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Channel: 『ぬけられます』 あちこち廓(くるわ)探索日誌
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長野県 伊那市201312 その3

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結局、此処に戻ってきてしまいました。


 フラフラしていて気付いたのですが、この伊那市、飲み屋関係のお店が異常と思えるほど目につくのです。地図を見ていただければ一目瞭然、町の規模からして明らかに変ですから。どちらというと退役済みの処のほうが圧倒的に多いような気がしますが・・・。帰ってからも記憶の隅っこに引っかかっていたのですが、先日その理由が判明したかもしれません。以前勤めていた事務所の先輩というか、駆け出しの頃いちばんお世話になった人なのですが、たまたまその人と電話で話しているときに思い出したのです。彼の出身地はこの伊那市だったということに・・・。

 疑問に思っていた飲み屋さんのことを尋ねてみますと、意外な回答が返ってきました。伊那市は東に南アルプス、西に中央アルプスといった感じで日本を代表する急峻な山脈に挟まれた町。また、町を南北に貫いて流れている天竜川、嘗ては相当な暴れ川として有名だったそうです。戦後になって始まったのがダムや発電所の建設ラッシュ、そして天竜川の治水工事です。町にはゼネコンの支店や作業員のための飯場が並ぶことになります。それに合わせて彼ら目当ての飲み屋が乱立、言い方が悪いかもしれませんが、何もない処ですので仕事が終われば呑むしかないですものね。公共事業の遺構ともいえる飲み屋群、その中には妖しげなお店も混じっていたのではと考えるのも拙ブログ的には当然なのですが、彼曰くそういったことは聞いたことがないとのこと。本当なのでしょうか・・・。



前回からの続き・・・シルエットの正体は古ぼけたお宅?でした。それよりも驚いたのは段々畑みたいな玉石積みの石垣です。



かなりの歴史を感じさせる石垣です。建物も凄い、外壁の板が痩せ細って紙みたいにペラペラ、反り返っております。見晴らしだけは良さそうですけどね。



石垣を越えるとこんな通りに出ます。この時は知らなかったのですが、このまま進むと伊那部宿跡に出るわけ。これは旧街道なのかもしれません。



此処ではどんな暮らしがあったのでしょうね・・・。



東に戻って駅前通りである県道202号線を渡った先、忽然と地図にも載っていない水路が現れます。左の建物、入口上の照明には小料理の文字。



水路に架かる太鼓橋、ちょっと勾配が緩いですけどね。奥のダイヤ型の孔があるブロック塀、よく見るとかなりグロ、なんかこっち見てるし(笑)



近くの料亭風のお店、松喜さん?で合っているでしょうか。ネットでは一切ヒットしませんでしたが・・・。屋号が描かれている看板はサルノコシカケ、縁起物ですね。この一画、何となく花街跡的な雰囲気が感じられるのです。



さきほどの太鼓橋が架かっていた建物、引きの画にするとこんな感じ。そう、お風呂屋さんなのですよ。



菊の湯さんです。こげ茶のタイルで縁取られたちょっと変わった建物です。



ここもサルノコシカケの看板、漆かカシューでも塗った上に金文字で逆さクラゲが描かれています。驚いたのは下の貼り紙『12月29日をもって営業を終了・・・』なんと、あと一週間ほどで廃業されてしまうというのです。これも何かの縁、帰りに寄らせてもらいましょうか。



菊の湯さんの向かいには旅館花月さん、いかにもな屋号だと思いません?



近くにはこんなに立派な割烹だるまさん。これ以外にも旅館や割烹が数軒あるわけでして、気にならないほうがおかしいわけです。



ローメン・・・そういえばこの町の名物でしたね。



菊の湯さん近くの路地、この雰囲気が凄く気に入っています。此処で菊の湯帰りのお母さんに声をかけられました。どうやら銭湯マニアと間違えられたみたい(笑)いいお湯だから絶対入っていきなさいよって命令されちゃった・・・そこまで言われたら入らずにいられませんがな。



