ケヤキ巨木の紅葉・ファサードだけが残った映画館・四つ角の文化財群は変わらず
相変わらずの季節感ゼロ画像、お許しくだされ。
小鹿野のからの帰り道、秩父に寄ってみました。小鹿野のレポの中で4回目と言いましたが、よくよく考えてみましたらなんと5回目!?これは毎年詣でを欠かしていない大好きな町、桐生に次ぐ頻繁さなのです。何に惹かれているのか今もってよく分からないのですが、それだけ面白い町であることだけは間違いないのでしょう。これ以上この前書きに書くことが思いつきませんので早速始めさせていただきます。今回は下調べなし、地図も持たない行き当たりばったりの探索、できる限り今まで訪れていない界隈を巡ってみようと思ったのですが、結局行き着く場所は毎回同じだったりするのが不思議・・・。
西武秩父駅近く、秩父札所13番旗下山慈眼寺の裏手にちょっと艶っぽい一画があります。そこで出会ったニャンコ。状況を説明致しますと、門を介した向こうにももう一匹おりまして身動き一つせず睨めっこをしているわけ。やがて緊張の糸が切れ、この仔に動きが・・・オオッ、一戦交えるのか!?しかし、ゴロニャンして仲良く奥に消えちゃった・・・知り合いかよ・・・。
この土蔵、以前はボロボロの崩壊寸前だったのですが、真っ白なトタンでラッピングされておりました。
秩父の街灯もなかなかでしょ。
松と楓が対照的なのは大友内科医院さん、和洋折衷のちょっと面白い造りになっているのですがこの写真じゃよく分からないですね。下手糞で申し訳ない。
はす向かいには退役済みのパーマ屋さん、緑の偽スレートと出窓がいいね。
近くのどん詰まり路地の光景です。
県道73号線(旧秩父往還)に出ました。
すぐ横の福島屋さん・・・タイルが型押しされたトタンで覆われています。
あ、此処に出るんだ・・・秩父市唯一のデパート、矢尾百貨店裏の駐車場にコレがあります。嘗てこの地にあったのが寛延2年(1749)創業の酒蔵である矢尾本店、銘酒秩父錦の蔵元です。矢尾百貨店のご先祖は酒蔵だったというわけ。酒蔵自体は別の場所に移って今も健在です。蔵の横にあるケヤキの大木が見事なのです。
紅葉は散る寸前といった感じでしたが、これはこれでいいんじゃないでしょうか。
近くの今宮神社にもケヤキの大木があります。樹齢千年を超えるとも言われているご神木の龍神木です。幹には大きな洞があり、これは龍神様の住処なんだとか。市と県の天然記念物に指定されています。
境内の玉垣、どういうわけか製薬関係が多いのです。これは太田胃酸ですが、龍角散や浅田飴もありました。変わったところでは胃腸薬ゴルフなんてものも(笑)
ちょっと行った処にある寿司市本店さん、格子戸の上に料理店の鑑札があります。かなりの大店ですので、たぶん寿司割烹的なお店だったのではないでしょうか。
路地を抜けるとコレが現れます。銭湯から焼き鳥屋という数奇な運命を歩んだ物件なのです。しかしその焼き鳥屋も、今やもう・・・。
近くの路地を覗くと小さなお稲荷さん。この先がちょっと妖しい一画なのです。
お狐さんの台座には『秩父町料理店組合』と刻まれております。
細い路地を回り込んでいきますと、何とも判断しずらいお宅が現れます。二階の手摺にある隔て板が妙に気になるんだよなあ。
脇の更地には謎の飛び石?がクネクネ。新手のランドスケープアートかもしれませんな。
その先に以前も紹介した広さ三帖ほど、これまた謎の激狭飲み屋跡があります。此処は全く変わっておりません。
ジョッキの位置もそのまんまのような気が・・・。
路地を抜けると何度も紹介している花街跡とされている一画。手前の重厚な造りの建物は花月という屋号だったそうです。果たして料亭や待合だったのか、もっと妖しげなお店だったのか・・・。棟には立派な鯱、手前は招き猫です。現在はヨガ教室として余生を送っています。
相変わらず欄間の色ガラスが美しいですなあ。
奥にもう一軒、連続する窓の桟が印象的な建物です。やっぱり気なるのが門の脇にある小窓の存在、どんな役目を果たしていたのでしょう。陰見世の名残だったり・・・するわけないよなあ。
窓の桟が印象的な物件から続く家並み、これはなかなか壮観。
その先に営業中の看板がかなり怪しいつみっ子さん。裏手に擬洋風建築風の土蔵がくっ付いております。
通りを挟んだ同じ並びには、レリーフ状の装飾が残る元商店。何屋さんだったのでしょう。
ちょっと戻って旧秩父往還と並行している裏通りを行くと見えてくるのが看板建築風のたから湯さん。なぜか私、以前のレポの中でさくら湯って紹介してた・・・この箱文字、読めないよねえ、と言い訳しておきます。
たから湯さんのはす向かいにあるのが冒頭画像の場所。大好物のシンプルアーチの看板建築、どうやらお菓子屋さんだったみたい。鈴なりなのは渋柿だから???
