実は現役だった食堂三兄弟・最長距離更新の長屋・遊里跡らしからぬニャンコ
富士山を象っていたとは気付きませんでした。
村松から五泉駅に戻ってきました。2年半ぶりになるでしょうか、前回は雨に祟られて靴の中までグショグショ・・・散々でしたわ。今回はそんな心配など全く必要の無いピーカンの秋晴れなのですが、別の心配事がございます。何しろ時間が無いわけ、ちょっとした駆け足状態で探索しないといけないようですな。手抜きで大変申し訳ないのですが、町や遊里関係の情報は前回のレポを参照していただければ幸いです。これ以上記すことも思いつきませんので早々に始めさせていただきます。
註)前回のレポはコチラとコチラ、先にご覧になったほうが判りやすいかと。
やはり初っ端は此処になるでしょうか、駅近くにある食堂三兄弟、もちろん何の繋がりもないと思いますが(笑)この並びが大のお気に入り。ここで訂正・・・左のお城みたいな破風とレトロな窓が連続するアバンギャルドな栃尾屋さん、前回退役済みと言ってしまいましたが現役だったみたい、ご免なさい。時間があればどれかで昼食といきたかったのですがね。
前回は訪れなかった駅の北東側を探ってみることにします。
裏通りに入ると水路が現れます。新発田で出会ったものと同じ水草がユラユラ。その先の草臥れた下見板張りは近藤酒造さん。慶応元年(1865)創業の酒蔵です。
近くで見つけたノコギリ屋根、古くからの機業地である五泉の象徴でもあります。元々は五泉平という絹の袴地が名産でしたが、現在はニットがそれに代わっています。
物凄い塀を構えた豪邸、機業で財を成した方のお宅かもしれませんね。まあ、後でもっと凄いのが出てきますけど・・・。
緩やかなカーブを描く通りに沿って廃れた家並みが続いておりました。
その先に茶舗の丸松園さん、母屋部分の松が立派です。
さらにゴチャゴチャとした一画の奥へ、ふと左を見ると・・・
これがとんでもなく長~い長屋。地図で確認してみますと、80mはゆうにあるわけ。新発田の白新長屋より長いでやんの。最長距離更新ですな。
長~い長屋に気をとられていたら黒板塀が続く路地に迷い込んでしまった。どうやら此処、丸松園さんの勝手口だったみたい。
時間がないので強引に駐車場を突っ切って旧街道と思われる県道7号線に出ました。正面には前回も紹介した旅籠風の旅館福泉館さん、此処に出るんだ。この裏手が遊廓跡と思われる馬場町の割烹街になります。
この孔は健在。前回は毘沙門亀甲って言っていましたが、三つ盛亀甲のほうがしっくりきますよね。相変わらずいい加減で申し訳ない。それにしても孔の暗闇が恐くて仕方がないのですが・・・トライフォビアの一種なのでしょうか。
未舗装の細い路地に冒頭画像の円形の造作があります。
コレに気付いてはいましたが、前回は雨のせいで細部まで気が回らなかった・・・。路地の出口にあった美しい造りの大野屋旅館さんは真新しいお宅に変わっておりました。たった2年半ですが、いろいろと変化があるものです。
路地を抜けるとこの仔がお出迎え。遊里跡のニャンコって、大抵ニャン相が悪くてひねくれているのが多いというのが持論なのですが、この仔は例外。まあ、飼い猫ということもあるのでしょうけど、とても大人しかったですよ。
そういうときにかぎって時間がないんですよね・・・。
敷居が高そうな割烹一力さんは以前のままでした。敷居が高いの使い方誤っているの自覚しておりますが、今やこっちのほうが意味伝わりますよね。
水路が暗渠になっている通りに出ました。昔の航空写真で確認してみますと、水路に蓋がされていない頃は両側に並木みたいな物体が有るような無いような・・・メインストリートだったのでしょうか。その通り沿いで一際目立つメダイヨンがある謎の看板建築。こっちに目がいきがちですが、お隣のお宅に注目ですぞ。かなり直されているようですが、面影が残っているような気がしませんか???
