入隅に風俗営業の鑑札があるの、お判りになるでしょうか。
村上は鮭の町であるともに酒の町でもあると市の観光サイトに書かれておりました。有名処では〆張鶴の宮尾酒造さんあたりになるでしょうか。でも、新潟県全体が酒の町というのが私のイメージ・・・正確には呑ん兵衛の町と言ったほうが正しいかもしれませんけど(笑)飲料繋がりみたいになりますが、村上の名産の一つとして挙げられるのが村上茶になります。この村上茶、商業的に販売されるものとしては日本の北限に位置するお茶なんだそうです。村上藩時代から栽培されていたそうですが、山沿いでは2m近い積雪がある場所です。よくまあそんな処でお茶を育てようと思ったものです。そんな感じで文字数が埋まりましたので早々に始めさせていただきます。
安善小路を抜けると再び大町通り。界隈でも珍しい看板建築は開運堂ベーカリーさん、ご覧のとおり既に退役済みと思われます。
電菓ってなんぞ???電気窯で焼きたてを提供しておりますというアピールでしょうか。当時は珍しかったのかもしれませんね。
一軒おいた先にあるのが井筒屋旅館さん。現在の主屋は明治末期に建てられたものだそうですが、嘗て此処に二泊したのがかの松尾芭蕉。芭蕉が泊まった宿として今も現役、でも宿泊できるのは一日一組だけなんだとか。国の登録文化財です。
その先で大町通りは鉤形に曲がっています。その曲がり角に建つの昭和元年(1926)に建てられた旧新潟貯蓄銀行村上支店。アーチ窓のほとんどが塞がれており、タイル剥落の危険があるためか全体がネットに覆われています。
現在は第四銀行の車庫として余生を送っています。しっかりと往時の面影が感じられますね。でも、なんだか勿体無い使い方だなあ・・・。
片隅には金庫も残っていましたよ。
近くの直されたばかりと思われる町屋、袖壁に粋な造作が施されておりました。
そのまま通りを辿りますと庄内町に入ります。そこで見つけた水路を跨ぐ渡り廊下でしょうか。漆喰塗りたてみたいな真っ白な土蔵と一緒に。
まいづる公園に村上藩時代の武家屋敷が移築復元されています。まずは旧岩間家住宅、元々は長屋形式だったそうですが、安政5年(1858)に一戸建てに大改造したそうです。
お次は旧嵩岡家住宅、上屋の梁間が二間半ということで岩間家より大きな茅葺屋根なのですが、あまり違いは感じられません・・・というか、時間の関係でジックリ見学できませんでした。内部も見られますよ。
そろそろ葺き替え時期かな、苔の緑が鮮やかです。
再び庄内町を通って次の場所に向かいます。
三之町にやって参りました。村上歴史文化館の前身は明治40年(1907)に建てられた旧村上銀行本店になります。近くには郷土資料館もあり、当初の予定では此処で遊里関係の情報を仕入れよう思ったのですが、そんな余裕は全くありません。それもこれも昼食でノンビリしすぎたせい、おかわりなんかするんじゃなかった・・・。
隣には旧若林家住宅があります。若林氏は村上藩の中級武士、150石を抱える物頭だったそうです。築二百数十年、東日本では珍しい中級武士の住宅ということで国の重文に指定されています。此処も外観だけかよ・・・。
門も茅葺きですぞ。コチラは単なる復元かな?部材が新しいような気がします。
市役所裏の駐車場入口にこんな小屋と門柱が残されていました。これは旧制新発田中学校村上分校の校門と守衛舎、明治33年(1900)に建てられたとされています。分校はその後村上高校になりますが、高校移転後の跡地に現在の市役所が建てられたそうです。
駅へと戻る途中、もっとこう艶っぽい一画みたいな場所がないものかとキョロキョロ。見つけたのがこの路地、数軒の飲み屋さんが軒を連ねていましたが、自分的にはちょっと物足らない(笑)
昔の町屋を無理矢理洋風に直したようなこのお店は面白かったですが・・・。
その先に大店が現れます。創業270年を誇る老舗料亭能登新さんです。大正時代に現在地に移転したそうですが、建物は新しいものでした。
能登新さんがある通りを抜けると茶畑が現れます。そう、これが村上茶。この茶畑、奥に見える九重園茶舗さんのものみたいです。もちろん此処だけでなく郊外にもっと大きなの所有しているはずだよね。
茶畑の脇が冒頭画像の場所、こんな廃れた飲み屋さんが残っていました。外壁の下見板が痩せ細ってペラペラです。
『きらく』さんで間違いないかと思われます。風俗営業の鑑札以外にも18歳未満ウンヌンの表示、コレもこの先何度か目にすることになります。
回り込むとこんな窓・・・面白いのが窓上の傷?旗本退屈男か(笑)
隣というか、この二軒くっ付いています、むらさきさん・・・コチラにも鑑札がありますよ。暖簾が見えますね、もしかすると・・・。
向かいにはこんな標語、鮭にも少子化問題ってあるのかしら・・・。
以上、鮭の町村上でした。ペース配分を間違えて慌しい探索になってしまいましたが、ゆっくり巡れば楽しめる町だと思います。内部を見学できる町屋も結構あるみたいですよ。実はその1で出できた食事をした大町文庫、よくよく考えてみましたらあそこって私設図書館なのです。もしかすると遊里関係の資料もあったかもしれないのに、頭の中は『鮭・・・鮭・・・鮭・・・』やられましたわ。次回はちょっと戻って新発田を再訪致します。最近よくレポしている『実は間違っておりました』シリーズ、正しい遊廓跡を太陽と競争しながら訪ねます。