適当に彷徨っていましたら割烹だるまさんの処に戻ってしまった。だるまさんの建物の一部、なぜが水路の上まで張り出しているのです。



裏には小橋、親柱には『昭和六年四月竣工』と刻まれておりました。そのまま通りを行きますと天竜川の支流である小沢川に出ます。河畔にあるのが・・・



その1で紹介したクロネコさん、スタート地点に戻ってきちゃった。



対岸にはパラダイスもあるのですぞ。ほぼ廃墟ですけど・・・。これも公共事業の遺構なのでしょう。



洋館風の橋場歯科医院さん・・・のはずなのですが、いつのまにか居酒屋に転業されたようです。地図を見ますと、此処から次の伊那北駅まで線路と天竜川に挟まれた一画に飲み屋さんがビッシリ・・・今度は此処を探ってみましょう。



すぐにイカす看板を発見、長谷川町子先生はご存知なのでしょうか(笑)



お次は入舟有楽街、小さな小さなアーケード街です。居並ぶお店のほとんどは飲食店、この時間でも明りが灯っていない・・・そういうことなのでしょう。



その先には延々と飲み屋さんが続きますが、求めている色街的な雰囲気はあまり感じられません。現役のお店も少ないようですが、コチラは間違いなく現役。信州で山積みのカキの殻、何だか不思議な光景。



ドキッとしたのが黒真珠さん、居酒屋っぽいのに妙に艶っぽい屋号だなと思いましたら、入口の上にバーの鑑札が残っておりました。元々は違う業態だったのかもしれませんね。脇をこれまた地図に載っていない水路が流れています。



同じ水路沿いにあった何となくカフェーっぽい造りの飲み屋さんの成れの果て。水路を渡ってアプローチします。右のお店にもバーの鑑札が残っていたような・・・記憶が曖昧で申し訳ない。



そこで出会ったゴージャスさん。この仔、人懐っこいのは嬉しいのですが、落ち着きがなくて全然こっち向いてくれない・・・。



いきなり現れた銀座に思わず仰け反りましたわ(笑)



全国各地に様々な『銀座』が存在していますが、おそらくいちばん通りが短いのが此処ではないかと。素晴らしい雰囲気ですが、此処もひっそりと静まり返っております。



反対側にも所謂大門がありますよ。背後は国道153号線、天竜川の土手になります。



伊那北駅の近くまでやって参りました。依然として中央ホテルはやっていないし、他のお店にも明かりは灯っていないわけ。もちろん人影も皆無・・・今日が土曜だからと思いたいです。



やっぱり最後はクロネコさんにご登場願いましょう。それでは菊の湯さんに浸かってから岡谷市に戻りますか。

次の列車を気にしながらでしたので、ほぼカラスの行水状態でしたがラドンの効果なのか身体がポカポカになりました。銭湯に関してはそこまで詳しいわけではありませんが、浴室は改修されてそれなりに新しくなっているようでした。番台に座っている優しそうな女将さんに挨拶したかったのですが、常連さんと会話中でしたのでそのまま辞させていただきました。

今回のレポを書くにあたって調べてみましたら、幾つかの興味深い事柄を知ることになりました。菊の湯さん廃業の理由はやはり人手不足と燃料の高騰、4年前に御主人を亡くしてから女将さんが中心となって切り盛りされてきましたが、限界だったということなのでしょう。

廃業する一年前には二階の大広間での『貸席』業務も終わらせていたそうです。この『貸席』というのが気になります。よく健康センターなどで爺ちゃん婆ちゃんがカラオケに興じている、あの大広間とは違うようです。隣にあった料亭を買い取り『貸席』業務を始めたそうですから、おそらく料亭が所有していた許可というか資格を引き継いだということなのだと思います。お風呂に宴会、まさに町の社交場だったわけです。もしかすると芸者さんも出入りしていたのかもしれません。大広間以外にも池のある中庭なんてものもあるそうで、列車を一本遅らせてでもお話伺えばよかったと激しく後悔しているわけ。最後の『貸席』の様子を見つけましたのでLINK貼っておきます。こうして昭和10年(1935)創業、伊那市唯一のお風呂屋さんは79年続いた歴史の幕を閉じたわけです。これが現実だとはいえやっぱり寂しいですよね。

帰りの車窓、4年前は扇型の窓が見えたのですが、今回はなんと冬の花火!?たぶん花火業者が試し打ちをしていたのではないかと思っているのですが、線路のすぐ脇で打ち上げているのでこれが大迫力。列車の揺れに身を任せ、間隔をおいて一発一発確認しているように打ち上がる大輪の花を見上げながら、元カフェーも映画館も銭湯も全て幻だったのではないか・・・そんな思いにかられた伊那市の探索でした。

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