開口部廻りを強調したフレームにモルタル欠き落としの外壁、妙な違和感を覚えるのは微妙にシンメトリーからずれているせいでしょうか。メダイヨン本体は無くなってしまったのか、何かが描かれていたのか、写真からは判断できませんでした。そして何よりも気になるのは空中ドアの存在、ご丁寧にも小庇まで付いているし(笑)こう見ると、その類というよりも元お医者さんといったほうがシックリきますよねえ。
締めはやっぱりこの豪邸、元大地主の吉田家住宅に登場願いましょう。県道7号線沿いの光景、巨大な土蔵が二棟ドーン!!車と比較していただければその大きさが判ると思います。
交差点に面しているのは吉田家が設立した旧吉田銀行、明治末期に建てられたものだそうです。路面が濡れているのは融雪装置の試験、垂れ流しですので池みたいになっておりました。雪国なんですねえ。
通りを回り込むと二階建てほどもある煉瓦塀がドーン!!もうなんか刑務所並みですなあ(笑)
その先には県道側と同じような土蔵が二棟再びドーン!!いったい中には何があるのでしょう、とんでもないお宝が眠っていたりして・・・。
なんだか慌しい探索になってしまいましたが、以上で五泉の再訪編はオシマイ。再び磐越西線に乗り込んだら福島県との県境に位置する町を目指します。そこは普段使っている住宅地図にも詳細が表示されない処、どうやら勘に頼るしかなさそうです。
富士山を象っていたとは気付きませんでした。
村松から五泉駅に戻ってきました。2年半ぶりになるでしょうか、前回は雨に祟られて靴の中までグショグショ・・・散々でしたわ。今回はそんな心配など全く必要の無いピーカンの秋晴れなのですが、別の心配事がございます。何しろ時間が無いわけ、ちょっとした駆け足状態で探索しないといけないようですな。手抜きで大変申し訳ないのですが、町や遊里関係の情報は前回のレポを参照していただければ幸いです。これ以上記すことも思いつきませんので早々に始めさせていただきます。
註)前回のレポはコチラとコチラ、先にご覧になったほうが判りやすいかと。
やはり初っ端は此処になるでしょうか、駅近くにある食堂三兄弟、もちろん何の繋がりもないと思いますが(笑)この並びが大のお気に入り。ここで訂正・・・左のお城みたいな破風とレトロな窓が連続するアバンギャルドな栃尾屋さん、前回退役済みと言ってしまいましたが現役だったみたい、ご免なさい。時間があればどれかで昼食といきたかったのですがね。
前回は訪れなかった駅の北東側を探ってみることにします。
裏通りに入ると水路が現れます。新発田で出会ったものと同じ水草がユラユラ。その先の草臥れた下見板張りは近藤酒造さん。慶応元年(1865)創業の酒蔵です。
近くで見つけたノコギリ屋根、古くからの機業地である五泉の象徴でもあります。元々は五泉平という絹の袴地が名産でしたが、現在はニットがそれに代わっています。
物凄い塀を構えた豪邸、機業で財を成した方のお宅かもしれませんね。まあ、後でもっと凄いのが出てきますけど・・・。
緩やかなカーブを描く通りに沿って廃れた家並みが続いておりました。
その先に茶舗の丸松園さん、母屋部分の松が立派です。
さらにゴチャゴチャとした一画の奥へ、ふと左を見ると・・・
これがとんでもなく長~い長屋。地図で確認してみますと、80mはゆうにあるわけ。新発田の白新長屋より長いでやんの。最長距離更新ですな。
長~い長屋に気をとられていたら黒板塀が続く路地に迷い込んでしまった。どうやら此処、丸松園さんの勝手口だったみたい。
時間がないので強引に駐車場を突っ切って旧街道と思われる県道7号線に出ました。正面には前回も紹介した旅籠風の旅館福泉館さん、此処に出るんだ。この裏手が遊廓跡と思われる馬場町の割烹街になります。
この孔は健在。前回は毘沙門亀甲って言っていましたが、三つ盛亀甲のほうがしっくりきますよね。相変わらずいい加減で申し訳ない。それにしても孔の暗闇が恐くて仕方がないのですが・・・トライフォビアの一種なのでしょうか。
未舗装の細い路地に冒頭画像の円形の造作があります。
コレに気付いてはいましたが、前回は雨のせいで細部まで気が回らなかった・・・。路地の出口にあった美しい造りの大野屋旅館さんは真新しいお宅に変わっておりました。たった2年半ですが、いろいろと変化があるものです。
路地を抜けるとこの仔がお出迎え。遊里跡のニャンコって、大抵ニャン相が悪くてひねくれているのが多いというのが持論なのですが、この仔は例外。まあ、飼い猫ということもあるのでしょうけど、とても大人しかったですよ。
そういうときにかぎって時間がないんですよね・・・。
敷居が高そうな割烹一力さんは以前のままでした。敷居が高いの使い方誤っているの自覚しておりますが、今やこっちのほうが意味伝わりますよね。
水路が暗渠になっている通りに出ました。昔の航空写真で確認してみますと、水路に蓋がされていない頃は両側に並木みたいな物体が有るような無いような・・・メインストリートだったのでしょうか。その通り沿いで一際目立つメダイヨンがある謎の看板建築。こっちに目がいきがちですが、お隣のお宅に注目ですぞ。かなり直されているようですが、面影が残っているような気がしませんか???
開口部廻りを強調したフレームにモルタル欠き落としの外壁、妙な違和感を覚えるのは微妙にシンメトリーからずれているせいでしょうか。メダイヨン本体は無くなってしまったのか、何かが描かれていたのか、写真からは判断できませんでした。そして何よりも気になるのは空中ドアの存在、ご丁寧にも小庇まで付いているし(笑)こう見ると、その類というよりも元お医者さんといったほうがシックリきますよねえ。
締めはやっぱりこの豪邸、元大地主の吉田家住宅に登場願いましょう。県道7号線沿いの光景、巨大な土蔵が二棟ドーン!!車と比較していただければその大きさが判ると思います。
交差点に面しているのは吉田家が設立した旧吉田銀行、明治末期に建てられたものだそうです。路面が濡れているのは融雪装置の試験、垂れ流しですので池みたいになっておりました。雪国なんですねえ。
通りを回り込むと二階建てほどもある煉瓦塀がドーン!!もうなんか刑務所並みですなあ(笑)
その先には県道側と同じような土蔵が二棟再びドーン!!いったい中には何があるのでしょう、とんでもないお宝が眠っていたりして・・・。
なんだか慌しい探索になってしまいましたが、以上で五泉の再訪編はオシマイ。再び磐越西線に乗り込んだら福島県との県境に位置する町を目指します。そこは普段使っている住宅地図にも詳細が表示されない処、どうやら勘に頼るしかなさそうです。