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Channel: 『ぬけられます』 あちこち廓(くるわ)探索日誌
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埼玉県 秩父郡小鹿野町201311

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お医者さんからスナックへ・廃娼県の小さな私娼街跡・胡瓜と紅生姜の鼻緒!?

山あいの小さな町にこんな私娼街があったなんて、ちょっと驚きです。


 今回は小鹿野町、この町もなかなかの難読町。埼玉出身の私ですが、子供の頃は『こじかの』って読んでいましたから、そのまんまなんですけどね。まあ、その頃から地図を見てはニヤニヤしている変な子でしたというのはどうでもいい情報ですので話を進めますよ。正解は『おがの』です。場所は秩父市の西隣、山一つ越えた先にある小さな町。西方には日本百名山の一つ、イザナギとイザナミという二つの神様を祀る両神山がそびえる山あいの静かな処。嘗ては旧中山道の脇往還の宿場だったそうで、明治以降西秩父地方の中心として一気に近代化が進んだそうです。しかし、あっというまにお隣の秩父市に追い抜かれ、現在は何処にでもありそうな寂れた町といった様相です。

 小鹿野特有の風俗というのが歌舞伎です。その歴史は二百数十年前まで遡るそうで、秩父出身の初代坂東彦五郎が江戸歌舞伎を伝えたのが始まりとされています。衣装や小道具、振り付けなど全てが町民の手になるもので、これは全国的に見てもかなり珍しいものなんだとか。スケジュールを見ますと、一年を通じて定期的に演じられているようでして、これも結構珍しい状況なんじゃないでしょうか。実は私、この歌舞伎を子供の頃に見に行っているみたいなのです。4、5歳だったので全く記憶にないのですが・・・。

 そんな小鹿野に遊里が存在していたと知ったのはつい最近のこと。たまたまある近代建築を探しておりましたら、どういうわけか『小鹿野路地まち勉強会』なるサイトに行き着いてしまったのです。どうやらコチラ、NPO法人の後援で町の再生を図っている団体みたい。そういえば小鹿野ってあったなあ、どんな町だったっけ・・・そんな感じで眺めておりましたら、いきなり目に飛び込んできたのが『遊郭街』の文字・・・思わずポカーン、これはやられましたわ。ご存知だと思いますが、埼玉県は明治8年(1875)に県令の命で廃娼県になっております。まあ、その後以前から遊廓が置かれていた本荘と深谷が編入されて全て有耶無耶になってしまうのですがね。川越や秩父などで見られる遺構は、群馬県で言うところの乙種料理店みたいなもの、所謂私娼街ということになります。この乙種料理店的な遺構、埼玉県では探せばそれなりに見られるのですが、不思議なことに本家本元の群馬県で見つけるのはとても困難なんですよねえ、何でだろう・・・。



小鹿野町へは西武秩父駅からバスになります。途中、かなりのヘアピンカーブで山を越えていくのですが、エンジンブレーキだけで突っ込んでいく運ちゃんの見事なハンドル捌きを鑑賞しながら30分ほどで町の入口にある役場前に到着です。出迎えてくれたのは歌舞伎の町をアピールする看板だけ、人影は皆無・・・。



とりあえず町の目抜き通りである県道209号線を行きましょう。この通りが嘗ての脇往還です。



越後屋旅館さん・・・創業が明治8年って埼玉が廃娼県になった年じゃないですか。何か曰くあり気に感じるのは気のせいでしょうか。この直後、マイクロバスが横付けされ、団体さんがワラワラと入っていきました。



所々の店先にこんなものが飾られているわけ。歌舞伎の町をPRしてるんでしょうが、コレ夜見たら絶対チビるでしょう(笑)イカ天世代からすると、カブキロックスにしか見えないのが哀しいところ。



コチラは村上酒店さん、看板には醤油店とあるとおり元々は江戸末期創業の醤油と味噌の醸造所だったそうです。



お店の脇が路地になっていました。ちょっと入ってみましょう。圧し掛かってくるような屋根の迫力が見事。



路地の奥には愛宕神社という小さな神様が鎮座しておりました。



通りに戻って今度は北側に入ると十輪寺さん、何だか鐘楼が通りにはみ出しちゃっているんですけど。



十輪寺さん参道の向かいにあるのが通りでいちばん立派な常盤屋さん(加藤家住宅)、明治13年(1880)に建てられた重厚な店蔵です。一階が店舗、二、三階ではお蚕さんを飼っていたそうです。



気になったのが腰に貼られていたコレ。最初は煉瓦かと思ったのですが、どうやら瓦製のタイルみたい、初めて見ました。



此処の脇にも路地が続いています。しかも未舗装の砂利道・・・地元では成田横丁と呼ばれています。



途中にはこんな立派な門も・・・砂利道とのギャップが凄い。たぶんコチラも常盤屋さんのものだと思われます。



突当りにあるのが不動尊、成田の名の由来は此処ですね。思いっきり季節外れな画像で申し訳ない。



目抜き通りに戻りました。倒壊寸前の板塀に囲まれているのは旧荻野医院さん。



金子薬局さん・・・後から気付いたのですが、外壁に円盤みたいなものがありますよね。よく見てみると、間違いなく銅鏡(レプリカ?)なのです。どういった意味なんでしょう。



謎の警備詰所、何のための、誰のための警備だったのでしょう。もしかして・・・真央ちゃんの???