その先にあるのが旧松竹秩父国際劇場・・・って、やっぱり無くなっていた。いや、正確に言うと無くなったというのは間違い、改修されて残ったのが茶の三角屋根の部分だけということみたいです。新聞か何かの記事で改修されると聞いていたのですが、詳細までは知りませんでした。そうですか、こうなってしまいましたか・・・。残念だったのは、映画館裏手に付属していた巨大なボロアパート、まあ住人もいなかったようですのでこうなるのは当然なんですけどね。それにしても何だこの空虚な感じは・・・。
浅草国際劇場を模したというファサードだけは残してくれたようです。現在はイタリアンのお店になっているみたい。ガラスにへばり付いて中を覗いてみましたが、往時の様子は残っていないようですので入りませんでした。店員さんが驚いていましたが(笑)まあ、閉館後の30年は倉庫として使われていただけですから勿体無いですものね。でも、もう少し何かやりようがあったような・・・部外者の戯言ですよ。
次に向かったのは番場町、嘗ての中心街です。
四つ角に国の登録文化財が並んでいます。手前が昭和初期に建てられた小池煙草店さん、奥が大正15年(1926)に建てられた旧大月旅館別館さん。此処も何度も紹介していますね。
何と言っても小池煙草店さんです。これだけ見事な看板建築、なかなか見られないと思いますぞ。
昭和2年(1927)に建てられたカフェパリーさんもお元気そうで何よりです。欲を言わせてもらえば、ネオン管が灯る姿を見てみたい。そして、お店オリジナルの美しいドンブリを譲っていただきたい。
近くにあるのがクラブ湯さん。相変わらず暖簾が出ておらず、やっているんだかやっていないんだかよく分からないお風呂屋さんです。チャリがいつも同じ場所にあるし(笑)
此処も毎回紹介していますね。倒壊寸前の傾きまくっている屋根付き駐車場なのですが変化が・・・入口に引き戸、脇には格子が造られておりました。傾いていますので格子が思いっきり不整形(笑)中ではお爺ちゃんが作業しているし、どうやらこれらはお爺ちゃんが造ったみたい。此処どうするのでしょうか、まさか住んだりしないよね???
一方、お隣のメナードさんは全く変わらず。
昭和初期に建てられた秩父銘仙出張所。名産である絹織物、秩父銘仙の取引に使われた建物です。似たようなものが三棟続いているのですが、二階部分が渡り廊下で繋がっているため、こんな素晴らしい路地状の『ぬけられます』空間が形成されたというわけ。
『ぬけられます』空間を抜けると重機が残る更地。まだ壊されたばかりみたいです。此処には平屋建てという珍しいビリヤード屋がありました。ちょっと遅かった・・・。
駅に戻る途中、矢尾百貨店が面している交差点にあった古い商家が消えていました。この通り(県道73号線)は都市計画道路でして、将来的に拡幅が行なわれるはずなのですが、どうやら事業が本格的に動き出したようです。県議会の議事録によりますと、7月段階での用地買収率は57%だとか・・・。通りには幾つかの古い商家や近代建築があるのですが、それらはどうなってしまうのでしょうか。
最後に秩父のシンボルである武甲山を仰いで帰りましょう。穴ぼこだらけの昼間の姿はあれですが、こうしてシルエットで見るぶんにはいいものですな。
前回の探索から2年半ぶりになるでしょうか、そんな短期間でも少しずつ変化が現れていた秩父市でした。おそらくこの町とはしばらくご無沙汰になると思います。次に訪れるとき、町はどんな顔で迎えてくれるでしょうか、ちょっと怖いような、楽しみなような・・・。
相変わらずの季節感ゼロ画像、お許しくだされ。
小鹿野のからの帰り道、秩父に寄ってみました。小鹿野のレポの中で4回目と言いましたが、よくよく考えてみましたらなんと5回目!?これは毎年詣でを欠かしていない大好きな町、桐生に次ぐ頻繁さなのです。何に惹かれているのか今もってよく分からないのですが、それだけ面白い町であることだけは間違いないのでしょう。これ以上この前書きに書くことが思いつきませんので早速始めさせていただきます。今回は下調べなし、地図も持たない行き当たりばったりの探索、できる限り今まで訪れていない界隈を巡ってみようと思ったのですが、結局行き着く場所は毎回同じだったりするのが不思議・・・。
