兎にも角にも鮭の町・寺町なのに花街?・茶畑脇の廃れ飲み屋
逆光に光る押縁下見板と出格子、綺麗ですね。
中条から羽越本線で30分ほど、村上に到着です。新潟県の最北端、山形県と接しているのが村上市です。江戸の頃は代々内藤家が治めた村上藩五万石の城下町、町の東方に位置する臥牛山に居城である村上城がそびえていました。お城の麓にひろがる武家屋敷や町人町を南北に貫いていたのが出羽街道・・・とのことなのですが、この街道、米沢街道とか羽越街道とも呼ばれているようでして、どれが正しい名称なのかよく判らないんだよなあ。まあ、宿場町という一面もあったと言いたかっただけです。往時はお城の石垣や土塁が町を包み込むように延びており、まるで町全体が城郭的な様相だったとか。
ご存知の方も多いかと思いますが、村上とくれば鮭の町ですよね。町の北を流れる三面川を遡上する鮭は村上藩時代の頃から町の貴重な財源でした。明治11年(1878)には日本初の人工孵化場が置かれたそうで、独自の食文化が連綿と受け継がれている町であります。鮭、好きなんですよね~。あくまでもサーモンではなくて鮭、それも強烈にしょっぱいの、一切れでご飯三杯いけちゃうみたいな奴(笑)昔はそういったのが多かったですよね。でも昨今は食習慣の変化や健康嗜好のためかあまり見かけなくなったような気がするのです。まあ、あれは新巻鮭の塩辛い奴だと思いますが、村上ではそれとは全く違う製法で近いものが頂けると聞いてノコノコやって来たというわけです。
肝心の遊里関係の情報ですが、杜撰な下調べ段階ではこれといったものは見つけられませんでした。中心街の西、日本海に面した瀬波温泉には芸妓置屋があるようなのですが、どうやらこれはコンパニオン専門みたい。唯一の情報は嘗て寺町は花街だったらしいということだけ。地図を見ますと確かに数軒の割烹があるようです。とりあえず此処を訪ねてみようかと歩き出したのですが、遊里ウンヌンより鮭の誘惑に負けてしまうのでした。
村上駅舎の謎のレトロ装飾、最近になって改修したみたいですが・・・。
村上の旧市街は駅から少し離れています。駅前通りをすぐ左折、しばらく行きますと肴町上交差点に出ます。交差している通りが旧出羽街道浜通り、たぶん出羽街道の脇往還みたいなものだと思います。此処を右折(県道230号線)、中条での悪天候が嘘みたいな青空・・・あれはいったい何だったんだ・・・。
村上の町並みの特徴として挙げられるのが、押縁下見板張りの外壁に平入りの町屋になるでしょうか。コチラは綺麗に直されていますが、こういった感じのはあまり見られませんでした。おそらく厳しい気候が関係しているのだと思います。
山上染物店さんは創業360年を誇る老舗です。時間の関係で寄れませんでしたが、内部の見学もできるみたいです。現在のお店は明治初期に建てられたそうで、国の登録文化財です。
酒屋さんの倉庫を覗くとこんなものが、山車の車輪でしょうか。毎年7月に開催される村上大祭では豪壮な山車が練り回るそうです。
その先、大町の交差点を左折すると嘗ての目抜き通りと思われる大町通りです。嘗ての出羽街道になります。
大町通りに面した大町文庫の中にある海鮮一鰭さんで燃料補給。なんとこれで2,000円ポッキリ!?このお店、隣にある越後村上うおやさんという創業200年の魚屋の直営、だからこのお値段で提供できるそうです。奥に見えるのが村上名物の塩引き鮭、その独特な製法ゆえの凝縮された滋味とでも申しましょうか。これは旨い、そしてしっかりしょっぱいぞ(笑)もちろんご飯おかわりしたのはいいのですが、此処でノンビリしすぎたのが後々響くことに・・・。
近くにあるのが味匠喜っ川さん、寛永3年(1626)創業というとんでもない老舗の鮭専門の加工販売店です。お店は明治期に建てられたものだそうで国の登録文化財です。鮭と染め抜かれた暖簾、何処かで見た記憶ございませんか?隣で吉永小百合が微笑んでいましたね。そう、JR東日本のポスターです。
店内の奥が加工場になっていて見学できます。そこに吊るされているのがさきほど頂いた塩引き鮭の正体、これは壮観ですぞ。
内臓と鰓を取り除いた鮭に塩を満遍なく擦り込みます。これが塩引きの名の由来みたい。一週間ほど漬け込んだら塩を洗い流し、腹をひろげた状態で寒風に晒すこと一週間から二週間。その後、室内で逆さ吊りにして乾燥させて完成です。頭を下にするのは余計な脂を落とし旨味だけを凝縮させるという理由から。旨いものには手間が掛かるということですな。それにしても鼻曲がりの凄い形相、おまけに匂いも結構凄いぞ(笑)
近くの路地裏にも吊るされておりました。
