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Channel: 『ぬけられます』 あちこち廓(くるわ)探索日誌
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長野県 諏訪市201312(再訪編) その2

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後ろのマンション、5年前は工事の真っ最中でした。


 『上諏訪町衣之渡遊廓 長野県諏訪郡上諏訪町字衣之渡に在つて、中央線上諏訪駅の南方約三丁の地点に当つて居り、駅からは直通の大通りが貫通しているので交通としては甚だ便利である。此の遊廓は明治の初年に初めて設置されたもので、私娼、飯盛女の進化したものであるとされて居る。現在娼楼は八軒あつて、娼妓は三十人居る・・・此の遊廓は比較的都会人が出入して居るにも拘らず、純朴で暴利を貪る様な事は無いらしい。娼妓は一枚鑑札ではあるが、大抵土地つ子が多いので、岡谷小唄、スケート節、伊那節、木曽節の一くさり位は口づさむ筈である。町には芸妓も居るので呼ぶ事が出来る・・・妓楼は、牡丹楼、高島楼、鳳来楼、新鳳来楼、日埜出楼、長登楼、新泉楼、旭楼の八軒』

 今回は『全国遊廓案内』から始めさせていただきます。5年前のレポをご覧になれば分かるのですが、私、何を血迷ったのか現役の花街である大手を遊廓跡だと断言しちゃっているわけ。コレ、間違っておりますのでこの場をもちまして訂正させていただきます。そもそも衣之渡を『ころものわたし』と誤読していた時点でおかしかったみたい。諏訪湖に渡し舟があって、その船着き場近くに遊廓が設置されたのではないかと勝手に妄想を膨らませていたというのが事の真相・・・お恥ずかしいかぎりです。ちなみに衣之渡は『えのど』と読みます。普通読めないでしょ、こんなの(笑)

 『全国遊廓案内』には駅から直通の大通りが貫通とありますが、この大通りというのが上諏訪駅西口から南に延びる並木通りのことだと思います。地図上で通りを辿っていきますと、大手の花街をかすめてその先の衣之渡川にぶつかる手前で右折しているのですが、此処からその先の駐車場辺りまでが遊廓だったと思われます。戦後すぐに米軍が撮影した航空写真には、なんとなくゴチャゴチャっとした一画が写っているような、いないような・・・。嘗てこの辺りは衣之渡郭と呼ばれていました。少し南に行った処にある高島城の一部だったのです。『郭』から『廓』へ・・・お城の一部に遊里が設置される、これは結構珍しい状況なのではないでしょうか。

註)前回のレポはコチラコチラ、酷いものですが宜しかったらどうぞ。



大手の花街を抜けて県道50号線に出ました。手前の塀に囲まれているのは旅館現代さん、前回の写真を確認してみますと看板が無くなっておりました。そういうことみたいです。



その先には、前回入口に閉館致しますという貼り紙があった片山写真館さん。ショーケースにはまだ写真が飾られていました。



片山写真館さんの裏手に廻りますと風景が一変します。此処も前回訪れている妖しげな一画になります。露わになった小舞って生理的に無理。



艶っぽい窓がある物件も健在。地図を見て分かったのですが、どうやらコチラさきほどの旅館現代さんの裏口みたいです。



渡り廊下だと騒いでいた部分も引っ込んだ単なる勝手口でした。



まあ、そんなことはどうでもよくなるくらいこの窓はステキですけどね。



並木通りに出ました。庭木が邪魔してうまく撮れませんでしたが、大正11年(1922)に建てられた青木医院さんです。入口はコチラとありましたので現役のはず。



その先の駐車場が嘗ての衣之渡郭、その片隅にこの廃屋がポツンと佇んでいます。近くには小さなお稲荷さんも残っておりました。



なんだかその1で紹介した線路脇の提灯お宅みたいな造作がありますね。ご覧のとおりコチラ側は明らかに『和』ですよね。しかし、反対側に廻ってみますと・・・



表情がガラリと変わるわけ。この豹変ぶりには呆気にとられましたわ。縦長の欄間付窓が規則正しく並ぶ『洋』・・・なぜか玄関が二ヶ所、そして何よりも右のひょろ長く突き出した部分、何でしょうコレ???