同じ二階建てなのにずいぶんとたっぱの違う二軒ですな。



右の平沼製菓舗さん、画像では分かりにくいと思いますが、とても綺麗な緑の玉石タイルが使われています。



左の元蕎麦屋には料理店の鑑札が残っておりました。



その先を右折、既に退役済みと思われる寿司駒さんの先に異様な物件が見えてきます。



寄棟屋根に下見板張りの洋館風、玄関まのでアプローチである前庭がグルリと塀で囲まれています。



立派な門構え・・・ですが、もうお気付きですよね。『喫茶スナック ふるさと』の場違い感が半端ないぞ。



門に診療所の表示、やっぱりお医者さんだったんだ。医者→飲み屋、どんな数奇な運命を歩めばこうなるの???



振り返ると向かいには神様、八雲神社です。塀は倒壊寸前、庭も荒れ放題ですのでてっきり廃屋かと思ったのですが、さきほどから視界の隅に白い物体がヒラヒラと・・・。



なんと現役でしたか、大変失礼致しました。



原町の交差点を左折するとこの公衆便所が見えてきます。よほどの非常事態でないかぎり使いたくない(笑)



その先をまた左折して目抜き通りの南側を並行している通りに入りました。地元では朝日通りと呼ばれています。しばらく行くと冒頭画像の場所が見えてきますよ。



ホワイトボックスの隅をカットして入口を造っただけというシンプルすぎる構成、こういうの大好きです。でも、注目していただきたいのは左の建物。



そのまま辿っていくとこんなお店の痕跡が・・・二階部分はL字のプランになっているようです。そのまま建物沿いを回り込んでいきますと・・・



・・・砂利敷きの広場にこんな三軒が並んでいるわけ。そう、此処が私娼街跡になります。砂利敷きの広場が嘗てのメインストリートだったそうで、往時には十軒のお店が並んでいたそうです。町の規模から考えても十軒ってかなりの規模だと思います。奥の二軒はかなり直されているようで、面影はほとんど残っておりません。



まあ、手前のもこの塀ぐらいでしょうか、雰囲気が感じられるのは。公許の遊廓とは違う立場のため、あえて質素な造りにしたのかもしれませんね。



お隣の駐車場越しの光景、伸びやかな屋根が美しいなあ。この駐車場に建っていたのが小鹿野キネマという映画館。私娼街に映画館、町いちばんの盛り場だったのでしょう。バイクがいっぱいありますが、別に怖い集会が行なわれているわけではありませんのでご安心を(笑)小鹿野町はツーリングで峠を越えて山梨県側に抜けるライダーが必ず通る町、町もバイクによる町興しをいろいろやっているみたいです。



さきほどのバイク群の理由は、近くにある小鹿野名物わらじカツの有名店安田屋さん目的だったというわけ。私もチェック済みだったのですが、行ってみると長蛇の列・・・他の店にしますわ。



遊里跡近くでこういったものを見つけると別の意味にとってしまうのです。



若い方は知らないと思いますが、ちょっと前までタバコは立派な贈答品だったのですぞ。海外旅行の土産も免税店のカートンタバコが定番、今じゃ考えられないですよね。それから免税店とくると、なぜか頭に浮かぶのがナポレオンとシーバスリーガル(笑)



近くにあったかなりの邸宅、高い塀のせいで中の様子は窺えませんでした。



十輪寺さん参道脇にある昭和食堂さんのわらじカツ丼を頂きました。わらじということで胡瓜と紅生姜で鼻緒を表現しているみたい(笑)所謂ソースカツ丼でして、今までいろんな町でコレを頂いてきましたが、思うのはやっぱり自分は卵でとじているヤツが好きだということ。

こんな山あいの小さな町にかなりの規模の遊里があった、これはちょっと驚きの事実なんじゃないかと。行ってみれば分かりますが、ロケーションもかなり面白いと思います。そんな小鹿野の探索でした。次回は秩父、4回目ですので勝手知ったるといった町ですので、地図も持たないブラブラ探索です。全然変わっていないと思えた町にも少しずつ変化が現れていることに気付くのでした。

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