大町文庫の脇を入ると花街だったという寺町、名前のとおりお寺が並んでいます。面白いのは通りの片側にはお寺がズラリ、そしてもう一方にはこういったお店ばかり。
割烹松浦家さんは創業150年、時間があればコチラで鮭尽くし頂きたかった。
その先のお宅の塀に施されていた銅板による板金細工。鮭の町なんだなあ。
今度は割烹吉源さん、コチラは創業180年なんだとか。昭和3年(1928)に建てられた主屋と土蔵が国の登録文化財に指定されています。コチラでの昼食も検討したのですが、6,000円からとかであえなく撤退ですわ・・・。
袖壁に穿たれていたワラビ?それともゼンマイ?いいね、コレ。
枯れた風情の下地窓の下には石を模したと思われる左官仕上、人研ぎの一種だと思います。
杉玉に石灯籠、ちょっと苔生したごろた石の敷石、こういうのを見ると間違いなく花柳界が存在していたと考えるのは早計でしょうか。積雪対策と思われるキャノピーは後から造られたものですね。
入口には風俗営業の鑑札、この旅でも何度かお目にかかることになります。
通りに戻ると、側溝のグレーチングにもヤマメかイワナっぽい鮭(笑)
一本入った路地に面した安善寺さんの楼門が見事な造り。建立は正徳2年(1712)とされています。この路地、地元では安善小路と呼ばれておりまして、観光スポットにするため『黒塀プロジェクト』なる募金を募って黒板塀化を進めています。その黒板塀を曲がりますと・・・
・・・冒頭画像の場所が見えてきます。こう見ると縦長のプロポーションにちょっと違和感を覚えますが、とても美しい建物です。見事な鬼瓦が載っていますよ。何故か浪漫亭と呼ばれています。
この雰囲気からして存在したらしい花街と何か関係があったものではないかと思ったのですが、昭和11年(1936)に建てられた資産家のお宅だったそうです。その後、第四銀行村上支店長宅として長らく使われ、現在は個人のお宅になっています。町の催しの際は和洋折衷の意匠でまとめられた一階部分を公開しているそうです。コチラも国の登録文化財です。
出格子の向こうに円形の造作がありますね。
前半は此処までとさせていただきます。このレポ、チビチビやりながらUPしているのですが、あては喜っ川さんの鮭の酒びたし、コレ最高なんですけど(笑)通販での再購入決定ですわ。
逆光に光る押縁下見板と出格子、綺麗ですね。
中条から羽越本線で30分ほど、村上に到着です。新潟県の最北端、山形県と接しているのが村上市です。江戸の頃は代々内藤家が治めた村上藩五万石の城下町、町の東方に位置する臥牛山に居城である村上城がそびえていました。お城の麓にひろがる武家屋敷や町人町を南北に貫いていたのが出羽街道・・・とのことなのですが、この街道、米沢街道とか羽越街道とも呼ばれているようでして、どれが正しい名称なのかよく判らないんだよなあ。まあ、宿場町という一面もあったと言いたかっただけです。往時はお城の石垣や土塁が町を包み込むように延びており、まるで町全体が城郭的な様相だったとか。
ご存知の方も多いかと思いますが、村上とくれば鮭の町ですよね。町の北を流れる三面川を遡上する鮭は村上藩時代の頃から町の貴重な財源でした。明治11年(1878)には日本初の人工孵化場が置かれたそうで、独自の食文化が連綿と受け継がれている町であります。鮭、好きなんですよね~。あくまでもサーモンではなくて鮭、それも強烈にしょっぱいの、一切れでご飯三杯いけちゃうみたいな奴(笑)昔はそういったのが多かったですよね。でも昨今は食習慣の変化や健康嗜好のためかあまり見かけなくなったような気がするのです。まあ、あれは新巻鮭の塩辛い奴だと思いますが、村上ではそれとは全く違う製法で近いものが頂けると聞いてノコノコやって来たというわけです。
肝心の遊里関係の情報ですが、杜撰な下調べ段階ではこれといったものは見つけられませんでした。中心街の西、日本海に面した瀬波温泉には芸妓置屋があるようなのですが、どうやらこれはコンパニオン専門みたい。唯一の情報は嘗て寺町は花街だったらしいということだけ。地図を見ますと確かに数軒の割烹があるようです。とりあえず此処を訪ねてみようかと歩き出したのですが、遊里ウンヌンより鮭の誘惑に負けてしまうのでした。
村上駅舎の謎のレトロ装飾、最近になって改修したみたいですが・・・。
村上の旧市街は駅から少し離れています。駅前通りをすぐ左折、しばらく行きますと肴町上交差点に出ます。交差している通りが旧出羽街道浜通り、たぶん出羽街道の脇往還みたいなものだと思います。此処を右折(県道230号線)、中条での悪天候が嘘みたいな青空・・・あれはいったい何だったんだ・・・。