西武秩父駅近く、秩父札所13番旗下山慈眼寺の裏手にちょっと艶っぽい一画があります。そこで出会ったニャンコ。状況を説明致しますと、門を介した向こうにももう一匹おりまして身動き一つせず睨めっこをしているわけ。やがて緊張の糸が切れ、この仔に動きが・・・オオッ、一戦交えるのか!?しかし、ゴロニャンして仲良く奥に消えちゃった・・・知り合いかよ・・・。
この土蔵、以前はボロボロの崩壊寸前だったのですが、真っ白なトタンでラッピングされておりました。
秩父の街灯もなかなかでしょ。
松と楓が対照的なのは大友内科医院さん、和洋折衷のちょっと面白い造りになっているのですがこの写真じゃよく分からないですね。下手糞で申し訳ない。
はす向かいには退役済みのパーマ屋さん、緑の偽スレートと出窓がいいね。
近くのどん詰まり路地の光景です。
県道73号線(旧秩父往還)に出ました。
すぐ横の福島屋さん・・・タイルが型押しされたトタンで覆われています。
あ、此処に出るんだ・・・秩父市唯一のデパート、矢尾百貨店裏の駐車場にコレがあります。嘗てこの地にあったのが寛延2年(1749)創業の酒蔵である矢尾本店、銘酒秩父錦の蔵元です。矢尾百貨店のご先祖は酒蔵だったというわけ。酒蔵自体は別の場所に移って今も健在です。蔵の横にあるケヤキの大木が見事なのです。
紅葉は散る寸前といった感じでしたが、これはこれでいいんじゃないでしょうか。
近くの今宮神社にもケヤキの大木があります。樹齢千年を超えるとも言われているご神木の龍神木です。幹には大きな洞があり、これは龍神様の住処なんだとか。市と県の天然記念物に指定されています。
境内の玉垣、どういうわけか製薬関係が多いのです。これは太田胃酸ですが、龍角散や浅田飴もありました。変わったところでは胃腸薬ゴルフなんてものも(笑)
ちょっと行った処にある寿司市本店さん、格子戸の上に料理店の鑑札があります。かなりの大店ですので、たぶん寿司割烹的なお店だったのではないでしょうか。
路地を抜けるとコレが現れます。銭湯から焼き鳥屋という数奇な運命を歩んだ物件なのです。しかしその焼き鳥屋も、今やもう・・・。
近くの路地を覗くと小さなお稲荷さん。この先がちょっと妖しい一画なのです。
お狐さんの台座には『秩父町料理店組合』と刻まれております。
細い路地を回り込んでいきますと、何とも判断しずらいお宅が現れます。二階の手摺にある隔て板が妙に気になるんだよなあ。
脇の更地には謎の飛び石?がクネクネ。新手のランドスケープアートかもしれませんな。
その先に以前も紹介した広さ三帖ほど、これまた謎の激狭飲み屋跡があります。此処は全く変わっておりません。
ジョッキの位置もそのまんまのような気が・・・。
路地を抜けると何度も紹介している花街跡とされている一画。手前の重厚な造りの建物は花月という屋号だったそうです。果たして料亭や待合だったのか、もっと妖しげなお店だったのか・・・。棟には立派な鯱、手前は招き猫です。現在はヨガ教室として余生を送っています。
相変わらず欄間の色ガラスが美しいですなあ。
奥にもう一軒、連続する窓の桟が印象的な建物です。やっぱり気なるのが門の脇にある小窓の存在、どんな役目を果たしていたのでしょう。陰見世の名残だったり・・・するわけないよなあ。
窓の桟が印象的な物件から続く家並み、これはなかなか壮観。
その先に営業中の看板がかなり怪しいつみっ子さん。裏手に擬洋風建築風の土蔵がくっ付いております。
通りを挟んだ同じ並びには、レリーフ状の装飾が残る元商店。何屋さんだったのでしょう。
ちょっと戻って旧秩父往還と並行している裏通りを行くと見えてくるのが看板建築風のたから湯さん。なぜか私、以前のレポの中でさくら湯って紹介してた・・・この箱文字、読めないよねえ、と言い訳しておきます。
たから湯さんのはす向かいにあるのが冒頭画像の場所。大好物のシンプルアーチの看板建築、どうやらお菓子屋さんだったみたい。鈴なりなのは渋柿だから???