こう見るとお分かりになるかと思いますが、たぶんこっち側にも建物が続いていたのだと思います。それにしては中途半端な壊し方、何があったのでしょうね。



ガラス障子には水墨画風のエッチング、これは面白い。遺構と断言したいところなのですが、よくよく考えてみますとこの物件、玄関が利用客の主要動線のはずの並木通り方向からそっぽを向いているわけ。遺構であればそういったことはないはずなのですが果たして・・・。判明しているのは間違いなく遊廓時代からの生き残りだということだけ。



衣之渡川沿いを少し戻ります。この写真をチェックしていてあることに気付きました。対岸がさきほどの遊廓跡と思われる駐車場です。水面に影を落とすトタン張りのお宅?をご覧下さい。直されすぎていて嘗ての姿を知る由もありませんが、かなりの規模ですよね。屋根の向こうから庭木が顔を覗かせていますが、それを囲むようなコの字のプランになっているようです。遺構によくあるものなのですが、今になって気付くとは・・・。



同じ衣之渡川沿いにあるのが前回偶然出会った謎の洋館です。以前は荒れた庭園がのせいでここまで接近できませんでした。改めて観察・・・右手の越屋根は浴室の湯気抜き?二階の突き出したサッシはサンルーム?分かるのはその程度・・・建物の素性は依然として不明のまま。



玄関に掲げられていた諏訪地区ハイヤー事業協同組合の看板が無くなっておりました。



斜め振られた玄関廻りが相変わらずステキですねえ。



割れたガラスの隙間にレンズを突っ込んで撮れた光景がコレ。ウーム、これでは何が何だか分からん。余計混乱してきた。



衣之渡川側はこんな感じ、触覚みたいな臭突が面白い。この物件、手元の近代建築関係の書籍には一切載っていないのです。ご存知の方、情報お待ちしております。



近くで趣きのあるお宅を見つけました。



なんと岡谷市に続いて此処でも舞踊研究所を発見です。まあ、最盛期には300名超の芸者さんが活躍されていた町ですから当然といえば当然なんでしょうけど。この先の普通のお宅からいきなり美しい三味の音が流れてきてビックリ、思わず立ち止まって聞き惚れてしまいましたよ。

寒風で身体の芯まで冷え切ってしまいました。そろそろ温泉に浸かっていきましょう。いつも行き当たりばったりの探索ですが、今回は稀なケース、珍しくチェック済みですぞ。諏訪駅の南500mほど、住所でいうと小和田という場所です。この地区の地図をよ〜くご覧下さい。小さな建物に○○の湯と表記されているのに気付くと思います。コレ全部共同浴場なのです。共同浴場いいですなあと思われるかもしれませんが、実はこれらに私のような一見さんは入浴できません。地元の組合員専用の共同浴場なのです。しかし、その中にも一見さんが利用できる処があるようですのでこれからそこに向かいます。



左は喜多の湯浴場さん、此処は入浴不可。この界隈、どてらに洗面器を抱えた人がフラフラしていたりして、まるで神田川の世界。お爺ちゃんでしたけどね(笑)



実際に川沿いにもあったりします。コチラは田宿の湯さん、残念ながら此処も入れません。



一本入った路地で出会った洋館付住宅。陸屋根というのが珍しいと思います。



路地を抜けると下見板張りの趣きのある建物が現れます。平湯さん、なんと大正時代に建てられたそうです。此処いいですよねえ・・・残念、此処もダメなのです。



すぐ後ろにもう一軒、上湯さんです。しかし、またもや入れないのです。それにしてもどうしてこんなに共同浴場があるのでしょうね。何でも別府温泉に次ぐ多さなんだとか。そんなことより私が入れる湯は何処???実は通り過ぎていたのです。それはさきほどの洋館付住宅の隣にありました。



大和温泉さん、こんな状態ですからほんと気付かないで通り過ぎちゃいますよね。まさに隠れ湯といった感じです。



細い細い通路を抜けるとこんな状態、謎の冷蔵庫と洗面台に???さらに振り向くと番台という名の茶の間、広縁を挟んだ座敷で炬燵に入ったご主人と奥さんがテレビ見てるし(笑)ご主人に挨拶して広縁に置かれた料金箱にお金を入れるという大らかなシステムになっております。こんなちょっとしたカオス状態ですが、浴室はシンプルそのもの。底に緑の六角形タイルが貼られたステンレスの浴槽があるだけ、カランさえもありません。掃除は行き届いていて清潔です。ちょっと硫黄が香る緑がかった柔らかなお湯、温度もちょうどいい感じ。ジックリ一時間ほど浸かっておりましたが、常に一人か二人相客がいましたので地元では有名なのかもしれませんね。ポカポカに癒されましたが、全身フニャフニャ状態、もう何もする気が起きまへん。



何もする気が起きない身体に鞭打って最後に訪れたのは、前回偶然出会った富士山と帆掛舟がある物件・・・よかった、まだ健在でした。



この見事な建物の素性も不明のまま、情報お待ちしております。

中央本線鈍行に乗り込み、缶ビールを空けた途端に爆睡。終点ですよと塩山駅でお母さんに起こされるまで一回も目が覚めなかった。こんなこと珍しいです。乗物ではあまり眠れない人間ですので。温泉の効能は偉大といことみたいですね。考えてみますと、今は亡き菊乃湯さんに始まり、最後は大和温泉さん、何だか秘湯巡りみたいになってしまった信州の旅でした。

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