村上の町並みの特徴として挙げられるのが、押縁下見板張りの外壁に平入りの町屋になるでしょうか。コチラは綺麗に直されていますが、こういった感じのはあまり見られませんでした。おそらく厳しい気候が関係しているのだと思います。
山上染物店さんは創業360年を誇る老舗です。時間の関係で寄れませんでしたが、内部の見学もできるみたいです。現在のお店は明治初期に建てられたそうで、国の登録文化財です。
酒屋さんの倉庫を覗くとこんなものが、山車の車輪でしょうか。毎年7月に開催される村上大祭では豪壮な山車が練り回るそうです。
その先、大町の交差点を左折すると嘗ての目抜き通りと思われる大町通りです。嘗ての出羽街道になります。
大町通りに面した大町文庫の中にある海鮮一鰭さんで燃料補給。なんとこれで2,000円ポッキリ!?このお店、隣にある越後村上うおやさんという創業200年の魚屋の直営、だからこのお値段で提供できるそうです。奥に見えるのが村上名物の塩引き鮭、その独特な製法ゆえの凝縮された滋味とでも申しましょうか。これは旨い、そしてしっかりしょっぱいぞ(笑)もちろんご飯おかわりしたのはいいのですが、此処でノンビリしすぎたのが後々響くことに・・・。
近くにあるのが味匠喜っ川さん、寛永3年(1626)創業というとんでもない老舗の鮭専門の加工販売店です。お店は明治期に建てられたものだそうで国の登録文化財です。鮭と染め抜かれた暖簾、何処かで見た記憶ございませんか?隣で吉永小百合が微笑んでいましたね。そう、JR東日本のポスターです。
店内の奥が加工場になっていて見学できます。そこに吊るされているのがさきほど頂いた塩引き鮭の正体、これは壮観ですぞ。
内臓と鰓を取り除いた鮭に塩を満遍なく擦り込みます。これが塩引きの名の由来みたい。一週間ほど漬け込んだら塩を洗い流し、腹をひろげた状態で寒風に晒すこと一週間から二週間。その後、室内で逆さ吊りにして乾燥させて完成です。頭を下にするのは余計な脂を落とし旨味だけを凝縮させるという理由から。旨いものには手間が掛かるということですな。それにしても鼻曲がりの凄い形相、おまけに匂いも結構凄いぞ(笑)
近くの路地裏にも吊るされておりました。
大町文庫の脇を入ると花街だったという寺町、名前のとおりお寺が並んでいます。面白いのは通りの片側にはお寺がズラリ、そしてもう一方にはこういったお店ばかり。
割烹松浦家さんは創業150年、時間があればコチラで鮭尽くし頂きたかった。
その先のお宅の塀に施されていた銅板による板金細工。鮭の町なんだなあ。
今度は割烹吉源さん、コチラは創業180年なんだとか。昭和3年(1928)に建てられた主屋と土蔵が国の登録文化財に指定されています。コチラでの昼食も検討したのですが、6,000円からとかであえなく撤退ですわ・・・。
袖壁に穿たれていたワラビ?それともゼンマイ?いいね、コレ。
枯れた風情の下地窓の下には石を模したと思われる左官仕上、人研ぎの一種だと思います。
杉玉に石灯籠、ちょっと苔生したごろた石の敷石、こういうのを見ると間違いなく花柳界が存在していたと考えるのは早計でしょうか。積雪対策と思われるキャノピーは後から造られたものですね。
入口には風俗営業の鑑札、この旅でも何度かお目にかかることになります。
通りに戻ると、側溝のグレーチングにもヤマメかイワナっぽい鮭(笑)
一本入った路地に面した安善寺さんの楼門が見事な造り。建立は正徳2年(1712)とされています。この路地、地元では安善小路と呼ばれておりまして、観光スポットにするため『黒塀プロジェクト』なる募金を募って黒板塀化を進めています。その黒板塀を曲がりますと・・・
・・・冒頭画像の場所が見えてきます。こう見ると縦長のプロポーションにちょっと違和感を覚えますが、とても美しい建物です。見事な鬼瓦が載っていますよ。何故か浪漫亭と呼ばれています。
この雰囲気からして存在したらしい花街と何か関係があったものではないかと思ったのですが、昭和11年(1936)に建てられた資産家のお宅だったそうです。その後、第四銀行村上支店長宅として長らく使われ、現在は個人のお宅になっています。町の催しの際は和洋折衷の意匠でまとめられた一階部分を公開しているそうです。コチラも国の登録文化財です。
出格子の向こうに円形の造作がありますね。
前半は此処までとさせていただきます。このレポ、チビチビやりながらUPしているのですが、あては喜っ川さんの鮭の酒びたし、コレ最高なんですけど(笑)通販での再購入決定ですわ。