その先にあるのが旧松竹秩父国際劇場・・・って、やっぱり無くなっていた。いや、正確に言うと無くなったというのは間違い、改修されて残ったのが茶の三角屋根の部分だけということみたいです。新聞か何かの記事で改修されると聞いていたのですが、詳細までは知りませんでした。そうですか、こうなってしまいましたか・・・。残念だったのは、映画館裏手に付属していた巨大なボロアパート、まあ住人もいなかったようですのでこうなるのは当然なんですけどね。それにしても何だこの空虚な感じは・・・。
浅草国際劇場を模したというファサードだけは残してくれたようです。現在はイタリアンのお店になっているみたい。ガラスにへばり付いて中を覗いてみましたが、往時の様子は残っていないようですので入りませんでした。店員さんが驚いていましたが(笑)まあ、閉館後の30年は倉庫として使われていただけですから勿体無いですものね。でも、もう少し何かやりようがあったような・・・部外者の戯言ですよ。
次に向かったのは番場町、嘗ての中心街です。
四つ角に国の登録文化財が並んでいます。手前が昭和初期に建てられた小池煙草店さん、奥が大正15年(1926)に建てられた旧大月旅館別館さん。此処も何度も紹介していますね。
何と言っても小池煙草店さんです。これだけ見事な看板建築、なかなか見られないと思いますぞ。
昭和2年(1927)に建てられたカフェパリーさんもお元気そうで何よりです。欲を言わせてもらえば、ネオン管が灯る姿を見てみたい。そして、お店オリジナルの美しいドンブリを譲っていただきたい。
近くにあるのがクラブ湯さん。相変わらず暖簾が出ておらず、やっているんだかやっていないんだかよく分からないお風呂屋さんです。チャリがいつも同じ場所にあるし(笑)
此処も毎回紹介していますね。倒壊寸前の傾きまくっている屋根付き駐車場なのですが変化が・・・入口に引き戸、脇には格子が造られておりました。傾いていますので格子が思いっきり不整形(笑)中ではお爺ちゃんが作業しているし、どうやらこれらはお爺ちゃんが造ったみたい。此処どうするのでしょうか、まさか住んだりしないよね???
一方、お隣のメナードさんは全く変わらず。
昭和初期に建てられた秩父銘仙出張所。名産である絹織物、秩父銘仙の取引に使われた建物です。似たようなものが三棟続いているのですが、二階部分が渡り廊下で繋がっているため、こんな素晴らしい路地状の『ぬけられます』空間が形成されたというわけ。
『ぬけられます』空間を抜けると重機が残る更地。まだ壊されたばかりみたいです。此処には平屋建てという珍しいビリヤード屋がありました。ちょっと遅かった・・・。
駅に戻る途中、矢尾百貨店が面している交差点にあった古い商家が消えていました。この通り(県道73号線)は都市計画道路でして、将来的に拡幅が行なわれるはずなのですが、どうやら事業が本格的に動き出したようです。県議会の議事録によりますと、7月段階での用地買収率は57%だとか・・・。通りには幾つかの古い商家や近代建築があるのですが、それらはどうなってしまうのでしょうか。
最後に秩父のシンボルである武甲山を仰いで帰りましょう。穴ぼこだらけの昼間の姿はあれですが、こうしてシルエットで見るぶんにはいいものですな。
前回の探索から2年半ぶりになるでしょうか、そんな短期間でも少しずつ変化が現れていた秩父市でした。おそらくこの町とはしばらくご無沙汰になると思います。次に訪れるとき、町はどんな顔で迎えてくれるでしょうか、ちょっと怖いような、楽しみなような・・・。