。これでフワフワとかトロトロとか出てきたら嫌だものなあ。お味のほうも正統派、間違いなく万人が好む美味しさでした。箸休めの野沢菜もいいね。こんな感じですが、とても落着く空間なのですよ。
長年憧れていたお店を辞して踏切の反対側へ、正式な町名ではないようですが地元では錦町と呼ばれている一画へ。
派手なタイルで彩られたスナック。最初は『田園』だと思って、長閑な屋号だと笑ったのですが、よく見ると『園』ではないですよね。何て読むのでしょう。
この錦町、最初地図を見たとき怪しいと睨んだ一画なのですが、何とも判断の難しい物件ばかり。どうもピンとこないなあと思っていましたら・・・
なんと、いきなり『新地』が現れた!?
その1はココまで。次回『新地』の正体が明らかに・・・まあ、それ以外にも興味深い場所が続々と出てきます。この伊那市、想像以上に面白い町だったということが次第に判明していくわけ。そして肝心の遊里は・・・。